第14話 何かに追われるようにお前は走り出す
「今日からここが、わたくしたちの活動拠点でしてよ~!」
「ええっ? このスタジオ丸ごと使っていいの?」
バンド向けの貸しスタジオにも、いくつか種類がある。
麗香に案内されて来た場所は、月極のレンタルサービスを行っている店舗だった。
「収納スペースもあるので、持ち込んだ楽器を預かってもらえますわ。
みなさん学校がバラバラなので、持ち運びは大変でしょうし」
「それは助かるけど、レンタル料が高かったんじゃない?」
「それほどでもなくてよ。高校生ということで値切ってもらえて、1ヶ月あたり電気代とネット込みで1万5千円ですわ」
「意外と安いんだね。それでも麗香さんに払ってもらうのは悪いけど」
「お気になさらず。世界を取るためですもの、必要経費に糸目はつけませんわ~」
月極1万5千円のスタジオから始まる世界制覇。
信一と律子はもちろん、この日からは美沙希と春菜もメンバーとして参加する。
今日も今日とて春菜はあまり口を開かず、代わりに美沙希が会話を担当していた。
「それでは、改めまして自己紹介を。
わたくしは魔卿院レイチェルこと、水無月麗香。
私立岩間嶺学園のクラシック科に通っておりますが、バンドをやっていることは極秘ですわ」
「うわ……岩間嶺学園って、本物のお嬢さまが行くところじゃないか!
入学しようか迷って、結局やめたんだよね」
「それで良かったかもしれないよ。僕はザ・シングこと織田信一。
岩間嶺学園の近代音楽科に通ってるんだけど、クラシックとか日本の古流音楽に比べると見劣りしちゃって……いつも肩身が狭い感じだよ」
と、信一は詳しい説明を避けたが、麗香は表情を変えて意見する。
「近代音楽科という門戸を開いておきながら、生徒を見下して蔑ろにする風潮には、わたくしも思うところがありますわ。
いつかブッ潰して、分からせてやろうと思ってますの」
「ヒューッ、ロックしてるねぇ!
あたしたちも好きだよ、そういうの」
「ブッ潰すって……岩間嶺学園を!?」
「正確には学園の体制を、ですわ。
わたくしたちの代で解決しなければ、来年以降の新入生たちも同じ憂き目に曝される。そうでしょう?」
「それは……そうだけど……」
信一は耳を疑ったが、どうやら麗香は本気のようだ。
なにやら乗り気の美沙希に加えて、春菜までコクコクと首を縦に振っている。
よりにもよって、学園で最も優秀なお嬢さまがクーデターを画策していることなど、誰も予想できないだろう。
「え、え~と……なんだか、すごい話になっちゃってるけど続けるね。
私はシンくんのいとこで、公立の高円寺第一高校に通ってる織田律子。
写真とか服を作るのは自信があるけど、ロックは初心者だからお手柔らかに……です」
「へぇ~、あの衣装を作ったのはキミなんだ?」
「うんっ、2人のコスチュームも作るから、どんなのがいいか後で教えてね」
「動画でのコス、髪にきれいなメッシュを入れてたでしょ。あんな感じがいいかな。
それじゃ、あたしたちも改めて。板橋南高校2年の、ミザリーこと桐生美沙希。
ギターしか弾けないけど、そのポジションなら誰にも負けないよ」
挨拶の言葉を受けて、麗香たちはパチパチと拍手しながら歓迎する。
喉から手が出るほど欲しかったギタリストとドラマーだ。最初で最後の直接対決を経て、ようやく両者はひとつになった。
「最後は――ほら、春菜」
「うっ……美沙希ちゃんと同じ学校の高見沢春菜。
担当はドラムで……その……く……く、く……」
一同が見守る中、うつむいた表情で自己紹介を始める春菜。
可愛らしくて内向的なツインテールの少女、それが彼女のイメージだったのだが――
「クソがぁーーーーーーーーっ!!
