3-4
「我をおいて王を騙る強欲なる簒奪者よ、兵の数になど頼らず、一人河を渡り我と剣を合わせるがいい。さすれば、我は王位が不可侵にして唯一絶対のものであると、この場にて証してくれようぞ!」
レスレントの北辺、今しもスラ河を渡河しようとする新王国軍の前に立ち、何を臆することもなく朗々と告げたのは、フォルティス=レスレントその人であった。彼の背後にはロシェ大公の軍五千が控えている。
対する新王国軍の兵数もまた五千。自領の防備に三千を残していたから、数の上では拮抗している。とはいえ新王国の軍は、レイゼルクを仲介としてダルケオ・ドゥメラク族から仕入れた鉄製の武器防具を兵の主力が手にしていること、またヴァスガルトが決起からこちら負け知らずで攻め進んでいたことが士気を高めていた。
反面、ロシェ大公の軍は死守すべき首都を一つの抵抗も許されずに放棄させられ、その後の指示に関しても明瞭さを欠いていたから、こちらはどうしても士気は上がらない。地の利を捨ててこのように正面から向かい合ってしまえば、勝ち目などどこにもなかった。
だというのに、両軍とも動く様子はない。
動いたのは、この広い戦場において、ただ一人ヴァスガルトのみであった。彼は今も先頭に立って兵を率いていたから、先の口上が誰のものかは、すぐに知ることが出来た。
竜殺しの後、すぐに別れてしまった相棒――いや、フォルティスは相棒である前に、ヴァスガルトの師であり、また越えられない目標でもあった。卓越した剣技、優美な物腰、機知、明察……それらはどれも当時のヴァスガルトには望んでも得がたいものであった。今でも、それを得られたとは彼自身思っていない。
しかし、越えなければならない。そうでなければ、大陸を統べたとて、真の王であるなどとは誰も認めはしないだろうから。
気付けば、背後にはすでに動揺の色が広がり始めている。河向こうに立つ男が何者であるか、まずは勘のいい者たちがそれと察し出したようだった。動揺だけで済めばよいが、しかしあまり徒に時間を消耗すれば、それはいずれ軍を割る結果をも引き起こしかねない。その辺りはマズレン、ムオゼト征服後、旧王国寄りの者にも寛容さを示していたことが裏目に出てしまっていた。
「フォルティス、どうしてお前がそこにいる?」
思いもかけぬ事態にも動揺は奥底に隠して、ヴァスガルトは王者の声を対岸に向けた。
「どうして、だと? 知れたこと、王を騙る無法者に真の王が裁きを下しにきたのだ。もはや問答は不要、とくここに参れ!」
「……はっはー、どこにいるかと思えば、こんなところにいたとはね」
河向こうのフォルティスを眺めやりつつも、いつの間にか新王の隣に立ったティレイは、感心したような呆れたような声を発した。
「……知ってたのか?」
「まさか。――でもまあ、さすがは生まれながらの王族、というところね。あんたよりはよっぽど風格があるじゃないの。さあ、あたしはどっちについたものかしら?」
ヴァスガルトが疑わしげに睨むが、しかし魔女は飄々とそれを受け流した。尖った顎の先に拳を置いて、しばし黙考する。
ティレイにしてみれば新王に与したのはあくまでもフォルティスの代役を務めさせる為でしかなかったから、当のフォルティスがこのように行動を起こしたなら、彼の側に立つのが筋というものだろう。
「俺よりあいつを選ぶのか?」
声を低くして、再度ヴァスガルトが問う。王として最大戦力を奪われることを恐れた、というよりはどこか惚れた女に取り縋る男のようでもあって、むしろそのことにティレイはうすら寒いものを感じてしまった。
「怖い顔しないでよ。……確かに筋を通すつもりなら彼の側に立つべきだとは思うけど、でも今となっては王座に近いのはあんたの方だしね」
それが分からない男ではなかったと思うけど、とこれは胸中で呟くに留める。
「だから、今回私は一切手出ししないわよ。あちらがああ言ってくれてることだし、ここは決闘で白黒つけてきたら?」
「どうしたヴァスガルト、よもや臆したなどとはいうまいな?」
そうか、と明るく応えようとした彼の言を遮り、さらにフォルティスが挑発を重ねてくる。新王は今度こそ迷いなく彼の方に向き直った。
