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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:第6章(グーサノイド城内―謁見の間)
28/43

28.私の為の王


「あまりの怖さにお腹一杯の気もするんだけど、ここまで来たら最後まで聞きたいとも思ってしまう。…お姉さま、ひとおもいにやるがいいよ」


 両手をカップで温めながら、クロエは恨みがましく言う。正面で腕を組むイーニッドも、憎々し気な様子を隠さない。


「お前が話せと言ったんだろう。誰が好き好んでこんな話をするか」

「いや、言ってないよ。そもそもなんの話だっけ」

「誘拐目的を聞いてたんだろ」

「そうだ。それがどうして、こんな恐ろしい話に」

「目的を教える通り道だ」

「え、待って。この話の延長に私がいるの?」


 全員、真剣な目で見つめ合った。怯んだ気持ちが共鳴し、固い連帯感となった。クロエだけではないのだ。この場にいる者はみな、この話の登場人物なのである。半ばやけくそな気分になり、小さくつぶやいてみる。「…聖痕」


「やめろ!」と叫んだのはイーニッドだ。「お前には分からんだろう、この恐ろしさ。話だけじゃないんだぞ。私は実際、見せつけられているんだからな! それはもう嬉しそうに! 子どものようなはしゃぎっぷりだぞ! マタタビ抱えた猫だってああはならん! しかも、しかもだ! どういうわけか私は鏡を持つ担当で、立ち会うたびにどうだと聞かれるんだぞ!!」

「ごめんお姉さま。私が悪かったよ」


 クロエはオレンジの載った皿を差し出した。ポーは泣いていた。


「…いや、取り乱してすまない」

「謝らないで。取り乱すのはお姉さまがまだ人間である証拠だよ。…待って、つまり、私は今、その狂人に誘拐されてるわけ?」

「そうなるな」


 ひゅんと腹が空疎になり、力が抜けるような感覚があった。クロエは戸惑う。少し考えて、気が付いた。恐怖を感じたのだ。深くうなずく。なるほど、これが恐怖か。学びの場は妙なところにあるものだ。


「…帰るべき? どうしようかな。怖いもの見たさってやつを初体験してるよ」のんきにお茶を飲みながら、落ち着きなく指をすり合わせる。「…じゃあ、怪談のオチまで聞いて撤退しようか。これはどうしても気になる。聞いても寝れない、聞かなくても寝れない。血も涙もない所業だね」

「残念ながらオチはない。現在進行型の怪談話だ」

「よし、帰ろう」

「おや、もうお帰りですか?」


 ここに来て初めて、イーニッド以外の声を聞いた。できれば聞きたくはなかったが、後の祭りである。扉を開いた人物を見やる。彼は愛想よく微笑んでいた。


「是非お連れしたい場所があるのですが、お時間はよろしいですかな?」




 学習には、どんな魔術も及ばない、不可思議な力がある。一つの言葉を知れば、世界が組み変わる。それはある日突然やってきて、意識に居座り、そこ、あそこと、自分の同類たちを指さし始める。そうして、気が付けば、見知った景色が形相を変えている。


 あの恐ろしい話を聞き、その主人公に以前と変わらない姿を見るなど、とても無理な相談だった。何がどうなったのか、クロエは今、老宰相閣下と二人きりだ。それも、広大な石造りの空間に、手足を縛られてちょこんと置かれている。


 縛ったのはイーニッドだった。ここまで付いてきた彼女は、宰相閣下の命には従ったものの、とても可哀そうな物を見る目をもって健闘を祈ってくれた。クロエは温かい気持ちになった。そのあと無情に逃げ去ったが。


 ポーは姿が見えない。おそらく、()()()()()のだろう。クロエにも理解できた。おかしな場所で、言いようもなく不愉快で…毛羽立った布切れで、魂を覆われているような心地がした。うまく考えがまとまらない。


「モーリア嬢は、陛下のことが好きですかな?」


 話しかけるなという言外の要求は、伝わらなかったらしい。無視しようかと迷う。だが、何をしでかすか分からない狂人が、黙って隣にいるのも不気味だ。かなり間を置いたが、しぶしぶ答える。


「好き嫌いで言えば好きだけど、そういう意味で聞いてるんじゃないでしょう?」

「そうとも限りませんが、参考までに、そういう意味ではどうなのです?」

「さあ」


 はぐらかしている訳ではなく、正直な回答がそれだった。ローレンスにも分かったのだろう。深く追及してはこなかった。


「陛下も似たようなものでしょう。あなた方は似た者同士ですな。私などから見ると、実に似合いだと思いますがね」

 意図がわからず、眉をひそめる。「私のこと、嫌いなんだと思ってたけど?」

「なぜ? 私はあなたに感謝しているくらいですぞ」

「それこそなぜ」


 誘拐を企てられ、手足を拘束された状態で告げられるのが感謝とは。

 結構な皮肉だが、ローレンスにそんなそぶりはない。むしろ、満面の笑みで、言葉を裏付けて見せる。


「あの歓迎パーティーですよ。いやあちょっかいをかけた甲斐がありましたな! あのように冷たい目を向けられたのは四十八日ぶりでしたぞ。それだけでも舞い上がったというのに『死にたいんですか』ときましたからな! 痺れましたなあ!! 思い出しても素晴らしい! ああ震えが、見苦しいところを、すみませんな。…ふふ、以前にあそこまで徹底的な殺意を頂戴したのは、もう二年と八カ月十七日前でしたからな。どうも興奮してしまって…陛下は年々手ごわくおなりだ。いや、年甲斐もなくはしゃぎましてな。あのあと三日ほど眠れませんでしたなあ」


