国王からの呼び出し ②
レクトの肩を掴んだのは、彼とほぼ同じ年齢と思われる長髪の男性騎士であった。その光景を見て周囲は更なる緊張に包まれるが、肩を掴まれた当のレクト自身の反応は意外なものだった。
「よう、アイザじゃん。下っ端騎士のくせにそんな派手な服着てていいわけ?」
仏頂面の騎士の顔を見て、レクトはからかうように言った。先程のフィオリーナもそうであったが、レクトの言うように他の騎士が身に付けているような地味な鎧ではなく、神官のような派手な装飾の施された、白い鎧をまとっている。
一方でその台詞を吐かれた当人である騎士のアイザックは、レクトを恐れるどころか、むしろひどく呆れた様子で彼の肩から手を離す。
「おかげさまで、お前が魔王を倒している間に部隊長にまで出世したよ」
「あらら、そりゃあ景気のいいことで」
アイザックの話を聞いて、レクトは驚きを表すように両手を大きく広げた。とはいえ本心では大して驚いてはいないのだろう、台詞そのものは若干棒読み気味ではある。もっともそれは裏を返せば、アイザックが隊長になるということを別に不思議には思わない、つまり彼の実力を認めている、ということになるのだ。
「というかアイザよぉ、いつも言ってるだろ。もう少しにこやかにしてろよ。そんなド真面目なお堅い面してるから、女が寄り付かないんだっての」
レクトは出世の話とは一切関係のない、完全に個人的なダメ出しを食らわせた。しかしアイザックの方もこの手のダメ出しについては慣れているのだろう、表情を一切変えることなく言葉を返す。
「あいにくと、ケンカで叩きのめした相手を裸に剥いて逆さ吊りにしたり、学生寮の自室に酒場のウェイトレスや娼婦を連れ込んで朝まで遊び倒すような、超が付くほどに弩級の問題児とは普段からの素行が違うのでな」
アイザックは皮肉交じりに、過去のレクトの悪行を暴露した。当然のことながらそれを聞いた周りの騎士たちは困惑しながら、小声でヒソヒソと話をしている。
(え?今の話って、もしかして英雄レクトのこと?)
(だよな?話の流れからして)
魔王を倒して英雄とまで呼ばれるようになった男が、学生時代に暴虐の限りをつくしていたり、女遊びに明け暮れていたなど、到底信じられないような話ではある。だが当のレクト本人は否定することなく、何の気なしにアイザックに向かって言い返す。
「あれは若気の至りってやつだよ。それに、同級生にはそんなに迷惑はかけてなかったろ?」
「どの口が言う。お前がローションの付いたままの素足で廊下を歩いたおかげで、連帯責任ということで余計な掃除を何度させられたか」
「そうだったっけか?そいつは悪かったなぁ」
ネチネチと愚痴のように文句を言うアイザックとは対照的に、レクトはケラケラと笑っている。
どうやら話の流れからすると、アイザックの語ったレクトの学生時代の蛮行は事実のようだ。といっても驚いているのはレクトのことをよく知らない若い兵士や騎士たちのみで、国王や大臣たちは我関せずといった様子で目を伏せているのだが。
「っていうかさ、女の連れ込みに関しては心当たりめちゃくちゃあるんだけど、裸で逆さ吊りって何の話だ?まったく身に覚えがないんだが」
側から見れば無責任極まりないとしか言いようがないのだが、なんとレクトは自分の蛮行について身に覚えがないことがあるようだった。それを聞いたアイザックは呆れてものも言えないようで、がっくりとうなだれながら目頭を押さえている。
「お前がウチの学校に編入されてきた翌日の話だろうが。挨拶料とかいって金をせびってきた番長グループを全員ボコボコにして、屋上から全裸で吊るして写真を撮ってたぞ、お前。しかも大笑いしながら」
アイザックの説明で、周囲が更にざわついた。ここまでくると最早、英雄がどうとかいう話ではなく、まず人としてどうなのかという問題になってくる。
(む、無茶苦茶だこの人…)
(ドSで女好きの英雄って、そんなんアリ?)
