第10話 足りない3人と足りない2人
貸しスタジオというのは意外と安い。1時間あたり1000円程度で学割も利き、2人以内であれば個人料金として半額以下になったりする。
この日、桐生美沙希は行きつけのスタジオを借りて、エレキギターをアンプにつないでいた。
きりっとしていながらも優しげな目つきに、流れるようなストレートロングの髪。
通っている高校での異名は『完全無欠の王子さま』。下手な男子が束になっても敵わないほどかっこよく、学校の中では誰よりもモテる人物。
その上、ギターもできるとなれば、女子たちの心を掴むのは当然だった。
ゆえに、美沙希は滅多に校内でギターを弾かない。
あっという間に人だかりができて集中できなくなるので、練習のときは貸しスタジオを使うことにしている。
「ウォーミングアップに1曲やろうか。【ジェラシー】とかはどう?」
「うん、いいね。かけて」
そう答えてドラムセットに腰を下ろしているのは、美沙希とはまったく逆の印象を受ける人物。
女の子の可愛らしさを寄せ集めたかのような小柄で細身の少女、高見沢春菜だった。
左右でまとめたツインテールの髪が可愛さを引き立て、男子からの人気が高い学校のアイドル。
そんな彼女がドラムを得意としていることなど、見た目からは想像できないだろう。
「それじゃ、始めるよ」
美沙希がコピー元の曲を再生させると、やがて1分ほどピアノの前奏が流れる。
2人は呼吸を整えてまったく演奏していなかったが、ピアノのパートが終わった瞬間、寸分の狂いもなく同時に楽器を奏で始めた。
それは日本の音楽会を代表するヘヴィーメタルバンドの曲。
歌謡曲やアイドルが一般的だった80年代後期にデビューし、ヴィジュアル系という新しいジャンルを築き上げた先駆者。
デビュー直後は歌舞伎のようなボリュームの髪と化粧で目立っていたが、当時の日本にはなかった厚みのある爆音の演奏は確かなもの。
ギターにも高度なテクニックが要求されるが、【ジェラシー】のドラムは約7分間に及ぶ休みなしの心臓破りマラソン。
ツーバスは左右で16分のリズムを踏みっぱなし。さらにはミスの許されない高速タム回しにシンバル回し。
練度の低いドラマーでは両足がパンパンに引きつり、手や認識力が追いつかなくなって演奏が崩壊してしまう。
日本のメタル音楽でも屈指の難易度といわれる曲を、春菜はツインテールを揺らしながら機械のようにこなしていった。
そこに美沙希のギターが乗り、今は亡き伝説のギタリストが奏でていたフレーズを再現する。
もはや、同じ空間にいるだけで飲み込まれそうな演奏。
少しでもロックをかじった者なら、料金を払ってでも2人の練習風景を見ていたいと思うだろう。
驚くべきことに、この時間は彼女たちにとって趣味でしかない。
「ふぅ~、やっぱり1曲目から飛ばすとアガるね~!」
「うん……美沙希ちゃんのギター、今日も最高」
「春菜のほうこそ、こんなマシンガンみたいな曲をよくやるよ。
あたしはギター専門だから、どんな技術で叩いてるのか訳が分からない」
水の入ったペットボトルを口にしながら、お互いの腕前を讃える2人。
彼女たちこそがネット動画で話題のミザルナ、ミザリーとルナの女子高生コンビ。
中学時代に出会った2人は意気投合し、放課後には貸しスタジオで演奏を楽しんでいる。
やがて他の人にも聞いてもらおうと考えた2人は、インターネットで『弾いてみた』系の動画を公開するようになった。
「先週上げた【スリルに直撃】はどう?」
「さっき見たら50万再生だった」
「うひゃ~、やっぱメジャーな曲だと伸びるね!
