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結局、父王ブレデンの制止もまるで功を為さず、メルエーヴェの計らいでヴァスガルトは彼女付きの衛士として登用されることとなった。騎士、とならなかったのは身元が確かでない為であるらしい。
何だかんだといったところで、懸賞金を放棄したヴァスガルトに先立つものはなく、また難民の流入で食糧難が慢性化していたから、当面の衣食住を確保する為の方策というのが一つ。しかしそれ以上に、王になる為には世情ばかりでなくその裏も知らなければならない。という説得材料を並べたメルエーヴェの勝利である。知識の欠落、ことに政治的なことに関して全くの無知であることは彼自身よく自覚していたのだ。
そのメルエーヴェにしてみれば、野心なく田舎貴族の地位に甘んじている父や、家名に押し潰されて自らの才を示せない婚約者になど興味はない。彼女が欲するのは、大望を持ち、なおかつそれを実現し得る大器の持ち主――まさにヴァスガルトその人であったから、決して彼との縁を諦めた訳ではなかった。衛士登用という風に一拍間を置いたのは、父王や臣民への手前、というよりむしろ彼を近くにおいてその御し方を知ろうという胆のことである。
そのようにそれぞれ思惑は違えども、新たな生活はそうして始まったのだった。
先の騒動は広まれば王の恥を晒すことに他ならない為に口外無用とされ、知る者は少なかったから、竜殺しの英雄を臣下に迎えたことはブレデンの名を上げることに繋がった。顔色一つ変えずに臣民からの賞賛を受け止める辺りは彼も役者である。
が、ヴァスガルトが抗議した通り、難民及び食糧難の問題に関してはブレデンは無為無策を決め込んでいて、面倒事はさっさとダルケオ山脈に追い払ってしまおうという胆積もりであるのが目に見えていた。それについてヴァスガルトが不服を漏らすと乗ってきたのはメルエーヴェで、彼女はこのことに関して素早く父王からお墨付きを取り付けると、全くの手探りながらも彼と共に解決策を模索することになった。
とにかく、問題を困難なものにしているのは王国が戦争状態に陥っているという現実に他ならない。難民を生み出しているのも戦争だが、食糧難もまた戦争によって引き起こされている事態の一つだ。ダロウェも含め、王国諸都市は軍事物資として食糧を極限まで吸い上げられ、難民がおらずとも困窮に喘いでいる次第であったから、マズレン大公マレーヴ=ターニオスに纏められる中原南西域の同盟都市に援助を求めるということも現実的でなかった。
となれば堅実なのは、やはり聖都レイゼルクの協力を仰ぐということになるようだった。
レイゼルクとて長く難民問題に頭を抱えていたのは同じだったが、しかし暴竜が退治されて居住と耕作に充てられる土地が増したこと、またヴァスガルトが寄贈した莫大な懸賞金で山脈中から食糧を買い上げられていたので、現在はこの問題は解消されつつあった。
ここで交渉の前面に立ったのは、やはり竜殺しの功績を持つヴァスガルトである。無論、交渉ごとに向かない彼の補佐ということで、メルエーヴェが彼の脇に立つことになる訳だが。問題が快方に向かったといって、レイゼルクとて食糧を他に回す余裕がある訳ではなかったから、二人を迎えたフェイトンが難色を示すのも無理からぬことではある。が、ヴァスガルトがおらねば事態の好転など望むべくもなかったので、教主とて彼に対して強く出ることは出来なかった。
ということで結局、交渉の行方はメルエーヴェとサルディエ、双方補佐役の力量次第ということとなった。
ヴァスガルトとメルエーヴェが迎えられた応接室はそれぞれ客分として訪れたこともあり、質素に纏められているのは知っていたのだが、しかし今は見るからに調度品が数を減らされていた。実務的なフェイトンのことであるから、贅沢な調度品などはすぐさま質草に出してしまったということなのだろう。そのことには同情を禁じえないが、だからといって交渉に感情を差し挟む甘さは、少なくともメルエーヴェにはない。
「食糧がない、金がない、といって他に供出できるものがある訳でもない。はっは、ないない尽くしとはこのことですな。――それで援助を乞おうとは、少々虫が良すぎるのではありませんか?」
物乞いを見るような目で冷ややかに語るサルディエ。事実、何の代償もなく竜殺しの恩にかこつけて援助を求めているのだから、否定のしようもない。
「我がダロウェを始めとする諸都市は皆ターニオス大公の求める戦費を賄うだけでも汲々としている有様ですので、仕方ありませんわ。僅かな蓄えで難民を救おうとすれば臣民まで飢えさせることになりますし、かといって戦費の供出を止めれば、逆賊の謗りを受けるばかりか、街ごと焼かれかねない状況です。ですから、頼れるものはフェイトンさまのお慈悲のみと悟って、こうして恥を忍んでお願いに上がったのです」
嘲るばかりのサルディエの声には耳を貸さず、メルエーヴェはフェイトンに向けて深々と頭を垂れた。するとヴァスガルトもすぐにそれに倣って頭を下げる。
「いや、顔を上げていただきたい。わしとて飢える者が居れば皆に救いの手を差し伸べてやりたいと願っております。ですが、先のヴァスガルトどのの働きがあっても、我々には今ここにいる者たちにやっと施しを与えられるばかり。申し訳ないが、とても他に手を伸ばす余裕はないのです」