私はやっぱり、こいつらと組むなんて絶対に認めない!」
「「「「えええええええ~~~~~っ!?」」」」
「美沙希ちゃんが楽しそうだったから、仕方なく勝負に乗った!
できることの幅が広がるなら、それもありだと思ってた!
でも……お前だ、お前お前! てめえだけは絶対にダメだ!」
「ぼ、僕ぅう!?」
おとなしい小動物のようだった春菜が豹変し、怒りの形相で信一に指を突きつける。
何事かとうろたえる面々の中で、美沙希だけが『しょうがないなぁ』と苦笑していた。
「いったい、どういうことですの?」
「人前だから隠してたけど、これが本当の姿だよ。
あたしら2人のうち、ヘヴィーメタルな生きかたをしてるのは春菜のほうなんだ」
美沙希は非常に目立つ人物なため、ミザルナは彼女が引っ張っているものだと思われがちだ。
しかし、その後ろに隠れていた春菜こそが真のメタラー。
正体を表した彼女は、鬼神のごとき形相で信一に迫る。
「男と組むなんて分かってたら、最初から近付かなかったんだよクソが!
私のドラムと美沙希ちゃんのギターは、世界で一番相性がいいんだ!
お前みたいな●●ポ野郎が間に挟まるなんて絶対に許さない!」
「うわ……」
「まあ!」
響き渡った放送禁止用語に律子は赤面し、なぜか麗香は胸の前で手を合わせながら歓喜する。
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ!
僕はただ音楽がやりたいだけで、2人の仲を邪魔するわけじゃ……」
「ああっ!? 異物なんだよ、てめえは!
ドラムとギターにベースが入ってくれば、必ず間に挟まるだろうが!
分かった……どういう場所に割り込もうとしてるのか、思い知らせてやる」
そう言って、ずかずかとドラムセットに歩いていった春菜は、嵐のような乱打を繰り出す。
それは真夏の夕方に降り注ぐ、土砂降りのゲリラ豪雨。
彼女の小さな体で、どうやってこれほどの爆音を出しているのかと思うほど重厚な演奏だ。
「オラオラオラオラ、ぼさっと見てんじゃねーよ!
入ってこれるもんなら来てみろ、クソデカ6弦ベース!」
「よし……分かった」
覚悟を決めた信一もベースを持ち上げ、出せる最大限のスピードで速弾きを奏でた。
春菜は滅茶苦茶にドラムを叩いているように見えるが、実はしっかりと規則性を崩さずに”演奏”している。
BPM200以上に達する『ブラストビート』という奏法で、主にデスメタルのスピード感を出すために使われるテクニックだ。
それを聴き取りながら、アドリブで弦を弾いていく信一。
往年の名曲から極端に激しいものまで、よほどメタルに詳しくなければ、こんな芸当はできない。
「●ァック! 多少はやるみたいだけどな!
そんな速弾きを続けてたら、指が弦にもってかれてボロボロになるぞ!」
「そんな時期はとっくに過ぎたよ!
僕は中学のときから、ずっとベースだけを弾いてきた。
今まで全力を出しきれなかったけど……これなら自分の限界に挑めそうだ!」
「チッ! さっさと落ちろってんだ、このこのこのこのこのっ!!」
ブラストビートで振り落とそうとする春菜に、ぴったりとついていく信一。
全速力で突っ走った状態のまま、どちらか片方が力尽きるまで続くような耐久レース。
と――そこに刻みつけるような高音で、ギターの演奏が割り込んできた。
「主義主張もいいけれど、両腕を壊したら誰の得にもならないよ、お2人さん」
「美沙希ちゃん……!」
「ちゃんと聴いてあげなよ、すごいベースなんだから。
不満を抱えたままバンドをやったって、長続きはしないんだ。
せっかくだし、ここで思いっきりゲロッちゃいな!」
「く……っ!」
相棒に促され、ドラムを乱打しながら表情を変えていく春菜。
激しい演奏の中、言いたいことをブチまけるのがヘヴィーメタルなら、今こそが絶好の機会といえる。
「ほんとに最悪だ! 気持ち悪い! 吐きそう! これは変態鬼畜野郎のベースだ!
