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狙われたタウロス族 ⑥

 小テストの採点を終えたレクトは、赤ペンをデスクの上に置く。


「おーし、採点終わりっと」


 比較的難易度の低めの小テストであったからか、お決まりのフィーネだけでなくエレナとルーチェも満点であった。

 そんなレクトの声を聞いて、となりに座っていたジーナがのぞき込むようにして小テストの結果を確認する。


「へぇ、フィーネちゃん以外にも満点が出たんですか」


 まだ湯気の立ち上るコーヒーを片手に、ジーナが感心したように言った。

 基本的に筆記試験の結果は毎回のようにフィーネが一番ではあるものの、別に他のメンバーも出来が悪いというわけではない。そもそもこの学園の入学試験は筆記もかなりレベルが高いため、生半可な学力の生徒ではまず合格は不可能だ。

 もっとも、今回のテストに関してはレクトの方で意図的に難易度を下げられていたようであるが。


「今日のテストは基礎的な問題をメインにしたからな。むしろ点数を取ってくれないと、教えた俺の方がむなしくなる」


「なるほど」


 レクトの話を聞いて、ジーナも納得したように苦笑する。一応、レクトにも学問を教えているという立場での責任感というものはあるようだ。

 だが、そんなおだやかな空気は突如とつじょとして崩れ去る。


「先生!!」

 

 エレナの大きな声と共に、職員室の扉が勢いよく開かれる。職員室にはレクトをはじめ8名程の教職員がいたが、あまりの大声にその場にいた全員が扉の方へと目を向けた。

 真面目なエレナらしからぬ行為であるが、それはすなわち彼女がそれだけ焦った様子であることを表していた。


「エレナ?どうした、そんなに切羽せっぱ詰まった顔して」

 

 レクトはいたって冷静に対応する。エレナにとって「先生」という立場の人間はこの場にいる全員に当てはまるのだが、今現在はその呼称で一番多く呼ばれているのは間違いなくレクトだ。

 予想通りというべきか、職員室に入ってきたエレナは一目散にレクトの元へと駆け寄る。普段なら絶対に言うであろう「失礼します」すら言わないあたり、相当焦っているようだ。


「サラが!サラが!」

 

「サラがどうした?」


 ひどく取り乱した様子のエレナを見て、レクトもただ事ではないという状況を察したようだ。もとより、レクトは洞察力や判断能力には優れたタイプの人間である。


「まさか!?」


 エレナの説明を聞く前に、レクトは気づいた様子だ。今の王都の状況と、「サラ」という名前を聞けば導き出される答えは1つしかない。

 サラが、行方不明になった。


「エレナ、案内しろ」


「は、はい!」


 レクトが事態を把握はあくしたのを見て、エレナは返事をする。ところが、すぐに動こうとしたレクトに対してジーナが慌てて声をかけた。


「レクトさん!?一体どうするつもりですか!?」


 横で聞いていたジーナも、当然のように状況は理解できている。彼女が言いたいのは、サラが行方不明になった事に対してレクトが何をするのか、ということだ。


「とりあえず、サラがいなくなった場所に行ってみる」


 実際のところ、レクトにも明確な心当たりがあるわけではなかった。それでも、ただ指をくわえて待っているだけというのは彼としては我慢ならない事なのだろう。


「そ、それなら!わたしにも何かできることはありますか!?」


 レクトの意図を察したのか、ジーナも自ら協力を申し出た。もちろん純粋な戦闘能力ではレクトには遠く及ばないが、今回は戦うことが目的ではない。何か自分にもできることはないかという、彼女自身の意思だ。


