狙われたタウロス族 ⑦
鈴が示した場所である噴水広場に到着したレクトは、すぐに辺りの様子を確認する。しかしながら、サラの姿はどこにも見当たらない。
「サラは…いないですね」
一緒にいるエレナが呟いた。既に日が沈んで暗くなっているからか、人通りも極めて少ない。
だが、それでもレクトには確信があるようだった。
「いや、ここで間違いない」
だがレクトの言葉とは裏腹に、目視で確認できる範囲には特に変わった様子もなく、不審な人物も見当たらない。
そうなると、やはり答えは1つしかなかった。
「ということは、やはり地下ですか?」
「十中八九そうだろうな」
「それなら、この近くにある地下水道への入口を探さないと!」
サラを誘拐した犯人が地下水道を通って逃げたのだとすれば、まだ地下にいると考えるのが自然だ。エレナの言う通り、地下水道へ入るためにはまず入口を探す必要がある。
というのも、地下水道への入口そのものは王都のいたるところに設置されているのだが、少なくとも今現在2人が立っている場所からは確認できない。
「そんな暇はねえだろ」
ところが、エレナの意見をレクトは一蹴する。確かに一分一秒でも惜しい今の状況からすれば、入口を探している間にもサラの身に危険が及ぶかもしれない。あるいは、現在進行形でそのような危機に瀕していることだって十分に考えられる。
そんな状況の中、レクトが選択した手段とは。
「先生、まさか…?」
不安そうな様子のエレナが見守る中、レクトは躊躇なく大剣を手に取り、大きく振りかざした。
これから殺されるとわかっていながらも、混乱した状態のサラはグールに向かって質問を投げかける。
「グールって確か、人間や動物の死体を食べて生きてるんじゃ…?」
以前、授業で習ったことがあった。食屍鬼という魔族は、道端に落ちている動物の死骸や、墓を掘り起こして埋葬された遺体を食べて生きていると。
だが、このグールは違う。どう見ても生きた人間を捕らえ、そのまま食しているようにしか見えないのだ。
『その辺の雑魚グールならそれで十分だが、オレはあいにくとグルメでよ。新鮮な肉、中でも一番柔らかくて美味い、若い雌牛の肉じゃないと満足できないんだよなァ』
グールはさも当然といった様子で答えた。他のグールを雑魚呼ばわりするあたり、どうやらこの個体はグールの中でも上位に位置するようだ。実際、学生とはいえそれなりに戦闘の心得があるサラを一瞬で昏倒させたのだから、少なくとも一般人がどうにかできるレベルではないだろう。
「ただ自分が食べたいっていうだけの理由で、タウロス族の若い女性ばかりを狙ってたの…?」
サラは震えた声で問う。もちろん彼女からすれば重大な問題なのだが、逆に問われたグールは不機嫌そうな様子で答えた。
『物分かりの悪いガキだな。お前ら人間だって、目の前に腐りかけた色の悪い肉と新鮮な霜降り肉があったら、後者を選ぶだろ?ソレと同じことさァ!』
捕食者として、当たり前の理論をグールは口にする。無論、グールにとっては獲物であるサラがそんなことを受け入れるかどうかなどは些細な問題でしかない。
『とまぁ、そういうワケだ。お前さんに怨みなんざこれっぽっちもないンだが、たまたまオレが潜んでた地下道の真上をお前が通りかかったってだけの話だよ。運が悪かったと思って諦めな』
「…っ!」
サラの表情が引きつる。なんとか抵抗したいところではあるが、毒のせいで身体が思うように動かない。しかも、気絶させられた際に鞄を落としてしまったようなので、武器も何も無い状態だ。
『怖がることはねエ。一思いに殺してやるからよ。どうせ誰も助けには来ねえし、周りに反響してウルセェから叫ぶのだけはやめてくれな?』
サラに見せつけるようにして、グールは鋭い爪の生えた右腕を掲げてみせた。だが今のサラにとっては鋭い爪よりも、グールの発した言葉の方に絶望を感じるようであった。
「誰も…助けに…?」
