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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:第6章(グーサノイド城内―謁見の間)
29/43

29.その頃-ノアとアンナ

 クロエが消えたとの知らせを受け、ノアが向かったのは『精霊の木箱』だった。部屋に損傷がある状況からは、何らかの好ましくない事態が想定される。とはいえ、クロエの行動を一般論で推して良いものかもわからない。

 どう対応するにしろ、姿がないことを確定させるのが先決だろう。


 滞在して日の浅いクロエには、出かける当ても多くはない。ノアの把握する限りで、クロエを引き留めるほどの繋がりがあるのは、魔術師協会の支部か、『精霊の木箱』くらいのものだ。


 協会については、ジャックが向かってくれている。広場で別れたあと、随分と機嫌よく目的地へ向かった。道中、タバコの話しかしなくなっていたが、役目を覚えているだろうか。


「何かあったんですか?」


 呼びにやる手間もなく、アンナは教会の入口に待ち構えていた。彼女は、雑事一切を取り仕切る、この施設の立役者だ。没個性的な容姿をした中年女性だが、不思議なほどに生活感がない。


「アンナさん、僕を待っていたのですか?」

「それはそうですよ。普段なら子どもの物欲しげな視線だって捨て置かないノア様が、挨拶もそこそこに急いでるっていうんですから。…これはきっと大事だって思いますよ」

「情報が早いにも程があります…だいたい、もうそういうことはしなくて良いと何度も――」

「そんな話をしに来たんですか?」


 返答に窮する。往生際悪く視線を一巡りさせるも、結局は、不本意そうに首を振った。


「今は、言いません。聞きたいことは一つです。クロエさんは来ていますか?」

「クロエちゃん? いえ、しばらく見てませんよ。ノア様が治療を終えてからは、それほど頻繁には来ていませんし」


 魔力中毒の患者への治癒は、半月ほど前に区切りがついていた。未だ完治していない患者もいるが、通常の看護で事足りる程度に落ち着いている。


「そうですか」


 それほど期待してもいなかったが、いないと突きつけられれば堪える。ジャックの方も望み薄だろう。


「いなくなったんですか?」

「…ええ」

「愛想をつかされちゃったんですか!」


 なんと答えたら良いか分からず、曖昧に笑った。


「荷物はそのままですし、直前まで僕とアランといた様子から考えると、計画して出て行ったというわけではなさそうです。天井が破壊されていて、そこに第三者がいた可能性があるようですが…」

「あの子、高位魔術師な上に『特異者』なんでしょう? 不審者の一人や二人いたところで、手に負える相手じゃありませんよ。別の『特異者』を見つけてくるか、それこそ神か悪魔にでもお出まし願わないと、同じ土俵にすら立てないでしょうに…。いや、まあ、やれと言われれば、そうですね。付け入る隙もなくはないか。彼女自身の身体能力は――」

「やりません! 物騒な話はやめてください」

「…そんな人間が、自らの意思でなしに消えたというのは、十分に物騒な話だと思いますけどね」

「自らの意思でないとは限らないでしょう?」


 アンナには意図が分からず、怪訝な顔をした。


「でも、先ほどは――」

「計画してはいないようですが、その場の判断で、謎の第三者に自ら従った可能性は十分にあります」

「あたしにはよくわからないんですが、ノア様は確信しているみたいですね」


 言いよどむが、白状することに決める。


「…それは、クロエさんがそもそも『誘拐』されてここに来たからです」ぬるい視線を振り払うように、口早に続ける。「クロエさん曰く、誘拐組織を壊滅させるために、わざと捕まったそうです」

「それは…」どこから触れるべきか悩むアンナである。

「今回も似たようなことが起きたのではないかと、僕は思います」


 アンナは激しい葛藤の色を見せていたが、追及するのは諦め、気の滅入るようなため息をついた。


「…どおりでね。入国の経緯も、足取りすらも不明なわけですよ。…でも、今はやめておきましょう。とにかく、実質はどうあれ『誘拐』が成功していると仮定して、犯人はやっぱり…」

「ローレンスでしょうね」


 嫌悪むき出しの舌打ち。ノアの腰が引けるのを見、慌てて笑みを取り繕う。


「ごめんなさいね。でも、さすがに目に余りますよ。魔力中毒って病気も、あの気狂いの仕業なんでしょう?」

「この頃は活動的ですねえ…」深く、息をついた。「クロエさんに関心を示していることは、わかっていたんです。でも、ローレンスは大抵、村や町、商会や反体制組織というように、集団単位での嫌がらせをするのです。だから、クロエさん個人に害を成すことはないだろうと、安易に判断してしまいまして…。不明を恥じるばかりです」

