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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:第3章(グーサノイド城下)
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13.街の小悪党


「こんにちはクロエちゃん」


 国王陛下の肝いり医療施設である『精霊の木箱』。その運営は、回復した患者や、患者の身内の善意に恃むところが大きく、労働力の出入りが激しい。その厄介な条件の下で仕事を采配し、実質的に施設を管理しているのは、この気負いも特徴もない女性――アンナ・マルトーであった。


 勤勉なる国王陛下は、二三日ごとに魔力中毒の治療に訪れていた。その度に張り付いているものだから、クロエもすっかり顔が知れている。気やすい挨拶を交わしながら、アンナの元まで進む。


「ノア君、忙しいからもう少し後になるって」

「そう、ありがとう。わざわざ伝えにきてくれたの?」

「それもあるけど、せっかく知り合ったアンナと親睦を深めようかなって」

「あら嬉しい」


 そう話しつつ、全く手が止まらないのがアンナである。クロエを荷物持ち兼助手にして、傷の手当やら包帯替えやら、慣れた手つきでこなしていく。


「アンナはお医者さんなの?」

「まさかまさか! 怪我の手当に慣れてるってだけ。病気の人は医者に丸投げよ」


 元教会の礼拝堂部分…この巨大な空間にいるのは、素人でも手当ができる比較的軽傷の人々らしい。アンナたちでは手に負えない、生死に関わるような容体の患者は、奥の房室に収容されている。


「ここってお金取ってるの?」

「払える人からはね。そんな人は滅多にいないけど」

「へえ、じゃあ国がお金を出してるの?」

「たぶん、そう。それかノア様が個人的に出してるのかも。その辺はあたしも知らない」


 ノアの人畜無害な微笑みを思い浮かべる。「ノア君なら、出してるかも」

「俺は出してる方に賭けるぞ」黙っていられなかったポーである。


「でもさ、いくらお金を出してるからって、平民…それも貧困の平民を、医者が快く助けるものかな」

「快いかは分からんだろう。国王に言われれば断れない」

「そうかも? でも、医者だけじゃないよ。そもそも、こんな街中に病人を集めて、反感はないの? 街の人たちはどう思ってるんだろう」


 アンナは手を止め、振り向き、じっと相手を見下ろした。クロエも見返した。ああばれたなと、即座に分かった。先日ニコと話し、住人がノアに関して口が重いことを知った。鵜呑みにする気はなかったので、検証をしてみようと搦め手を試みたのだが…何分、初めての経験だった。慣れないことをするものではない。

 どこにも力みのないしなやかな立ち姿を見、彼女の瞳の厳格なことを、改めて確信する。その顔に、ふっと微笑がよぎった。


「クロエちゃん、ここにきてしばらくになるわね」

「そうだね。十日と少しかな」

「あたしたちはね。何十年も住んでる」

 クロエは両手をあげた。「喧嘩がしたいわけじゃない。踏み込みすぎたなら謝るよ」

「かわいい子ね」という言葉の通りに、優しく頭をなでる。「本当に踏み込まれたくないのなら、こんなにあからさまな牽制はしないわよ」

「…どういう意味?」

「期待してるってこと」


 そのあとは、他愛のない会話をした。アンナがそう促したのだと、クロエにも分かった。なるほど、ニコが言っていたこと――彼らには踏み込ませない一線があるという話は、真実らしい。では、アンナの言動はどういう意味なのか。


 ポーはふんと息をつき、首をかしげるクロエを見上げていた。「人間ってのは七面倒な生き物だもんな」




 そう時を置かず、ノアはやってきた。ノアに付きまとい、治療を恍惚と眺めるクロエだが、もはや好奇の目も枯れ果てている。抜かりのないアンナに手ぬぐいを渡され、追いながら患者の体をぬぐう。クロエにしてみれば夢のような時間で、それを提供してくれるノアのことを、少なからず見直し始めていた。


 ――のだが。


 それでは済まないのが、ノア・バルティルスである。治療が終わり、二人は帰路についていた。呼び止められたり、店先を覗いたりして、のんびりと歩く。八百屋の品物を例に、甘いオレンジの見分け方について話した。女性の困惑した声が聞こえ、路地裏に連れ込まれるのを目撃したのは、その時であった。ノアは躊躇なく後を追った。クロエはなんとなく続いた。


