第3話 下半身で演奏されたクソ音楽を下半身で聴く
その日の夜、私服姿の信一は街を歩いていた。
先ほどまで自宅でベースを弾いていたのだが、学園での失敗を思い返すと気分が乗らない。
行くあてもなくブラブラしているうちに、やがて若者で賑わう歓楽街のストリートにたどり着く。
新旧のレコードショップに小規模なライブハウス、道端でギターを弾く者や、数名で輪になってヒップホップのサイファーを楽しむ者。
そんなストリートがある街で育ったことは、信一の音楽的嗜好に強く影響していた。
雑踏にまぎれ、人々の声に耳を傾けながら夜の散歩を楽しむ。
それが彼にとっての気分転換だったのだが――
「…………ん?」
明らかに怪しげな人物が、周囲をキョロキョロと見回しながら歩いていた。
洋楽メタルのTシャツは、とにかくデザインが奇抜で恐ろしげだ。
この世のものとは思えない化け物が星条旗を食い破っていたり、ミイラ化した人間が苦悶の表情で叫んでいたりと、着ていたら一発でダークサイドの人間だと特定される。
そうした最悪な、人によっては最高のデザインが施されたTシャツを彼女は着ていた。
キャップを深くかぶっているので顔が半分ほど隠れているが、信一と同じくらいの若い少女。
しかも、かなりの美人でスタイルも抜群なのが見て取れる。
「(あれは、もしかして……いや、まさか……)」
学園で感じた予兆の続き。なんとなく、その人物には見覚えがある気がした。
少女はライブハウスの前で立ち止まると、しばらく何かを考えた後で入っていく。
その建物は無名なインディーズバンドが集まり、ライブの拠点にしている場所だ。
「(ライブを見に来たのかな? それとも、推しの追っかけ?
あまりバンギャっぽくない感じだったけど)」
後になって思い返すことになるのだが、ここが運命の分かれ道。
もしも、信一がライブハウスの前から立ち去っていたら、何も起きないまま日常が続いていただろう。
だが、歴史というのは常に何らかの行動を受けて動き出す。
ちょうど彼は気分転換の真っ最中で、たまには生のライブでも見ようかと軽い気持ちで入場した。
が、しかし――ステージと客席を見た瞬間、場違いなところに来てしまったのだと直感する。
「キャーーーーッ、スバルさま!」
「ジンくん、こっち向いて~!」
「うぇ~い、センキュー! 愛してるよ、みんな!」
それは一般的な人々が思い描く音楽のステージではなかった。
ライブハウスに満たされていたのは、むせ返るような香水のにおい。女性たちの黄色い叫びに応じながら、ヴィジュアル系と思われるバンドが演奏している。
もっとも、演奏と呼ぶにはあまりにもお粗末。
ギターやベースは女性客への過度なパフォーマンスに夢中で、まるで指が追いついていない。
ドラムのバスには可愛いぬいぐるみが取り付けられ、ドコドコと振動で震えて踊っている。
聴く側の女性たちは狂乱したかのように頭を上下に振る動作――いわゆるヘッドバンキングを繰り返して、この空間の非日常性に浸っていた。
その腕はリストカットした切り傷だらけで、バンド名のタトゥーを彫っている人もいる。
「(やばい……コアなV系とバンギャの集まりだ)」
「今日は俺たちのライブに来てくれてありがとう!
こんなにたくさんのお客さんに来てもらえて……マジ、最高だぜ」
「「「キャーーーーーーーッ!」」」
「さあ、プレゼントのコーナーだ。
今日の缶バッジには、なんとジンくんの髪の毛が結んであるらしいぞ!」
「いやあああああっ、欲しいいいいいい!!」
「こっちに投げてー!」
女性を相手に露骨なパフォーマンスをするバンドと、彼らにどれだけ心身を捧げているのかで競いあうバンギャたち。
過度な追っかけや貢ぎはホストクラブと同様の危うさがあるのだが、それでも彼女たちは非日常に救いを求めている。
バンドとファンの関係には色々なケースがあるので、いちがいに悪とは言えない。
伝説のメタルシンガー、ダミアン・オズワルドはステージに投げ込まれたコウモリを食べて死んだが、投げたファンに悪意はなかったはずだ。
しかし、それでも――
「最っっっっ低のステージですわ!」
突如として響いた声。信一が心の中で思っていたことを、堂々と口にする者がいた。
ファンの女性たちが推しのTシャツを着ている中、ひとりだけ洋楽メタルバンドのシャツで乗り込んできたアウトロー。
キャップ深くをかぶった少女が、真っ向からステージを全否定している。
「ちょっと、何なのよアンタ!」
「見かけない子ね。変な目立ちかたで、あたしのスバルさまに近付くつもり!?」
当然ながら、周囲にいるバンギャたちは少女に怒りを向ける。
耳ばかりではなく、まぶたや鼻、唇などにピアス穴を開けまくり、アイシャドーを濃く塗った『病みメイク』の女性たち。
見るからに関わったらやばそうな相手だが、少女は物怖じすることなく言葉を返す。
「誰にも近付く気はありませんわ。巷で行われているライブがどのようなものかと見に来てみれば、あまりにも程度が低くて興ざめでしてよ!
