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狙われたタウロス族 ⑩

 マダム・ローズはくわえていた煙草タバコを口元から離すと、ふーっと煙を吐いた。


「そうかい。やっぱり、トレニアは助からなかったんだね」


 そう言って、マダムはカウンターの上に置かれたロケットに目を向ける。地下水道でレクトが人骨の山から見つけた、トレニアの写真が入ったものだ。


「トレニアの彼氏には、あたしの方から事情を説明しておくよ。もちろん、このロケットも渡しておくさ」


「わかった。そっちは任せる」


 返事をしつつ、レクトはグラスに少しだけ残っていたウイスキーをぐいっと一飲みする。トレニアの遺品を見つけてくれたことに対し、お礼として珍しくマダム自ら「1杯おごる」と注いでくれたものだ。

 氷だけになったグラスをカウンターに置いたところで、カランカランと音を立てて店の扉が開かれた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、白薔薇の館へ」


 落ち着いた声を出しながら、いつもの営業スマイルを浮かべて受付嬢のベルガモットが客を出迎える。もちろん客商売なので笑顔というのは大事なことなのだが、あんな事があった直後であるにもかかわらず客の前では不安や悲壮感を一切見せずに対応できるのは、流石さすがのプロ根性といったところだろうか。


「あら、誰かと思えばシェリド様ではありませんか」


「うむ。今日は気分が良いから、少し奮発したコースにしようと思ってね」


「いつもご贔屓ひいきにしていただき、ありがとうございます」


 盗み聞きするつもりはなかったのだが、会話の内容からすると男性はおそらく常連客なのだろうとレクトは予想する。事実、対応するベルガモットの方も慣れた様子だ。

 そんなやり取りを横目で確認しながら、レクトは空になったグラスをマダムの方へ差し出す。


「あまり心配はいらないようだが、トレニアのことはいつまでも引きずるんじゃねえぞ。湿しめっぽい空気だと、客なんて寄り付かねえからな」


「はん、悪ガキが。余計なお世話だよ」


 マダム・ローズは煙草タバコを灰皿の上に置くと、差し出されたグラスにウイスキーを注ぎ始めた。店の中では割と上等な部類に入る酒なのだが、マダムは気にせずたっぷりと注ぐ。


「それに、あんたの方こそトレニアや他の娘たちを助けられなかったことを気にんだりしてはいないだろうね?」


 ウイスキーがたっぷりと注がれたグラスをレクトの前に置きつつ、マダムは逆に問いかけた。

 フォルトゥナの鈴のおかげでサラを助けることはできたものの、状況から見て食屍鬼グールに捕食されてしまった女性は少なくとも十数人に登るのは間違いない。もちろんいずれもレクトとは面識のない者たちであるが、大まかな定義でいえば救えなかったということにはなるのかもしれない。

 もっとも、最強の傭兵ようへいのメンタルというのはこの程度で消沈するようなものではなかったようであるが。


「俺はどっかのお人好し勇者みたいに、困っている人たちは全員救ってみせる、みたいな綺麗事きれいごとは言わない。あの甘ちゃんと違って、俺は根っからの現実主義者リアリストだからな」


「それって、勇者ルークスのことかい?」


「さあな」


 かつての仲間を軽く皮肉りながら、レクトはグラスを手に取る。

 実際のところ、レクトは別にルークスのことが嫌いなわけではない。田舎者や世間知らずと非難することはあるものの、ルークスのように意思を持って行動する人間はむしろレクトにとっては好きな部類に入る。もっとも、全ての人々を救うと意気込んでいたルークスのことは"甘ちゃん"と少しばかり冷めた目で見ていたのも事実である。

 ただ、今日の出来事に関してはレクトの心境に何かしらの影響を与えたようであった。


「でも、誰かを救うことにここまで本気マジになったのは久しぶりかもな」


 そう言って、レクトはグラスを手に取る。しかしながらその言葉が意外だったのか、マダムは目を丸くしていた。


随分ずいぶんとまた、教え子たちに入れ込んでいるようだねェ」


「入れ込んでるってなんだよ」


 レクトは少し呆れたように答えると、ウイスキーを一口飲む。マダムがどういった意味合いで"入れ込んでいる"と言ったのかは定かではないが、それに対してレクトは肯定も否定もしなかった。

 そうやってレクトが静かに酒を味わっていると、不意に後ろからひまを持て余した様子のサフィニアが抱きついてくる。


「ねぇレクト様ぁ〜。今夜は楽しんでいかないの?」


「とりあえず、もう少しタダ酒を堪能してからかな」


「あん。もう、らしてぇ〜」


 サフィニアは文字通りの猫撫で声でささやくが、マイペースなレクトはまったくブレない。そんなサフィニアを見て、マダムは思い出したように言った。


「そうだサフィニア。手が空いてるなら向日葵の間まで行って、使用済みのバスローブを下ろしてくれないかい」


「はーい!」


 サフィニアは返事をすると、カトゥス族特有の大きな耳をぴょこぴょこさせながら二階へ続く階段を上がっていった。それを横目で見ながら、レクトはウイスキーの入ったグラスを持ち上げてみせる。


「それよりもマダム、いいのか?このウイスキー、ベントラール産の上モノだろ。俺にタダ酒飲ませるよりも、貴族の客にいい値段で提供した方が店のためになるんじゃねえの?」


