サンクトゥス女学園
「ここ…学校だよな?金持ちの屋敷とかじゃないよな?」
敷地内に足を踏み入れたレクトを待っていたのは、威勢のいい掛け声の響く運動場…ではなく、色とりどりのバラに彩られた庭園であった。庭園の中央には大きな噴水があり、その真ん中には真っ白い見事な騎士の彫刻が飾られている。また庭園のいたるところでは、ブレザーの制服を着た女子がバラに水をやったり、剪定をしているのが見える。
レクトのようにここが果たして学校であるのかと疑いたくなるのも無理はないだろうが、制服を着た生徒がいる以上、少なくともここは学校で間違いないのだろう。
「そういや、校長ってどこにいるんだろ。校長だから校長室なのは間違いないんだろうけど、まず校舎みたいな建物が3つもあるしなぁ」
塀の外からも見えていたが、校舎らしきレンガ造りの大きな建物は全部で3つある。それに加えて外からは見えなかった小さな建物もいくつか点在しているが、少なくともそれが校舎であるということはないだろう。
庭園内にいる女子生徒に校長室の場所を聞くという手もあるが、生徒からしてみれば来客とはいえ見ず知らずの男性にいきなり質問をされるというのは多少なり緊張することかもしれない。傲慢で傍若無人ではあるものの、割と空気が読めるレクトは、とりあえず一番近い校舎の中で誰かに聞くことにした。
「ん?何か騒がしいな」
ところが校舎まであと十メートルほどといったところで、誰かが大声で騒いでいるのがレクトの耳に入ってきた。声のする方を見ると、ブレザーの制服を着た赤髪の少女と2人の女教師らしき人物がモメている最中のようであった。
「ベロニカちゃん、教室へ行きましょう。あなた、せっかく素晴らしい才能を持ってるんだから、授業を真面目に受ければもっと優秀な生徒になれるわ。」
状況から察するに、授業をサボった生徒を連れ戻そうとしている真っ最中らしい。2人の教師のうち中年の女性が少女を説得しており、その横で小柄な女性がその様子を見守っている。一方でベロニカと呼ばれた少女は、そんな説得を聞き入れることなく2人を睨みつけていた。
「アタシより弱いくせして、教師面すんなよ」
2人の女教師に対し、ベロニカがきっぱりと言い放つ。その言葉が効いたのだろう、2人の教師はひどく同様していた。だがそれでもなお、ベロニカの悪態は続く。
「第一、アタシより弱い人間が何を教えるっていうの?」
「そ、それは…!」
ベロニカの質問に返す言葉もないのか、中年の女教師は言葉に詰まってしまう。もちろん彼女も冷静な状態であったならばいくらでも言い返すことができたのだろうが、今のように不意をつかれてしまっては咄嗟に言葉が出てこないようだった。
呆れたベロニカは、大きなため息をつく。そして。
「で?そこのあんたはさっきから何ジロジロ見てんだよ?」
無関係なレクトの方を見て、ベロニカが言った。もっとも、逆に言えば無関係なレクトが一連の流れをずっと見ていたというのもあり、ベロニカとしても気になっていたのは間違いないのだろうが。
こちらも不意をつかれた形ではあったものの、2人の女教師の時とは違ってレクトはすぐさま切り返す。
「いや。そう言えば俺が学生の頃にもいたなー、ってさ」
「いた?何が?」
レクトが妙なことを言い出したせいか、言葉の意味がわからなかったようでベロニカは再度尋ねた。だがここで、レクトの目が相手を見下したかのような冷たいものになった。
「お前みたいに、ちょっと腕に自信があるからってイキがってる弱っちい奴」
レクトのその言葉で、その場の空気が一気に張り詰めたものに変わった。特に小柄な方の女教師にいたっては、レクトに対して「挑発しないでくださいよ!」と目で訴えかけている。だが残念なことに、ベロニカは完全に挑発に乗ってしまった形だ。
「じゃあ何?あんたはそれなりに強いってこと?」
レクトに質問を投げかけながら、ベロニカは腰に携えていた木刀を構える。おそらく、授業で使う練習用の物であろう。実際にレクトも学生時代に木刀を用いた実戦形式の授業を受けた経験があるので、なぜ彼女が今それを持っているのか、という点以外には特に疑問を抱いてはいないようだった。