なんでしょうか、この――下半身で演奏されたクソ音楽を下半身で聴くビッチの集まりは!」
「「「「なにぃいいいーーーーーーーっ!?」」」」
少女の発言は直球も直球、ド真ん中ストライク。
女性受けを狙ったパフォーマンスをするV系バンドと、少しでも推しに近付きたいバンギャの関係性を的確に表した言葉だ。
先ほどとは比較にならない人数の客が敵に回り、次々と少女に詰め寄ってくる。
「アンタねえ、急に入り込んできてケチつけるとか何様なの!?」
「取り消しなさいよ!」
「いいえ、本当のことを言ったまでですわ」
「(うっわ……まずいぞ、これは!)」
怒り心頭の女性たちに対し、一歩も引くつもりがなさそうな謎の少女。
咄嗟に動き出した信一は、少女の腕を掴んで出口へと引っ張っていく。
「出よう! こんなところにいちゃダメだ!」
あわや大乱闘の寸前で2人はライブハウスから飛び出し、ストリートを駆け抜けて公園まで逃げ延びた。
怒り狂ったバンギャたちも、さすがに推しのライブ中には追いかけてこない。
とりあえず安全になったことを確認した信一は、連れ出した少女に話しかける。
「ひどいライブだったね……でも、いきなり否定するのはよくないよ。
あの人たちは、自分の意志で夢中になってるんだから」
「そうですわね……わたくしとしたことが、つい熱くなってしまいました。
音楽こそが真の自由と心得ているつもりでしたが、あそこまでお粗末な演奏を聞かされると苛立ってしまって。
ところで、その手……」
「あ、ああ、ごめん! 声をかける前に握っちゃって!」
「いいえ、その手をよく見せていただけませんか?」
「え? うん……いいけど」
信一が手を差し出すと、少女はキャップの下からまじまじと見つめ、細くて柔らかな指先で触れてくる。
身長167センチはありそうな、女性としては少し高めのモデル体型。
狂ったデザインの洋楽メタルTシャツを着ているが、その向こう側にあるボディーラインは非常に豊かで、年頃の男子には刺激が強すぎる。
ストリートの夜に歩くには、あまりにも無防備な姿。
そんな相手と至近距離で向かいあう信一はドキドキと顔が熱くなっていったが、少女のほうは至って真剣。
彼女が見ているのは、信一の手にできた特有の『タコ』だ。
ギターやベースを弾く者の手は何度も擦り切れたり、皮がむけたりしながら、一部が固くなっていく。
特にベースは指で弦をかき鳴らすため、演奏に耐えられるように左右の手が進化する。
「これは弦楽器……右手の人差し指と中指、それに薬指も使ってますわね」
「うん……ベースをスリーフィンガーで弾いてるんだ」
「スリーフィンガー!? 弦の数は?」
「6本」
「6弦ベースのスリーフィンガー演奏を、その歳で!?」
分かる人にしか分からない、人並み外れた才能の持ち主。
6弦ベース自体が上級者向けであり、指を3本使う演奏法もかなりの技術が要求される。
偶然発掘された重要文化財のような信一の両手を、少女はギュッと包むように握りながら声を上げた。
「確保! 確保ですわ! こんな変態鬼畜ベーシスト、今を逃せば二度と会えないかもしれません!」
「ちょ、ちょっと、急に何を!?」
「あなたのことは存じております。その小柄な体でクソでかいショルダーを背負っていた男子生徒。
遠目からでも目立っていましたもの。あの中には、いったい何が入っているのかと気になっていたのです」
「え……? なんで、それを……あなたは、まさか!」
どこかで見たことがある少女は、信一の両手を放すと頭のキャップを外して正体を明かした。
帽子の中に隠されていたロングヘアが広がり、非の打ち所がない絶世の美顔が現れる。
「ええ、わたくしは水無月麗香。同じ学園の生徒ですわ。
高校生でありながら6弦ベースのスリーフィンガーに至った、尋常ならざる逸材。
わたくしの野望には、あなたのような方が必要なのです」
映画スターかと思うほど切れ長の目で、真正面から見つめてくる麗香。
その美しさと押しの強さに、信一はただ呆然と口を開けているしかなかった。
▼バンギャ
主にヴィジュアル系バンドを追いかける熱心なファン。バンギャルの略。
独特のファッションや文化を築き、近年では『病み』の要素が強調されることもある。
集団リストカット事件を起こしたり、ノートの見開きに血で「すきすきすきすきすきすき」と書かれたファンレターを送るなど一部では過激化。
もちろん、真面目に音楽を演奏するバンドと健全に熱中するバンギャもいるので、NOT不健全、YESロック。
できる限り危ない界隈は避けて、ステージに血肉やコウモリを投げ込まれるようなバンドを応援しよう。