理想と現実は違うだとか、そういうレベルの話ではない。最初はよくわかっていなかった騎士たちも、国王が英雄レクトに会いたくなかったという理由がようやく理解できたようだった。
「うーん…覚えてない」
「お前という奴は…」
あっけらかんとした様子で答えるレクトに対し、いよいよアイザックは呆れてものも言えないようだ。
「とにかく、私の職場で問題行動だけはやめてくれ。お前の問題行動の尻拭いは正直なところ今更という部分もあるが、やりたくないというのは昔から変わらない」
「ま、アイザがそう言うのなら」
アイザックの説得が功を奏したのか、レクトは素直に引き下がった。それまで緊張感で張り詰めていた室内の空気も、少しだけ緩和されたようである。
「あれ?そういや、俺がパンツ丸出しにしてやった姉ちゃんどこ行った?」
ここでレクトが、いつの間にかフィオリーナが消えていたことに気づいた。とはいえ彼女にしてみれば、下着が晒されたままの状態では流石に居心地が悪いというのも無理はない。しかも、この国を治める王の前であるのだから尚更である。
「彼女ならつい先程、小走りで出て行ったぞ。彼女も学生時代には武術大会で優勝するほどの腕前を持つほどの人物だったのだが、やはり相手がお前では分が悪かったか」
アイザックの話によると、フィオリーナも相応の剣の腕前の持ち主であったようだ。だが彼の言うように、先程の一件に関してはただひたすらに“相手が悪すぎた”というほかないだろう。
そして、当然のことながらレクト自身もそれを自覚している。
「当たり前だろ。俺に勝てる奴なんかいるかっての」
「相変わらず傲慢な奴め」
レクトが堂々と言い切ったので、アイザックも呆れ半分といった様子だ。だがここで、レクトはふと何かを思い出したように言う。
「その武術大会ってさ、もしかしてアレのことか?アイザが前日に食った牡蠣にあたったせいで、腹下して欠場になった大会」
「他人をボコボコにして吊るしたことはすっかり忘れているくせに、なぜ人の嫌な思い出のことは正確に覚えているんだ、お前は」
苦い思い出をレクトが面白おかしそうに語るので、アイザックは不機嫌そうな様子で言い返した。とはいえ、食あたりで大会を欠場したなど、余程のことがない限り良い思い出に変わることはないだろうが。
「陛下。最早この男に対して、魔王を倒したことへの労いの言葉は不要です。褒めるだけ時間の無駄かと」
「う、うむ。そうか」
嫌なことを掘り返されて機嫌が悪くなったのか、アイザックが話を淡々と進めるので、国王もただ頷くことしかできなかった。どうやら国王は、アイザックがレクトに対して一切動じることなくズバズバと物言いをしていることにかなり驚いているようだ。
「ひでえ言い草だなぁ、アイザ」
一方で言われたい放題のレクトは、否定こそしないものの笑いながらアイザックに文句を言う。しかしながら、アイザックのレクトに対する苦言は止まらない。
「どうせお前にとっては国王陛下からありがたいお言葉を頂くよりも、酒場のウェイトレスや娼館の女たちにチヤホヤされる方が喜ばしいのだろう?」
「そりゃそうだ。脂ぎった中年オヤジに褒められたって嬉しくもなんともねえ」
アイザックに皮肉を言われても、レクトはそれを堂々と肯定する。だがそんなレクトが肯定の言葉を口にした瞬間、周囲の人間たちはドキッとしたような反応を見せた。
(国王陛下を中年オヤジ呼ばわり!)