「やめとけ小娘。それなりどころか、半端じゃなく強いから」
自分で挑発しておきながら、レクトはベロニカに対して退くように勧告する。というより、勧告しつつもさらなる挑発が混じっているところが実にレクトらしい。もっとも、口で言ったところで彼女が一歩も退かないことなど想定の範囲内であったのだが。
そしてレクトの予想通り、ベロニカはひるむことなく食ってかかるような態度のままであった。
「へぇ。強いって、どれくらい?」
「そうだな。今の状況を例えて言うなら、怖いもの知らずのハムスターがライオンに挑むような感じかな?」
ベロニカが乗ってくるや否や、レクトは彼女のことをなおも煽り続けた。そうやって焚きつけられたベロニカは、まんまとレクトの思惑通りに戦闘の意思を見せる。
「そうかよ。じゃあそのハムスターに倒されてくれよ、ライオンさんよ!」
「やれやれ」
ベロニカが木刀を構えたのを見て、レクトは肩をすくめた。とはいえ、彼女のようなタイプの人間に対しては口でどうこう言うより、実力でわからせた方が早いというのがレクトの魂胆である。
だがここでレクトの実力を知らない…というより他の2人と同様、目の前にいるのが魔王を倒した四英雄レクト・マギステネルであることに気づいていない中年の女教師は、慌てて止めに入った。
「だっ、駄目よベロニカちゃん!無関係の人を攻撃しちゃ!」
「うるさい!アタシに指図するな!」
女教師の制止の声に対し、ベロニカは声を荒げる。とはいえ、レクトはレクトでしっかりとベロニカのことを焚きつけてはいるので、本当に無関係であるかとなるとそれはそれで疑問が残るのだが。
「それに、こいつもやる気みたいだしな」
ベロニカは何も持っていない方の左手でレクトのことを指差した。しかしレクトは冷静にそれを否定する。
「いや、やる気にはなってねえよ。ハムスター相手に本気になるライオンなんざいるわけねえだろうが」
「あぁ、そうかよ!」
皮肉に対してしびれを切らしたのか、ベロニカは木刀でいきなりレクトに斬り掛かった。練習用の木刀とはいえ、当たりどころが悪ければ大怪我を負う危険性だってある。だがレクトはまったく動じることなく、それどころか身構えもせずに完全に棒立ち状態であった。
「はっ。結局は口だけかよ!」
微動だにしないレクトに向かって、ベロニカは木刀を振り下ろす。最早どうすることもできない2人の教師は、レクトが怪我を負わないことを祈るしかなかった。
だが次の瞬間、それまで威勢のよかったベロニカの態度が急変した。
(あれ?今、当たって…!?)
ベロニカの目視では今の一撃は完全に当たっていたはずなのだが、手応えがまったくない。何より、木刀が当たる直前まで目の前にいたはずの男が、振り抜いた直後に忽然と消えていたのだ。
そして次の瞬間には、軽い衝撃とともにベロニカはうつぶせの状態で地面に倒れていた。
「えっ…、何…?」
倒れた痛みなどは大したことはないのだが、それよりもなぜ自分が地面に倒れているのか、そしてなぜ先程の自分の攻撃が当たっていなかったのか、わけもわからずベロニカの頭の中は混乱するばかりであった。
一方、レクトとベロニカの一連の流れを見ていた2人の教師は、レクトの動きに唖然としていた。といっても、レクトの行動そのものはベロニカの攻撃が当たる直前に回避し、そのまま彼女に足払いをかけて転ばせた、というシンプルなものである。だが彼女たちが驚いているのは、その行動が1秒にも満たない一瞬の間に全て行われた、ということであった。
「終わりか?」
「ま、まだだ!これぐらいで勝ったと思うなよ!」
倒れているベロニカの背後からレクトの挑発するような声が響くが、うつぶせの状態のまま顔を上げ、ベロニカは叫んだ。ベロニカも倒れてはいるものの、別にこれといって大きなダメージを負ったというわけではない。
