3-1
ダロウェにおいての突発的な政権交代劇は、その後メルエーヴェの推挙により速やかに再編が行われ、ブレデンの近親者は全て排除、純粋に能力を基準とした序列が築かれた。
ウルガ砦への出兵も滞りなく行われたが、しかし一つだけ、ブレデンの死とそこからの一連の出来事を口外することだけは明確に禁じられた。ヴァスガルトの賭けは賭けのまま、緘口令を敷かれた四千の兵はターニオス大公の下へと向かった。
魔女ティレイの存在はメルエーヴェを含むごく少数の者に伝えられるだけに留められ、ヴァスガルトは魔女と三百の兵を従え、新たに彼の臣下となった者たちの制止を振り切ると、そのままリモネの森へと足を踏み入れた。
荒事を望んでのことではないから、極力フェルトゥク族に出くわさないように、とダルケオ山脈に沿う道を辿る。およそ三日で森を抜ける見込みではあったが、ヴァスガルトがダロウェで見送った兵たちと交わした賭けの期日は三十日。決して余裕がある訳ではない。
その行程の二日目。森は深く、日の光もまばらに数条差し込んでいる程度で、昼といえども薄暗く見通しも頼りない。周囲は静まり返っているが、耳を澄ませば鳥獣の囁きのみならず、種々雑多に生い茂った木々草木の葉ずれの音なども聞こえてくる。
その幾重にも重なる深緑のアーチの中を、追従する兵から二人選び出して先を歩かせ、その後にヴァスガルトが続いていた。その左右にタナヴィス、ティレイがいて、そこからまた少し距離を置いて三百の兵が後を追って歩いていた。
今までのところフェルトゥク族が来襲する気配はまだなく、ヴァスガルトはブレデン王を討った時以来の高揚を持て余してしまっていた。ひどく好戦的になっているのが自分でも分かる。それを感じ取ってか、一行は言葉少なに森路を進んでいるのだった。
と。
「――うわあっ!?」
「え!?」
「おい、どうした――!?」
ひどく混乱した声、それは背後から聞こえてきた。ヴァスガルトらはすぐさま反射的にそちらを振り返るが、そうすると今度は先行していた兵からも同様に悲鳴のような声が上がった。
見れば、蛇のように垂れてきた太い蔦に絡め取られている者、見境をなくしてか同士討ちを始める者など、とにもかくにもそこではまともでない光景が展開されているのだった。
「お、フェルトゥクか?」
「……うーん。ま、場所が場所だし、それで間違いないんじゃない?」
嬉々とした声で問うヴァスガルトに、のんきな声でティレイが応える。突如の混乱のさなか、この二人だけが著しく緊張感を欠いていた。
「新王、寛いでいないでご指示を願います!」
そんな二人を苛立たしげにそう諌めてくるのは、ほんの数日前にヴァスガルトに臣下の礼をとったタナヴィスであった。
彼は新王の即位式――それは略式の婚儀を兼ねたもので、彼がメルエーヴェの婚約者の地位を失う場ともなった――の際、この王に臣下の礼をこそとったものの、しかし他の者のように忠誠を誓いはしていなかった。ブレデン王を資質なしと討ち果たしたヴァスガルトに果たして王の器があるものかどうか、それはこのデュハマ大公領遠征の中で見極める、と公言したのである。
それを知った上でこのような態度をとる新王はとうにタナヴィスの想像を越えていたが、ヴァスガルトにしてみれば、自分とティレイはフェルトゥク族に対抗することが役割であって、兵の混乱を収めてこれを指揮するのはタナヴィスの仕事である、と考えていたのだった。
「指示ってもなぁ。ティレイ、どうする?」
「このくらいは序の口だと思うし、あたしとしてはもう少し様子を見たい気もするんだけど……ま、仕方ないか」
相変わらずの調子で会話を交わした後、ティレイは短く何かを呟くようにした。周囲の喧騒に紛れてしまって何を言ったものか聞き取れるものではなかったが、彼女が魔術を行使したということはすぐに理解された。
様々に起きていたあやかしの現象が、皆その拘束力を失って元の無表情な森に戻っていったのだ。――いや、木々のざわめきとは別に、囁きあう声が樹上から聞こえてくる。
「おー、凄い凄い。……何したんだ?」
「おおよそ狙われそうな人にかけておいた抗魔の呪いを発動させただけなんだけど。全部が全部
