第9話 超変身! 魔卿院レイチェル
幼少期の織田信一は、どこにでもいる普通の男の子だった。
サッカーやゲームが好きで、いとこの律子と仲良く遊び、クラスメイトの間で流行っているものを共有する。
そんな彼が道を踏み外したのは中学生の頃だ。
路上でヘヴィーメタルを流しながらベースを弾いていた若者に衝撃を受け、初めて手にした洋楽メタルバンド『スティール・メイデン』のアルバムに魅了されてしまった。
80年代の古さを感じつつも完成度の高い演奏、日本では滅多に聞くことがないハイトーンな歌声。そして、ボーカルのないインストゥルメンタル。
そこからより進化して激しくなったジャーマンメタルや、民族的な要素を取り入れた北欧メタルを聴いていき、昨今のハードロックやメロコア、プログレ、オルタナティヴまで網羅。
まさに黒船の来航だ。感受性の高い中学生には刺激が強すぎた。
例えるなら普通の男子がクラスの女子を気になり始めた時期に、ひとりだけGカップを超える海外のビキニお姉ちゃんに出会ってしまったようなもの。
いてもたってもいられず最初から6弦ベースで始めた彼は、もはや完全に音楽の嗜好が歪んでいた。
「シンくん、遊びに来たよ。シンくーん?」
中学時代のある日、信一の家へ遊びに来た律子が見たのは、室内に山と積まれた洋楽のCD。
そして、ヘッドホンを着けて爆音で曲を聞きながらベースを弾き、必死に演奏をコピーしようとしている少年の姿であった。
「ん? ああ、りっちゃんか。今はちょっと手が離せないんだ」
「ヘッドホンからすごい音がしてるけど、何聴いてるの?」
「【リベンジ・チャイルド】っていう曲。
これがもう最高なんだよ! 渋いドラムとベースから始まって、荒々しい歌詞を叫ぶように歌うんだ。
すごくかっこいいから、和訳の歌詞を見ながら聴いてみなよ」
「う……うん……」
信一からヘッドホンとCDのジャケットを受け取った律子は、言われるがままに聴いてみた。
再生が始まった直後、たしかに渋いドラムとベースから始まり、やがて貫くような高音のギターが鼓膜に刺さる。
■ リベンジ・チャイルド ■
俺は両親を八つ裂きにすると決めた 生まれ落ちたときから最悪だ
俺に未来などありはしない 愛や希望も知らずに育った
どこにいるんだ最低な父親 必ずお前を探し出す
今もどこかで笑っているあいつを 必ず見つけてブッ殺す
俺はリベンジ・チャイルド
生まれたときから汚れきった子供
次はお前だ 母親みたいに切り刻んでやる
それしかできないモンスターを お前たちが作ったんだ
■■■■■■■■■■■■■■
「(え……ええぇ~~~……?)」
聴かされた律子は困惑するしかなかった。こんなに攻撃的で激しい曲は、日常生活で聴くことなど滅多にない。
実際に演奏のレベルが高く、それぞれの楽器から繰り出される音は洪水のようだ。
胸に籠もった悲痛な思いを叫ぶようなボーカルも、刺さる人には刺さるのだろう。
「どう? すごいでしょ?
日本じゃ愛とか恋ばっかり歌うけど、外国じゃ人間の汚れた部分まで包み隠さず歌うんだ。
これが音楽! これでこそ本当の自由だよ!」
「あ、ああ~……うん……」
曲を聴き終えてヘッドホンを外すと、信一はキラキラとした目で律子を見ていた。
どうしよう。たしかにすごいけれど、彼はヤバい音楽にハマっている。
中二病も真っ只中の少年には、世界への反逆を歌うメタルがクリティカルヒットだったのだろう。
このとき、ほんの少しでも律子が理解を示していれば、何かが変わっていたのかもしれない。
しかし、彼女が取った行動は――ただ、首を横に振ることだけであった。
「私は、その……ごめん。
普通のポップとか、アイドルのほうが好きかな」
「そっか……日本じゃ人気がないみたいなんだよね、こんなに最高の音楽があるのに。
あっ! もしかしたら、パンプキンなら聴きやすいかも!
