3-3
「いやー、まさか丸ごと連れてくるとは思わなかったわー」
つい先までの戦闘の疲れも見せず、ヴァスガルトが明るく言った。
「丸ごと連れて来いって言ったのは誰だっけ?」
呆れて言い返したのは、ターニオス大公軍をここまで率いてきた魔女ティレイだった。彼女は先だってヴァスガルトの命で大公軍を動かす為に一行を離れたのである。言い出した当人がこの言い様では到底報われるものではない。
「それくらいに発破かけときゃ、半分くらいは連れて来れるだろーと思っただけなんだけどな。
ま、おかげで助かったわ。ありがとな」
そう素直にヴァスガルトが礼を言うと、むず痒そうにティレイはそっぽを向いてしまった。
それで会話が途切れたのを狙って場に割って入ってきたのは、マズレン大公マレーヴ=ターニオスだった。彼は半ば脅迫めいたティレイの説得に応じて軍の指揮権を彼女に委譲していたから、正しく扱うならば虜囚の身の上である。
ウルガ砦に辿り着くや、ティレイはダロウェの兵を扇動して砦を占拠し、その上でマレーヴ=ターニオスに兵権の委譲か死か、と迫ったのだ。ブレデン王と違って彼は引き際というものを心得ていたようで、殆ど流血もなく兵権はティレイに移され、そうしてここデュハマ大公領への北征が実現した。
「全く、よもやこのような形で私の野望が砕かれるとはな。しかも、他の大公ではなく小娘や若造にしてやられたとは! 一体私のしてきたこととは何だったのかと思ってしまうよ」
言うことは全くの恨み言であったが、しかし言うマレーヴの表情は奇妙に晴れやかだった。新たな王に向けて短く自己紹介を交わすと、彼は葡萄酒の入った酒瓶と干し肉を王に差し出してくる。
「そう言うなよ。――ま、ターニオス大公は死んだってことにしといた方がいいかも知れないな。あんた、辺境じゃ相当に恨まれてるからさ」
喉が渇いていたこともあり、ヴァスガルトはそれをひったくると浴びるように飲み、殆ど一息に飲み干してしまった。その様子を目を丸くして眺めていたが、驚きが収まるとマレーヴは苦い笑いを浮かべた。
「それはそうだろうな、臣民に重責を強いたことは申し訳ないと思っているよ。私とて野心ばかりのことで兵を起こした訳ではないが、今となっては何を言っても言い訳になる。処断は貴公に任せよう」
彼の笑いはやがて自嘲めいたものに変わっていた。が、それを聞いたヴァスガルトは意外そうな表情を浮かべる。
「処断? ああ、んなこと全然考えてなかったわ。つーてもまぁ確かに償いは必要かもな。ティレイ、どうしたらいい?」
「だから何であたしに聞くの。あたしはあんたの配下じゃないのよ? …………ま、とりあえずは自業自得だし、難民と食糧不足の問題を丸投げしたら? その先の処遇は働きを見てからでもいいと思うけど」
少し距離を置いて草原に座っていたティレイが、相変わらずむくれたままで、それでも律儀に応えてくる。
「なるほどな。よし、それでいくか」
ぽん、と手を打ってヴァスガルトはティレイの案を採用した。その判断の速さに、マレーヴがまた目を丸くする。
「……それでいいのか?」
「ん、こんな若造に使われるのは嫌だったか? 人手は絶対に足りやしないしな、使えそうな奴なら何でも拾って来いって言われてんだよ」
ぽりぽりと頭を掻いて、ヴァスガルトが面倒そうな表情を作る。そのことは、ダロウェを発つ前に散々に言われてきたことだった。
「言われた? 誰にかな?」
「メルエーヴェだよ。ダロウェのブレデンの娘。……っても知らないか」
「いや、そうでもないよ。聡明な娘だと聞いている。うちの配下の者が袖にされた、ともね。気難しいご令嬢だというが、実際のところはどうなのかな?」
気難しい、という言葉に思い当たることが幾つもあって、ヴァスガルトは思わず顔を顰めてしまった。それを見て、マレーヴがさも愉快そうに笑う。そこには全く暗い影は見られなかった。
「なるほどな。――あいわかった。辺境の問題は私の不始末でもある、これは引き受けよう。安心してくれ、私は有能だからな」