どんなに叫んだところで、ここは地下水道。そもそも普段から人の出入りなどはほとんどないのはまず間違いないし、あるとすれば水道関係の業者が偶に検査に来る程度だろうか。
そのような場所で、誰が助けにくるというのか。
『そりゃあそうだろ。物語みたいに英雄が助けに来るなんざ、そうそうあるワケがねぇ』
「…ヒーロー…」
あざ笑うようなグールの言葉を聞いて、サラは呆然とする。グールの発したその単語は、サラにとってはとてつもなく大きな意味を持つ言葉なのだ。
「お父さん…ヒーローって、何…?」
『あン?』
亡き父親に向かって、うな垂れながらサラは問う。もっとも声が小さかったからか、グールにはよく聞こえないようであったが。
(そうだなぁ…。本当のヒーローっていうのは…)
幼少期に聞いた父親の答えが、サラの頭の中で再生される。
だがその直後、サラとグールの双方にとっては予想外の出来事が起こり始めた。
ゴゴゴゴゴ…
『地震!?』
突如として始まった地響きに、思わずグールは周囲を見回す。一般的な人間の身体能力を遥かに上回るグールであっても、さすがに地震レベルの災害となるとどうしようもない。
だが、どうやらこの地響きは単なる地震によるものではなさそうだった。
『何だ?』
「…?」
真上から聞こえたビシッという音に反応し、グールとサラは天井を見上げる。天井にはつい先程までには見られなかった小さなヒビが入っており、それは瞬く間にビキビキという音を立てながら大きく広がっていく。
(本当に誰かが助けてほしい思っている時に、助けてやれる奴なんじゃないかな)
ヒビの入った天井が崩れていき、瓦礫と共に大剣を手にした黒コートの男が降り立った。その姿を見て、在りし日の自分の質問に対する父親の回答が、サラの脳裏にフラッシュバックする。
まさか天井を突き破って襲撃されるとは思いもしなかったのだろう、グールも硬直して動けないようだった。
『なん…』
ドッ!
言い終える前に、レクトの飛び蹴りがグールの頭部に炸裂する。思い切り蹴り飛ばされたグールは、轟音を立てながら十数メートル先の壁に激突した。
『ぐふぁっ!?』
衝撃で壁が崩れ、グールの身体が瓦礫に埋まる。もっとも相手がこの程度で生き絶えるような貧弱な魔族ではないということは、蹴り飛ばした本人も十分に理解しているようだが。
それはさておき、レクトは壁にもたれかかって動けない状態のサラに目を向けた。
「よう、サラ」
「せんせい…?」
いつもと変わらない様子で堂々と立つレクトを、サラはゆっくりと見上げる。そんなサラを見て、レクトは。
「まだ生きてるな?」
いつものような軽いノリで、確認するように言った。だが、その“まだ生きている”という言葉が、今のサラにとってどれほど重要な意味を持つ言葉であっただろうか。
サラの眼から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
「ぜ、ぜんぜぃ〜」
しゃがれたような声で、レクトを呼ぶ。緊張の糸が切れたのか、ここへきて感情が一気に溢れ出したのだろう。
当然のことながら、全ての元凶であるグールはまだ倒されたわけではないのだが、"レクトが来た"というその事実1つだけでサラにとっては絶大な安心感があった。
「ひでえ顔だなぁ。まぁ、生きてて良かったよ」
「だ、だっで…!」
涙と鼻水で酷い見た目になっていたサラの顔を見て、レクトは苦笑しながら言った。サラの方も言い返したいのはヤマヤマなのだが、さまざまな感情が渦巻いて言葉が出てこないようである。
そんなサラの状態を察したレクトは、彼女の頭の上にポンと左手を置く。
「少し待ってろ。さっさと片付ける」
そう言ってレクトがサラの頭から手を離したと同時に、ガラガラという音を立てながらグールが立ち上がった。かなりの勢いで壁に激突した筈であったが、目立った外傷は見られない。
『痛えじゃねえか。初対面でいきなり蹴りをブチ込むとは、礼儀の無い野郎だな』
首をコキコキと鳴らしながら、グールはレクトに向かって毒づく。もっとも、言いたいことがあるのはレクトの方も同じだ。