(もう何でもアリだな、あの人)
目の前で国王のことを罵倒するなど、普通に考えれば罰せられるのが当たり前だ。しかも本来であれば、そういった無礼な人間を取り押さえる役割の騎士団が周りに何人もいる状態である。
にもかかわらず、この外道が野放し状態である理由は大きく分けて2つ。1つはこの男が世界を救った英雄であること、そしてもう1つは単純にこの場にいる誰の手にも負えないことである。
「…とまぁ、そういうことです、陛下。このような外道、要件だけ伝えてさっさと返してしまいましょう」
この場で唯一、レクトに対して対等に接することが可能なアイザックが話を進める。もっとも、彼にとってもレクトは昔から手に負えない厄介者というのは今更どうしようもない事実であることには違いなく、レクトが彼に対してぶつくさ言いながらも素直に受け入れているというのは、やはり単純に付き合いが長いという部分が大きい。
「ほらみろ、やっぱ要件あるんじゃねえか。あとアイザ、さっきから俺に対する扱いが雑だぞ」
「いつも大体こんなものだろう」
自身の扱いに関して不満をこぼすレクトであったが、アイザックはそれを軽く一蹴する。おそらく学生時代からこのようなやり取りを繰り広げてきたのであろう、レクトも「ちぇー」と小さく呟くだけで、アイザックのことを力尽くでどうこうしようとはしない。
「というより、私のことはもういいだろう。頼むから陛下の話を聞いてくれ。お前と漫才をするためにこの場に呼んだのではないぞ」
「あー、はいはい」
アイザックが懇願するように言うと、レクトも思い出したように頷いた。話が完全に脱線してしまっていたが、そもそも今日この場にレクトを呼び出したのはアイザックではなく、国王なのだ。
「で?改めて聞くが、要件は?手短に頼むぜ」
レクトは国王の方へと向き直ると、率直に要件を尋ねた。それまではほとんど蚊帳の外になっていた国王は、急に自分に話を振られたことで少しだけ慌てつつも、平静を装いながら口を開く
「あー…えーと、実はな。1つ頼みがあるのだ」
「頼み?また何か倒してほしいモンスターでもいるのか?」
「いや、今回はそうではないのだ」
頼みと聞いて、レクトは真っ先にモンスターの討伐を予想した。というのも、レクトが国王から何かを頼まれるのはこれが初めてというわけではなく、これまでにも何度か依頼を引き受けたことがあったのだ。もっとも、その依頼内容については騎士団の手に負えないレベルのモンスターの討伐であったり、王都に迫り来る魔王軍や魔族を退けるといった、要するにレクトの戦闘能力ありきの依頼ばかりであった。
だが国王が即座に否定しているあたり、今回は今までとは少し毛色が違う頼みのようであった。
「正確に言うと、わしの頼みではないのだ。わしの古くからの知人が、お前に直接会って頼みたいと言っている。どうか聞いてやってくれないか?」
どうやら今回は国王からの直接の依頼ではなく、国王自身はあくまでも伝達係のような立場であるらしい。これはレクトにとっては初めてのケースである。
「ふーん。で?その知人ってのはどこにいるんだよ」
「この後、午後2時にフォルトゥナの時計台で待っているそうだ」
そう言って、国王は少しだけ肩の荷が下りたような気分になった。なにしろ、レクトに伝えなければならない内容はこれだけだ。つまり、これで彼の仕事は終了ということになる。
だが、世の中そうそう上手くいくものではない。国王はこれで終わった気になっているが、レクトの方は不満大アリのようだった。
「おい、ちょっと待て。フォルトゥナの時計台だと?この城にいるんじゃないのか?」
「え?いや、あの…」
レクトの指摘に、国王はしどろもどろになっている。だが、これはあくまでも預かった伝言であって、国王自身の意思ではない。国王にはどうすることもできず、ただありのまま伝えるほかなかった。
「あぁ…うん。その人物が、“どうしてもあそこがいい”って言うものでな…」
「ってことは何か?今日、呼び出しをくらってた俺は、ここに来て更なる呼び出しをくらったってわけだ」
声が尻すぼみになる国王を、レクトがさらに追及する。レクトの声も若干ではあるがドスのきいたものになっており、もはや金持ちをゆする悪漢のようにしか見えない。国王自身に責任があるわけではないのだが。
「いや、国王である私が直々に頼んだ方が聞いてくれるかなー…って」
「完全な二度手間だろうが。次からはいちいち城なんかに呼び出さないで、使いでも寄越して直接伝えろ」
「はい、すいません…」
国家元首とあろう者が、傭兵1人に凄まれただけで頭を下げて謝罪するという、何とも情けない光景が広がっている。もっとも、傭兵といっても相手は対ドラゴン用のゴーレムを一撃で粉砕するような化け物なので、ビビるのも無理はない。というより、そもそも国王に対してこのような態度をとっておきながら周囲の人間が誰一人としてレクトに食ってかかることをしないあたり、お察しの通りとでも言うべきなのだろうが。
