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クロエ・モーリアの非日常  作者: 千川葵
第一部:第2章(グーサノイド)
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10.精霊の木箱


「言ってくだされば、僕がご案内しましたのに!」


 とは、若き国王陛下の言である。


「ご案内って、街中だよ?」

「はい!」

「いや、はいって…」

「ノア君は城下詳しイよ!」


 と補足をしてくれたのは、国王陛下の従弟様だ。クロエは深く考えることを止めた。「そうなんだね」


「ちょうど明日、城下に下りる用がありますので、あの…ご迷惑でなければ…」

「デートのお誘い? 出会ってものの数日で? やだ、ノア君ってばダイタン!」

「そ、そそそそんな違います! 違うんですよクロエさん!」

「違うノ?」

「あ、いえ、違いませんけど、違って、ちが…ちが…え? あの…」


 ノアは俯いてしまった。アランはケラケラ笑っていた。クロエは夕飯のことを考えていた。

 気が付けば、翌日の外出予定がまとまっていた。




 魔術師協会職員、ニコ・キヴィサロの震撼から一昼夜。クロエは再び広場に降り立った。本日も晴天。空は高く澄み渡り、鳥のさえずりも伸びやか。絶好のお昼寝日和だ。歩き回るなんて、考えただけで億劫だ。クロエは早々にベンチに収まり、重たい瞼で、元気いっぱいの案内役を見上げた。


「ここが町の中心広場です。大きな商店が集まっているので、大抵のものをそろえることができますよ! クロエさんは何かご入用のものがありますか?」

「ノア君は王様なんだから、大抵のものは椅子に座ったまま手に入るでしょう?」

「そうかもしれませんが、皆さん忙しそうにしてらっしゃるから気が引けるといいますか…」


「向こうの気が引けてるだろうよ…」と呟いているのは、白い子狐だ。本日はショルダーバッグに押し込まれ、お人形よろしく顔を出している。


「それはそうと」などと言いかけた傍から、ノアに声をかける者がある。ここに至るまでにも、そうして幾度も足を止めた。


「…ノア君ってそんなにしょっちゅう街に来てるの?」

「ええ、ここ最近は2,3日おきに」

「それはどういう――」


 言いかけたところを、大きな籠を持った女性が遮る。「ノア様、ほら! これ持ってってくださいよ!」勢い余って、オレンジが飛び跳ねる。いくつかは景気よく転がり出し、律儀なポーが追いかけていった。


「ありがとうございます。おいしそうですね。よろしければ『精霊の木箱』に持っていきたいのですが…」

「もちろんですよ! でもノア様も食べてくださいよ。今日のは特に良い味なんですから!」ふと、クロエと目が合う。「あれ、ノア様が女の子連れ? 婚約者様です?」


「こっ――!」と鳴いたなり絶句している鳥陛下には目もくれず、クロエはあっさり首を振る。

「まさか。私はただの被害者で、あっちは誘拐犯」

「ゆうかい…?」

「あう、ちが! あの、違って!」


 しどろもどろで目を回すノアと、眉一つ動かさないクロエを見比べて、ご婦人は力の限り拳を握った。「ノア様、あたし応援してます!」


 引き留める言葉も出ないうちに、彼女は去っていった。ノアは籠の陰に隠れて、しばらく出てこなかった。退屈したクロエが、オレンジでお手玉を試み始めてようやく、「そこの子にあげてください」と人間の言語を使った。


 見ると、確かにこちらをじっと見つめる子供の姿がある。あるのだが、路地の陰に、豆粒のように見えるだけである。クロエが手招くと、素直に従った。持てるだけのオレンジを受け取り、ぺこりと頭を下げて走り去った。


「顔見知り?」

「いえ、全ての住人の顔を覚えているわけではありませんので…なんて不甲斐ない。お恥ずかしい限りです」

「覚えようとすんなよ…?」

「あの子がいるの、いつから気づいてたの?」

「え? あの、広場に来た時からずっと。悪意はないようなので咎めなかったのですが…ご不快でした…?」

「いや、そういうことじゃないんだけど…まあいいや。それで『精霊の木箱』っていうのは」


「はい!」実に嬉しそうに顔をほころばせる。「聖典には記載のない、民間信仰の類です。ある時、龍が暴れ狂い、大地が焼け野原になってしまいました。哀れんだ精霊様は、人間に木箱をくださります。その木箱には魔法がかかっていて、大地を癒し、暗き呪いを飲み込んだのです。こうしてこの地に平穏が訪れたのだとか」