「…いや、何か前提が間違ってる気がしますよ。しかも私の知らない事件の気配がしたんですけど…」

「他愛もない話ばかりですよ」


 少し間を置き、「そうですか」とだけつぶやいた。どっと疲れを感じるアンナである。


「…クロエさんが危害を加えられる心配は、あまり現実的ではないようです。ですが、このまま捨て置くわけにはいきません。クロエさんだって、ローレンスといても面白くはないでしょうし、うっかり『壊滅』されても困ります。――それに、迎えがないのは寂しいでしょうし…」

「迎え、ですか」


 初めて耳にした言葉のように、物珍しく反芻させる。

 転がすほどに甘美な味が増し、喜びが沸きあがるのを感じた。


「…ノア様がそういうこというの、初めて聞きました」

「そういう?」

「なんていうんでしょう…感情的なだけの言葉、ですか」

 少し、考え込む。「確かに、根拠も意味もない、つまらない言葉でしたね」

「そんなことありません!」叫ぶように言う。真剣な目で覗き込む。「そんなこと、ありませんよ。クロエちゃんも喜びます。迎えに行きましょう!」


 胸に手を当て、深い感謝の念を示す。その顔が、情けなく崩れた。

 本当は、こんなことを頼みたくはないのだが。…そう思っても、場を俯瞰する冷静な自分が、最善手を指し示し、目を逸らすことを許さない。


「…申し訳ないことを、お願いします」そこまで切り出しても、なお躊躇いつつ「ローレンスなのですが、王都内、それもおそらく、城下一帯のどこかを拠点にしているはずです。…はずなのですが、お恥ずかしいことに、これは私では…」

「あの気狂い、気狂いの年季が違いますからね。いくらノア様でも手に負えませんよ。――頼まれなくても探しますが、これは私の為でもあるんですからね。城下一帯とは、なめられたもんだわ。私の縄張りドンピシャですからね。好き勝手させるもんですか」

「だから、そういうことはしなくて…」繰り返しかけ、顔を覆った。「そう。そう言っているくせに、その私が利用しようとしているのですね。なんておぞましい自己本位の怪物。教会に近づくことさえも罪深い、救い難き汚らわしさ。きっとすぐにも正義の制裁が――」

「ノア様落ち着いて」

「人の善意を貪る悪徳…私はこの世の善なるものを、悪に組み替える怪物です。今日の所業に至っては、もはや神に反逆しているも同然の――」

「私の手伝いが神への反逆なの!?」


 ノアの肩を揺らしてみるも、懺悔と精霊讃歌は止まらない。アンナは早々と諦め、施設内の一室に放り込んだ。すれ違った職員に、しばらく出ると言い置いていく。手早く引継ぎをして、先ほどまでノアと話した場所に、戻ってきた。そこは、クロエが初めてやってきた時に、呆れたように空を仰いでいた場所だった。


 興奮のあまり、叫んだ言葉を思い出す。――ノア様を御せる人が現れた。そこに込められた喜びと、まぎれもない打算。だからこそ、なお高まる喜び。


 ああなったノアは、誰の姿も見えはしないし、誰の声も聞こえはしない。見えるはずがなく、聞こえるはずもない…知覚されるはずのない場所に、彼女は確かに立っていた。


「…心配はないだろうけど、探してあげましょうかね」


 言葉の響きとは裏腹に、満足気に胸を張った。




 それから丸二日。隠しきれぬ敵意に歯ぎしりをしながら、アンナは成果を報告していた。


「あの気狂い、本当に信じられない。この私相手にのらりくらりと、丸二日も煙に巻くなんて! あれはもう本気で逃げ切る気なんてなくて、こちらをおちょくってるだけですよ。どうなってんですかうちの宰相!?」

 ノアはうなだれる。「お手間を取らせて申し訳ありません。どうなっているのかは…分かろうとしないことをお勧めします」


 内容の冷たさに反し、顔には一滴の皮肉もない。ノアはただ、事実を事実として口にしているだけだ。

 アンナは毒気を抜かれた。気を取り直す。それよりも、優先すべきことがある。


「クロエちゃん、見つけましたよ。ただし、ここまでのことを考えると、向こうも発見されたことに気が付いていると考えるべきです。それから…」いやさすがに…と唇を曲げ、恐々と続ける。「洗い出せる限りの土地の来歴と、物資と人間の出入りを漁ったんですが…地下通路があるようです」

「地下通路、ですか」言いながら、ノアも少々逃げ腰になる。「どこに通じています?」

「あそこに」

 

 王城に。


「王城のどの地点に出るのかは…確定できていません。今後のご指示を」


 アンナはまるで、自身が罪を犯したかのように、気まずい顔をしていた。

 確定できていなくても、アンナにだって察しはついた。

 二人は『精霊の木箱』の一室にいた。ノアは姿勢よく彼女の話を聞いていた。黙り込み、窓の外に目をやる様子からは、何を考えているのか窺い知ることはできない。


「…想像はつきます」


 視線を戻し、困ったように俯く顔は、慣れ切った心もとないものだった。


「巣穴に追い込んでください。私は迎えにいきましょう」


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