プロローグ 『FU●K YOUでございます』
伝統と格式を誇る私立岩間嶺学園。
平成に入ってから近代音楽科が増設されたが、新しい風になるはずだった生徒たちの扱いは不遇を極めていた。
元からあるクラシック科や古流音楽科――いわゆる『本命組』とは見えない線で区切られ、校内で両者が交流することはない。
教室どころか校舎まで違い、食堂では日当たりのよいカフェテラスを本命組が独占して、近代音楽科は長テーブルで雑多に並んで食べている。
「ほんとマジ、クソだと思うんだわ。この学校」
カレーライスが真っ赤になるほど七味唐辛子をかけながら、冴島結衣夏は毒を吐いた。
制服のネクタイを外してシャツの胸元を緩め、髪はピンクがかった金髪。メイクやピアスなども目立ち、いかにもギャルらしい服装だ。
こんな外見でも、近代音楽科ではあまり注意されない。
彼女と同席しているのは、アロエみたいなツンツン頭の久我山亮と、貴金属だらけのヒップホップ少年DD。
そして、小柄で中性的な顔立ちの織田信一。
「おい、DD。お前でかいからって、あんまり場所取んなよ」
「俺だって詰めてるよ。なんだ、デブって言いたいのか?」
「実際、かなり太いだろうが」
「え、え~と……久我山くん、僕と席替わろうか?」
「お~、ノブ! 心の友よ!」
向かい側で押しあいながら座っている男子たちに、信一は助け舟を出した。
しかし、隣にいる結衣夏がそれを拒絶する。
「いや、クガはこっち来んなし。頭が刺さるっつーの」
「刺さらねーって! 毎朝1時間かけてセットしてるんだぜ、これ?」
「知るかよ!」
席の幅に余裕はなく、信一たちは長テーブルでぎゅうぎゅう詰め。
一方、カフェテラスでは本命組の生徒たちが優雅に食事を楽しんでいる。
いくつか空いている席もあるのだが、近代音楽科がそこを使うわけにはいかない。
「はぁ~あ……なんでこんな学校に入っちゃったんだろうな、あたし」
すぐそこにあるのに、まるで別世界のような光景を睨みながら、結衣夏は再び毒を吐く。
近代音楽科が学園のお飾りでしかないことは、もはや周知の事実であった。
結衣夏の言葉を聞く信一は心中で憂いながらも、ひとりの人物を思い浮かべる。
■ ■ ■
岩間嶺学園には複数の音楽設備が設けられている。
オーケストラホールに和室、新旧いくつもの音楽室から屋外コンサート場。
日本有数の音楽高校なだけあって、その充実ぶりは最高峰。
そのひとつに、クラシック科の生徒が使う『特級音楽室』があった。
室内のインテリアは貴族の屋敷かと思うほど豪華で、真っ赤な防音カーペットを敷きつめた室内にはピアノやハープなどが置かれている。
ここで演奏できる者は、それこそ一部の高い技術を持つ生徒のみ。
水無月麗香は今、教師や生徒が見つめる中でバイオリンの音色を奏でていた。
曲目はハイドンの『セレナーデ』。
上流階級の者が集う本命組の中でも、彼女の演奏は別格といわれるほど完成されている。
由緒正しい水無月家のひとり娘、父は高名な音楽指導者で、母はオペラ歌手。
美しい容姿から繰り出されるセレナーデは、誰もがうっとりと聴き入るほど素晴らしかった。
が――突如として、その演奏がぴたりと途切れる。
思いもよらぬ事態に、居合わせた一同は驚きの表情で固まった。
普段ならありえないのだ。常に完璧な演奏をこなす麗香が、理由もなく途中で止めてしまうことなど決してありえない。
「申し訳ありません。指が引っかかってしまいましたわ。
もう一度、始めから弾いてもよろしくて?」
「いいえ、他の生徒さんもいますので、2小節目から続けてください」
「かしこまりました。では」
教師の指示に従って、再びセレナーデの旋律が流れる。
水無月麗香が失敗するのは、本当に珍しいことだ。
ただ一度のミスが異常事態として扱われている時点で、普段の彼女がどれほど完璧なのかを物語っている。
「珍しいじゃないか、麗香くんがミスをするなんて」
そんな授業の後、音楽室を出て廊下を歩く麗香を待っていたのは、眼鏡をかけたひとりの少年だった。
「お聞き苦しい失敗、本当に申し訳ないですわ。
今朝がた、ドアに指を挟んでしまいまして」
「おいおい、気をつけてくれよ。キミの指は神の祝福を受けているんだ。
ドアなんて、メイドにでも開けさせればいいだろう」
そう語る彼は、岩間嶺学園の生徒会長にして理事長の甥、小金井拓馬。
2年生でありながら理事の権威を笠に着た有力者だ。
知性を感じる眼鏡にクールな顔立ち。名家の子息として音楽の素質も高く、麗香に続くナンバー2の実力を誇っている。
「ところで、先生――お父様は相変わらず忙しいのかい?」
「ええ、慌ただしく日本中を飛び回っていますわ」
「個別レッスンの予約は難しいか……まあいい、よろしく伝えておいてくれ。
いずれまた会いに行くよ、キミのお父様に」
「………………」
彼は水無月家と交流があり、麗香の父親にレッスンを受けて一目置かれている。
ゆくゆくは跡継ぎのための婿候補という話もあるらしい。
胸の奥にヘヴィーメタル魂を秘めた麗香としては、お高く止まった成金の息子など反吐が出るほど嫌いなのだが。
「ああ、ちなみに例の件――
近代音楽科の生徒と戯れるのは、そろそろやめてほしいな」
「なぜですの?」
「我々の品格が落ちると困るからだよ。
あの連中をよく見ろ。知性も教養もない荒くれた野良犬の集まりじゃないか」
「(よく見るべきなのは、あなたですわ。
その役に立たないクソ眼鏡、ブチ割りましてよ?)」
「我々は我々、彼らは彼ら、住む世界が違うんだ。
キミの行いがきっかけで境界が曖昧になったらどうする?
くれぐれも、僕と叔父さんの手を煩わせるような真似は控えてくれよ」
よせばいいのに、去り際のひと言でラインを超えてきた拓馬。
麗香は背中を向けた彼の後ろ姿に、それはもうハッキリと中指を立ててやった。
「…………?」
嫌な気配を感じたのだろうか。
拓馬は少し振り向いたが、そこには普段どおりの麗香が立っているだけ。
水無月家の娘がヘヴィーメタルに心酔していることなど、この時点では想像すらできなかった。




