1.魔術師と国王
「このような不躾な訪問をお赦し頂き、この老いぼれの胸は感激に打ち震えております。陛下は誠に、器の大きなお方であらせられますなあ」
曖昧にほほ笑んだ男が、何事か言いかけたが、どうとでも取れる相槌を打ち、ぎこちなく俯いただけだった。目立つところのない、影のような佇まいの若い男である。強いて特徴を求めるのなら、聖職者じみた穏やかな物腰と、深く、それでいて鮮やかに輝く紫の瞳であろうか。まるで自身こそが闖入者とでもいうように居心地悪く身じろいでいるが、実のところ、彼は呼びかけられた側である。つまり、彼こそが、『陛下』だった。
「…マティアス・モーリア卿。あなたが、そのように遜る必要はありません。感謝するのは私の方でしょう。あなたほどご高名の魔術師をお迎えできるなんて、本当に、夢のようなことですから。ですが」指先をいじりながら、やや視線を上げた。「あなたは、何をしにいらしたのです?」
マティアス・モーリアはゆったりと腕を組み、面白がるように顎を上げた。
「では、お言葉に甘えて楽にさせてもらいますかね。いやあ、陛下のようなお若い方にお褒め頂けるとは、私もまだまだ捨てたもんじゃないらしいな!」
ええと答えて、あとは微動だにせず、彼は待った。
マティアスはふんと鼻白む。
「…なんだ。私の軽口には付き合ってくださらないので?」
頑なに地面を見つめたまま、溜息のような調子で、彼は言う。
「…モーリア卿。私は確かに、あなたを迎え入れました。あなたが聖サティリス王国の貴族であり、魔術師協会の重鎮だからです。ご承知でしょうが、私のような弱小国の国王などより、あなたの方がよほど立場が強い。…お判りでしょう、私にあなたは拒めない。とはいえ、そんなことはたいした問題ではありません。受け入れましょう。ですが」態度に反して、声は落ち着きはらい、退屈そうでさえあった。「私にも、友人や客人を選ぶ権利くらいは残されているでしょう。ご納得いただけると思いますが、まだあなたは、どちらでもありません」
「これはまた、随分と手ひどい。まるで私が、この国に害をなしに現れたようじゃないか」
「…客人には礼をつくしましょう。友人には助力を惜しみません。ですが、ご忠告しておきますと、そうでないのなら、あまり居心地の良い滞在とはならないでしょう。それだけのことです。…モーリア卿、お伺いします。あなたはここに、何をしにいらしたのですか?」
しばらく黙したあと、マティアスは声を上げて笑った。それはもう、こだまが跳ねるほどの大笑であった。彼はびくりと震え、後じさり、初めて相手を直視した。
「これはこれは、ふん、実に面白い! ええ? 面白いじゃないか! 私は陛下のことを好きになったよ。そう、大好きだ!」
マティアスの勢いに、彼はすっかりたじろいでいる。その顔に詰め寄り、耐えかねたようにくくっと笑った。
「いや、神秘だな! こんなに辛気臭い男がまあ! はっ、面白いじゃないか! 面白いことばかりだ。私は…我々はね、面白いことが好きなんだ!」マティアスは相手の瞳を覗き込んだ。「陛下には随分とたくさんの秘密がある。そうだろう? 私に言わせれば、少々多すぎるし、重すぎるな。まあ聞け若者。年長者のいうことは聞くもんだ」
「…何を仰っているのか、よくわかりませんが」
「『何を』でなくて『何について』だろう。いいだろう。じっくり語り明かそうじゃないか。陛下の言い方を借りれば、俺は既にあんたのことを友人だと思ってる。助力は惜しまんよ。あんたにもそう思ってもらいたいね」
青年はしばし思い悩んでいたが、満面の笑みで迫る相手を前に、とうとう根負けしてしまった。「…お話だけは聞きましょう」
「もちろんだ。そこから始めようじゃないか!」
マティアス・モーリアは、その後しばらく、小国グーサノイドに留まった。彼はすこぶる上機嫌だった。本人が言ったように、面白いことが好きなのだ。この国には、彼の欲求を十二分に叶えてくれる素養があった。だから心底嬉しかった。そのお陰であろう。彼はもう若くはなく、一人立ちした孫までいる年ごろなのだが、帰路につく足取りは踊るように軽やかだった。
「お前、そのまま徒歩で帰れるんじゃないか?」
「ポーか、遅かったな」
どこからともなく現れたのは、白い子狐だった。子狐は妙に人間じみた仕草で、やれやれと首を振っている。「迎えに来てやったんだ。労えよ」
「すまんすまん。感謝感謝」
「…で、こんな辺鄙なところに居座って、何を企んでるんだ?」
「さあな。…こうなると、俺の企みなんだか、あいつの企みなんだか、もうよくわからなくてな」
「あいつって誰だよ」
マティアスは、喉の奥で笑い、小さく首を振った。
「訳がわからん奴さ。すぐに泣くし、落ち込むし、怯える奴だが…なあ、でもな、俺は、あいつが感情に飲まれるのを一度も見なかったんだよ。あんなに何考えてるかわかんねえ奴は初めてだ。…どういう人間なんだろうな、あのノア・バルティルスって奴は」