別に見てもらえなくても、あたしらは好きな曲を好きなようにやるけどさ」
「そういえば、最近面白い人たちがランキングに上がってきてるよ。
なんかラスボスみたいな女の子が、メタルの曲をカバーしてて」
「なにそれ、動画を見る前から面白いんだけど」
「クオリティはすごいと思う。ほら、これとか」
「えっ? 【黒金剛石】じゃん!」
春菜がスマホで動画を見せると、最初に映ったのはキーボードを弾いている少女の姿だった。
本来はチェンバロというピアノに似た楽器が発する音を、キーボードで再現させている。
かなりプロポーションの良い少女は、透けて見えるシースルーの上着に黒のチューブトップ、首のところにバイク用のゴーグルを下げ、片目を髪で隠すという不思議な姿だ。
次に映ったのは頭からすっぽりとマントをかぶり、仮面で口から上を隠している人物。
場所と時代が違えば、まるで暗殺者のような姿。
性別は不明だが、小柄ながらも身の丈に迫る6弦ベースを使いこなし、演奏に深みを増している。
そして、最後に登場したのは文字どおりラスボス。
紅蓮と漆黒のドレスに身を包み、かなりの声量が要求されるメタルの名曲【黒金剛石】を難なく歌い上げている。
サディスティックなお姉さまの声で歌う縦ロールの少女は、それだけで動画を見る価値があるほどのカリスマ性を誇示していた。
「うわ、すっご……! すごいけど、ずいぶん珍しい構成だね。
キーボードとベースとボーカル。あたしらとは逆に、ギターとドラムだけいないんだ」
「逆に言うとギターとドラムがいないのに、ちゃんと聞ける演奏になってる。
ほとんど、このボーカルの人が持っていってるけど」
「これだけのボーカルがいれば、何を歌っても目立つだろうなぁ。
ベースはしっかりしてるし、キーボードもいい味を出してる。
たしかに、これはすごいライバルが来ちゃったぞ」
この『魔卿院レイチェル』というボーカリストの集団は、最近チャンネルを作ったばかりで動画も3本目。
にも関わらず、20万再生まで急激に伸びてきている。
春菜が言うように、ほとんどボーカルの魅力で成り立っている動画だが、それ以外の演奏がおろそかになっているわけでもない。
「OK、春菜。次はあたしたちもメロスピでいこう」
「じゃあ、パンプキン? それとも、同じストラトにする?」
「そうだね、対抗してストラトをぶつけてみようか。
あとは相手の動画チャンネルに挨拶しておいて。このメタル界隈、お仲間は貴重だし」
「それには同感、この方向性に進む人が少なすぎる」
そうして、ほぼ同じ歳の少女たちで構成された2つのバンドは、お互いの存在を知ることになる。
ギターとドラムがいない3人組と、まるで対象的なミザルナの2人。
両者が交わるまで、それほど長い時間は掛からなかった。
本日の元ネタ。URLの動画は公式アーティストチャンネルが公開しているものです。
音量に注意しながら、作品の予備知識としてお楽しみください。
▼【ジェラシー】
日本が誇るヴィジュアル系メタルバンド『X JAPAN』の『Silent Jealousy』。
約8分に及ぶ激しくもメロディックな曲は、憧れてコピーするドラマーに地獄といわれるほどの難易度を突きつける。
見た目の派手さに目が行きがちだが、Xがどれほど高度な演奏をしていたのかよく分かる1曲。
https://www.youtube.com/watch?v=Oj9bvmzTR2A
▼【スリルに直撃】
オーストラリアのロックバンド『AC/DC』の『Shoot To Thrill』。
日本での邦題は『スリルに一撃』。
アメコミヒーロー映画『アイアンマン』の作中で使われ、主人公のトニー・スタークもお気に入りのバンド。
https://www.youtube.com/watch?v=D8LTCr3BQW8
▼【黒金剛石】
フィンランドのメタルバンド『Stratovarius』の『Black Diamond』。
メタルにクラシックの要素を取り込んだ、メロディック・スピードメタルというジャンルを代表する存在。
北欧メタルの”キラキラ疾走感”が、ほどよく表現されている。
https://www.youtube.com/watch?v=6vJ_zHe_p60