このバンドもすごくてね、かっこいい曲で社会批判と世界平和を歌ってて――」
それから2、3曲ほど聴かされたが、律子がメタルの信徒になることはなかった。
どのように反応すればいいのか分からず、徐々に距離が開き始めた2人。
信一はそのままベースを担いで音楽高校へ進んでしまい、律子と離れ離れになっていく。
SNSへの投稿写真を始めたのも、ぽっかり空いてしまった日常の穴を埋めるためだったのかもしれない。
そして数年が過ぎた後、久々に会った彼は『魂の伴侶』を名乗るお嬢さまと組んでいた。
一度は離れたはずの律子まで、気付けば仲間にされてしまっている。
「結局、私もこっち側に来ちゃったかぁ……」
自室の机でコスチュームに装飾品を縫い合わせながら、高校生になった律子は苦笑していた。
バラバラのままでいるよりは、このほうが良かったのかもしれない。
とんでもないご令嬢まで来てしまったが、再び信一と共に過ごせることを律子は密かに喜んでいる。
■ ■ ■
そして、数日後の週末。ついに麗香の衣装ができたとのことで、信一たちは律子の家に来ていた。
今は着替えている真っ最中。信一だけが廊下で待たされ、ドアを隔てた部屋の中から女子2人の会話が聞こえてくる。
「どう? きつくない?」
「少しゆるい気がしますわ」
「バンドをやるなら動くこともありそうだし、ちょっと余裕を持たせてるの。
それにしても、プロポーションすごいのに腰ほっそ!
いったい何を食べたら、こんな体になるんだろ?」
「りっちゃんさまも相当なものだと思いますけれど」
「あはは……ダイエットしてるのに、下着とか服がパンパンになっちゃうんだよね」
「分かりますわ~。お気に入りの服が着られなくなって、新しいものを用意しても数年で買い替えることに……」
「そうそう、あっという間に窮屈になるの」
などと、男子が聞いてはいけない言葉が響いてくる中、待たされること数分。
ようやく着付けが終わったらしく、信一の入室が許可された。
「OK、入っていいよ」
「え、え~と……お邪魔しま~す……」
ドアを開けると、そこはごく一般的な少女の部屋。かつては信一もよく来ていた律子の自室だ。
しかし、室内に立つ異様な存在に、彼は目を見開くことになる。
「えええええええええっ!?」
信一は驚愕の表情で固まったまま、変貌を遂げた麗香の姿を見つめた。
まるでロボットアニメのラスボスのような、深紅と漆黒のカラーリング。ダークでゴシックなドレスが、彼女の魅力を最大限に引き出している。
ウェーブがかった美しいロングヘアは、これまたご立派な縦ロールの髪型に。
そして何より驚くのが、顔に施されたメイク。
化粧を厚く塗っているわけではなく、色合いや深みなどを操作することで別人のように見せている。
さらには左目にだけ、中世の舞踏会で使うような仮面を着けていた。
これではよほど親しい人物、それこそ親や兄弟でもない限り、麗香だと見破れる者はいないだろう。
「いかがでしょうか? 素晴らしいクオリティだと思いますが」
「いや、ビックリした……麗香さんだってことが分からなかったよ、本当に」
「ふっふ~ん、私の変装技術は完璧だからね。
写真を撮るときに憶えたんだけど、片目を隠すだけでも素顔が分からなくなるの。
髪型までド派手に変わってるし、もう誰にも見破られない自信があるよ」
「毎回この髪をセットするのは大変ですわ~。
まったく違う人物になったようで不思議な感じですわね」
まさにカリスマの権化。悪の女幹部か、悪役令嬢そのものだ。
民家の室内にいるだけでも、かなり場違いな存在である。
「アーティストとしての芸名も考えてありましてよ。
今日からわたくしは魔卿院レイチェル!
萎えきった日本のメタル界に活を入れ、この地球を歌で支配する魔界の使者!」
高らかに名乗った麗香は、本当に何でも成し遂げてしまいそうな雰囲気を纏っていた。
いずれ全世界に名を轟かせるメタルシンガーの誕生である。
「じゃあ、次はシンくんと私の番だね」
「えっ? 僕たちも変装するの?」
「当たり前でしょ、バンドをやるんだから全員の服を作らなきゃ」
巻き込まれて不本意なはずだが、なぜかやる気に満ちている律子。
少なくとも、これで水無月麗香だとバレることはないだろう。
最低限の準備が整った彼女たちは、存在を知ってもらうために『歌ってみた動画』で活動を開始した。
本日の元ネタ。URLの動画は公式アーティストチャンネルが公開しているものです。
音量に注意しながら、作品の予備知識としてお楽しみください。
▼【リベンジ・チャイルド】
1981年にリリースされた英国メタルバンド『IRON MAIDEN』の『Wrathchild』。
娼婦の子供が父親を探して復讐するという内容になっている。
これもベースラインが聞き取りやすいので信一が好む曲。
https://www.youtube.com/watch?v=qgqVmAyTvIA
▼【パンプキン】
80年代から90年代にかけてヒットチャートを量産したドイツのバンド『HELLOWEEN』。
ハロウィンのカボチャお化けがトレードマーク。
ジャーマンメタルの筆頭として世界中に多大な影響を及ぼした。
https://www.youtube.com/watch?v=CxrLHIafzko