4-3
仮の王都ロシェへと戻った傷心のヴァスガルトを待ち受けていたのは、全く予想外の事態であった。
大胆な奇襲奇策を用いてスウォン=ジュナ王国国境部を翻弄したウィーゼン大公ヴォートス=ルスオレンが、突如その自領を南のアザフ=マイエ帝国に明け渡したというのだ。
その理由としては、一つには四大公領を飲み込んで巨大化した王国に対して短期決戦を挑むも膠着し、長期化したことが国力の乏しさを露呈させたこと、重ねてレスレントでのフォルティスの戦死とヴァスガルトによるヴァドステン併合が決定付けた旧王国の崩壊が、一大公領に過ぎないウィーゼンの孤立を浮き立たせた、ということが考えられた。
だが、この時ヴァスガルトが頭に描いた理由は、それとは全く別のことであった。しかしひとまずその想像は隅に置いて、彼は納得しかねるという態で顔を顰めさせた。
「時宜が合わん。ラフダニ、ゼシューマを得たとはいっても、我々はいまだウィーゼンに取り付いてもいないのだぞ? 国力が乏しいといって、そうそうすぐに王の座を捨てられるものか?」
ロシェの王城内、謁見の間での朝議の折である。興国の頃には猪武者に過ぎなかったヴァスガルトも、そろそろ玉座に腰を落ち着けた姿が板についてきたようだった。
正妃メルエーヴェも王子ベオレフスを抱いて彼の隣に座を置いていて、その体にはもう次の子を宿していることが遠目にも見て取れるようになっていた。
この日はラフダニ防衛を一任されていたタナヴィス=ヴィセルも臣下の長として朝議に参加していて、彼と近衛兵長ダルアム=ディリゼがその脇を固めている。後は言葉通りの有能さを示して家名を回復したマレーヴ=ターニオスやその他の近臣が序列に則って左右に並び控えていた。
今はタナヴィスが自らもたらした凶報――アザフ=マイエ帝国によるウィーゼン大公領併合――をヴァスガルトに献じたところであるのだが、王は彼に対して先の異論を向けたのであった。
「私とて、にわかには信じ難い事態であるとは思いましたが、しかしこのことに限っては疑う余地はない、と思われます」
王にそのように言われても、タナヴィスははっきりとヴァスガルトの目を見返して応えた。
「ほう、言うな。何か根拠があるとでも?」
「は、……申し上げにくいことではあるのですが……」
謎掛けを愉しむように問い返すヴァスガルトに、しかしタナヴィスはそこで言葉を濁してしまう。その表情の翳りには気付いても、影の深さには気付かず、更に王は問い掛けを続ける。
「どうした、何か憚るようなことがあったか?」
「非常に解釈の困難なことで――しかし、この者の働きかけというならこの速やかな併合劇にも納得は出来るのです。魔女ティレイ。その姿が今ウィーゼンの城中にある、と斥候から情報がもたらされました」
そのタナヴィスが発した名に、ざわり、と謁見の間そのものがざわめいたように感じられる。
その名は公には秘匿されていたが、ヴァスガルトの活躍の陰に隠れたティレイの功績は有実無実の噂となって臣下の間に流れて知れ渡っていたから、ここにいる者でそれを知らぬ者はいないはずであった。
味方であれば心強いが、敵に回れば魔女が恐ろしい存在であることは疑いようもない。ことにティレイはその出自からジュナ王に仕える理由までの一切を明らかにしようとはしなかったから、その存在を王から知らされていた者でさえ、彼女を信用出来る者は少なかったのだ。不安が現実のものとなったことは、大きな動揺を与えるに足りている。
「そうか、ティレイが」
ただ一人――いや、正確にはダルアムもだが――驚くこともなく応えたヴァスガルトはしかし、やはりな、という呟きは心の内に留めた。脇を見れば、ダルアムも彼と同様の意見であるようだった。
魔女メリーシャヤの策動。ヴァスガルトの次の候補として帝国の支配者ユルベナフ=マイエを選出したというなら、性急と思える併合劇もあの魔女は楽々とやってのけるだろう。
