ステップアップ ⑥
生徒たち全員がほぼ同時に、音がした方向へと目を向ける。そして、その音の発生源を目の当たりにしたことで、皆が言葉を失った。
「おい、冗談だろ…!?」
信じられないといった様子で、ベロニカが言葉を発する。
なぜなら、生徒たちの視線の先では目の前に倒れているダークトロールと同じ姿をした巨人が、横一列に並んだ状態でこちらにゆっくりと歩み寄ってきていたのだ。数としては十数体はくだらないだろう。
『ニンゲン…!』
『コロスッ!』
例外なく、トロールたちはS組メンバーに殺意を向けている。仲間を討伐されたことに対する仇討ちと考えるのが自然ではあるが、実際のところはトロールにそういった強い仲間意識などはない。
殺意を向けているのは、他ならぬ彼女たちが“人間”であるからだ。
「嘘でしょ…!?あの化け物が、あんなに…」
「わ…わたし、あと1体でも倒す自信ないです…」
状況を理解したリリアとアイリスの2人は、これまでにないほどの暗い表情で弱音を吐く。
当然のことながら、弱気になっているのは2人だけではない。ただでさえ先程の戦闘で疲弊している上に、自分たちがやっとの思いで倒した魔族が並んでいるのだ。気合いや根性論でどうにかなるような話ではない。
ところが、そんな彼女たちを尻目にレクトは1人余裕の表情を浮かべながら前に出た。
「いや?そもそも俺は今回、“1体倒せ”としか言ってねえぞ」
「…え?」
唐突なレクトの発言に、フィーネが困惑したような声を出した。当たり前だが、困惑しているのは他の生徒たちも同様である。
「だから授業はこれで終了だ。あとは俺がやるから、お前らはそこで休んでな」
そう言って、レクトは背負った大剣の柄に手をかける。とはいえ生徒たちはつい先程戦ったばかりのダークトロールの強さを嫌というほどに理解しているので、当然ながら冷静に聞いてはいられなかった。
「俺がやる、って…あの大群を先生1人でですか!?」
エレナが慌てた様子でレクトを見た。しかしながら当のレクトはというと、まるで何も考えていないように空いている左手をひらひらと振っている。
「余裕、余裕。あれぐらい。グリーンドラゴンとかに比べればショボい連中だぜ?」
「ですけど…」
もちろん、エレナたちもレクトの強さは十分に理解している。
それにレクトの言う通り、ダークトロールの危険度は先日に彼が屠ったグリーンドラゴンと比較すればはるかに下だ。グリーンドラゴンを一撃で屠るレクトがトロール程度に負けることなど、普通に考えて有り得ないことだ。
「さて、そんじゃ片付けますか」
『ニンゲン!』
『コロスッ!』
呑気なレクトとは対照的に、トロールたちはひどく荒ぶっている様子だ。もっとも、そんな光景を目の当たりにしたところでレクトがブレることなどまったくないのだが。
「あ。そうだ、お前ら」
心配そうな生徒たちを尻目に、ふと思い出したようにレクトが口を開く。
「俺の前には出るなよ」
それだけ言うと、レクトは手にした大剣を、刀身がちょうど自身の後方に来るように構えた。
『ニンゲンッ!』
『シネ!』
数体のダークトロールが、レクトに向かって手にした棍棒を振りかざす。しかしながらレクトはそれにまったく臆することなく、静かに大剣を振り抜く。
「紫電一閃」
ザンッ!
『グゲッ!?』
『ギイ…?』
『ガッ…!』
目にも留まらぬスピードで剣が動いた直後、トロールたちが苦しそうなうめき声を上げる。そして、全てのトロールが血飛沫を撒き散らしながらバタバタと倒れていった。
「うそ…!?」
「い、一撃で全部…!」
一瞬の出来事に、リリアとフィーネが小さく声を漏らす。あまりの衝撃に、他の生徒たちは声も出ないようだ。
だが、彼女たちの驚きはそこで終わることはなかった。
ガラガラガラッ!
「岩山が!?」
反射的にアイリスが叫んだ。というのも、レクトから見て右手にあった10メートルはあろうかという岩山が、轟音を立てながら崩れていったのだ。
誰がどう見ても、今の一撃が原因としか考えられない。
「しまった、調子に乗りすぎた」
驚きのあまり言葉が出ない生徒たちに対し、レクトは相変わらずの呑気な様子で呟いた。調子に乗りすぎたと口で言っている割には、特に反省の色を見せていないのがまたレクトらしい。
「久々に使ったってのもあるけど、やっぱ大剣でやると力加減がムズいなぁ」
そんなことを言いつつ、大剣を背中に戻す。一応、レクトの感覚としては加減を間違えたという自覚があるらしい。
「よし、終わったぞ」
誰がどう見てもわかる事を報告しながら、レクトが戻ってきた。もっとも、生徒たちの方は未だに呆然としたままの状態であるが。
「せ、先生、今のって…」
「あー、気にすんな。並の人間には無理なレベルの芸当だから」
フィーネが質問の内容を言い終える前に、聞きたいことを察したレクトが食い気味に答えた。もっとも、それはフィーネが聞きたかった内容とは微妙に違っていたようであるが。
なんとも言えない空気に生徒たちが困惑している中、1人冷静な様子のルーチェが少し別のベクトルからレクトに質問する。
「いちおう聞きますけど、さっきのってどういう技なんですか?」
「紫電一閃のことか?」
「なんだか、普段の先生の剣の振り方とは違ったような気がしたので」
「あっ、アタシもそれ思った!」
ルーチェの発言に同調するように、ベロニカが手を挙げた。レクトの動きが常人とはかけ離れているのは既に皆が知っていることではあるが、それでも普段の動きとは異なっていたことが気になったようだ。
「よく見てんなあ。まぁ、良い事なんだけどさ」
