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それから――ヴァスガルト、フォルティス両名のところにティレイが押しかけてきてから数日後のこと。昼より少し早い時間、とはいえ予定よりは幾分遅れて、聖都レイゼルクにスロバンからの巡礼団が到着した。
白亜の聖殿とそれを母体に広がる敬虔な者たちの住処は荘厳さを以って彼らを迎え、彼らはその壮大さを目の当たりにするに、ただただ感嘆の吐息を洩らしていた。感動と安堵とがない交ぜになってだろう、感極まって涙する者もみられる――だが、巡礼団、といったところでつまるところは難民の一群に過ぎない。
聖都の呼び名の由来にもなるナバニール教団は、このレイゼルクのみならずダルケオ山脈中に広く教えを広めていたから、寄進寄贈の蓄えで難民に施しを与えることは、今はまだ出来ている。しかし、彼らに新たな土地を与えるにしても実りを望める土地は限られていたし、またこれ以上の難民の流入を許せば、来期の収穫を待たずに今ある蓄えを出し尽くすことにもなりかねない。
打開策が必要だった。それも小手先ばかりの生半なものでは意味がない。それは今の窮状を切り拓く為には、画期的かつ効果的なものでなければならなかった。
現教主たる彼ーーフェイトンは、外とはまるきり対照的な薄暗い彼の執務室で頭を抱えていた。そのような考えが簡単に出てくるなら苦労はない。それが出てこないからこのように悩み苦しんでいるのである。
聖都に辿り着いたことを純粋に喜ぶ巡礼者たちの喜びの声は、このかび臭い執務室にも届いてくる。しかし、彼らもすぐにここの現実を知り、沈黙することだろう。これまでに訪れた多くの巡礼者たちが皆そうであったように。
教主たる彼は、頭を抱えている。打開策を打ち出さなければならないから――それが理由の一つ。
もう一つは、このような時に大風呂敷を広げてくる目の前の面倒な痴れ者の存在だった。
「――教主、聞いておいでですか?」
雑然とした彼の執務机の前に立った若い修道士は、先からずっと宗教者らしからぬ多弁さで教主に詰め寄ってきていた。慇懃無礼とはよくいったもので、彼を尊敬するさまが表向きばかりのものであることは、老練の彼でなくとも対面していればすぐに分かる。
サルディエ=ローデンウェリ――前教主の甥にあたる若者である。白肌の、線の細い青年だった。まだ少年の域を脱したばかりだというのに、教団の頂点にいた祖父の保護の下で育った為か、教義典礼などよそに置いて、尊大な振る舞いばかりよく身についている。
その上どこで妙な知恵をつけてくるものか、度々無謀な提案を持ちかけてくるのでフェイトンも彼を持て余していたのだが、しかしその中でも今回の提案というものは度を越していた。
ゾミウ山の暴竜を倒して土地を手に入れる――そのようなことが出来るというなら、とうの昔にやっている。それが出来ないから莫大な懸賞金を懸けているのだし、それでも暴竜討伐に名乗りを挙げた者は少なく、当然ながら竜殺しを成し遂げた者などはまだ一人も現れてはいないのだ。
「それは今までの者たちが名誉を惜しんで数に頼もうとしなかったからでしょう。十人やそこらで徒党を組んだところで、あれを倒せる訳はありませんからね」
大きく張った鷲鼻を誇示するように顔を近づけてきながら、サルディエは持論を披露してきた。
それが真実の一片を含んでいることは、フェイトンにも分かっている。どれほどの勇名を馳せようとも、たかが人間が十やそこら集まったところで、山ほどの体躯を誇る地上最強の獣に敵う訳はないのである。
しかし、それは同時に詭弁でもある。十が百に変わったとて、それで人が神や魔神に化ける訳ではないのだから。そうしたところで、結局は単に犠牲を増やすばかりのことにしかならないだろう。
無謀にもほどがある――そう思い、返答の代わりにフェイトンは重苦しく溜息をついた。
「おや、お気に召しませんか? いやいや、無謀に聞こえるのも無理はないでしょう。私とて先ほどこの話を持ちかけられた時は戯言としか思えなかったのですから」
フェイトンの反応を見て、サルディエは攻め方を変えたようだった。弁舌から熱を引かせて、教主の胆を探るように言葉を選ぶ。それで、話の風向きが変わった。
「持ちかけられた、と? サルディエ、これはお主の考えではなかったのか?」
誰が考えたからといって、その無謀さが変わることもなかっただろうが、しかしフェイトンはその言葉に不意に問い返してしまっていた。しまった、と気付いたのは問い返してから。手遅れだった。