場の動揺はまだ長く尾を引いていたが、しかし一瞬でそれは鎮まり、彼らはただ一点に視線を集めた。
ヴァスガルトが立ち上がった為だった。彼は壇上から場を見渡すと、そこにいる全ての者に向けて告げた。
「よし、直ちに全軍を率いてウィーゼンを攻めるぞ! 久々に俺が先陣を切る、怠けた兵には将共々喝を入れてやるぞ。――ティレイに関しては必ず生かして捕らえろ。殺すこと、逃がすことどちらもまかりならん。直々に問い質したいことがある、捕らえたらすぐに俺の下へ連れてくるんだ。いいな?」
この頃にはスウォン=ジュナ王国は常設軍を制度化していて、それを用いてウィーゼン大公領と接する国境線を護っていたのだが、ヴァスガルト参軍の報が広まるとたちまち臨時召集の新軍が編成され、それは瞬く間にラフダニに集結した。
常設軍と併せて、その総数は実に一万を越えた。ヴァスガルトは宣言通り先陣に立ってこれを指揮し、ウィーゼンに正面から侵攻する陣立てをとるが、しかし旧大公軍――否、今や帝国軍と名を変えた新生の軍は地の利を生かした要撃を繰り返して新王国軍の進撃を阻み、実に包囲網の完成までに四半年もの時間を費やさせた。
大兵力を動員した新王にとってこの南征の長期化は、兵糧の喪失という事態によって軍団の維持を困難にさせるだろう、という先の反省を生かした旧ウィーゼン大公の読みであった。だが、しかし事前に街道の整備など国策を充実させていたメルエーヴェはこの策を易々と打ち破り、それどころかそこから更に続く長期のウィーゼン包囲をも達成させる大補給線を実現させていた。
この後援を得たヴァスガルトはウィーゼン包囲をヴィセル公に委ね、自身は帝国の援軍として南の港都ゼファンから北上してくる帝国軍本隊の迎撃を務めた。そうして更に四半年の後、ついにウィーゼンは陥落したのだった。
ヴァスガルトは決戦宣言から半年でこの最後の公都を落としたことになるのだが、新王はそれ以上は軍を進めず、帝国に対して停戦を提案した。攻めれば落とせていただろう中原最南端の港都ゼファンは中立地帯として独立させ、これを緩衝地帯とすることで両国の衝突を食い止めようとしたのである。
批判はむしろ国内から発生し、新王に大陸の完全な統一を求める声が相次いだが、しかしそれに優先する目的を持つヴァスガルトは構わず、交渉の為に自ら帝国領に赴くことさえしてみせた。この間、帝国には新王を亡き者にしようとする不穏な動きもあったが、しかし今の彼に対して常人に用いる毒や刺客というようなものが役に立つはずもない。そのこともあってだろう、停戦交渉は終始有利に進められ、結局交渉は王国側の提案通りに決着した。
それから直ちに中原に戻ったヴァスガルトは、しかしすぐにロシェには戻らず、途中、占領したばかりのウィーゼンに立ち寄っていた。四半年にも及んだ攻城戦で城壁は形ばかりのものとなっていたが、その市外には討ち取られた最後の大公ヴォートス=ルスオレン他将官の首が晒され、それ以上に死兵の遺骸が累々と積み上げられていた。
それを横目に入城した彼が向かったのは地下牢である。日も差さぬ城の最奥部――饐えた匂いのするそこは牢番一人の他には人の気配もなかったが、しかし、牢番がランタンを手に先導した先には、小さく蹲る姿が一つあった。
このような場所には不釣合いな少女――或いは黒い外套を羽織った魔女の居場所というのはこのような薄闇の中であるのかもしれなかったが――が、鉄格子の向こうに蹲るさまは奇妙という他ない。それでも現実に少女はただ一人そこにいるのだ。ティレイ。杖を奪われた魔女。
「これがこの女の持っていた杖でございます。今は大人しくしておりますが、何を考えているものか……陛下、どうぞお気をつけて」
牢番がくぐもった聞き取り辛い声で言い、差し出してきたのは一振りの短い杖だった。明らかに彼女を見下した物言いに新王が一睨みすると、訳こそ分からなかったにせよ、身の危険を感じた牢番は即座に彼から離れる。