「いいだろう、どちらが上に立つべきか、はっきり思い知らせてやる。今すぐ出向いてやるから、その間にしっかり首を濯いでおけよ」
言うが早いか、ヴァスガルトは身につけた鉄鎧を剥ぎ取るや河の深さも確かめずに歩を前に進めてしまっていた。スラ河は大河の一支流に過ぎなかったから浅く緩やかではあったが、そうでなかったとして今の彼なら何も構いはしなかっただろう。腰まで河に浸かっても、大股で危なげなく進んでいく。
「陛下、危のうございます!」
兵の動揺を収めようと努めていたタナヴィスがそれに気付いたのは、もうすでに新王が河の半ばまで進んだ辺りでのことだった。彼は王を追って河に入ろうとしたが、横から伸びた杖に阻まれて歩を止めてしまった。
「大丈夫、野暮はさせないから。――それに、向こうの彼もそんな無粋な横槍を許す性質じゃないしね」
「……、彼?」
後の方は声をひそめたつもりだったが、ティレイの言葉を耳聡く聞き取ったタナヴィスはそう鸚鵡返しにしてきた。
「ええ、彼。……そっか、あなたたちが知る訳はないのよね。フォルティス=レスレント――元々は傭兵ヴァスガルトの良き相棒。彼にその気があれば、今頃は竜殺しの王子として名実ともに備えた大陸の王ともなれたんでしょうけど。でも彼はそうしなかった。だから、今頃になって落ち目の王国を継いでも意味はないとあたしは思うけど」
応えながら、ティレイは我知らず少し表情を翳らせている。そこで切れた言葉を、タナヴィスが継いでくる。
「ですが、もしフォルティスが陛下を下すようなことがあれば? 民草の支持もありましょうが、陛下とて覇を以って西を掌中に納めた方。ここで彼がそれ以上の力を示すようなら、皆正統に傾くのではありませんか?」
私自身は陛下とお后に忠誠を誓っておりますが、と付け加えるのを忘れず、タナヴィスはそう懸念を明らかにした。だが、それを聞くとティレイは大きく溜息をついてみせる。
「だったら、レスレンティオの先王が逝った時に素直に跡を継いでいればよかったのよ。今更フォルティスがこんなことをする意味はないの。全くね」
彼女自身フォルティスの考えがまるで読めず、声には多分に苛立たしげな色が混じっていた。
「それに、フォルティスがどれだけの力を持っていたとして、今のヴァスガルトに勝てるはずはないわ。確かに腕は立つけど、所詮は人間、人外の者に勝てるはずはないもの。それどころか、返り討ちにあった時には、レスレント王家は断絶。連合王国は墜滅することになる――」
「人外の者?」
確かにヴァスガルトは尋常でない強さを誇るが、しかし人外の者とは些か言い過ぎではないか――タナヴィスは諌めるようにして問い返したが、しかしティレイはすでにそれを聞いてはいなかった。不穏な想像が黒雲のように彼女の心中を過ぎっていた為だ。
そうして、その時にはヴァスガルトは渡河し終えて、フォルティスと正対していた。かつての相棒は、五千の兵を背後に控えさせて、悠然とこちらの様子を窺っている。
その視線には敢えて構わず、ヴァスガルトは水を吸った鎧下を脱ぐと、それを後ろに放った。
歴戦を重ねた逞しい黒い上体が露になる。
とうとう完全に無防備な姿を敵前に晒すことになって、タナヴィスや他の家臣らは今にも泡を吹かんばかりであったが、今となってはもう手の施しようもない。ただ新王の悪運の強さを信じて祈るばかりであった。
「久し振りだな、ヴァス。いや、出世したもんだ」
さすがにお互い剣の間合いにまでは踏み込まなかったが、フォルティスはなるだけ距離を縮めると、周囲の者には聞こえない程度の声でそう切り出した。
「それはティレイにも言われたよ。王さまなんて言われてもいまいちしっくり来ないけどな」
声量をそれに合わせて、ヴァスガルトが応える。さすがに再会を素直に喜ぶ心境にはなれなかったが、だからといって敵意を向けることも出来ない相手である。正直、戸惑いが感情の大半を占めていた。
「ま、お前には元々縁のない世界だっただろうからな。だが、活躍ぶりは俺の見込んだ通りだったよ。ちゃんと皆が笑い合えるだけの活気を取り戻させてくれた――本当に感謝している」