毎日毎日サルみたいに練習ばっかりしてた救いようのないヤツにしか、こんな音は出せない!
バカだな、お前……他の趣味を全部放り出してメタルにハマったら、仲間ができなくて孤立するか、本当の自分を隠して生きるしかないんだぞ!
それでも私には美沙希ちゃんがいてくれた! 本当の私を見せられる友達だった!
放課後に2人で語りあったり、一緒に演奏するだけでもよかったのに……
こんなことになるなら、動画なんて作るんじゃなかった!!」
それが春菜の本音。そして、背負ってきた過去だった。
中学や高校で洋楽メタルにハマると、どうなるのか。
クラスメイトたちとは話が合わず、語りあえる相手がいないまま孤独感に苛まれ、より激しい音楽に没頭していく。
結果的に、世の中のメタラーは2種類に分かれる。
他の音楽も嗜んだ上でHR/HMを愛する者と、深く浸透しすぎて他を完全に否定する者。
美沙希に出会うまで孤独だった春菜は後者になってしまい、もはや嗜好が歪みきって抜け出せない。
彼女を救えるのは激しい音楽と、それを分かちあえる仲間だけなのだ。
「もう嫌だ! ひとりになるのは嫌だよ、美沙希ちゃん……!
私を置いて他の子たちと仲良くならないで!
こんな私を分かってくれるのは、美沙希ちゃんしかいないんだ!」
自分勝手な甘えだろうと、まったく包み隠さず口にする。
それを聞いてくれるほど、美沙希は良いパートナーだったのだろう。
むき出しになった直情的な言葉に、思わず律子も胸を痛めた。
幼馴染の趣味を分かってあげられずに、一度は離れてしまったのだ。
幸運にも信一は我が道を行くことに疑問を抱かなかったが、何かが間違っていたら歪んでいた可能性もある。
「我がままだね春菜は! せっかく新しい仲間が増えそうなときに拒絶するなんて!
それじゃあ、こうしてみようか」
ここで美沙希がリードを取り始め、主旋律のメロディーを奏でた。
それに気付いた信一も、ベースを美沙希に合わせていく。
そうなると、ドラムだけが取り残されて暴れることになるのだが――春菜は自分の我がままを通さない。
いや、通せないのだ。音楽を愛する者として、演奏のまとまりが崩れることだけは絶対に許せない。
「よーし、よし。いい子だ。
この一体感が気持ちよくなってくるからね」
「やだ、やだやだ! こんなので気持ちよくなりたくない!」
「信一くん。気難しい子だけど、ドラムとベースは一心同体。
春菜のことをよろしく頼むよ」
「もちろん、ここまですごいドラマーに会ったのは初めてだ。
振り落とされないようについていくよ」
「ついてくんなぁあああああーーーーーーっ!!」
春菜は暴れようとしたが、ギターとベースに主導権を握られているため、体が勝手に従ってしまう。
そうして作り出されたのは、3者による濁流のような演奏。
いつの間に用意したのか、水面が波打つほど響く大音量の中で、麗香は優雅に紅茶を飲んでいる。
「はぁ~っ、極限まで鍛え抜かれたテクニックに、ぶつかりあう主義主張。
これでこそメタル! わたくしが求めてやまなかったものですわ~!」
「え、ええぇ……?」
まだロックに片足を突っ込んだばかりの律子には、やはり理解できなかった。
かくして、ひと悶着あったものの、美沙希と春菜はメンバーとして迎え入れられる。
彼女たちが名曲のカヴァー動画だけではなく、バンドとしてのオリジナル曲を持つようになるのは、翌月のことであった。
▼ブラストビート
超高速でドラムを叩き、人間が叩ける速さの限界を競いあうスポーツ……ではなく、メタルの奏法。
スティックが飛んでいかないようにしっかり握ったまま、200BPMを超える速度で叩く。とにかく叩く。
メタル系のドラマーに筋肉ムキムキの兄貴が多いのは、これのせいかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=-U6ScIBk4qE