古木から削りだしたらしいその杖は、紛れもなくティレイが用いていた呪具に他ならない。だが、そこには複雑な紋様こそ刻まれていたが、ヴァスガルトが手にとったところで、彼にはそれをどのように用いるものかなど見当もつかなかった。
彼がそれを半眼で眺めている間に、牢番が手早く鉄格子の錠を外す。それでも少女は向こうを向いたまま反応を示そうともせず、その背中を眺めながらヴァスガルトはそこをくぐった。
「しばらく見ないと思ったら、こんな悪巧みをしてたとはな。……俺に手を貸してくれてたんじゃなかったのか?」
その声を聞いてようやく反応を示したティレイは、びくり、と驚いたようにして一層身を縮こめさせた。怯えているものらしく、こちらを見る気配もない。
「前はあんだけ自信たっぷりにしてた奴が、随分と小さくなっちまったもんだ。何を恐れてる?俺か――メリーシャヤか?」
返事はない。が、答は明らかだった。
ヴァスガルトに聞かせられた名に、ティレイがひどく怯えている。彼はその震えが落ち着くまで、決して短くない時間をじっと待った。
「またあたしの力を借りに来たの? 残念だけど、あたしにはもう何の力もない……杖なんて、あったってもう飾りにもならないわ」
口振りは以前のままでも、その響きは自嘲の色ばかり目立って弱々しい。蹲ったままであったから、小さい声は一層くぐもってしまって常人には聞き取るのも困難であったが、ヴァスガルトであればこそ、それも拾うことが出来ていた。
「そうか……ま、それはいいんだ。もうお前に荒事を頼むつもりはないしな」
新王はなるだけ語調を抑えて穏やかにしたが、それに意味があるかどうかは定かでなかった。
応えるティレイの声には、相変わらず気が篭められないままで、皮肉げな物言いも虚しい。
「そうなの? ああそうね、スウォン=ジュナも今や大陸最大の王国、あたしの力なんてなくても統一は成し遂げられるものね」
「いや、戦争はもう終わった。帝国とは停戦ってことで話がついたんでな。表向き、俺もお前も役目は終わったってことだ。皆誤解してるようだが、俺だって戦争狂いって訳じゃないんだよ」
「――嘘つき」
愚痴を言うように肩を竦めたヴァスガルトに、ティレイは初めて鋭く言葉を返した。幾分生気の戻った目を、ようやくこちらに向けてくる。
「あんたはそうでも、あんたの中に流れる血はそうは言っていないでしょ? 今あんたの中には、悲鳴に酔い、殺戮を愉しむ暴竜クルヴォレクの血こそが流れているんだから」
自棄になったように、嘲う。何を思っているものか、その笑みはひどく歪んでいた。
「……知ってたか。ってか、お前なら知ってて当然だよな。――そうだ、俺の中には紛れもなく確かに暴竜の衝動が息づいている。正直、恐ろしいよ。一度解き放ってしまえば敵も味方もなく、目に見える者全て殺し尽くしちまいそうでよ。
今までは何とか抑えてこれたが、これ以上は抑え切れるもんじゃない。戦争を止めた理由は、結局はそれ一つだな。平和が一番とか、圧迫される民衆の為とか、そんなんはもうどうでもいいんだ。
ただ、あと一つだけやっておかなけりゃならんことがある。自分を神か何かと勘違いしてる傲慢な魔女、あれだけは生かしておく訳にはいかないんでな」
珍しく多弁になって、ヴァスガルトはそこまで一息に言った。
「それを……あたしに言ってどうしようというの? さっきも言った通り、もうあたしには何の力もないし、そうでなくとも元を正せばメリーシャヤの使い魔だったというのに」
「使い魔だった、だろ? もうお前はメリーシャヤの下僕ではなくなって、それで魔術が使えなくなった――違うか?」
こともなげに返された言葉がよほど意外であったのだろう、ティレイは大きな目をさらに見開いていた。自分の姿がそこにはっきりと映し出されるのを、逸らしもせずにヴァスガルトも見返している。