「お前に言われると何かくすぐってえな、今まで褒めてくれたことなんてろくになかっただろうによ。…………一体全体、これってのはどういう風の吹き回しなんだ?」
フォルティスが虚を交えず真摯に語っていることは分かっても、その笑みにかかる翳りの理由はヴァスガルトには理解できなかった。彼の中で、焦燥が戸惑いに取って代わろうとしている。
「お前がこれだけ気を張ってくれているんだ、俺も報いてやらないといけないと思ってな。それに、いつかは幕引きをしなきゃならなかった、ってのもあるし」
「……幕引き?」
「ああ。お前の王国が統一を果たした時に、レスレンティオの王子が行方不明のままってんじゃ、後に火種を残すことになるだろう? お前に後を託したのは俺なんだから、けじめはしっかりつけないとな」
悲壮な笑みが、ヴァスガルトの黒瞳に映る。フォルティスにはもう躊躇いなどはないのだろう、新王が見て取った廃王子の翳りは、むしろ彼自身の迷いが映り込んだものであるかのようにも思われた。
「フォルティス……」
「おいおい、憐れんでくれるなよ。今は敵同士、向ける顔が違うだろ?――それでな、最後にもう一つ頼みがある。聞いてくれるか?」
努めて明るい表情を見せて、フォルティスがそれを告げる。それが遺言だと分かれば、ヴァスガルトには首を縦に振る他に為す術はなかった。
「王都ヴァドステンの下に、メルクドネアという街がある――王族の他には誰も知る者のない、魔女メリーシャヤが統べる死人の城だ。俺の祖父は魔女と契約を交わし、それによって中原を統べる力を得た。
だがそれはつまり、魔女の傀儡に成り下がるということでしかない。俺が玉座を拒んだのは、魔女に魂を売り渡すのが耐えられないことだったからだ」
それを聞くなり、ヴァスガルトはそれまでの動揺が嘘のように、眼光を鋭くさせた。
「俺に、その魔都を滅ぼせ、と?」
「ほぅ、察しがよくなったな。ああ、それを頼みたい――っても、お前がここで俺に勝てたら、の話だけどな。お前が俺にすら勝てないというなら、俺がお前の軍を使ってメルクドネアを攻めるだけの話だ」
そこで話は終わりだ、とでもいうように、フォルティスも視線を剣呑なものに変える。
半裸のヴァスガルトに合わせてのことだろう、ぱちりと留め金を外して、自身も鎧を脱いだ。
しかしそれを見るだけでも、彼が当時の強さを些かも失っていないだろうことは容易に想像することが出来た。背後のロシェ大公軍が動揺の声をあげるも、そのようなこと、全く意にかけようとはせず、すらりと腰の剣を抜き放つ。応じて、ヴァスガルトも剣を抜いた。
「俺だって昔のままじゃない。楽に勝てると思うなよ?」
「当たり前だ、油断なんかするものかよ――さあ、時は来た。全ての力が、正統たる我が元に返還される時。そして簒奪者ヴァスガルト、貴様に裁きが下される時だ!」
その口上はヴァスガルトにではなく、この決闘を見守る周囲の者たちに向けて発せられたも
のだ。ついに新旧二つの王国の戦いに、一つの決着が着けられようとしている。
二人を取り囲む一万の兵たち。彼らは今、水を打ったように静まり返っていた。
ゆっくりと、しかし確実に両者の距離が縮められていく――機先を制したのはヴァスガルトだった。
号も激しく、鉄剣を喉元に突き込む。が、跳ね上げられたフォルティスの剣は、それを難なく弾いていた。その動きに無駄はなく、体ごと旋風の如く回ったかと思えば、その勢いを買って彼は袈裟懸けに剣を打ち据える。
「うおっ!」
それが打ち込まれれば、鎧うもののない骨肉など容易く打ち砕かれるだろう。間一髪、ヴァスガルトは引き戻した剣でそれを受け止めていた。
だが、それに囚われず、フォルティスはヴァスガルトの足と足の間に踏み込むと虚をついて当て身を喰らわせる。下半身の動きを封じられて踏ん張りも利かせられず、新王が無様に地に転がされる。
そのまま串刺しにするように剣を逆手に構えるフォルティス。それが突き立てられる寸前、ヴァスガルトは両足の間に置かれた足を挟み込んで身ごと捻り、彼を引き倒していた。