そのようにしてヴァスガルトがティレイ、マレーヴらと話している間に、タナヴィスは兵を率いて敗残の将を狩り出し、後顧の憂いを排しようと努めていた。反抗する者、恭順の意を示す者、身の処し方はそれぞれだったが、討たれたウラバラル=デュハマの嫡子レクセントを始め、多くの者たちは望まずながらもヴァスガルトの元に降ったのだった。
レスレンティオ継承戦争が起こってより三年。この間の停滞が嘘であったかのような、それはあまりに鮮烈な新王ヴァスガルト登場の三十日だった。
国号、スウォン=ジュナ。ジュナ家の新たな王国――
メルエーヴェの到着を待ち、旧ターニオス大公領首都マズレンで行われた即位式は、三軍約二万の兵、一万余の臣民を証人として大々的に行われた。
マズレン大公マレーヴ=ターニオス、形式上ウラバラルの後継に仕立てられたムオゼト大公レ
クセント=デュハマがそれぞれヴァスガルトの前に跪いて臣下の礼をとり、これによって正式に
両大公領は新王の下に併合された。
これを統治する新王の紋章はティレイがフェルトゥク族にそれと告げたものを意匠化し、剣が交差する上に竜の首が乗り、更に上部に王冠が配された図となった。竜殺しの王を示す意匠はよく凝らされ、まさに我が紋章とヴァスガルトを大いに喜ばせた。
次にメルエーヴェが正妃として壇上にあがると、彼女は自ら辺境――それはもはやダロウェ、レイゼルクのみならず中原西部全域を指している――が抱える諸問題の解消を約束し、そうして女性らしい慈悲深さを臣民に強く印象付けた。
彼女がそうすると、続けてヴァスガルトが根本的な問題、すなわち戦争の終結を約し、そのようにして救世主の如く現れたジュナ王と正妃を臣民たちは淀みない大歓声で迎えたのだった。
後はもう宴会また宴会、街中あげての祝祭となった。楽士は歌い奏で、芸人は舞い踊り、糧食が贅沢に振舞われて上も下も皆労われた。
ヴァスガルトを主賓とするその乱痴気騒ぎはレイゼルクのそれを数倍上回る規模で繰り広げられたが、その陰でメルエーヴェを中核とするスウォン=ジュナ体制は性急に基盤固めを行い、それとともに難民、食糧問題の解消と東征準備を両輪とした施策の検討を始めていた。
蓄えは多いに越したことはない。といえどもマズレン、ムオゼト共その備蓄量は相当なものになっていて、それはすぐさまダロウェ、レイゼルクを始めとする被搾取地域に返還された。
また、災厄以後最大の規模となる二万の軍はしかしその教練、維持が困難であるという理由から傭兵、独身者を中心に八千を残し、後は故郷へと帰されることとなった。
八千の兵は四千ずつ南北の砦に割り振られ、そこからロシェ大公領に睨みを利かせた。統治に
関しては、南部はヴァスガルトの直轄、北部はタナヴィスに委任されることとなり、それぞれ旧
大公を補佐として玉座の脇に置いた。
また、それまでの統治形態――王、大公、領主、以下家臣団の暗黙の序列という曖昧な権力構
造は排され、メルエーヴェは王の下に公候伯子男と爵位を授けて序列を明らかにした。マレーヴ
、レクセントら旧大公は家名を取り上げた上で一先ずこの序列の外に置かれ、逆にタナヴィスは新たにヴィセルの家名を与えられて公爵に任ぜられた。
三十日に渡る戦闘があったとはいえ、兵の消耗は驚くほど少なく、士気も高かったので彼らはすぐにも東征を開始することを求めた。だがヴァスガルトは臣民への慰労を優先し、夏までは軍を動かすことを控えた。
この期間はまたメルエーヴェが思惑を巡らせた期間でもあり、彼女は早産の王国の憂いとなるもの――新王よりも旧大公に重きを置く者、或いはレスレンティオ王国への帰属意識を捨てられない者を降格、厳罰、または追放という手段を用いて悉く排除していった。
とはいっても彼女は臣民に対しては慈母の姿勢を崩さず、厳しい面はヴァスガルトら男性の役割だとして彼らに任せている。但しナバニール教団に対してのみはサルディエへの警戒もあって常に強硬さを保持し、布教権、教会建設権に関しては約定通り認めたもののそれ以上の譲歩は一切せず、同盟者としての関係を維持した。
そうして夏、ついにヴァスガルトは自ら軍を率いて東征を開始、一挙にロシェを包囲した。包囲を完了し、勧告をし、さらに一時の猶予を与えて、それでようやく彼らは気が付いた。
