おまけ 誘拐事件〜after episode〜
一連の失踪事件が解決した翌日。最初の授業で使う道具の入った大きな箱を抱えながらレクトが廊下を歩いていると。
「せーんせっ!」
「おう、サラか」
すっかり調子を取り戻したサラが、軽快な足取りでレクトのもとへと駆け寄ってきた。見たところ、高位食屍鬼の毒の影響は完全になくなっているようだ。
「体調の方は問題なさそうだな」
「はい!もう大丈夫です!」
レクトが確認するように言うと、サラは元気よく返事をする。言葉の通り、身体の方はもう大丈夫なのだろう。
「それで、昨日は…その…助けてくれてありがとうございました!」
とびきりの笑顔で、サラはレクトに向かって感謝の意を述べた。もっとも、礼を言われた本人はなんとも思っていないような表情である。
「あー、いいってことよ。あれも俺の仕事のうちみたいなもんだからな」
もちろん、レクト本人は感謝されて当然の立場ではあるのだが、そういった部分では恩着せがましくならないのがレクトという人間なのだ。
とはいえ、レクトだって決してどうでもいいと感じているわけではない。
「まぁでも、無事でよかったな」
「はい!」
地下水道でも似たような言葉をかけたが、無事でよかったと思っているのはレクトの本心だ。サラの方もそれがわかっているのか、元気よく返事をする。
兎にも角にも、改めてレクトに礼を言うという目的を達成したサラは、早速と言わんばかりにレクトが手に持っている荷物に目を向ける。
「先生、重いですよね?持ちますよ!わたし、タウロス族なんで力強いですから!」
小さなことであってもレクトの役に立ちたいと思っているのだろう、サラはレクトに手伝いを申し出る。しかしながら、そんな彼女の申し出に対するレクトの返事はというと。
「強いったってお前、最初に会った時に俺に指2本で攻撃止められたじゃん」
「細かいことは気にしなくていいんですよぉ」
サラとしてはどうにかしてレクトを手伝いたいのだろうが、実際にレクトの言うように純粋な腕力はサラよりもレクトの方が圧倒的に上だ。それ故、レクトにとっては手伝ってもらう必要性が無いのである。
「まぁでも、やっぱりせんせーの力と比べたら、わたしなんて足元にも及ばないですから」
仕方なく手伝うことを諦めたサラであったが、何を思ったのか教室へ向かうレクトの左側に並行するようにして歩き始めた。そして唐突に、レクトの左腕に両手を添えながらピッタリと身体を寄せる。
「!?」
その行動に少しだけ驚いたレクトであったが、幸いなことに驚いたこと自体はサラには気づかれていないようだ。
「くっつくな。暑苦しい」
もちろんレクトはこの程度で照れたり取り乱したりするような男ではないが、立場上の面目なのか、あるいは本音なのかもしれないが、サラに対して文句を言うように呟いた。
しかしサラは注意されても離れようとせず、レクトの腕を両手でギュッと握る。
「まだ毒の影響で体が上手く動かせないから、歩くのにも支えが必要なんですよぅ」
「さっき、もう大丈夫だって自分で言ってたじゃねえか」
「言いましたっけ?」
指摘されるも、サラはとぼけながらレクトにくっついたまま歩いている。
そんな2人の様子を、校舎の間にある渡り廊下から窓越しに眺める2つの影があった。
「何アレ。サラの奴、先生に対して急にベッタベタじゃない」
リリアが見たままの状況に対して言及する。前日まではあのような素振りなどまったく見せてはいなかったのに、昨日の今日でここまで態度が変わっているのだから不思議に思うのも当然といえば当然であるが。
その光景を眺めているリリアの横で、ルーチェが解説するように口を開く。
「さっきエレナに会って聞いたんだけど、例の失踪事件に巻き込まれたところを先生に助けてもらったんだって」
「えっ、そうなの?」
ルーチェの説明を聞いて、リリアが少し驚いたように言った。とはいえ、よくよく考えれば事件の被害者はタウロス族の若い女性、つまりサラも例外ではない。だがそれでも身近な人間が巻き込まれたとなると、やはり驚くのも無理はない。
「だけど、いくら助けてもらったからって、あんなに急にベタベタする?」
リリアが少し呆れたように言った。助けてくれたことに対して恩を感じるのは不思議ではないのだが、それにしたってこのサラの変わりようは尋常ではない。
だが、リリアとは反対にルーチェはそれほどおかしなことではないと感じているようだった。
「そう?自分を助けてくれた男にベタ惚れなんて、ありがちな話だと思うけど」
「いや、ありがちすぎるでしょ!」
割と当たり前のように受け止めているルーチェに、リリアがすかさず指摘を入れる。もっとも、日頃から読書ばかりであり恋愛小説も読むことのあるルーチェにとってはあまり抵抗が無いのかもしれない。
相変わらずレクトの腕に手を添えながら、サラは今朝に見た夢のことを思い返していた。
父親の命日と同じく、幼い頃の自分と会話を交わす父親の夢だ。正確に言えば命日に見た夢の続き、となる。
(ねぇ、お父さん!わたし、けっこんするんだったら、お父さんと同じくらいすごいヒーローがいいなぁ!)