「俺だって木偶じゃないんだ、考える頭くらいはあるさ。魔女の成り立ちなんてのは知らないが、要はそういうことだろ? 俺としたらその方が都合がいいんだけどな」
その反応に新王は苦笑で返したが、ティレイは聞くにつれ段々と見開いた目を半眼の形に歪めていった。
「ちょっと見直したわ……あんたの頭なんて、酒と女で埋まってるもんだと思ってたから。
確かにそう。あたしはメリーシャヤに魔力を取り上げられて、魔都メルクドネアを放逐されたの。アザフ=マイエ帝国皇帝ユルベナフ=マイエを次なる王に据えることが出来れば帰順を認める、という条件付きでね。でも、それも失敗した。あたしにはもう帰る場所がないの」
もう自嘲の色は皮膚の下にまで沈殿してしまったように抜けなかったが、再びティレイはその表情を下に向けた。膝を抱え俯いたその姿は、見下ろすヴァスガルトの目にはひどく小さく映る。
「ふん……魔女の城ってのはそんなに居心地がいいのか? 捨てられてもなお帰りたいと思うってのは、あんまりよく分からないんだがよ」
「居心地? 最悪よ、暗いしかび臭いし。食べる物だってろくに貰えなかったしね」
「? だったら――」
「でもね、魔女が恐れられず、蔑まれずにいられる場所はあそこの他にないの。人は、弱い人間ほど力ある者を忌避しようとする。あんたみたいな莫迦には分からないかも知れないけど、あたしはメルクドネアの外では、いつだってそういう視線に晒されてきたの。
あんたにその悔しさが分かる? あたしがあの連中に何か恨まれるようなことをした!? 何もしてない! ただ、力を持っているというだけじゃない。だとしたら、あんたはどうして恨まれないの!?」
羨望。ティレイは羨んでいる。ヴァスガルトを――いや、そうではない。少女は自分以外の全てを羨んでいるのだった。
メリーシャヤの使い魔として育てられたティレイには、温かみのある思い出などはろくにないのだろう。愛情を注がれること、或いは育むこと、そのようなこととは無縁の世界に属してきたのだから。
しかし。
「お前の気持ちなんか知るかよ。俺が恨まれてないって? 莫迦言うな、俺を恨んでる奴なんて数えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいゴロゴロ転がってるぞ?
……俺が殺した将兵にも家族はいる。もちろん、戦死させちまった味方の兵にもな。戦争の為に重税を課せば飢える村もあるだろうし、ひどい話、征服した街やら村やらでのそれまでの失政ってのまで俺のせいにされてる始末だよ。
そいつらには、出来るだけのことはしてるつもりだが、だからって恨み辛みがなくなる訳じゃない。――帝国に行った時に、俺を暗殺しようって奴が何人も来たけどよ、俺にとっちゃ自分の領地を歩く方がよっぽど怖いんだよ。泣きながら心中覚悟で斬りかかってくるような連中の方が、な――そいつらに、戦争を終わらせて平和な国にする、って言ったって誰も納得なんかしやしない。でも、俺にはそう約束することしか出来なかった」
自嘲めいて、しかし覚悟の上でのことであるから後悔の色などは微塵も見せず、ヴァスガルトはそう語りかけた。少女は呆けたようにそれを見上げている。
その顔に向けて、なあティレイ、と新王が呼びかける。
「お前、帰る場所がないって言ったな。メルクドネアの外では恐れ蔑まれる、って? なら、俺のところに来いよ。俺は一度だってお前をそんな目で見たことはないぞ。魔女だろうが何だろうが、俺にとっちゃそんなん関係ないからな」
呆けたままでいたティレイは、彼が何を言ったものか要領を得ず、そのまま首を傾げた。いつもの意地の悪さも戻らず、子供じみた表情で彼の顔を眺めてしまっている。
「フォルティスにも頼まれたしな。……あん時は何を言われてるのかさっぱり分からなかったんだが、今になってようやくその意味が分かったよ。――ティレイ、メルクドネアは俺が滅ぼす。