 レクトの言うように西方のベントラールで作られたウイスキーは高級品として有名で、白薔薇の館でも注文するのは大半が貴族や政府高官といった富豪である。

 それを聞いたマダムは小さく目を伏せると、灰皿に置いていた煙草を再び口元へと持っていく。


「悪ガキが店の売り上げなんて気にするんじゃないよ。それに、こっちもあんたに対しては随分ずいぶんな恩を感じてるんだからね?」


 これはマダムの本心だ。実際、マダムがレクトに助けてもらったのはそれこそ一度や二度ではない。もちろん、互いに貸し借りを作りっぱなしというのも後腐れが悪いので、大抵は店でのサービスという形で謝礼を貰っている形である。


「そんなに恩を感じてるんだったらよ、そろそろこの店の無期限フリーパスとかくれたっていいんじゃねえの?」


「それはそれ。これはこれだよ」


「理由になってねえぞ」


 レクトの提案を、マダムは食い気味につっぱねた。レクトにとってはわかりきっていることではあるが、商売に関してはきっちりしているのがマダム・ローズという女性なのだ。

 そうやって穏やかな時間を過ごしていたレクトであったが、残念なことに彼の周りにはトラブルがつきものであった。


 バン!


 大きな音とともに、娼館しょうかんの扉が開かれる。そしてその勢いのまま、4人の男たちがズカズカと店の中へと踏み込んできた。

 全員が黒い帽子ぼうしとコートを身につけており、しかも各々が銃やおのなどで武装している。少なくとも、まともな客ではなさそうだ。

 というより、どこからどう見てもギャングにしか見えないと言った方が正しいだろうか。


「バ、バラン一家!?」


 入ってきた男たちを見て、客の一人がさけんだ。"一家"と呼称されているあたり、ギャング団であるのはまず間違いないようである。


「この店にヘルマンって奴が来てるだろ!?あの野郎、ウチの金に手を付けた挙句、娼館で豪遊なんてしやがって!」


 4人のうち、リーダー格らしき男が叫んだ。男の話からすると、ギャング団の金を横領した人間がこの娼館に客として来ているようだ。そうなると、完全にヘルマンという男の自業自得に他ならないのだが。


「またうるさいのがやって来たね」


 騒がしいギャング団を見て、マダムが吐き捨てるように言った。口振りからして、どうやらマダムは彼らのことを知っているようだ。

 とはいえ、店にギャングが来ているというのに大した落ち着きっぷりである。もちろん、理由など言うまでもない。


「バラン一家って?」


 マダムが落ち着いている大きな理由になっている男が、呑気のんきな様子でたずねた。


「少し前に王都にやってきたチンピラ連中だよ。バルガンの一味がいなくなったと思った矢先にこれだから困るね」


「ふーん。それで、ヘルマンってのは?」


「ここ最近、この店に来るようになった客さ。みょう羽振はぶりが良いとは思ってたけど、まさかギャングの金で夜遊びをしていたとはね」


「あー、そうなん」


 自分から聞いた割には興味のなさそうな声で返事をしつつ、レクトはウイスキーをちびちびと飲んでいる。もっとも、こうやってレクトが大して興味の無いことをわざわざ質問してくるのは今に始まったことではないのだが。

 そんなやり取りを2人が交わしている間にも、ギャングの男たちは相変わらずピリピリした空気を醸し出している。


「申し訳ございません。我々にも守秘義務というものがありまして…」


「なんだとォ!?」


 受付嬢のベルガモットはマニュアル通りの対応をするが、当然のようにギャングは納得していない。


「ヘルマンをかくまってるのはお見通しだ!今すぐに奴を出せ!なんなら、あの男ごと店を潰してやろうかぁ!?」


 ギャングは大声で怒鳴り散らしながら脅しをかけてきた。他の客は怯えたようにテーブルの後ろに隠れたり、ロビーの隅で震えている。

 ところが、受付にいるベルガモットも、酒で客をもてなしていたパンジーも、使用済みのバスローブを運んでいたサフィニアも、誰一人としておびえた様子の者はいない。皆、店内にこの状況に対処できる男が来ていることを知っているからだ。


「別にかくまってるわけじゃないんだけどねぇ」


「そうだろうな。向こうが金を払うから、それ相応のサービスを提供してるってだけの話だし」


 その男はというと、マダムと会話を交わしながら変わらぬ様子で呑気に酒を堪能している。もちろん、この状況に対して見て見ぬ振りを決め込むつもりは毛頭ないが。


「…まぁ、とりあえずヘルマンには後で事情を聞くとして、だ。奴ら、あの様子だと本気で店を潰しかねないね」


 マダムは小さくため息を吐くと、レクトの顔を見る。レクトの方も、彼女が何を言いたいのかはとうにお見通しのようだった。


「レクト、頼めるかい?」


「任せろ」


 レクトはウイスキーが半分ほど残っているグラスをカウンターに置くと、ゆっくりと立ち上がりこぶしを手のひらに叩きつけた。

 久しぶりにレクトが誰かを本気で助け、そして人々から英雄と賞賛しょうさんされた夜は、ギャング団との大喧嘩おおげんかで幕を閉じることとなった。

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