「初対面の女をいきなり誘拐する奴よりはマシだと思うけどな」
『ハッ、そうかい』
皮肉を皮肉で返されたグールは、吐き捨てるように言った。とりあえずは、互いの第一印象は最悪といったところか。
とはいえ、グールにしてみればレクトの存在そのものがイレギュラーであることには変わりないが。
『改めて聞くが、テメェは何者だ?』
目の前の剣士に対し、先ほど聞きそびれた内容をグールは改めて問う。それに対するレクトの答えはというと。
「とりあえず、お前の敵」
『だろうな』
真面目に答える気のないレクトは、抽象的な言葉しか返さなかった。グールの方も察したのか、それ以上は追及することはしない。
「人語を流暢に話せるってことは、高位食屍鬼だな?普通の食屍鬼だったら叫び声とか、できてもいくつかの単語を発するだけだからよ」
説明口調で、今度はレクトの方が確認するように言った。
一般的に、人語を解することができる魔族は高位魔族として分類される。つまるところ、目の前の魔族は食屍鬼でありながらも特異な個体の高位魔族になるということだ。
『そういうテメェこそ、お前ら人間で言うところの高位魔族が目の前にいるんだぜ?怖くねエのか?』
種族や個体による差はあるが、高位魔族ともなれば相対した時点で恐怖を抱くものである。もっとも、自身の力に絶対的な自信を持ち、傲慢かつ唯我独尊を地で行くレクトに恐怖心というものがあれば、の話であるが。
「俺、道端に落ちてるセミの死骸を怖いって思わないからさ」
『いちいち腹の立つ野郎だな』
大半の人間から恐れられる存在である高位魔族を、あろうことかセミの死骸と同等の扱いをするレクトに対し、グールは苛立った様子を見せている。しかしながら腹を立てても感情にまかせて行動しないあたり、やはりこのグールは知能もかなり高いようだ。
対話は十分に可能だと判断したレクトは人差し指と中指の2本を立て、いわゆるVサインの形で前に突き出した。
「ところで、お前に2つ質問がある」
『なんだ、言ってみろ』
答える気はあるのか、グールも落ち着いた様子を見せている。おそらくはたかだか剣士1人など、どうとでもなると考えているのだろう。
「1つ目。最近、この街でタウロス族の若い女が次々に行方不明になる事件が起こってるんだが、お前がその犯人で間違いないな?」
『人間にとってはそう見えるか。オレにしてみれば、ただ食糧となる動物を狩っているってだけの話なんだがなァ』
レクトの質問に、グールは至極当然といった様子で答える。
もちろん、この答えはレクトも想定済みだ。この程度で怒ったり、感情を乱すようなことはない。
「食糧、ね。タウロスの女ばかりを狙うのは、どうせ味がお前の好みだからとかって話だろ?」
『そんなところだな。そこの娘にも同じことを言ったが、やはり喰うなら若い雌牛の肉に限る。それに同じ牛でも、男の肉は筋っぽくて喰えたモンじゃねエしよ』
特に隠すような事でもないからか、グールはレクトの質問にも当たり前のように答える。
『お前ら人間だって、羊や魚みたいな下等生物を喰うだろ?オレにとっては人間も下等生物、それと同じことをしてるだけだ。怨まれる筋合いはないね』
「あぁ、そう」
反論する気はないのか、レクトは適当に相槌をうつ。そもそも、魔族であるグールと人間の価値観が同じである筈がなく、レクトもそのことは十分に理解している。
そしてレクトの2つ目の質問はというと、どちらかといえば個人的な話であった。
「じゃあ次の質問。お前がここ最近に喰ったタウロス族の女の中に、茶髪でショートカットのトレニアっていう女はいなかったか?」
話の流れからすれば、このグールがトレニアを手にかけたというのは十中八九間違いはない。しかしながらグールの目的は誘拐などではなく、単なる捕食行為である。
レクトもあまり期待しないで質問したのだが、それに対するグールの答えは意外なものであった。