「なるほど。仕組みはシンプルだけど、発動させるには相当なエネルギーが必要になるね。人間には無理かも?」

「ふつうはな。だがそもそも、精霊は物理的な媒介を必要とはしないし、作ったりもしない。実在したとすれば、使ったのは人間で、作ったのは神だろう」

「ぶっ飛んだ人間がいたってこと?」

「お前が言うなよ…たぶんお前もできるだろう」

「どうかな。可能性はあるけど。――それより、龍を倒したのはグーサノイドの初代ってことになってたよね。別の龍ってこともあり得る? 初代が純粋な人間でなかった可能性は? それともここって龍の一大産地なの? ノア君的にはどう?」


 ノアは何か問いた気にしていたが、結局あいまいな笑みの内に飲み込んだ。「少なくとも現在は、産地とはいえませんよ」

「そっか」応える響きは、心なしかため息に似ていた。ノアは少し怯えた。

「あの、それでですね。このあたりでは『精霊の木箱』といえば、精霊の加護であり、恵みの象徴なんです。なので、大変僭越ですが、医療施設として名をお借りしています。先ほど言っていたのは、この施設のことです」

「そっか」潔いほど気のない相槌である。哀れんだポーが慈悲を差し伸べた。


「で、今はそこに向かっているのか?」

「そう、ですね。本当はクロエさんとポーさんをご案内した後、改めて僕一人で行くつもりだったのですが…。長居はしませんので、これを届けに行ってもよろしいでしょうか…?」

「俺たちは構わないぞ。用があるならついでに済ませればいいだろう。なあクロエ」

「うん。龍がいないって意味ではどこでも同じだし」


 二対の視線は生温かいが、もちろん気に留めるクロエではない。




「なあダ王。これ作ったのってお前なのか?」

「はい…あの、ダ王って、できればもう少し…」

「なんだよ」

「あ、いえ。なんでもありません」

「で?」


 三者の前にそびえるのは、まごうことなき教会だった。頂点に掲げられるべき円環装飾もなく、門扉の教会名すら消失しているが、堂々たる尖塔建築はそれ以外の何物でもありえない。


「…ノア君、あれだけ精霊を誉めそやしといて、教会を接収しちゃったの…?」心なしか距離を取るクロエである。

「違います!」

「違うっていってもお前…」

「本当にちがうんです…」抗議が弱弱しくなってきたので、二人はからかうのをやめた。「…実は、こちらの教会の司教様が、通りの魚屋のおかみさんと駆け落ちをしたんです。慌てた精霊教会は、どうやら教会ごと司教様の存在を抹消したようで…ある朝気が付くと、教会はもぬけの殻。問い合わせても、そんな教会も司教も記録にないと。記録がないということは、権利がないということですからね。…つまり、街の一等地に、強度も設備も申し分のない無料の物件が突如現れたわけで……それで」

「司教?」「そいつ、なかなかやるな」「教会の雑なやり口もすごいね」「ダ王もダ王のくせにやるな」


 ノアがわっと泣き出した。「私は欲におぼれた、卑しくて惨めな人間です。哀れな救いがたき罪人です。精霊様に仇なす愚か者です。どんな責め苦も、私には甘すぎるでしょう。どんな業火も、私には生ぬるいでしょう!」

「うん。一回落ち着こうね」


 クロエが適当に慰めて、ノアが子供のように素直にうなずいているところに、エプロン姿の女性が現れた。特徴のない人物だが、よくよく見れば、強い目と、規律の行き届いた口元に気が付くかもしれない。薄いしわの様子を見るに、四十をこえたあたりだろうか。彼女は感慨深そうに目を潤ませていた。


「ついにノア様を御せる方が現れたんですね!」

「わたし?」

「お前しかいないだろう」

「歓迎しますよ! さあさあ、中へどうぞ!」

「それじゃあ遠慮なく」

「いや、あいつ置いてくなよ」


 ポーが呼びかけるが、どうも聴覚が世俗と縁を切っているらしい。土に縋って祝詞をとなえ出す様を確認し、ポーも説得を諦めた。


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