本
ダンジョンから出た頃はちょうどマジックアワーで、空は茜色のグラデーションで彩られていた。
突然目の前に広がった光景に心奪われていると、いつの間にか二階堂はいなくなっている。
やはりそのあたりはゾンビ。スタスタと自分の店に戻ってしまったのだろう。
俺は『おでんの村田』で夕食──またオーク大根──を食べ、寝床を探すことにした。街灯は煌々としていて、上野駅周辺は夜中でも灯りの心配はなさそうだったけれど、やはり屋根のあるところで寝たい。
ぐるぐると街を歩き回り、俺が寝床と定めたのはネットカフェだった。
フロントには唸るだけのゾンビが立っていて、ほとんど動かない。他の店員ゾンビは店内をぐるぐる回っているだけで、それ以外は何もしない。
俺はそんなネットカフェの一室に陣取って住居とすることにした。うろつくゾンビが少々気になるが、漫画にシャワー完備の環境は捨てられない。個室は鍵が掛かるし、問題ないだろう。
フラットタイプの個室に寝転がり、今日の出来事を思い出す。
「色々あったなぁ……」
コールドスリープから目覚めたのが随分と昔に感じてしまう。それほどまでに濃厚な一日だった。
「で、この本は何だろ?」
路面店から拝借したリュックから、例の本を取り出す。
仰向けになりながら本を読もうと試みるが、どうにも開かない。
「まぁ、色々と試すのは明日だな」
俺はダンジョンで手に入れた本を枕代わりにし、ゆっくりと瞼を閉じた。
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……ガチャ。ガチャ。
個室のドアレバーの音で目が覚めた。どうやら外でゾンビが触っているらしい。
「入ってますよー」
ドアの近くまで顔を寄せてそう言うと、ゾンビが遠ざかっていく気配があった。
今、何時だろう?
PCは壊れて起動しないし、テレビをつけても砂嵐だ。正確な時間は分からない。ただ、しっかり眠れたようでとても体調がよい。もしかするとレベルアップの恩恵もあるのかもしれない。
そんなことを考えていると、グウウゥゥゥと地の底から響くような音がする。俺から。
「……腹減ったぁ」
さて、朝食はパン派なのだがこの街でパンは食べられそうにない。
「……結局、おでんしかないかなぁ」
俺は諦めて立ち上がり、鍵を開けて個室の外に出た。
#
早朝にもかかわらず『おでんの村田』は営業していた。村田は働き者である。
「おはよう。村田」
「……お、おはらっしゃい」
「おはようと、いらっしゃいが混ざってるぞ」
村田は灰色の肌を少しだけ赤く染め、スキンヘッドの頭をポリポリとかく。そしてもう一度挑戦する。
「お、おはよ。しゃい」
「うーん。合格!」
そういうと村田は嬉しそうにしてから鍋を弄る。
「……ご、ごちゅ。もんは?」
「お任せで」
下手に注文するとダンジョンまで食材を採りに行きかねない。ここは村田チョイスに任せよう。
「……だ、大根。……たまご。……ウィンナー」
昨日と全く同じメニューだ。しかし、文句は言うまい。食べられるだけで幸せなのだ。このゾンビだらけの世界で。
カウンター越しに差し出された皿と箸を受け取り、立ったまま朝食──おでん──を食す。空腹は最高のスパイス。
「うっま」
「……へへ」
頭をポリポリ掻きながら、村田は俺の首元をじっと見ている。
「ネックレスが気になるのか?」
時計屋から拝借した金のネックレスのことだ。
「……」
村田は物欲しそうな視線をやめない。
「ほら、やるよ」
ネックレスを外してカウンターに置くと、村田は恐る恐るそれを手に取る。
『クエスト【ゾンビに贈り物をする】をクリアしました!! 報酬として経験値4000獲得!!』
……クエストをクリアしてしまった。村田の心を利用したような気がしてなんだか申し訳ない。しかし、ステータスは気になる。レベルは上がったか?
「ステータスオープン!」
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名前 :三間健一
レベル:3
スキル:無属性魔法
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……スキルが生えていた。