『ハッ。食糧のことなんざいちいち覚えてるわけねエだろ…と言いたいところだが、お前の言った茶髪の女なら覚えてるぜ』
「なに?」
予想外の答えが返ってきたからか、レクトの眉がピクッと動いた。だが、グールはニヤリと笑うと、鋭い爪の生えた右腕を見せびらかすようにして前に突き出す。
『食糧のくせに、生意気にも抵抗してきやがってな。頭にきたから、どてっ腹を貫いて黙らせてやったぜ』
「ほー」
煽るような口調でグールは言ったが、当のレクトは落ち着いた様子で短く答えるだけだった。無論、相手側の挑発であることは理解しているからだ。
そんなレクトの態度などお構いなしに、グールは話を続ける。
『下等生物に生きる価値なンざ無えんだよ。そんな下等生物ごときがオレに歯向かうとか、身の程知らずにもほどがあるって話だ』
強大な力を持った高位魔族は、尊大な態度で人間を見下している。ただ、尊大という部分でいえば目の前の男も負けてはいないのだが。
「さぁて。その言葉、忘れんなよ?」
『あン?つくづく妙な野郎だな』
意味深なレクトの言葉を、グールは軽く聞き流す。
『それで?お前はその娘を助けに来ただけじゃなく、知り合いの女の仇討ちにでも来たっていうのか?』
今度はグールの方がレクトに質問する。レクトがわざわざトレニアの名前を出して自分に質問してきたことが、少し気になっていたようだ。
しかし質問されたレクトはというと、落ち着いた様子で肩をすくめている。
「仇討ちとはちょっと違うかな。俺は欲で行動することは多いが、感情に流されて行動することは基本的に無いからさ」
実際、レクト自身は怒りに満ちた形相というわけでもないし、かといって悲しみにくれているということでもない。目の前のグールに知り合いを殺害されているというのに、随分と冷静な様子だ。
『なら、どうしてわざわざその女のことを聞く?』
トレニアのことをどうでもいいと思っているなら、そもそも質問などしないはずだ。では、なぜレクトがあのような質問をしたのかというと。
「例えばの話だけどさ。楽しみにとっておいたケーキがあるとするだろ。だけどそこに害虫が沸いてて台無しになったとしたら、普通どうする?」
『おいおい。一体、何の話だ?』
レクトが唐突な例え話を始めたので、グールは拍子抜けしたような声を出した。そんなグールの反応などお構いなしに、レクトは話を続ける。
「俺だったら潰すね。その害虫を掴んで床に叩きつけて、グシャッと踏み潰す」
『…何を言ってやがる?』
急にレクトの言葉に威圧感が込められたので、グールは改めて尋ねる。レクトは明確な答えを返す代わりに、手にした大剣の切っ先をグールに向けた。
「そういうわけだ。潰れな、害虫」
要するに、宣戦布告だ。もっとも、自分の勝利を信じて疑わないレクトにとっては宣戦布告というよりも、むしろ処刑宣言に近いだろうか。
当然のことながら、コケにされたグールは怒りを露わにする。
『人間風情が、ナメた口きくじゃねえかァ!』
その怒号を皮切りに、グールの姿が一瞬にしてレクトの目の前から消える。
とはいえ、グールは魔法に秀でた魔族ではない。つまるところ、純粋なスピードのみでレクトの視界から姿を消したのだ。
ガァン!
『ほぉう!』
グールの鋭い爪が、レクトの持つ大剣によって止められる。だがグールは驚くどころか、感心したような声を上げた。
『防いだか!なかなか良い反応速度だな!』
「雑魚に褒められても嬉しくはないが」
『本当に気に食わねえ野郎だ!』
不満を口にしつつ、グールは一旦レクトと距離を取る。襲いかかるのも一瞬ならば、離れるのもまた一瞬であった。
『初めてだろ!?こんなスピードで動くグールはよォ!』
「そうだな。確かに速いかもなぁ」
自身のスピードを自慢気に語るグールであったが、あまり興味のなさそうなレクトはやや棒読み気味に言葉を返す。
そうこうしているうちに、再びグールの姿がレクトの目の前から消える。次の瞬間には、レクトの背後から首筋めがけて一撃を繰り出した…のだが。
ズバッ!
