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「き、貴様っ! 余が誰か分からぬと申すか!? 余は一なる王国レスレンティオが王、キュクノス=アダンであるぞ!」
いっそ憐れなほどに狼狽し、それでも玉座は渡すまいとするその小男は、どこか母親に縋りつく赤子のさまにも似て玉座に張り付いていた。
「一なる王国? そんなもんがどこにある。寝言を言うには随分と早いはずだがな」
「不埒者、余を愚弄するか! 誰か――メリーシャヤ、メリーシャヤはどこか? 余を一人にするな、メリーシャヤ!」
不意にその女の名を口にすると、まるでそれまでのやりとりがなかったかのように、不安げに小男は首を巡らせた。
抜き身の剣を下げた目の前の男たちもその視界には入っていないようで、メリーシャヤを探しに行こうとでもいうのか、彼は立ち上がるとふらふらと歩み出そうとした。
が、目の前に立ちはだかった男は、どんと突き飛ばして再び彼を玉座に押し戻した。
「何だ、何者だ貴様! 余を王と知っての狼藉か!? 身の程を知れ、打ち首にしてくれるぞ!」
それで小男はようやくまた彼らに気付いたようだったが、しかし話はまた振り出しに戻ってしまったようだ。もはや取り合う気力もなくして、男は高々と剣を振り上げる。
それが何か不思議な興味深いものであるかのように、小男がその切っ先をぼんやりと眺めてくる。男はそのような様子にも寸分の躊躇いも見せず、玉座ごと彼を一刀両断にして見せた。
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。――身の程知らず」
ロシェ併合後、ヴァドステン陥落までの道程は困難を極めていた。
敵は北のヴァドステン大公ではなく、東のウィーゼン大公だった。ヴァスガルトとフォルティスの一騎打ちと機を同じくして動いたウィーゼン大公ヴォートス=ルスオレンは、ロシェ領ラフダニ、ヴァドステン領ゼシューマに侵攻。瞬く間にこれを併合して版図を広げると同時、スウォン=ジュナに睨みを利かせてきたのだ。
だが、フォルティスとの約束を重んじたヴァスガルトはこれに構わず、総勢一万となった兵のうち三分の一を自ら率いてヴァドステン攻略を開始してしまう。
残された六千余の兵は宿将タナヴィス=ヴィセル、ヴロクの推挙で登用されたダーケン=ディリゼを軸にレスレントに陣を構え、ウィーゼン大公に立ち向かった。質量とも勝っていた新王国軍ではあったが、しかしムオゼト、ゼシューマ二方面からの波状攻勢に手こずり、一時はレスレントを奪われロシェへの後退を余儀なくされる一幕もあった。
一方、ヴァスガルトが直接指揮を執った北征軍も、ゼシューマから放たれた遊撃部隊に翻弄された挙句、兵糧を焼かれて進撃を断念せざるを得ない状況に追い込まれる事態となった。
結局は後方からの援軍が間に合い、退却してきたヴァスガルトの軍がロシェ攻略中のウィーゼン大公軍を後方から攻める好位置を占めたことによって撃退、一転反攻に出てレスレントを取り戻しはした。しかしその時には被った被害はすでに甚大なものになってしまっていて、ヴァスガルトも北征の一時断念を余儀なくされたのだった。
劣勢を巻き返すことも出来ぬまま、冬の訪れが休戦を強要する。状況から考えれば悪い面ばかりではないのだが、しかし軍中の士気は低く、重々しい雰囲気が疲労感を強めていた。
前線ではそのように事態は深刻化の一途を辿っていたが、しかし王国全体を俯瞰するなら、そう悪いことばかりが続いた訳ではない。マズレンに置かれた王宮では、ザルマーオ、ベオレフスという二人の王子が日を同じくして誕生していたのである。同日といっても双子ではなく、腹違いの兄弟ということになる。先に産まれたザルマーオは市井の女キャレリの子、そして後のベオレフスが正妃メルエーヴェの子であった。
後の継承問題を懸念したメルエーヴェが、出産の直前であるにも関わらず、事実を曲げて公にはベオレフスが先の出生であると報じるよう厳命する一幕も見られたが、ともかく、この慶事は後方のみならず前線の兵士たちの士気を高めることにもなった。
そのことばかりが理由ではないにせよ、軍の再編成を済ませたヴァスガルトは雪解けを迎えるや大反攻に転じ、先ずは元来ロシェ領であったラフダニを占拠した。
ここにはゼシューマ、ウィーゼン双方から相次いで大軍が押し寄せ、レスレント攻防にも勝る激戦が繰り広げられたが、しかし宿将タナヴィス=ヴィセルはこれをよく守り通した。
他方、ロシェからの北征を断念したヴァスガルトはダーケンを伴ってムオゼトから東進、これによってヴァドステンを攻略した。
当時のレスレント王ラズモーヴを毒殺し、中原のみならず大陸全土を劫火にくべた狂える宰相キュクノス=アダンを、もはや意味を失った玉座共々葬り去ると、ヴァスガルトはダーケンに後事を任せてヴァドステンに留まる。
軍を任されたダーケン=ディリゼはそこからゼシューマ攻略に向かった。すぐにこれを落とせずとも、それでラフダニを守るタナヴィスの負担は軽減されるはずだった。
いつの頃からか辺境救済から大陸統一へとその目的を変えた戦争は、まだその終わりを見せない。だが、それはもうヴァスガルトの手を離れたといってよかった。今の彼には、別の目的がある。
メルクドネアを滅ぼすこと。フォルティスの遺言がなくとも、その存在を知れば彼はこれを滅ぼしていただろう。人以上の存在、人を脅かす存在など決して認めない――そのことは今や彼の信念ともなっていた。竜の血の力もティレイの魔術も、矛盾を孕もうが彼にとっては信念を貫き通す為の武器でしかない。それは彼自身無自覚のことではあろうが、いつの頃からか、彼の中にはどこか自棄的でさえある民衆救済の使命感が芽生えていて、竜の血が引き起こす殺戮衝動以上に強く彼の心を支配していたのである。