 まくしたてられ、凍り付く。言葉がまとわりついてくる。容赦なく降り注ぐ。なんとか、自分を鼓舞して、飲み下そうと試みてみる。


「…つまり、ノア君を怒らせたいから、私に構っていると?」

「そういう言い方もできますな。ただ…」不本意がにじむ。「正確を期するなら、怒らせたいというのでは…大いに語弊がある。私は、王に会いたいのです」

「…ノア君が、あなたの王様なんでしょう?」


「その通り。しかしそうではない。あなたも見たでしょう? 無慈悲で、冷たく、静謐で、圧倒的な、あの佇まい…。正確無比な判断力と、残酷なまでの実行力。絶対的で反抗不可能な武力。三代の王に仕えてきましたが、これほど素晴らしい王は他になかった。考えるまでもありません。我々のような虫けらには、ひれ伏す以外の選択肢などないのです。あれはもはや神です。あれこそが私の天地! あれこそが…あれこそが、私が仕えるに足る、私の、私の為の王です!」


「…いや、誰の話してるの」


 もちろん、答えは分かっている。だが聞かずにはいられない。そして、疑問は重なる。――一体、何に巻き込まれているのか。何の役目を負わされているのか。

 クロエは聞きたくなかった。聞いても理解できないし、理解に努める必要性も感じない。ローレンスが話せば話すほど、彼の異常性が際立つだけ。これ以上は夢に出そうである。いや、もはや手遅れか。


「…ではあるのですが、陛下は王であることを嫌がっておられましてな」クロエの表情に気付いているのか、いないのか…彼の言葉は止まらない。「実にもったいない、許されざる話です。しかし、これほど私が求めて止まないものを、ゴミ屑のように踏みにじるというのが、また、なんとも…まあ私の王ですからな! ふふふふふ」

「気持ち悪いよ!」と、ついに声をあげた。「そんなにノア君のことが好きなら、したいようにさせてあげれば良いじゃん」

「なるほど。しかし、私の王は『ノア様』ではなく『陛下』なのですよ。あれほど王に相応しいのに、その適正に背を向けるような真似をなさる…『ノア様』はいうなれば敵ですな。――モーリア嬢は、私の行いを、陛下に弓引くものと感じているようですが、そうではないのですよ。王であることをご自覚頂けるように、年長者として、道を示して差し上げているだけなのですよ」


 ローレンスは正気の顔をしていた。彼には、奸言を弄する気はなく、嗜虐心や自尊心を慰めようというのでもない。クロエは次第に混乱してくる。気持ち悪いという反発を、己の理を確信したゆるぎのない目が見据えてくるのだ。まるで、こちらの在り様こそが、理外のことだと糾弾するように。


「…アラン君が、あんたのこと嫌う理由がわかったよ」

「おや、それは寂しいですなあ…アラン様の味方ですか。誰も協力してくれないのだから困ったものです」

「協力?」


 なんの話かと訝しみ、理解より早く、答えを悟った。息が浅くなるほどに怖気立ち、それから徐々に、恐れが形を成していく。立ち現れたのは、信じがたい異形の像。


「…もしかしなくても、ノア君の暗殺をしようとしてるのも、あんただよね」

「私は陛下を追い込んでみようとしているだけで、殺そうとはしておりませんぞ。それ以前に、どうすれば陛下を殺せるのか、わかりませんからな。むしろ、品性のない本物の『暗殺者』とやらを間引いているくらいですが」

「わかった。それはいい」意識して呼吸をならす。「街で流行ってた魔力中毒。あれもあんた?」

「ははあ、やはり分かるんですな。あなたのお爺様に発見されて、思うようにはいかなかったのですよ」

「死人が出たって」

「陛下は他人に手を出される方が堪えるようですからな。しかし、あの程度では意味がない。陛下は少々、死に慣れすぎていますからなあ」手がかかるというように首を振る。「その点、モーリア嬢は実に、実に素晴らしい。私があなたに接触しただけで、あれほどの関心を買えたのです。では連れ去ってみたら? 傷つけてみたら? 一体どんな反応を得られるのでしょうねえ」


 柔らかく微笑む様は、これまでと何一つ変わらない。人の好い老紳士――それ以外の、何者にも見えない。だからこそ、穏やかな声音に、世界の裂けるような歪みが滴る。


「やりすぎたら殺されてしまうかもしれませんが、それも一興ですなあ」


 クロエはイーニッドの言葉を思い出す。

 そう、これは、現在進行型の怪談話だ。


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