『ぐっ、ぐああぁぁぁ!?』
目にも留まらぬスピードの斬撃により、右の肩から先を切断されたグールは思わず大きな叫び声を上げる。そんな姿を嘲笑するかのように、腕を切り落とした張本人は大剣の切っ先をグールへ向けた。
「初めてだろ?自分より速い相手に腕を切り落とされるのはよぉ?」
『てっ、てめえぇぇ!!』
先程の意趣返しのようなセリフをレクトに吐かれ、グールは激昂する。
しかしながら、グールにとっては予想外の展開だ。人間からは高位魔族と恐れられる自分が、まさか若い剣士1人に手玉に取られるとは思ってもみなかったのだろう。
「別にガッカリしなくていいぞ。お前はとんでもなく速い。ただ、俺は更にその数倍速いってだけの話だからな」
『ナメやがって…!』
片腕を失ったが、グールとしてはまだ戦闘が不可能というわけではない。右手と同じように鋭い爪の生えた左手を構えると、再び一瞬でレクトの前から姿を消す。
先程とは違い、今度はレクトの頭上から一撃を加えようとした…のだが。
『がぁっ!?』
自身のスピードにあっさり対応したレクトの斬撃によって左の手首から先を切り落とされ、グールは苦しそうな声を上げた。一方で切り落とした張本人は、相変わらず余裕そうな表情を浮かべている。
「斬られる直前に反射的に手を戻したのか。肘ごと切り落としたつもりだったんだけどなぁ」
『くそッ…!』
圧倒的な力の差を見せつけられ、グールは悔しさと焦りの混じったような声を漏らす。
しかし、グールにとっては最悪の状況だ。自身の武器である両の手を失い、しかも相手は自分のスピードを遥かに上回る反応速度の化け物ときた。誰がどう考えても、勝てる見込みなどまったくと言っていいほどに感じられない。
『ならば…!』
意を決したグールは、すぐに行動へ移る。だがそんなグールの意図も、レクトには完全に見透かされていた。
ザンッ!
『ぐふッ!?』
レクトに背を向けた瞬間に右脚を切り落とされ、グールは石造りの地面に倒れ込む。それ以前に両手を失っているため、受け身を取ることもできなかった。
「逃げようと思ったんだろ?食屍鬼ってのは再生力に優れてるし、体内にある核が破壊されない限りは死なない。なんとかこの場から逃げ切れば、生き延びられるだろうからなぁ」
『ばっ、バカな!?』
解説するように話をしながら、レクトは一歩ずつグールの元へと歩いていく。地面に伏せた状態のグールからは見えないが、地下に響く足音から確実にレクトが近づいてくるのが手に取るようにわかった。
「いくらスピードに自信があっても、片足が無ければ満足に動けないだろ?」
『ち、ちくしょう…!』
レクトの問いかけに対し悔しそうな声を漏らしながらも、グールは手のひらを失った左腕を使ってなんとかうつ伏せの体勢から上体を起こす。
そして、大剣を携えたレクトに向かって手のない左腕を突き出すと。
『ま、待て!聞いてくれ!オレは魔王と違って、別に悪意があって人間を狩ってたわけじゃねえ!』
ひどく狼狽えながら、グールはレクトに向かって懇願するように言った。無論、そんな申し出をはいわかりましたとすぐに受け入れるようなレクトではないのだが。
「何?ここに来てまさかの命乞いか?冷めんだけど」
急にグールが下手に出たのを見て、レクトは言葉の通りひどく冷めきったような様子である。見逃す見逃さない以前に、呆れてものも言えないといったところか。
そして、そんなグールの命乞いに対するレクトの答えはというと。
「んー、でもさぁ」
ここで、レクトは戦闘が始まる前のグールの"ある言葉"を引用する。
「お前さっき、自分で言ってたじゃねえか。“下等生物は生きてる価値が無い”だったっけ?」
『そっ、それは…!』
レクトのその言葉を聞いて、グールの背筋が凍りつく。グールからすれば確かに自らが口にした言葉であるが、今の状況を見てレクトがどのような意味でその言葉を引き合いに出したかとなると、答えは1つしかないからだ。
「滅びな。下等生物」
『待っ…』
グールが言い終える前に、レクトは大剣を振り下ろす。周囲には、何かが潰れるような鈍い音だけが響いた。