当たるとはさすがに思わなかったわ」
ティレイにしてみれば、フェルトゥク族が最初から強硬手段に出てくるとは思っていなかったので、それでおざなりな対抗策に留めておいた訳なのだが、しかしそれは守られる側としては恐ろしい話で、ヴァスガルトはともかく、タナヴィスなどは背筋に寒いものを感じてしまう。
が、当のティレイは至って涼しい表情のままだった。
「さて、何か言い分があれば聞くけど?」
その樹上の者どもに向けて、ティレイが呼びかける。彼らはそれでも少し躊躇っていたようだが、しかし森の守護者としての使命感からか、ようやく返事が返されてきた。
『今まで幾度となく警告してきたように、我々は人間が森に立ち入ることを好まない。森には森の秩序があるということを知ろうともせず、貴様らはこれを乱すことしかしないからだ。素直に立ち去ればよし、立ち去らぬならば、我々は実力でこれを排除する』
どこからともなく聞こえてくる声。その一方的な物言いに、ヴァスガルトが溜息をつく。
「あーあ、聞く耳持たず、ってやつだな」
「フェルトゥクの人間嫌いは今に始まったことじゃないわよ、これはどうしようもないし、興味もないけどね。――あんたたち、実力で排除するって言うなら、こっちも本気で対抗するからね。あんたたちの根城を見付けられないなら森ごと焼き尽くしても、こっちには全く支障がないの。他がどうあれ、あたしたちは手早くこの森を抜けたいだけで、森の秩序とやらを乱すつもりはないんだけど。それでも敢えて邪魔をするって言うの?」
高圧的に言うティレイは、頭上の一点を見据えていた。未だ姿を見せないフェルトゥク族の所在を見抜いているかのように。
魔術魔法の飛び交う人知を超えた戦いが始まるのか、とタナヴィスが兵を下がらせた。ヴァスガルトは泰然とティレイの傍らから動かずにいる。場の緊張が沈黙を飲み込んで膨らんでいった。
「ティレイ、もういいわ。攻めるぞ――」
『――待て! 分かった』
ヴァスガルトが堪えきれずにフェルトゥク討伐の号を発しようとしたその時、それを遮るように彼に呼びかけて、一人の人物が樹上から飛び降りてきた。すらりとした細い体躯に狼の耳、獣のような四肢――それらはまぎれもないフェルトゥク族の特徴だった。華奢で柔らかな体の線をしているが、男性である。
「あら、どうしたの?」
大して驚いた風でもなく、ティレイがフェルトゥクに声をかける。
「恐らく、我々に勝ち目はないのだろう。通り抜けるだけというなら、もう邪魔はするまい。だから、早々に森から立ち去ってくれ」
観念ついた、という表情で彼はそれを告げた。その視線は、ティレイでなく、ヴァスガルトに向けられている。
「そんなこと言って、また何か企んでるんじゃないのか?」
急に軟化した彼らの態度に不審を抱いて、そう訊ねたのはヴァスガルトであった。が、それを聞くとフェルトゥクの青年は憮然として言い返してきた。
「我々は人間とは違う。嘘偽りを言うのは人間だけだ」
「……純粋なフェルトゥクは確かにそうだと言うし、信じてもいいんじゃない?」
ティレイがそう口を挟んでも、まだヴァスガルトは彼を半眼で見やっていた。が、ふと思い出したことがあって、急に表情を変える。
「ま、それならそれでいいや。それより、もう一つ頼みごとを聞いて欲しいんだが」
「もう一つ?」
「実は、俺たちが来た街ってのが深刻な食糧不足でな。武器を持ち込むのは本当にこれっきりにするから、食糧を運ぶのだけ、森を通るのを認めちゃくれないか? 森の食い物を獲るってのじゃとっても足りないし、それはあんたらにしても望ましくはないんだろ? 頼む」
言って、ヴァスガルトは躊躇わず頭を垂れた。一触即発どころか、先制攻撃を仕掛けられた相手に、である。
これにはフェルトゥクも面食らったようで、彼は当惑した表情で樹上に向けて何ごとか喋りだした。すると樹上からも言葉が返ってくるが、どちらも聞き慣れない言葉で、理解のしようもなかった。
「……何て言ってんだ?」
「さあ? あたしだって、彼らの言葉が分かる訳じゃないからね」
しかし、言葉の調子から見て取る分では、当惑した様子こそあれ、拒絶の色はあまり見うけられなかった。ややあって、再びフェルトゥクがこちらに向き直る。