「それだったら、すぐに騎士団に連絡を。アイザックって名前の隊長を寄越よこすように伝えてくれ。俺の名前を出せばすぐに来るから」


「アイザックという名前の隊長さんですね!わかりました!」


 レクトの指示を受け、ジーナは元気よく返事をする。こんな状況だからこそ、意思を強く持とうという彼女なりの考えのようだ。

 当然のことながら、この一大事に立ち上がったのはジーナだけではない。


「それじゃあ、私はこの事を校長に!」


「私は他の先生たちに知らせてきます!」


「サラの保護者にも連絡しないと!」


 レクトたちのやり取りを見ていた他の教師たちも、次々に動き出す。その光景を見て少しだけ安心したジーナは、改めてレクトとエレナの方を見る…が。


「とにかくレクトさん!ここはわたしたちに任せて…って、あれ?」


 つい先程までそこにいたはずのレクトの姿がない。もちろん、エレナもだ。少しの間だけ呆然ぼうぜんとしていたジーナであったが、すぐにハッと我にかえる。


「そうだ!わたしも騎士団に連絡しないと!」


 自分のやるべき事を再確認したジーナは、エレナが開けっ放しにしていた職員室の入口から急ぎ足で出て行った。






 サラが消えたという現場へ向かいながら、レクトはエレナからこれまでの経緯を聞いていた。


「…つまり、エレナが駆けつけた時にはもうサラの姿はなかったんだな?」


「はい、そうです」


かばんが落ちた音がしてからエレナが駆けつけるまで、どれくらいの時間があったか覚えてるか?」


「10秒もなかったと思います」


「そんな短時間で姿を消しただと…?」


 たった数秒間で何の痕跡こんせきも残さずに姿を消すなど、常識的に考えてまず不可能だ。空間転移魔法を使えばそれも可能かもしれないが、事前にアイザックから聞いていた話では行方不明者が出た際には魔法が使われた気配はなかったそうなので、可能性としてはきわめて低い。

 ただ、それに加えてエレナにはもう1つの気になっていることがあるようだった。


「そういえばサラの鞄が地面に落ちた音がした時、何か他にも別の音が聞こえたような…」


「別の音だと?」


「わからないです、もしかしたら気のせいかもしれませんし…」


 あまり自信がないのだろうか、エレナの声が小さくなった。レクトとしては少なからず気になるところではあるが、それよりもまずはサラがいなくなった現場へ急ぐことが第一だ。

 

「ちなみに、サラがいなくなったのはどれくらい前だ?」


「えっと、15分くらい前です」

 

「15分か…」

 

 なんとも言えない長さの時間であった。もしもこの事件が本当に誘拐ゆうかい であり、かつ犯人の目的が殺人であったとしたならば、すでにサラが殺されていたとしてもおかしくはない。

 大通りを途中で左に曲がり、人通りの少ない小道に出る。道の真ん中には、サラのものであろう鞄が残されていた。


「こ、このあたりです!」


 エレナが大きな声を出す。レクトはさっそく周囲を見回すが、これといっておかしな箇所は見当たらない。

 だがかんの良いレクトは、街のどこにでもあるようなある一点に注目した。


「先生、どうしたんですか?」


 エレナの質問に答える代わりに、レクトは道の端にあった丸い金属製のふたに手を触れた。もちろん、エレナもその金属製の蓋が何であるのかは知っている。


「それって、地下水道へ下りるための入口ですよね?」


 王都オル・ロージュの地下には、各所をつなぐ水路が張りめぐらされている。数十年前までは緊急時の避難経路としても使われていたそうだが、今は定期的に業者が点検のために下りる程度だ。

 そんな地下水道への入口を、なぜ今レクトが気にしているかというと。


砂利じゃり綺麗きれいに途切れてる。開いてからまだ時間が経っていない証拠しょうこだ」


 レクトの話を聞いたエレナも注意して見てみると、確かに地下水路への入口になっている円形のふたのフチに沿うようにして砂利が綺麗に途切れている。時間が経てば風や上を通る人間によって砂利がまばらになるはずなので、レクトの言うように開いてからまだ時間があまり経っていないというは間違いないだろう。

