2-6
「おお、やっぱり来たか!」
「はぁ?」
そう言ったヴァスガルトに迎えられたのは、小ぶりな杖を持ち、煤けた外套に身を包んだ少女だった。ティレイ――クルヴォレク討伐に大いに貢献した、若いながらも実力を備えた魔女である。
といっても無論、魔術が疫病と並び恐れられる時代のことであるから、英雄の列に名を連ねてはいないし、この訪問も公的なものではない。
どのような手を使ったものか、彼女はこの夜更けにヴァスガルトの部屋にバルコニーから忍び込んできたのだが、しかし彼はそのことにはまるで驚きもせず、ただティレイの訪問を喜んだので、むしろ驚かされたのは彼女の方だった。
「全く、神経が太いと言うか抜けてると言うか……にしても殺風景な部屋ね。身なりもましになったんだし、何か少しくらい飾るものもあるでしょうに」
ティレイはバルコニーから一歩部屋に入ったところで立ち止まって中の様子を眺めやると、溜息混じりにそう評した。月明かりに照らされた彼の部屋には調度品の類は何もなく、簡素な寝台と、今彼が座り寝酒を呷っているテーブルがあるだけだった。
冬からの活動で臣民に慕われたといっても、ブレデン王の好意は未だ得られぬままであったから、一向に財が形にならないこと、それ以前に一つところに留まらない傭兵暮らしの中で育った為、身の回りに物を置く習慣がないことが、この部屋を殺風景なものにしている。だが、これはこれで彼の性格を表している、といえない訳でもない。
「いきなり消えておいて、再会の一言もなしにそれかよ。相変わらず性格悪いなー、お前」
席に座ったままのヴァスガルトが苦笑混じりにそう言うと、よほど癇に障ったらしく、ティレイはじろりと眼光鋭く彼を睨んできた。
「あたしは別にあんたと再会したって何にも嬉しくないの。喜ぶのは勝手だけど、そんなのは他所で一人でやってちょうだい」
ティレイがそのようにすげなくしても、ヴァスガルトはほどよく酒が回っているようで、からからと笑って返してくる。
「おーおー手厳しいことで。ま、じゃあそれは置いといてだな、お前、何でここに来たってんだ? まさか、俺を殺しに来た、って訳でもないんだろ?」
そう言って彼は酒盃を差し向けたが、しかしティレイにそれを受ける様子はなかった。その場に立ったままの姿勢で応える。
「あたしとしては、そっちの方がよっぽど気が乗るんだけどね。残念なことにそうもいかないのよ。あんたに協力するように、って頼まれちゃったから」
「頼まれた、って誰に?……まさか、フォルティスに、か?」
「外れ。……彼はどこだ、とか聞かないでね? 王位を継ぐ気のない男になんて興味はないもの」
華奢な肩を竦ませて見せつつ、ティレイは気の抜けた声音で言った。竜殺しが果たされた際の祝いの席から揃って消えたことで、ヴァスガルトは二人がそれ以後の行動を共にしているものだとばかり思っていたのだが、そうではなかったらしい。思うままそのことを尋ねると、もう一度彼女は肩を竦ませる。
「最初はね。でも、すぐに別れたわ――王位を継ぐなんて、俺は一言も言ってない――あたしをあれだけ働かせておいて、いけしゃあしゃあとよくも言えたものよ。面の皮が厚いったらありゃしない」
つかつかとテーブルに歩み寄り、ティレイは乱暴に彼の向かいの椅子を奪い取ると、無理に軋ませるようにして座った。憤懣やる方ないという態で鼻息荒く愚痴を突きつけてくる。
「あー、まあそういう奴だしな。……んで?」
決して不誠実な性格ではないが、必要とあらば舌先三寸で相手を煙に巻くこともままあったフォルティスだったから、ヴァスガルトにはその光景は容易に想像がついた。女のヒステリーは付き合いきれない、と天井の辺りに視線が逃げる。
「ほんと、殺してやろうかと思ったわよ。でも、実際は何事もなく別れてそれっきり。全く、面白くないったらありゃしない」