その表情を見るに、してやったとばかり、にわかにサルディエの目に熱が戻る。
「私の?――いえいえ、とんでもない。さきほど、また難民の群れが流れてきたのはお気付きでしょう? その護衛をしていた傭兵が迎えの者と押し問答をしておりまして。何ごとかと問い質してみれば、暴竜退治の為に兵を集めるから、懸賞金を前借りしたいと申しているのですよ。なかなか面白い提案だとは思いませんか?」
サルディエは嬉々としてそれを言ったものだが、しかしそれを聞くとまたフェイトンは表情を消してしまった。それが誰の戯言でも知ったことではないが、傭兵というなら始末が悪い。前借りと言って、結局は酒代の無心に来たという程度のことだろう。そのような話なら珍しくはない。
「思わんな。とっとと追い返して来い」
「ははあ、たかりの類だと思っていますね? そうでしょうそうでしょう、私も初めはそうだと思いましたとも。ですが、その傭兵というのがフォルティスとヴァスガルトという二人組で――あ、ご存じないかもしれませんが、最近ではかなり名の通った二人組でしてね。この二人なら、その辺に転がっているやくざな傭兵よりはよほど信用できるでしょう。
それに加えてフォルティスという男は中々の知恵者とも聞いていますから、竜殺しとて何か成算があってのことかと」
フェイトンがどれほど冷淡に言っても、まるで余裕の態を崩さずにサルディエは食い下がってくる。教主とてその二人組の噂なら耳にしたことがないではないが、だからといって、教団の財産で博打を打つ気になれる訳はない。
もう何も言うつもりはなかった――ここまで話を進めれば、誰が何を言ったところでこのサルディエという男は耳を貸さず、ただひたすらに自分の言い分を通そうとするだけなのだから。後は彼が無駄を悟って諦めるまでの根競べの時間だった。
が、サルディエはその教主の態度を見て取ると、含みのある笑みを浮かべた。嘲笑にも似た、毒のある笑み。
「無論ですが、私とて、彼らに金を与えたとしてそれで竜殺しが果たされるとは考えてはおりません。いえ、恐らく彼らが敗れることは必至であることでしょう。ですが、それならそれでよいではありませんか。金など貸さず、難民の中から兵を召し出せば、それがそのまま口減らしになるのですから。彼らに兵を集めさせるより、その方が簡単に人数を集められますし、なにより金がかからずに済みます。それに――」
それは聖職にある者として、口にしていいはずのない酷薄な言葉であった。しかし、戦禍の煽りを受けて抜き差しならない状況に陥りつつある今、口減らし、という言葉は悪魔の囁きもかくやとばかりの魅惑的な響きでもってフェイトンを魅了した。
誘惑に抗えず、禍々しいサルディエの笑みの先にある企みを、眉をひそめつつもついつい促してしまう。
「――それに?」
「もし万が一彼らが竜殺しを果たしたならば、その功績は彼らのものであると共に我らが教団のものともなりましょう。暴竜がいるために手の出せなかった土地も拓くことが出来るのですし、どちらに転んでも教団に損はありますまい?」
そのように言われれば、確かにそれは無謀な賭けではなく、むしろ堅実な投資のように思われた。聖職者としての罪悪感は否めない。が、今のこの閉塞しきった現状を鑑みるに、全体を生かすために多少の生贄は必要だということも確かなことだったからだ。
「しかし……そのような真似をして暴竜を刺激し、この聖都を危うくするようなことはなかろうな?」
それは、懸念というよりは教主の中の善なる面にとっての最後の抵抗であるように、彼自身には思われた。真実そのような脅威があるとはフェイトンも思ってはいなかったのだから。
「翼が対をなさねば、鳥が空を舞うことはありますまい。それは竜とて同じこと。隻翼であるが故に暴竜はゾミウの檻に封じられているのですから、この聖都に危険が及ぶことはあり得ません。――無論、逆鱗に触れた者たちばかりは皆あれの餌食になるでしょうが」
フェイトンの僅かに残った躊躇いをそう言って無残に踏みにじると、サルディエはとうとう満面の笑みを浮かべてみせた。
聖都を預かる者として、善良であることを諦めたフェイトンは、しかし悪辣になる覚悟も持てず、そのことの一切をサルディエに任せると言い渡した。
齢五十を越え、この時代にあってはかなりの高齢でありながらも壮健さを誇っていたフェイトンだったが、しかしこの日を境にどっと老け込んで見え、ついには健康を害して臥しがちの生活を送るようになっていった。だがそのようなこと、サルディエにはもはや何の関心も与えなかったのだった。