「別に不都合なことはないだろう、レクト。それに、どうせ今は特にやることがなくてヒマなんじゃないのか?」
この場で唯一、レクトに対して意見ができるのがアイザックだ。レクトも旧友に対して力尽くで押さえつけるつもりはないようだが、不満を隠すようなこともしない。
「ヒマとか言うな、アイザ。ヒマなのは事実だが」
「ならいいじゃないか」
列車の中でルークスたちにも話したように、レクト自身、今のところは何かしなければならないことも、目標も特にない。アイザックの言うように、ヒマだというのも否定しようのない事実なのだ。
レクトにとってもそれは気にするようなことではない。だがそれとは別に、先程の話の中ではまだ腑に落ちない点がある。国王の言う“知人”がなぜわざわざ観光名所であるフォルトゥナの時計台を待ち合わせ場所にしたのかが、いまいちピンとこないのだ。
「しかし、フォルトゥナの時計台だと?なんでまたそんな場所に?」
「さ、さぁ…?わしも詳しい話は聞いてないから…」
「おい…」
どうやら国王にもその答えはわからないようで、レクトは呆れたような目で国王を見ている。しかしながら、これ以上国王のことを追及したところで何の情報も得られないと理解したレクトは、頭を軽くかきながら前向きに考えを切り替える。
「まぁいいや。行けばわかるだろうし」
「そ、そうか。礼を言うぞ、レクトよ」
兎にも角にもレクトが了承してくれたので、国王はホッとしたようだ。
とはいえ、先程国王が話した待ち合わせの時間は午後の2時。レクトが王城に到着したのが午前11時頃のことだったので、約束の時間まではまだかなり余裕がある。
「アイザ。今、何時だかわかるか?」
「11時29分だ」
レクトから質問されたアイザックはポケットから懐中時計を取り出し、正確な時刻を答える。しかし彼のその回答は、どうやらレクトにとっては少しばかり気持ちの悪いものであったようだ。
「細かっ。それならもう11時半でいいじゃん」
「私は中途半端なことは嫌いだ」
レクトの文句を、アイザックはバッサリと切り捨てる。もっともこの問題に関しては、単純に両者の性格的な違いを物語っているだけなのだろうが。
「前から何度も言ってるけどさ、俺はお前のその神経質な部分が理解できない」
「前から何度も答えてはいるが、私もお前に理解されたいとは微塵も思わない」
皮肉を言ったつもりがまさかの皮肉で返され、レクトは黙ってしまう。しかしこのようなやり取りも彼らの間ではそこまで珍しいことではないのだろうか、レクトはやれやれといった様子で肩をすくめると、玉座の間の出口に向かって歩き出す。
「ま、いいや。じゃあな、アイザ。俺はもう行くから、おつとめ頑張ってくれよ」
「お前に言われると何故だか無性に腹立たしくなるな」
アイザックに皮肉を返されるも、レクトはまったく気にした様子もなく玉座の間をあとにする。そうしてレクトの姿が見えなくなったところで、ようやく緊張の糸が切れたのか、国王は大きく息を吐いた。
「はぁー。しかしながら、相変わらずあの男の相手は疲れるなぁ。他国の王や首相を相手にする方がよっぽど気が楽だ」
「まったくですな」
愚痴をこぼす国王に、大臣が同意するように頷く。実際に緊張から解放されたのは2人だけではないようで、玉座の間はまさに台風が過ぎ去った後のような空気になっていた。
「大変申し訳ございません。奴に代わってお詫びします」
「いや、気にするな。お前が悪いわけではない。それに、我々もこうなることがまったく予想できなかったというわけでもないからな」
友人の非礼をアイザックが頭を下げて謝罪するが、大臣も軽く手を振りながら彼を諭すように言った。国王や大臣たちも、アイザックに非がないということは十分に理解しているので当然の事ではある。
「エルトワーズがいればなぁ…。元々はあいつがレクトとの交渉役だったんだろう?」
国王はボツリと、この場にいない人物の名前を挙げる。もっとも、当該者がこの場にいない以上、それは無い物ねだりに過ぎないのだが。
「エルトワーズ議員でしたら、今日は北方にある野戦病院の視察です。それに、そもそもあの方が騎士団長だったのは一昨年までの話ですし…」
国王が挙げた人物の所在を、アイザックが丁寧に説明した。しかし国王は必要ないといった様子で手をパタパタと軽く振りながら、首を小さく横に振る。
「あぁ、いや。わしもわかってはおるのだ。単なる愚痴みたいなものだから、気にせんでくれ」
「はぁ、左様ですか」
国家元首という立場の人間が愚痴をこぼしたことに対し、アイザックは少しばかり困惑したような表情を浮かべる。とはいえ、レクトと付き合いの長いアイザックからしてみれば国王が愚痴の1つでも言いたくなるというのもわからないでもないが。
「まぁ、何はともあれ終わったからいいか。わしの仕事はレクトを彼女に会わせるだけだから。あとはクラウディア自身がなんとかするだろうしな」
そう言って、ひと仕事終えた国王はゆっくりと伸びをした。