(けっ、結婚!?)
唐突な娘の発言に、父親は動揺を隠せないようだった。もちろん年端もいかない子供の発言なので特別に深い意図はないのだが、父親という立場からすればとんでもない爆弾発言にも聴こえてしまうのだ。
(だっ、ダメだ!その程度の男など、父さんが許さん!)
別に明確な相手がいるわけでもないというのに、父親はムキになりながら娘に注意した。よっぽど動揺しているのだろうか、言っていることも滅茶苦茶である。
しかし残念ながらその言葉は、当の娘には違う意味で伝わってしまったようであった。
(じゃあ、お父さんよりもすごいヒーローだったらいいってこと?)
(そっ、それはだな…)
真っ直ぐな娘の質問に、父親はしどろもどろになってしまう。そうやって返事に困っている父親に声をかけてきたのは娘の母親、つまりは彼の妻である女性だった。
(いいじゃない。それで)
(し、しかしだな…)
なだめるように言ったが、父親の方はまだ納得がいかないようだ。そんな夫の姿を見かねて、母親の方は肩車されている娘の頬を撫でながら話を続ける。
(だってお父さんよりすごいヒーローってことはね、誰よりも強くて、誰よりもみんなから慕われて、そして誰よりもサラを大切にしてくれる人ってことでしょ?)
(それは…まぁ、そうなるのかな)
妻に諭され、ようやく父親の方も少し冷静になったようだ。とはいえ、まだ少しばかり不服に感じているようではあるが。
(そんな人が本当にいるんだったら、逆に見てみたいくらいじゃない?)
剣闘士として活躍し、コロシアムの英雄とまで呼ばれるようになった夫だ。そんな夫よりも更に強く、そして他者から慕われるような人間など、とても想像などできない。純粋にそう思っての発言であった。
(…そうだな。本当にそんな凄い人間がいるんだったら、きっと世界を救うだとか、それこそ想像もつかないようなとんでもない事を成し遂げてしまう男なのかもな)
父親の方もようやく納得したのか、小さく呟くように言った。
もっとも、小さな声であったとはいえ肩車しているのからか娘にも聴こえていたようだ。無論、その内容が理解できていたかどうかは別の話であるが。
(さっきから2人の話、むずかしくてよくわかんない)
娘が文句を言う。やはり子供には少し難しい話だったようで、自分だけ置いてけぼりになってしまっていたことが気に入らないようだ。
(この広い世界の中には、もしかしたら父さんよりも凄いヒーローがいるかもしれないってことだよ)
小さな娘にもわかるように、父親は噛み砕いて説明する。ところが娘の方はというと、父親の思う方向とは別のベクトルで話を解釈してしまっていたようであった。
(じゃあ、そんなヒーローだったらけっこんしていいんだよね!?)
(そ、それは…)
(ちょっと、あなた)
やはり素直に認めることには抵抗があるのか、言葉に詰まってしまう父親に間髪入れず妻が指摘を入れる。
流石に諦めたのか、父親はやや不服そうな表情を浮かべつつも娘に話しかける。
(父さんより凄いヒーロー、ちゃんと見つけるんだぞ)
(うん!)
親の心子知らずとはこのことなのか、娘は無邪気に返事をした。