それは誰も予想し得なかったことではある。――まさか、一大公領の公都が無軍の廃城であったなどということなどは。
『古き都レスレントにて待つ』
ロシェ王の玉座に鋲で打たれた羊皮紙を、ヴァスガルトは乱暴に破り取ったのだった。
廃都レスレント――その名が示す通り、レスレンティオ王国発祥の地である。スラ河を挟んでロシェの東の対岸に位置するこの寂れた街は、災厄直後の黎明期には最大規模の都市として栄えたが、しかし一時期を境に衰退し、近年ではロシェ近郊の地方都市という位置付けがなされてしまっている。
一時期、というのは、大国としてのレスレンティオ王国が興り、王都が北のヴァドステンに遷されてから間もない頃のことである。
元々レスレンティオ王国は周辺の王国とともに中原に栄える小国であったのだが、初代王により諸王会議が開かれ、紆余曲折の末に中原諸国を纏めた連合王国が形成されることとなり、そうしてレスレンティオ王家が初代の連合王国国主となったのだ。
この背景には災厄という悲劇を共有する世代の戦争回避という意図と、東部のダファルマン山脈以南に勢力を拡大したアザフ=マイエ帝国への対抗力が早急に求められたということがあったが、諸王会議が平和裏に進められたといえ、何の代償もなく連合王国がなった訳ではない。
その条件の一つとして、レスレント大公領からオーゼン大公領に譲られたのが、このレスレントであったということだ。その後大公が河向こうに新たな公都ロシェを築いた為にレスレントは衰え、住む者も疎らな廃都となっていったのである。
その廃都の、荒れるに任せた城。置き捨てられ、煤けた玉座に今、一人の若者が悠然と腰を落ち着けていた。その前に跪くのは、ロシェ大公ヴロク=オーゼン。老人は彫像のごとく留まり、壇上から下される言葉を待っていた。
玉座から眺められる夏の中原の景色は、川向こうに田園の鮮やかな緑と晴天の青が広がり、そしてその先にロシェの街が一望できる。街の周囲には大軍が動かされた為だろう、今は土埃が舞い上がっていて、そこだけ色が褪せたようになってしまっていた。
「ロシェも落ちた……か。いずれこのようなことも起こるかとは思ったが、案外早かったものだな」
玉座の主は、顔にも声にも色を浮かべず、ただそれを眺めていた。
それまではあくまでもレスレンティオ王国の後継を争う大公たちによる内紛に過ぎなかった。それが今やスウォン=ジュナ王国の台頭により、戦争はその様相を急激に変えつつある。
幸いにして、今はまだ最大の懸念であるアザフ=マイエ帝国の介入は見られていないが、新王国の征服速度は率いるヴァスガルト王の英雄性の故か甚だ驚異的である。帝国がダファルマン山脈を越えたならば三つ巴の争いは避けられないが、しかしレスレンティオ王国内の再統一さえも、残る三大公の間に生じた溝はもはや修復の兆しもなく、実力による決着を見ずには内紛は収まりそうになかった。
かつて熱望された王子の帰還さえも、ことここに及んではもはや何の意味も持たない――ならば、ロシェ大公が彼に跪く意味はなかったのかも知れない。それでもなおヴロクがそうするのは、彼にそれだけの資質を見出したからのことであった。
「これでスラ河以西、版図の半分が失われたことになりますな。今になって我が城を訪れたこと、どのような思惑あってのことか、そろそろお聞かせ願えませぬか?」
玉座から下された言葉に、ゆっくりとヴロクは顔を上げた。その振る舞いは、たった今自身の城が落ちたものとはとても思えぬ落ち着きぶりだった。
「思惑? いいや、何を企んでいる訳でもない。ただ、決着をつけたいと思っただけだ。お前たちには、それを見届けてもらおうと思ってな。
――ヴロク、お前が俺を迎えてくれたことには本当に感謝している。俺にはそれに報いる術はないが、しかしお前の臣民を無用に傷付けるような真似はしない。せめて、それだけは約束しよう」
それで言葉を切ると、彼は立ち上がって段を下りた。その様子をじっと見据えていたヴロクは、それ以上のことを訊ねることはせず、応じて立ち上がると彼に追従する。
フォルティス=レスレント――唯一にして最後の王国の後継は、そうしてついに戦場に赴いたのだった。