言いつつティレイは、まるで人の首を捻るように杖を両手で絞ってみせる。そのあまりの激昂ぶりに、先に酒を入れてきたものかとも思われたが、どれだけ彼女が声を張っても、彼のところに酒香が匂ってくる様子はない――もっとも、それは手に酒盃を持っているから気付きようもないだけかも知れなかったが。
「そんだけ憎けりゃ、殺してやればよかったんじゃねーのか?」
長年背中を預けてきた信頼に足る相棒だったという割には、あまりにも冷淡に彼は言った。と、それを聞くやティレイはそれまでの激昂が嘘のように、さっと頭の血の気を引かせてしまった。
「あんたと違って、こっちには事情ってもんがあるのよ……色々とね」
そう皮肉げに言って、笑う。
「事情ね……ま、どうせ探そうと思えばどうにでもなるんだろ?」
しかしそのことにはさしたる興味も示さず、ヴァスガルトは質問を変えた。
「まーね。でも、言ったでしょ? 王座を捨てた人にはもう興味はないの」
「そっか。――じゃ、本題に入るとするか。ここに来た目的は?」
話題と共に、彼の口調、眼光が唐突に威圧的なものに変わる。対するティレイにも緊張が伝わり、一瞬、空気が剣呑な雰囲気を帯びるが、しかしそれはどれほどの間も置かず、ティレイの側からあっさりと崩されて終わった。
「別にね、あんたに危害を加えに来た訳じゃないの。初めに言ったでしょうが。頼まれて協力しに来た、って。それが理由の全て。依頼者の名はメリーシャヤ=レスレント。先王ラズモーヴの后にしてフォルティスの母。要はきちんと世を治められる器の持ち主を探し出して、王位に導け、とまあ概ねそのような話なのよ。それで、白羽の矢が立ったのがあんた、という訳」
言う側から話を聞き流しているヴァスガルトを半眼で睨み付けつつ、ティレイは彼女自身がここに来た理由をそのように説明した。が、メリーシャヤ、という名を聞くと、彼はひどく怪訝そうな表情を浮かべた。
「フォルティスの母ちゃんねえ……それが何で俺の手伝いを? レスレンティオの女王ってんなら、俺なんかは国崩しを企んでるんだから、まるっきり敵じゃねーか。第一、俺が王になるなんて、そんな話どっから仕入れてくる?」
「……あんた、王になるって自分で言ったの覚えてないの? まあいいわ、まともに取り合ってたらきりがないし。
とにかく、それが本気だということを聞いたのはフォルティスから。その上で女王メリーシャヤがあなたに手を貸すのは、今の王国にラズモーヴの後継と目すに足る器量の持ち主が見られないから。民衆にしてみれば、国の名前だの、上に立つのが誰かだのなんて些細な問題。平和を実現してくれればそれが一番なのよ。女王が望んでいるのも、つまりはそういうこと」
ティレイは決して嘘を言う様子は見せなかったが、しかし、それを聞くヴァスガルトはあからさまに訝しんだようで、明らかに眉根を寄せてみせた。これまでのようにフォルティスに万事任せ切る訳にはいかなかったので、仕方なしにとはいえ、最近は彼も自分で物を考えるようになっていたらしい。
「平和、ね。その為には息子の王位継承も、王国の存続さえ厭わないってのか? そりゃ、俺だってさすがに怪しいって思うわ。それに、魔女なんてもんが実在して、しかも女王に加担するってのも分からん話だしな」
胸から上を前に傾けて、ヴァスガルトはティレイの目をじっと覗き込むようにする。その不躾な態度に顔を顰めはしたものの、それでもティレイは視線を外そうとはしなかった。
「事情がある、って言ったでしょう? そうね、……レスレント王の玉座を獲ることが出来たら教えてあげてもいいけど。本当にそれが出来るなら、ね」
安い徴発ではある。が、それを受けてヴァスガルトは不敵に笑った。
「やるさ。戦争を終わらせてやりたいのは俺も一緒だからな。それに、お前だって協力してくれるんだろ?」
