第4話 ライン越え(物理)
一夜明けた翌日、信一は学園の中庭で空を見上げていた。
何が起こったのか未だに信じられない。
生まれた時点で将来を約束されているような上流階級のお嬢さまが、ヘヴィーメタルのTシャツを着てバンギャと口論していたのだ。
「わたくしの野望には、あなたのような方が必要なのです」
昨夜は遅かったのですぐに別れたが、彼女に言われたことは憶えている。
野望とは何なのか、なぜ自分が必要なのか。全てが不明なまま翌日になり、まったく授業に集中できていない。
ひたすら呆然と空を見上げていると、そこへツンツン頭の亮と、相変わらずヒップホップなDDがやってくる。
「まだ落ち込んでんのか、ノブ?」
「ヘイ、メーン。くよくよすんなよ」
「いや、授業のことはもういいんだけど……自分でも、どうしたらいいのか分からないことがあって」
「なんだ? 今日は朝からボーッとしてる感じだし、悩みごとがありそうだな」
「俺たちブラザー 相談にのるぜ
困ったときには助けあい 正義も悪も両成敗
家庭か いじめか 進路か 金か
気になるあの子に告白するなら 草葉の陰から見守ってやるよ」
「あはは、ありがとう。別にそこまで深刻な悩みじゃないんだよ」
なんだかんだ言って気遣ってくれるあたり、良いクラスメイトたちだ。
しかし、あの高貴なお嬢さまがライブハウスにいたことなど、話したところで信じてくれないだろう。
そんな会話をしていると、またしても中庭の空気がガラリと変わった。
色々なジャンルをごちゃ混ぜに同居させた近代音楽科とは違う、天上の世界に住む生徒たち。
由緒正しいクラシック科の生徒が中庭を通ると、下々の者はただ見ていることしかできない。
「(あっ……麗香お嬢さま)」
その中に彼女の姿があったので、信一は軽くお辞儀をした。
麗香のほうも気付いたらしく――なんと、いきなり中庭を突っ切って歩いてくる。
誰が決めたわけでもないが、お互いに不可侵であるのが暗黙の了解になっていた双方。
しかし、それを真っ向から打ち破るように麗香お嬢さまが、学園ヒエラルキーの頂点が真正面から突き進んでくる。
「ごきげんよう、シンイチさま」
「「「「なっ、なにぃいいーーーーーーーーー!?」」」」
麗香は信一の前まで来ると、ニコッと笑いながら挨拶した。
それはもう、中庭にいた生徒全員がひっくり返るような一大事である。
「あ、あの、どうも、麗香さま……本日はお日柄もよく……」
「今日はベースを背負っていないのですね」
「ああ、はい。演奏の授業がなかったので」
「それは残念ですわ~。ところで、急に敬語を?
昨夜のように、気軽に話していただいてもよろしくてよ」
「「「「昨夜のように!?」」」」
下々の者では気軽に話せない、それどころか近付くことすらできないとされていたクラシック科の生徒。
しかも、最優秀といわれる水無月麗香が、自分のほうから信一に声をかけている。
異常事態に巻き込まれた周囲の生徒たちは、驚愕しながら2人の会話を聞くしかなかった。
「ところで、本日の放課後はお暇かしら?」
「え、ええ……いや、うん……大丈夫」
「でしたら、少々付き合っていただきたい場所がありますの!
行きつけのお店にご案内しますわ。
ああ、そのためには連絡先を教えておかないと」
楽しそうに笑顔で語る麗香と、恐る恐る連絡先を交換した信一。
お嬢さまが去っていった後、当然ながら彼は生徒たちに取り囲まれた。
「おいおいおいおい! 何があったんだよ、ノブ!?」
「いや~、それが昨日の夜に偶然会って……」
「なんで夜に麗香お嬢さまと会ってたの?」
「だから、偶然……」
「偶然会っただけの相手が、あんな顔で接してくるかよ。
見たことないくらいニコニコしてたぞ、麗香さま!」
「いったい、どんな言葉で口説いたんだ? この……この裏切り者ぉっ!」
「YOU 裏切り者 ラインを越えた
見た目は草食 ホントは肉食 ベースで気を引き 食いつくラプトル」
「だから、違うんだってば! そういう関係じゃないっての!
話を聞いてくれえええええええええええ!!」
ライブハウスで出会ったなどと説明しても、『そんな場所にいるわけねえだろ』のひと言で返り討ち。
信一は数々の疑惑を向けられ、放課後までイジられたのだった。