第2話 刺身にチョコレートをかけてはいけない
「あ~……死にたい……」
私立岩間嶺学園。日本有数の音楽高校であり、新しい世代のミュージシャンを育成する専門的な学び舎だ。
といっても、本命は歴史のあるクラシック科や雅楽などの古流音楽科。
平成に入ってからは近代音楽科も増設されたが、本命と比べれば明らかに扱いが悪い。
同じ高校に入学した生徒でありながら、専攻している音楽のジャンルでヒエラルキーが決まってしまう。
特に近代音楽科は志望者の少なさゆえにクラスがまとめられ、ロック、ヒップホップ、テクノからアイドルソングまで雑多に同居している有り様だ。
そんな肩身の狭い近代音楽科に所属する少年、織田信一は校舎から中庭に出て空を仰ぐ。
男子としては小柄な彼だが、背負っているショルダーケースが身の丈に近いため非常に目立つ。
「お~い、ノブ!」
「まだサッドな気分になってんのかい?」
そんな彼に近付いてきたのは、同じ近代音楽科の男子たち。
アロエの鉢植えかと思うほど髪をツンツンに逆立てた、いかにも学生バンドをやってますという感じの久我山亮。
そして、キャップを被って貴金属をジャラジャラと着けているヒップホップ専攻の少年、台場ダニエル、通称DD。
「何度も言うけど、僕の名前は信一。ノブなんて文字、どこにも入ってないんだけど」
「どう見ても織田信長みたいな名前だからな。ノブのほうが憶えやすいし」
「YOU お前はチビでひょろひょろ なのにクソデカ6弦ベース
体とおんなじサイズの武器 担ぐ信長 安土桃山
さっきの演奏 ゴリゴリに熱狂 マジ感動したけど歌で台無し」
「うるさいなぁ! 分かってるよ、最悪だったことくらい!」
軽快にラップのリズムを刻みながら、いきなりディスり始めたDD。
信一は身長160センチ、それに対して背負っているベースは約120センチ、重量5キロ。
軽量化したレディースサイズもあるはずだが、彼は自分が求める”音”を出すために妥協を許さなかった。
が、先ほどの授業は本当に最悪としか言えない。
生徒たちは自分の得意な楽器を演奏しながら、課題として出されたテーマをもとに作詞して披露したのだが――
「はぁ~、何だよ『ラブソングを作れ』って。
どいつもこいつも、愛だの恋だの別れだの……言うほど恋なんてしてないだろ、みんな」
「それはそうだが、さすがにアレはなぁ……」
「弁護できないくらいバッドだったぜ」
通常、エレクトリックベースは弦が4本とされている。
テクニックを磨けば多彩に演奏できるのだが、より高度で素早い指さばきが要求される場合は5弦や6弦のほうが弾きやすい。
ただし、弦が増えれば増えるほど重量も加算されるため、多弦ベースを使いこなすのは体格の良い男性ミュージシャンがほとんどだ。
そんな常識に反して、小柄で中性的な顔立ちの信一が6弦ベースを抱えて演奏する姿は、教師や生徒たちを唖然とさせた。
しかも、どれだけ練習してきたんだと思うほどの超絶テクニック。
これはすごい才能の持ち主が現れたと、心の底から驚愕させられたのだ。彼が歌い始めるまでは。
■ ボクとキミの陽だまり ■
ねえ答えて キミになら分かるはず
こうして手をつなぐだけで 陽だまりの中にいるようさ
幸せを集めていくうちに 何もかもが救われるんだ
その耳 その目に届けたい
満たされた愛があるだけで この世は天国なんだって
キミが求めてくれるなら ボクはいつでも届けに行くよ
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合っていない、最悪だ。高度なベースの演奏テクニックに、ふわふわした歌詞を無理やり乗せている。
ステーキにチョコレートをかけると意外と合うのだが、新鮮な刺身にチョコレートをかけてはいけない。信一の場合は、まさに後者であった。
「色々迷ったあげく、ポップ寄りにしたのが間違いだった!
ラブソングなんてクソ食らえだ! 僕はロックがやりたい!
鼓膜を支配して頭の中を満たすようなHR/HMをやりたいんだよ!」
「これだもんなぁ、ほんとにもったいない才能だよ。普通のバンドに誘っても全然合わないし。
今どきメタルを始める人なんて、21世紀の日本じゃ天然記念物だぞ」
「ベーシストの需要はロックだけじゃない。
その腕があればジャズに進んで、”あの連中”の仲間入りもできただろうに。
おおっと、噂をすればご登場だ」
この3人組を見てのとおり、音楽高校なだけあって服装やイメージ作りに関しての校則はゆるい。
ただし、それは彼らが近代音楽科だからだ。
しっかり整った制服の着こなしと、気品にあふれる歩き姿。
岩間嶺学園の本命であるクラシック専攻の生徒たち。
その一団が中庭を通っただけでも、周囲の雰囲気がガラリと変わってしまう。
中でも特に目立つのは、ウェーブがかったロングヘアをなびかせて歩く女子生徒。
学園の中でもトップクラスの天才、そして誰よりも美しい容姿を誇るヒエラルキーの頂点。
「見ろよ、麗香お嬢さまだ。
歌も楽器も天才的、俺らじゃ声をかけるどころか近付くことすら許されない」
「住む世界 違いすぎるぜ上流貴族 約束された特進コース
しょせん俺らは最底辺 どこまで行っても平行線」
優雅に中庭を通り抜ける麗香たちの一団。
皮肉交じりに揶揄しながらも、心のどこかで羨んでいる亮とDD。
信一は黙って眺めていたが――ふと、麗香の視線がこちらへ向いていることに気付いた。
「おい、ノブ! お嬢さまに見られてるぞ!」
「そのベース、でっかくて目立つからな」
「………………」
小柄な男子が身の丈サイズのベースを背負っていれば、目立つのは当然といえる。
しかし、遠目ながらも麗香と視線を交わした信一は、胸にときめきのようなものを感じていた。
恋というには淡すぎて、運命というには実感がなさすぎる。
それでも、たしかに感じたのだ。予兆のような何かを。
▼クソデカ6弦ベース
文字どおり弦の数を増やしたベース。ヘヴィーな重低音を出したいときや、一定以上の速弾きをしたい場合に向いている。
そもそもエレキベースはギターよりも大型であり、6弦ベースの重量は2リットル入りのペットボトル2.5本ぶん。
5キロの米袋を持ち上げてみれば、その重さを実感できるだろう。
織田信一は160センチと小柄な体型だが、そんな彼が大型の6弦ベースをゴリゴリに弾く姿は圧巻。
ちなみに、戦国武将の織田信長とはまったく何の関係もないらしい。