 少し行くと、壁に囲まれた薄暗い空き地に出た。買い物かごを手にした女性が、男三人に詰め寄られている。その三人がまた、絵に描いたようなチンピラだものでクロエは感心してしまった。


「俺たちこの辺に不慣れでよ」「いろいろ教えて欲しいのさ」「仲良くなろうぜ」などと口々に言い募り、下卑た笑声をあげている。

「小物にもほどがあるだろう」とは狐から人間への批評である。


 クロエは心底どうでも良かった。それよりもと、興奮ではちきれそうになりながらノアの腕を揺する。「さあ行け! ノア君の攻撃魔術で叩きのめしちゃえ!」


 ノアは叱られた忠犬のごとく、居たたまれないほどにうなだれた。期待に満ち満ちた瞳から、申し訳なさそうに目をそらす。


「いえ…あの…なんといいますか。僕、攻撃魔術は使えなくて…」

「…ん?」本気で理解が及ばなかったので、都合よく話を進めることにする。「木造建築もあるから火はダメだよ。まずは水魔術をおみまいだ!」


 ノアはわっと泣き出した。「すいませんすいません。ぼく、本当に、できないんです…」

 クロエは腕を組み、困惑をにじませた。「本気で言ってるの?」

「もちろんです!」

「意味の分からない謙遜をしているのではなく?」

「信じてください…」


 膝をついて懇願し始めたので、とりあえずは受け入れてみることにする。しかし、それはそれで難問であった。クロエは腕を組んでうなる。


「つまり、治癒魔術なんて頭のおかしい魔術が使えるのに、水を勢いよく出すだけの魔術が使えない、と」自分で言いながら馬鹿馬鹿しくなってくる。「なにそれ。ポーは意味わかる?」

「ダ王が世界の理に喧嘩を売っていることはわかるぞ」

「違います! 本当に、ただ出来ないだけなんですよう…」


 哀れにうなだれているが、先ほどの分で慈悲は在庫切れだ。クロエの視線は冷たい。


「それって、綱渡りしながらスキップしてる人間が、実は立ち上がれないんだ! って言ってるようなものなんだよ?」


 言外に、アホか、と罵る圧を感じ、ノアは悲鳴を上げて後ずさった。


「試してみれば良いだろう」

「た、ためすって、何をするんです…?」

「なるほど」クロエはバッグの中身をぶちまけた。「――ない。ノア君、精霊石って持ってる? 普通は使うって聞いてるんだけど」

「え…? いえ。すいません。持っていません」

「まじかよ。お前、治癒魔術使ってたじゃん…」


 精霊石は、人間の精霊への干渉力――つまり、魔力を使用するのに不可欠な媒体だ。杖に埋め込む形が伝統的だが、近年はアクセサリー型に加工されることも多い。大部分の魔術師は、精霊石がなければ無力だ。


 クロエは実に残念そうにしていたが、思いついて声を張った。


「そこのおじさんたち、精霊石もってない?」

「ねえよ」「てか誰だよ」「邪魔する気か」と、小物たちはいきり立った。


 クロエの肩に飛び乗ったポーが、ため息をついて額をはたく。「そもそも治癒魔術にも精霊石を使わないやつだぞ。なくても問題ないだろうが」

「…たしかに」納得したので気を取り直す。「よし、出番だノア君! 一番簡単な水の攻撃魔術を詠唱してみて」

「あの…あの方たち怒っているんですが…」逡巡していたが、結局は従うのがノアである。


「…《精霊様のお力を乞います。水の恵みを、鋭き刃に》」


「あいつ魔術師か!」「あぶねえぞ伏せろ」「また来世で会おうな…」


 三人は頭を抱えて地面に伏せたが、衝撃は一向に訪れない。しばらくして、恐る恐る顔をあげると、膝を抱えて伏せるノアと、驚いているクロエがいた。


 ノアが静かにすすり泣く声が響き、気まずい沈黙が落ちた。


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