だがそれとは別の問題が1つ、存在していた。
「威勢がいいのは結構なんだがさ」
ベロニカの闘争心に水を差すように、背後からレクトが声をかける。そしてベロニカが返事をする前に、レクトがとんでもない発言を放り込んだ。
「パンツ丸見えだぞ」
「えっ?」
レクトに指摘されたベロニカは、うつ伏せの状態から自分の下半身を見る。短めのスカートがめくれ上がり、フリルをあしらったピンク色の布が盛大に晒されていた。
「な、な、な…!」
顔を真っ赤にしたベロニカは、すぐさま立ち上がってスカートを押さえる。もっとも、今さら押さえたところで後の祭りであるのだが。
「お前、荒い口調で威勢がいい割にはものすごいフリフリで可愛いパンツ履いてるのな」
「うっ、うるさい!」
セクハラじみたレクトの発言に、ベロニカはたじろぎながらも声を荒げている。2人の女教師に至っては怒るどころかドン引き状態だ。だがそれでもなお、この外道な男は一行に口を閉じない。
「ちなみに1つ言っておくと、スカートがめくれたのは偶然じゃないぞ。パンツが丸見えになる体勢で倒れるよう、狙って転ばせた」
「堂々と言うなよ!このヘンタイ!」
もはや余裕を通り越して悪ふざけにしか見えないレクトの態度に、ベロニカが怒りをあらわにする。これ以上は口でどうこう言っても無駄であると理解したのか、ベロニカは木刀を構え直して再びレクトに向かっていった。
「このっ!このっ!このっ!!」
一歩一歩大きく踏み込みながら、ベロニカは木刀を振り続ける。だが、彼女のその攻撃に対してレクトは左手だけを前に出すと、まるで木刀の刀身を撫でるかのようにして攻撃を受け流していった。
(くそっ!なんで…なんで!?)
ベロニカにとっても、自分の攻撃を防御されたという経験自体はないというわけでもない。授業における模擬戦においても、盾を持った相手に攻撃を防がれるなどそれほど珍しいことでもないのだ。だが、この相手は違った。本気で攻撃しているのに、当たったという手応えがまるでない。
もっとも、現実的に言えば当然のことではある。魔王を倒して世界を救ったレクトにとっては、十代の少女の剣技などそれこそママゴト同然だ。
「まぁ、踏み込みは少し甘いけど、体幹と重心は悪くないかな。そのデカいケツのおかげじゃないか?」
「だっ、誰のケツがデカいって!?」
レクトの批評もとい再度のセクハラ発言にこれまたベロニカが動揺を見せ、攻撃が止まる。声が若干上ずったものになったあたり、どうやらこれに関しては多少なり本人が気にしていることであったようだ。
「ムキになるなよ。これでも褒めてんだぜ」
悪びれた様子もなく、レクトは言葉を返す。実際、レクトとしては本当に褒めているつもりではあるのかもしれないが、それは単にベロニカの神経を逆撫でするだけであった。もっともこの男の場合、それすらも見越した上でわざと言っている可能性の方が高いかもしれないが。
「ちくしょう…もう許さねえぞ!」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にしたベロニカは木刀を大きく振りかぶり、渾身の力をもってレクトに斬りかかる。しかしレクトには完全に動きを見切られていたようで、レクトは最小限の動きでベロニカの攻撃をかわすと、彼女の腕を掴んで後ろに投げ飛ばした。
「う、くそ…」
盛大に尻餅をついたベロニカが目を開けると、いつの間にか彼女の喉元にはレクトの背負っていた大剣の切っ先が突きつけられていた。ほんの一瞬で勝負がついた事に、レクトを除く全員が驚いた様子を見せている。
「さて小娘、何か言うことはあるか?」
レクトは得意げに言う。最早、レクトの圧勝と言う他なかった。とはいえこの勝負に関してはベロニカ自身が未熟うんぬんよりも、まず相手が悪過ぎるというのが大きいのだが。
「う…」
レクトの言葉を受け、ベロニカは小さく声を漏らす。だが次の瞬間、別の意味でレクトは度肝を抜かれることとなった。
「うわぁぁぁぁん!!」
「はぁ?」