さすがに地に転がったままで打ち合いが出来るはずもなく、彼らはそれぞれ反対方向に転がって距離を取ると、間合いを外して立ち上がった。
「惜しいな、獲れたかと思ったんだが」
こともなげにフォルティスが言ってのける。どっ、どっ、どっ……としかし対するヴァスガルトの心臓は、緊張からか早鐘のように打ち鳴らされていた。
「冗談、こんな簡単に終われるかよ」
呼吸を整えようとするが、しかし鼓動は自制を越えて更に早くなっていく。そのことはヴァスガルトに不安を与えていた。恐れではない――不安。
それは対峙するフォルティスにしてみれば好機に他ならない。今度は彼が先手を取る形で、再び鉄剣が打ち合わされた。両者とも剣を握る手に全力を込めて、互いに押し切ろうと鬩ぎ合う。
「どうした、そこまでか? 自分の目が曇っていたかと思うと、悲しいな」
「く……好き勝手言いやがってよ!」
力比べの最中だというのに、こちらを嘲ってみせる余裕ぶりのフォルティスに、ヴァスガルトは強く臍を噛んだ。転がった時に砂を食ったか、口の中が苦い。
体格から鑑みるに、ヴァスガルトが押し負けるということはそうそうないはずであった。しかし、現に彼はフォルティスに押し負けてしまっている――フォルティスとて彼が実力を出し切れていないと見切っていたからこそ、本来勝ち目のない純粋な腕力の勝負に持ち込んだのである。
「クルヴォレクの血も所詮何の意味もなかったようだな。お前は俺に勝てない。なら、ここで楽にしてやろう」
悲しげに言い、フォルティスは下腹部に蹴りを喰らわせて強引に間合いを離す。
「何の意味もないって? お前に何が分かる!」
「分かるさ。そこまでやっても、結局お前は俺に勝つことは出来なかった。死は過ぎた野心の代償だ。恨むなら、己が弱さを恨むがいい!」
あまりの侮辱に苛立たしげに声を荒げるヴァスガルトだったが、しかしフォルティスは憐れみの色さえ加えて彼を嘲った。
――殺したい! 殺したい!
地鳴りのように激しく強く打ち鳴らされる鼓動は、いつしか明瞭な叫びとなって彼の中に響いていた。衝動が、今にも彼自身から強引に主導権を奪い去ろうとしている。
「……そこまで言うなら見せてやるよ、竜の血の力ってやつを。けしかけたのはお前だ、今更後悔しても遅いからな」
後悔などするものかよ――しかしフォルティスがそう言い返すことは叶わなかった。先ほどまでの鈍い動きから一転、神速の斬り込みをヴァスガルトが見せていたからだ。
受け流すような余裕は与えず、その尋常ならざる膂力は受ける体ごとフォルティスをたっぷり数十歩分は吹き飛ばしていた。辛うじて体勢を崩さずに堪えた彼に、さらにヴァスガルトが追いすがる。
力も速度も、先ほどまでの数段上をいっている――しかし、血に飢えた獣のような気配を帯びて振るわれる剣は、実に単調で直線的だ。あっさり数合でそれを見抜くと、すぐにフォルティスは難なくそれを受け流せるようになり、ついには守勢から攻勢へと転じて見せた。
「確かに力は大したものだよ。しかしな、御しきれない力じゃあ俺には通用しない」
理性の薄れた目に焦りを宿したヴァスガルトを、攻め手は緩めずフォルティスが叱責する。意味が通じたか、或いは単に焦りの為か、獣と化したままの新王が、ぎりっ、と嫌な音を立てて歯噛みする。
「畜生に堕したかヴァスガルト、俺の知る相棒は竜など飼い慣らしてみせると言ってくれただろうがな。――憐れだ、もはや見るに堪えん」
ヴァスガルトの剣を大きく外に弾くと、フォルティスは止めとばかりに大きく剣を振り上げる。新王はその動きを両の目で捉えていたが、しかし超人的な膂力をもってしても、いや、その力を以って振るったものを受け流されたが故に、容易に剣を引き戻すことが出来ない。
次の瞬間には、見詰める両の目の間にあの剣が振り下ろされ、そうして死ぬのだろう。そのような時に至ってさえ、内奥の叫びは止むことを知らずにいた。
殺したい! 殺したい!
殺したい! 殺したい!
違う!――と、ヴァスガルトが叫んだ。
勝ちたいんだ! この男に!