「分かった、認めよう。但しそこまでだ、それ以上は何も聞く気はない」
「ああ、それで充分だ」
ヴァスガルトはそれを聞いて快諾したが、しかしフェルトゥクは、それと、と言葉を継いだ。
「やはりあまり自由に森に立ち入って欲しくはないのだ。何か目印を付けさせれば、その者たちの通行は認めるから、その代わりそちらで森への立ち入りに制限を設けてくれ。それ以外に立ち入る者がいれば、その時には今まで通りに対処させてもらう」
当然といえば当然の条件ではある。難民が徒党を組んで野盗崩れになり、森を隠れ蓑に使おうとしたり、そうでなくともこのご時世に様々な理由から森に逃げ込む者というのは少なくない。
言うなれば、フェルトゥク族が人間の後始末をつけている訳なのだから。
「うーん、元はといえば迷惑かけてるのはこっちの方だしな。もし無断で立ち入る連中がいれば、そん時には無理矢理にでも森の外に追い出してくれよ。そしたら後はこっちで始末つけるから。すぐにとは約束出来ないが、こっちのごたごたが落ち着いたら柵でも何でも作って森には立ち入れないようにするからよ」
この言葉をどれだけ信じたかは怪しいところだったが、しかし、フェルトゥクはそれを聞くと、ありがたい、と返した。
「それじゃ、目印は竜に剣を掛けた紋章にしましょうか。竜殺しヴァスガルトの紋章。分かり易いでしょ?」
ティレイが脇からそう言うと、フェルトゥクは僅かながら目の色を変えた。
「竜殺し?」
「そう、暴竜クルヴォレクを討ち取った称号。ま、その風格があるかどうかは別の話だけどね」
ヴァスガルトの粗暴さを差してティレイはそう笑った。だが、それを聞いたフェルトゥクはその切れ長の目を細めると、ヴァスガルトを値踏みするように見やった。
「竜を、か――なるほど、あれの血を飲んだのだな」
妙に納得した声音で、フェルトゥクが呟く。といって、その呟きの意味を欠片なりとも察することが出来たのはティレイだけであったが。
やがて一行はフェルトゥクたちと別れ、また北を目指し進軍を再開することとなった。その折、どうせならとフェルトゥクに道案内を頼もうとしたのだが、それはすげなく断られた。
『フェルトゥクが恐れたのは、あたしでなくヴァスガルト――確かに彼は竜の血を飲んだ。でも、それが何だと言うの?』
フェルトゥクの呟きが耳に残り、ティレイは一人黙考していた。ヴァスガルトの様子に変わったところはない。確かに武力においては卓越したものを見せているが、果たしてそれがフェルトゥクにとって脅威となるものだろうか。
考えたところで、答が出るものでもない。だからそのうちにティレイは考えることを止めた。
そうして三日目の夜、ようやく木々の列が途切れ、目の前には広く北の平原の眺望が開けた。
デュハマ大公領西端の地。春の訪れを知らぬかのような残雪の平原の中ほどに、さほど大きくも
ない一つの街が見えた。
「ホトの街ね。ま、台所事情はダロウェと一緒だろうからどれほどの戦力も残ってないだろうけど。それで、あたしは何をしたらいいのかしら?」
ヴァスガルトの傍らに立って、ティレイが自らの役割を尋ねた。が、彼はすぐには応えず、ホトの街を見遥かしながら、ふっと笑ってみせた。
「ああ……いや、頼みごとは済んだし、お前はゆっくり休んでくれ。あれは俺一人で落とす――
さあ皆、夜営の準備だ。明日からは本格的に働いてもらうからな!」
「陛下! 攻めるならば夜の闇に紛れての方が――」
それを聞き、他方に控えていたタナヴィスが意見してくるが、言い終わるより先、ヴァスガルトは煩そうに、彼の口を鷲掴みにして塞いでしまった。
結局どのようにしてもヴァスガルトの考えは変わらず、この日は森の外れを夜営地と定めて皆寝床についた。王が何を考えているものか誰も知りようがなく、休もうとしたとて休めるものではなかったが、ともかくそのようにして夜は過ぎた。
北の平原に朝靄が立ちのぼっている。日の出と共に目を覚ましたヴァスガルトは自らの考えに従い、すぐさま行動を開始する。
誰もが、悪い夢に違いない、とそう信じようとしただろう。ティレイは、そこでようやく竜の血の凄まじさの一端を知ることとなった。