相手の動きをよく観察するというのは、戦闘においても重要なことである。レクトにしてみれば彼女たちを褒める理由としては十分だ。
「前に東方の島国に行った時に、サムライっていう現地の剣士に教えてもらった技だ。元は刀でやる技なんだけど、試しにやってみたら大剣でもできたんでな。それ以来、広範囲をなぎ払う時に偶に使わせてもらってる」
説明をしながら、両手で刀を振るようなしぐさを見せる。といってもレクトの場合はもはやなぎ払うというレベルの話ではないのだが、その点については今更な部分もあるので生徒たちは黙っていた。
また、それとはまた別の質問がエレナから飛んでくる。
「でも先生。いきなりあんな数のダークトロールが現れたっていうのに、随分と冷静でしたね」
彼女の言う通り、ダークトロールの群れが現れた時もレクトはまったく驚いた様子を見せていなかった。もちろんレクトにとってはダークトロール程度など取るに足らない相手であるのは間違いないのだが、その点を考慮しても彼の態度がいささか不自然に思えたようである。
そして、その質問に対するレクトの回答はというと。
「そりゃあだって、そういう依頼だし」
「…そういう依頼?」
当たり前のように答えるレクトに、エレナは怪訝そうな視線を向ける。
「実は今回の討伐依頼ってさ、正確にいうと“村の近くで確認されたダークトロールの群れを倒す”っていう内容だったんだよ」
「え?」
まさに寝耳に水とでもいうのか、フィーネが間の抜けたような表情を浮かべている。
「き、聞いてないですよ!」
「そりゃあ言ってないからな」
「そうじゃなくって!」
さも当然といったように答えるレクトに、フィーネは少し怒った様子で文句を言った。もちろんレクトのことなので、うっかり忘れていただけというはずもなく。
「どうせお前らが倒さなきゃならないのは1体だけだし、知ってても知らなくても一緒だろ?別に言う必要はないかなって」
「こ、心構えとか準備とか色々あるじゃないですか!」
「ダークトロールの群れが相手だけど、お前らが倒すのはそのうちの1体だけな。あとは全部、俺が倒すから。…って言うことになるだろ?結果的には一緒だと思うけどな」
「そ、それでも!」
面倒くさそうに述べるレクトに、フィーネはなおも食ってかかる。だがここで、見かねたリリアが話に割って入った。
「フィーネ、諦めなさい。どうせ何を言ってもムダだから」
「うぅ…」
リリアに諭され、フィーネは黙り込む。当然のことながら、リリアもレクトが全て正しいとは思っていない。単純に“言うだけ無駄”という結論にいたったというだけだ。
そんな中、今の流れとは関係のない質問をエレナが口にする。
「そういえば先生。あの倒したトロールは放っておいて大丈夫なんですか?」
要するにエレナが言いたいのは、倒したダークトロールの死体を処理しないのか、ということだ。先程のレクトの一撃により半数近くは上半身と下半身が横に真っ二つの状態であるが、中には絶命こそしているものの、トロールとしての形を残している死体もある。
もっとも、当のレクト本人は気にも留めていないようであるが。
「所詮はトロールだ。死体を操って悪事を働こうなんて考える奴はいねえよ」
「そうなんですか?」
レクトの考えを聞いて、エレナは少し驚いたような表情を浮かべる。
「そもそも、死体を一時的に蘇らせて操るっていうのは闇魔法の中でも相当なレベルの術だからな。それほどの魔力を持った術師なら、トロール程度が自分の戦力になるなんてまず思わないってこと」
「なるほど…」
レクトからきちんとした理屈を述べられ、エレナは納得した様子だ。割と…というより普段から何かといい加減なレクトであるが、戦闘に関してだけはあらゆる方面から的確に分析するのだから人はわからない。
「でも、ペリルの森にいた魔族にはきっちりトドメ刺してたじゃん」
「前にも言っただろ。あれは俺の“知らない魔族”だったからだ」
割って入ったベロニカの疑問に、レクトは端的に答える。
「そういえば、わたしを助けにきてくれた時も倒した食屍鬼はそのままでしたよね」
続くようにして、その点についてサラからも指摘が入った。もちろん用心深いレクトなので、先日のグールに関しては決して忘れていたというわけではない。
「グールは再生力が半端じゃないけど、体内の核を潰せば問題ないからな。その状態からだと復活は無理だし」
「なるほど〜」
レクトの説明を聞いて、アイリスが納得したように頷く。だが、件のグールに関してはもう1つ、別の理由があった。
「それに、調査のためにちゃんと死体を残しておかないと後で色々とうるせえ奴が騎士団にいるんでな。そこも配慮した」
「まさか先生の口から配慮という言葉が聞けるとは」
「辛辣なコメントをどうも」
ルーチェが吐いた毒を、レクトは軽く受け流す。
兎にも角にも、これで“生徒たちが自力でダークトロールを倒す”、“酒場の依頼をこなす”という2つの目的を果たすことができた。後は学園に戻るだけだ。
「よし、それじゃあ帰るか」
「…なんか最後は先生に全部持っていかれたみたいで釈然としないんですけど」
気楽な様子で伸びをしているレクトに、エレナがポツリと呟く。確かに当初の目的は達成できたが、あれだけ自分たちが苦労して倒したダークトロールを一瞬で、それも十数体まとめて秒殺してしまったのだから、そう思うのも無理はないが。
「考えても意味のないことは気にしない方がいいぜ」
「…そうします」
今更ながら、自由すぎるレクトにはもはや反論する気も起きないようで、エレナは素直に返事をした。