我知らず、彼は己ならぬ声に打ち克っていた。強く純粋な願いが、憑き物の欲望を組み敷いたのである。
だが、現実が変わる訳ではない。時は無常に移ってゆく――が、今のヴァスガルトにとっては、その流れはひどくゆったりと感じられた。
フォルティスの剣が振り下ろされる。ゆっくりと。
あれを受けてはいけない。しかし自身の剣を引き戻すには力が足りない。ならば。
迷わず、ヴァスガルトは剣を手放していた。勢いよく河向こうへと投じられたそれには目もくれず、彼は空になった手を全力で引き戻す。
フォルティスの目に、初めて驚愕の色が現れる。ヴァスガルトが振り下ろされる剣を掴むや、勢いと膂力に任せてそれを折り取ったからである。
半ばから折り取られた剣は、狙いを外れて空を切った。両腕を振り下ろしてしまって、フォルティスが無防備な上体を晒す。ヴァスガルトは、折り取った剣をその胸の中心に向け、杭を打ち込むようにして深々と突き込んだ。
抗いがたい力に、フォルティスが膝を折る。糸の切れた人形のように後ろに倒れこもうとするのを、ヴァスガルトが刺した剣先が支えていた。
そこに至って、ようやく彼の刻は早さを取り戻した。
「フォルティス!?」
すぐには、自分がそれをやったのだということが理解出来ない。我知らずヴァスガルトは驚声を発していた。
ごぼっ、と吐き出した血でその彼の体を汚し、途端に蒼白げな顔に変わりながらも、しかしフォルティスは笑った。嘲笑ではない。それは実に満ち足りた笑顔だった。
「どうした? お前は勝ったんだ、少しは嬉しそうにしろよ」
声を発するだに苦しげに見え、とても軽口を言う余裕などあろうはずもないというのに、それでもフォルティスは笑うことを止めようとはしなかった。
気付いて、ヴァスガルトが胸の剣を引き抜こうとする。が、すっとそこに添えられた手は、弱々しくもそうされることを拒んでいた。
剣は確実に臓腑を損傷させているようだったから、抜けば死期は途端に早まるだろう。そう思い至って、ヴァスガルトはそれはそのまま彼が押さえるのに任せて、彼の上体を寝かせて膝上に抱くようにした。
「済まないな、何から何までお前に押し付けちまって」
時折咳き込みながら、掠れた声で囁くようにフォルティスが語り掛ける。
「いいさ、好きで始めたことだ。お前に頼まれたからって訳じゃない」
突き放すように、ぶっきらぼうにヴァスガルトが応えた。その彼の声も掠れている。
「なら、そういうことにしておくか。――そうだ、ティレイのことも頼まなくっちゃな」
もはや見えているかどうかも定かでない視線を、フォルティスが河向こうに向ける。
「ティレイを?」
「あいつも俺と同じ、メリーシャヤに人生を狂わされたかわいそうな奴だ。出来れば、あいつも救ってやって欲しい」
「…………俺は王だ。頼まれなくたって、俺の後ろにいる奴は全員守ってみせるよ」
「そうか、頼もしいな。ああ……もう俺の仕事はなくなったみたいだ。……さあヴァス、次の仕事を探さなけりゃ……な……」
そこで、フォルティスの言葉は途絶えた。
手向けの言葉も浮かばず、その軽くなった体をヴァスガルトは抱え上げた。
「殿下は、ご自身が倒れた後には速やかに降伏し、あなたさまの傘下に加わるよう仰せられました。その命には従いましょう――ひとつだけ条件を呑んでいただければ、ですが」
いつの間にか背後に佇んでいた老爺が、立ち上がった新王の背中にそう語り掛けた。驚きもせず、聞こう、とヴァスガルトは振り返る様子も見せずに先を促した。
「その方は、我々の手で葬らせて頂きたい。それさえお許しを頂ければ、我等は陛下の忠実な剣となり盾となりましょう」
その老爺――ロシェ王ヴロク=オーゼンはそこまで言うと、顧みることもしないヴァスガルトに向けて跪き、そして頭を垂れた。
「好きにしろ。但し、墓碑に家名を刻むことは許さん」
頼む、と言い掛けたただその一言を喉下で押し止め、代わりに新王は冷然とそう告げた。
そう、自分は王なのだ。歯向かって敗れた者に情けをかけては王威に関わる。だから表に出すことはないが、むしろヴロクの申し出はヴァスガルトにとって望外のことであった。
表情を殺し、胸元を血に染めたフォルティスの遺骸をヴロクに下げ渡す。そうして、いまや中原唯一の王となったヴァスガルトは、河向こうの忠実なる臣下たちに向けて雄々しく手を差し上げると、彼らに勝利の声を上げさせたのだった。