「断じて望んでのことではないんだけれど。――先に言っておくけど、あんまり派手なことは出来ないからね? この間みたいに誤魔化しの利くことならいいけど、あたしが魔女だってことは、知られたくはないから。……あなただって、魔女の手を借りてるなんて知られたら評判に関わるだろうしね」
魔女狩りという行為が、宗教的にでなく風俗的に行われている時代のことである。公にそのような存在が認められている訳ではないから、あくまでも人形を焼くような擬似的なものでしかないが、災厄や、人間の領域の外に広がる暗黒世界への恐怖と結びつく感情には未だ狂気的な熱があった。
もし魔女やそれと繋がりのある――と疑われる――者が見付けられれば、並々ならぬ責苦を負わされることも決して珍しくはないのだ。その時には、権力者とて例外ではない。実際、魔女裁判で焼かれた領主というのも実在するのである。
「そうか? 別に悪いことをする訳でなし、知られても問題はないと思うけどな」
「それはあなたが単純だから、よ。あたしは皆に理解を求める気はないし、そもそも素性を公にする気もないの。民衆ってものは、強い者を畏れるものだから。
魔女然り、竜殺し然り、強い力を持つ者が自分たちを虐げるってことを本能的に悟ってしまっているから、何を言ったところで、恐れられることに変わりはないのよ。
竜殺しの英雄だって、民衆に殺されるかも知れない――あなたも気を付けておかないと、どうなるか分からないんだからね」
その軽薄な笑みの裏に底深い諦念があることは、朴念仁のヴァスガルトにも分かる。が、彼女の言うことは、まだ今は彼に実感できることではなかった。だから、返したのは気の抜けた空返事ばかりであった。
「んー、ま、そしたら気を付けるわ。
んなことより、一つ頼みたいことがあるんだ。ああ大丈夫、目立つことじゃない。リモネの森のフェルトゥク族を、うちの連中を通してくれるよう説得して欲しいんだよ。魔法を使うっていうんじゃ、お前でもなけりゃ手も足も出ないだろうからな」
正直、北のデュハマ大公領を攻めるという彼の提案は暗礁に乗り上げたまま忘れられていたのだが、しかしそれに代わる奇策が出された訳でもない。失笑を買ってもヴァスガルトがこの策を諦めなかったのは、ひとえにティレイという存在を覚えていた為のことであった。
その辺りのことを彼なりに説明すると、ティレイは驚いて目を丸くしてしまった。この年若い魔女がここを訪れなければ成立しないというのだから、そのようなこと、下策とすら言えまい。
が、そう言う当人は何やら妙に確信めいたものがあったらしく、逆に彼女の表情に意外そうな反応を示していた。嘆息。何度目になるのか数える気も起きない。
「フェルトゥク族……ね。手段は問わない?」
「説得、って言っただろが。ことを荒立てて余計な敵を作りたいとは思わないしな」
ティレイの不穏げな物言いに、ヴァスガルトが半眼で応える。
「あらそう。なら、敵が残らなければいい訳ね?」
「そうじゃねっての。――ま、こっちも切羽詰ってるのは確かだしな。話し合いで通れなければ、その時には力尽くで押し通るまでだ」
武力も交渉の一手――彼がそこまで考えた訳ではないが、必要とあらば荒事も辞さないというのは傭兵ヴァスガルトとしては流儀の内である。何にせよ、交渉や和解という穏やかな言葉よりは、先手必勝の一言の方がよほど似合う二人であった。
「了解、引き受けたわ。したらあたしは寝させてもらうから、出番になったら起こしてね。それじゃ」
さらりと言って立ち上がると、ティレイは彼の寝台に横になって、ヴァスガルトに背中を向けた。誘っているものかと妙な期待を抱いて彼は自分の寝台に近寄ったが、しかしその時にはもう魔女は魔女らしからぬ穏やかな寝息を立てていて、それでようやくヴァスガルトは寝台を奪われたことに思い至る。
「こいつ……ほんとに襲ってやろーか」
そうは言ってみるものの、色々な意味で後が怖いので、結局、彼は空の酒盃に酒を注ぎ直したのだった。