俺がメリーシャヤの悪夢からお前を解放してやる。だから、お前は俺のところに来い」
照れ隠しに頭を掻くなどしてしまって、せっかくの台詞もさまにはならなかったのが悲しいところだが、しかし眼差しは真摯なままヴァスガルトは告げた。
「……なあに、あたしに後宮に入れとでも言う気?」
そんなことはまっぴら御免だ、というようなことが表情にありありと書かれている。だが、それとは別に彼女のその表情には、ここに来て初めて、明るさを見出すことが出来た。
「んー……まあ、それも悪くないんだがな。ほら、お前頭いいからよ、俺の相談役にでもなって貰おうかと思ってんだ。お前は今まで通り、好きにしてくれりゃいい」
「……でも、あたしは帝国の側について、それでここに入れられているのよ? 裏切り者の魔女を近くに置くだなんて、周りが許さないでしょ?」
ティレイにいつもの毒が戻り始めたのをヴァスガルトは素直に喜んだが、しかし少女には、やはりこれまでの経緯がある以上、不安を払拭することは容易でないようだった。
その反応が意外とでもいうように新王は豪快に笑うと、それから、べーっ、と舌を出してみせた。それを指差しながら器用に言葉を継ぐ。
「ああ、それは心配すんな。うちのメルエーヴェは人を丸め込むことにかけてはフォルティス以上だからな。大丈夫、うまいことやってくれるさ」
確かに、ヴァスガルトの活躍を影で支えているのは間違いなく正妃メルエーヴェである。辺境の小都市ダロウェから興り、数年でここまでの版図を獲得するに至ったスウォン=ジュナ王国を平らかに治めている手腕は尋常のものではあるまい。
あの女ならやりかねない、と確かに納得して、しかし、だけど、とも思ってしまう。が。
「あんたも大したものだと思うけどね。――ま、処刑されたって文句の言えない身の上だもの、言う通りにするしかないんでしょ」
「その通り。聞き分けのいい奴は好きだぞ」
にっ、と笑って子供にするように頭を撫でようと伸ばされた手を、ティレイは邪険に払い除けた。好きにしろ、と言われても望みなど何もないが、ふと、一つだけ思い浮かぶものがある。
一つだけ、強い後悔と共に思い出されるもの。
「……じゃあ、一つだけお願いがあるんだけど。いい?」
「ああ、なんでも聞いてやるぞ?」
どのようなことであろうと聞き入れるつもりなのか、自信たっぷりにヴァスガルトは後を促す。ティレイは一瞬こそ躊躇いをみせたものの、言い始めるともう言い淀みはしなかった。
「……フォルティスのお墓にね、花を供えてあげたいの。彼が死んだ理由の殆どはあたしだったんだもの」
「はぁ? そんなことか……そりゃ構わんけどよ。だけどなティレイ、あいつが死んだのは――」
「言わんとすることは分かるけど……あたしはそんな風には割り切れないの。こればっかりは仕方ないわ」
どのような無理難題を吹っかけられるかと内心冷水を浴びたようになっていたヴァスガルトは、魔女らしからぬ他愛のない願いに、すっかり拍子抜けしてしまった。それでもティレイは後悔の重責に表情を歪めていて、場の雰囲気の悪さに、新王は話題を元に戻すことにした。
「ま、いいけどな。――じゃ、お前はメリーシャヤを忘れて、俺のところに来てくれるんだな?」
「――ええ」
この時には、ティレイはもはや躊躇いはせず、明快に応えることが出来ていた。思えば、自らの行動を自らの意志で定めたのはこれが初めてのことである。
妙に嬉しくて、薄く笑う――目の前の男に気付かれるのは癪なので、喜びの殆どは心の内側に押し留めて。
地下牢を出ると、外界は眩い光で彼女を迎え入れた。そこは優しくも厳しくもなく、彼女には無関心であるようだったが、しかしはっきりと影を作っているヴァスガルトの背中だけは、今のティレイには確かな頼もしさを感じさせていた。