為す術のない無念さは常々感じているのだろう、そう言って返すフェイトンの悲壮さに芝居の色はない。
「その通り。このレイゼルク周辺に以前から定住している者が一万、難民を併せて数えれば軽く二万を越えましょう。ヴァスガルトどのの寄贈があってこの冬は越せましょうが、しかしそれ以上は手に余ってしまいます」
言い方こそ違えど、フェイトン、サルディエ共ヴァスガルトの功績を讃えつつもその一方でレイゼルクの窮状を説き、援助のしようもないと言っている辺りは同じことであった。それはともかく、このサルディエの言う数字には誇張はない。
大陸最大の都市、レスレンティオ王国王都ヴァドステンで、この当時は人口三万余り。その他、諸大公領が一万強から二万弱というところで、小都市では人口が千人に満たないところも決して少なくないのだ。大都市建造に向かない山脈地帯に一万人規模の都市を築くナバニ―ル教団の集人力こそ驚異だったが、しかし現状ではそれこそが仇となっていた。
その上、ゾミウ山の暴竜が倒されたということは、すなわち陸路が拓かれたということと同義であったから、ダロウェの難民のようにダルケオ山脈の外で立ち往生を強いられていた難民たちが流入してくるということもある。だから、まだまだ人口が膨れ上がるだろうことも容易に予想されることなのである。
「私とて、無理は承知でお願いに上がっております。ダロウェとて五千の臣民を養うのにも汲々としているところにやはり五千近い難民を抱え、田畑は荒らされ、野党に身をやつす者もおり、治安の維持もままならない有様ですゆえ。このままでは軍による鎮圧もありえましょうが、しかし元を正せばナバニールの救いを求めた人々、それは心ない行為であると、父王共々迷い心を痛めているのです」
フェイトンの誠実さに比するに、メルエーヴェは役者であると言わざるを得まい。彼女は実に演技演出に長けているようで、巧妙に相手の心理の隙を窺っているもののようだった。
必要以上の口出しを彼女自身に禁じられていたヴァスガルトは、彼女のそのようなしたたかな本性を知っていたから内心呆れていたものだが、しかしそれを表に出すような愚行はさすがに犯さなかった。むしろ呆れてものもいえない、というのが正直なところであるが。
「ええ、ええ、それは我々も心を痛めておるところです。これが神の与えたもうた試練であるというなら、ナバニールは何と過酷な女神であることでしょう。災厄、暴竜、戦争、飢餓――わしにももう女神の御心は窺い知れませぬ。何か深いお考えの上であると、そう信じてはおりますが」
これを盲信と呼ぶことは容易かろうが、しかしフェイトンはこれまでも表立っては決して信仰に疑念を差し挟もうとはしなかった。実際のところは定かでないが、指導者として、この苦境で信仰をゆるがせにすることは決して行ってはならないことだと、そのことを弁えていなければ教主など務まるはずもない。
「神ならぬこの人の身では、ナバニ―ルの御心を知ることなどは叶わぬことでありましょう。教主さま、我らにはもはや女神の救いを待つゆとりはありませぬ。我々自身の手で今を切り拓いてこそ、女神の救いも得られるのではありませんか?」
「それは同感ですな。為すべきを為してこそ女神も我らに微笑みましょう。……ですが、レイゼルクはもはや手を尽くし、為す術も残されてはおらんのです。援助を求めてくるのもダロウェばかりのことではありませんが、しかし全てを救おうとするなら、我らはどれ一つとして救うことは出来ないでしょう。であるなら、せめてレイゼルクの民ばかりは救ってやりたい。今の教団に出来るのはそこまで。教主とて、決して全能ではない。むしろ、自らの無能に悩み苦しむばかりなのです」
そのようにどれほどメルエーヴェとサルディエ、フェイトンが舌戦を繰り広げたとて、現状を見るにそれが堂々巡りにしかならないことは、ヴァスガルトにさえ分かることであった。
根本的な問題は、戦争ではなく、レイゼルク、ダロウェ両者の生産性の低さにある。山脈中に位置するレイゼルクは元より、ダロウェも大森林と大海に挟まれ、耕作地はひどく限定されている。リモネ大森林と呼ばれるこの森は中原西部全域に広がっていたから、近隣の諸都市とて台所事情は変わらない。
実り多い中原東部のウァトレ平原は、今はまさに戦場と化してしまっていたから、こちらは援助どころの話ではない。これが現状というなら、もはや手の付けようはないだろう。常識的に考える限りにおいては。
「――ああ、そうか」
メルエーヴェとサルディエの果てしのない舌戦をよそに、ヴァスガルトはふと何か思いついたようで、まるで悪戯を思いついた悪童のような顔をすると、ぽん、と手を打った。
「サルディエ、いい考えがある。また手ぇ貸してくれないか?」
すっかり難民の押し付け合いに興じていたところに唐突な横槍を入れられて、サルディエはたっぷり一拍の間を置いてからゆっくりと彼のほうを向いた。
その怪訝そうな表情の彼に、ヴァスガルトがにかっと場違いな笑みを向ける。サルディエの目には、その笑みはひどく不気味に映ったのだった。




