第8話 ご注文を繰り返します、和風ハンバーグですね?
律子には目の前で起こっていることが信じられなかった。
映画でしか見たことがないような”超”が付くほどの美貌。発育の良い律子ですら羨むほどのプロポーションに、圧倒的なお嬢さまの佇まい。
わざわざ際どい写真など撮らなくても、日常の1枚を投稿するだけで人が集まってくるほどのカリスマだ。
そんな絶世の美少女が、口の周りについたトマトソースを拭いながら、ファミレスでスパゲッティを食べている。
「このナポリタンというお料理。油はギトギト、トマトはべちゃべちゃ、パスタは安っぽい輸入モノ。
なのに、不思議とクセになりますわ~」
「ごめんね、お腹が空いてたのに待たせちゃって」
「よろしくてよ、これも大いなる野望のためですわ」
「ところで、僕が頼んだ和風ハンバーグはまだかな?」
律子が見ている前で、楽しげに語りあう信一と麗香。
最近知り合ったばかりだと紹介されたが、数年来の付き合いにしか見えないほど仲が良い。
「え、えっと……2人はどういう関係なの?」
「さっきも説明したように、これから一緒にバンドをやっていく仲間なんだ。
麗香さんはすごいよ。メタルにも詳しいし、歌唱力も文句なし」
「シンイチさまのほうこそ、造詣が深くて全てを任せられるベーシストですわ」
「いやぁ、まだ全然。麗香さんの歌についていくだけで、いっぱいいっぱいだよ」
なんだ、この会話は。律子の胃の中では、先ほど食べたカレーライスが消化不良を起こしそうになっていた。
彼女が知る限り、信一がここまで異性と親しくなったのは見たことがない。
「シンくんにそんな甲斐性があるなんて思わなかったよ!
メタルにハマってからは毎日ベースばっかりいじってて、音楽の学校に行っちゃうし」
「そのせいで、りっちゃんにはあまり会ってなかったんだよね。ごめんごめん」
「別にいいけど、久しぶりに会ってみたらコレでしょ?
私の力を借りたいって……いったい、どういうことなの?」
「じゃあ、本題に入ろうか。僕たちはヘヴィーメタルのバンドを始めることにしたんだ」
「ですが、わたくしにも家や立場というものがありまして。
堂々と素顔を晒して活動することができないのです」
今回、信一たちが達成するべき目標は2つ。
律子に危険な投稿をやめさせること。そして、活動のために彼女の協力を得ることだった。
「つまり、麗香さんを別人に見えるようにメイクしてほしいってこと?」
「そのとおり、りっちゃんさまの変装技術は確かなものです。
わたくしはまだ自分でメイクをしたことがないので、この機会にご教授いただければと」
「え? じゃあ……もしかして、今はノーメイク?」
「ええ、お恥ずかしながら」
「あ……あはははははははは……」
律子の口からは乾いた笑いしか出なかった。持って生まれた顔の良さが違いすぎる。
たくさんの人の気を引こうと、今までしてきた努力はいったい何だったのか。
しかし、これは転機。学んできたことを違う形で活かすための方向転換だ。
「メイクアップアーティストっていうか、バンドのコーディネーターかな。
僕たちには必要なことなんだ。頼むよ」
「やってもいいけど、この場でシンくんの幼馴染としてハッキリ聞いておくね。
正直に答えて。2人はどういう関係?」
「う~ん……同じ学校に通ってて、メタルが趣味で」
「共に頂点を目指す魂の伴侶ですわ」
「そのソウルメイトっていうのが、すごく気になるんだけど……」
ジト目になった律子の心には、わずかに思うところがある。
幼馴染の異性に彼氏や彼女ができるというのは、思春期の若者にとってショッキングな出来事だ。
だが、付き合っている様子もないのに仲が良い信一と麗香は、どう判断したものか分からない。
そもそも、こんなお嬢さまがメタルバンドをやるというのが意味不明。『一緒にバンドやろうぜ』と軽いノリで誘える相手ではないはずだ。
デザートのチョコレートケーキを口に放り込んだ律子は、訝しみながらも首を縦に振った。
「色々と分からない部分もあるけど、分かったよ。
どんな感じに変装したいのか、方向性を聞かせて」
「ありがとう、りっちゃん!」
「よろしくお願いします。楽器のほうは何かやられているのですか?」
「えっと……ピアノとかオルガンなら、ちょっとだけ」
「キーボード担当! 大いにありでしてよ!」
「え、メタルバンドでしょ? キーボードを使うことなんてあるの?」
「もちろん、有名なバンドでも使ってるところは多いよ。
フレディみたいにボーカル兼ピアノ担当っていうロックスターもいるからね。
シンセとかハードヒットも全部キーボードで乗せられるし、使い方次第で色々なことができるから、曲の幅が広がって表現力が増すんだ」
「キラキラ疾走系の北欧メタルでも定番の楽器ですわ。パイプオルガンで荘厳にしたり、民族的な要素を取り入れたり。
かのヘイレンも幼少期に習ったのはピアノだったそうで、後にギターとキーボードを両立させるという彼ならではの曲が有名に――」
「ちょ、ちょっと落ち着いて! 2人とも音楽の話を始めると興奮しすぎ!」
テーブルから身を乗り出すようにロックの蘊蓄を語り始めた2人と、慌てて制止する律子。
かくしてキーボード担当、およびバンドのヴィジュアルを支えるコーディネーターとして3人目の仲間が加入した。
半ば巻き込まれる形で参入した彼女も、以降は重要なポジションとして活躍していくことになる。
この日からしばらく、律子たちは連絡を取りあって方向性を煮詰め、衣装の作成に励んだのだった。
「ところで、僕が頼んだ和風ハンバーグはまだかな?」