負けを認めるどころか、ベロニカは大声で泣き出してしまった。流石のレクトもこれには少々困惑し、どうしていいかわからなくなってしまう。だがそんな彼に助け舟を出すかのように、横にいた小柄な女教師がベロニカの頭を撫でながら彼女をなだめる。
「よしよし、負けて悔しかったのね。泣かないで、ベロニカちゃん」
「まっ、まげで、ぐすっ、負けで、ないっ!うわぁぁぁぁん!!」
それでもベロニカは泣き止まない。数々の戦場を渡り歩き、実戦経験なレクトであってもこのような状況は経験したことがなかった。しかし、どうすることもできずに棒立ちしていレクトに対し、当のベロニカ本人はこれだけの惨敗を喫して尚、諦めの悪さを見せつける。
「も、もう一回勝負じろぉ!今度は絶対アタシが絶対勝づぅ!」
大泣きしながらも尚、ベロニカはレクトへ挑むのを諦めようとしない。だが、それに対するレクトの反応は冷たいものであった。
「お前、今の結果でまだ勝てるとか思ってんのか?お前の力じゃ10年かかっても俺には勝てねえっての」
レクトは容赦のない言葉をベロニカに浴びせるが、そんなオブラートなど知らぬ彼の一言にショックを受けたのかベロニカは一層大きな声で泣き出してしまった。
「うわーん!うわぁぁーん!!」
「ちょっと!刺激しないでくださいよ!」
レクトの対応を見て、中年の女教師が咎めるように声を荒げた。これに関しては流石のレクトも子供相手に言いすぎたと言う自覚があったのか、少しばかり反省したような様子で頭をかく。
「あー、うん。悪かった。今のは俺が悪かった」
微妙に反省が見えないような気がしないでもないが、一応レクトなりに悪いとは思っているらしい。人の苦しむ顔を見るのが大好きな外道であるレクトであっても、大泣きする子供を虐めて楽しむような趣味はなかった。
といっても、2人の教師たちから見ればまずレクトは未だに正体不明の不審者という認識であった。
「そもそも、さっきから何なんですかあなたは!?守衛を呼びますよ!?」
中年の女教師は声を荒げたまま、レクトに詰め寄る。レクトにしてみれば別に呼ばれたところでどうということはないのだが、それでも面倒事になってしまうのは勘弁願いたいという気持ちがあった。
「いや、守衛にはきちんと通してもらってるんだが。ほら、校長直筆のサインも持ってるし」
そう言って、レクトは例の紙を取り出してみせる。学校名と校長の名前しか記されていない紙きれではあるが、それを受け取った女教師は紙に書かれた内容をじっと見て、小さく頷く。
「…確かに校長のもののようですね。失礼しました」
そう言って、レクトに紙を突き返した。レクトはそれを受け取ると、無言のまま折りたたんでロングコートのポケットにしまう。
「で?本日はどんなご用件で?」
中年の女教師は納得こそしてくれたものの、つい先程のベロニカとのやり取りのせいか彼女の態度そのものは未だに冷たい。ベロニカ自身が悪いとはいえ、生徒に対してセクハラまがいのことをされたので当然といえば当然かもしれないが。
と、ここで先程までベロニカをなだめていた小柄な女教師がふと思い出したように言った。
「もしかしてほら、今朝、校長が言ってたあれじゃないですか?午前中に上客が来るからって…」
「あっ、そういえば…」
その言葉を受けて、中年の女教師も思い出したように間の抜けたような声を漏らした。小柄な女教師は尚も泣き続けているベロニカに寄り添いながら、レクトの方を見る。
「校長室なら、この校舎の4階です。ベロニカちゃんは私たちが何とかしますから、校舎の中へどうぞ」
「あ、そう。じゃあそうさせてもらうわ。あんがと」
こういう事に関してはズブの素人である自分よりも、本職である彼女たちに任せた方が賢明だろう。そう思ったレクトは未だに泣きじゃくるベロニカを尻目に校舎の中へと向かう。
だが、その表情はどことなく険しいものがあった。
「校長。俺を雇いたいっていうなら、多分人選ミスだぞ」
自虐的なことをぼやきつつ、レクトは校舎の中へと足を踏み入れた。