 そうなると、自然と導き出せる答えは1つに絞られる。


「ということは、サラを襲った犯人はここから地下水道を通って逃げたってことですか!?」


「断定はできないが、可能性は高いだろうな」


「じゃあ、私が聞いた音はこの蓋が閉まる音だったんですね」


 口では断定できないと言いつつも、レクトはほぼ確信に近い状態のようだ。というより、現状ではそれ意外の可能性が思いつかないというのが大きいか。


「それだったら、この地下水道を通っていけば!」


 エレナはレクトの顔を見た。ところが、レクトはそれを否定するかのように冷静な様子で首を横に振る。


「駄目だ。地下水道は王都のあちこちに張り巡らされているから、下りたところで犯人がどの方向に逃げたかはわからないだろう」


「そんな…!」


 実のところ、レクトは仕事で王都の地下水道に入ったことが一度だけある。地下に逃げ込んだ盗賊とうぞくつかまえることが目的であったのだが、その際に迷路のように張り巡らされた地下水道に難儀した経験があったのだ。


「アイザの野郎…。犯人が地下水道を使った可能性があるんなら、初めからそう言っておけっての…!」


 レクトのようにすぐに気づいたかどうかは不明だが、これだけの数の行方不明者が出ている中で、騎士団が地下水道の可能性にまったく気づかなかったとは考えにくい。

 この場にいない友人に文句を言いながら、レクトは1つの可能性にける。


「こうなると、もはやこいつに頼るしかないか」


 そう言ってレクトが手を触れたのは、自身の左耳に付けられた鈴であった。


「フォルトゥナの鈴…」

 

 小さな声でエレナがつぶやく。大聖堂にも安置されているし、フォルトゥナ教の関係者の中でも鈴を身に付けている人物は稀にいるので、エレナ自身も鈴そのものを見るのは初めてではない。

 だが、あくまでも鈴そのものを見たことがあるというだけであり、鈴が鳴る場面に立ち会ったことは一度もなかった。


「それでサラが見つかるんですか?」


「あいつがまだ生きていればな」


「そんな…」


 レクトの返答を聞いて、エレナは愕然とする。それでもレクトにしてみれば、今はもう鈴の音に頼るほかなかった。

 意を決して、鈴を小さく弾く。

 

 チリン

 

(鳴った!)


 鈴が鳴ったことで、レクトは大きく目を見開く。鈴の音は所有者にしか聞こえないので、エレナにはその音は聞こえていないが、レクトの表情を見れば結果は明らかであった。


「先生!」


「待て。今、場所を特定する」


「場所を…?」


 エレナにはよくわからないようだが、レクトにとって本当に重要なのはここからだ。全神経を集中させ、鈴が示す位置を頭の中にイメージする。

 

「北東…噴水広場の方か!」

 

 フォルトゥナの鈴の音は、ただ持ち主に対して己の運命を変える出来事を示すだけではない。集中すれば、その出来事が起こる位置もある程度であれば

 把握することができるのだ。もっともこの特性は教会の人間でも知る者は極めて少なく、実際に鈴を使っているレクトだからこそ把握できている事実であった。

 今しがたレクトの頭の中に浮かんだのは北東という方角と、大まかの距離の2つ。そこから更に自身の知る地理情報で、北東にある噴水広場の近くという場所を割り出したのだ。


「エレナ、噴水広場まで走るぞ」


「はい!」


 サラがまだ生きているとわかっても、どのような状況におちいっているかは不明である。今のレクトにできることは、1秒でも早く彼女の元へ向かうことだ。







 何かの気配と物音で、サラは目を覚ます。どうやら、壁を背にした状態で座るようにして眠っていたようだ。


「ん…ここは…?」


 ゆっくりと目を開ける。古いガス灯が辺りを照らしているおかげで周囲の様子が確認できたが、窓のないレンガ造りの壁しか見えない。少なくとも、屋内であることは間違いなさそうであるが。

 何より、匂いがひどい。ジメジメしたカビ臭い空気の中に、腐臭や血の匂いが混じったような悪臭。なにより、なぜ自分はこのような場所にいるのか。


「誰…!?」


 そして、サラは物音がする方へと目を向けた。そこでは、まるで筋繊維がむき出しになったような赤黒い体色をした人型の生物が、サラに背を向けつつグチャグチャという音を立てながら何かを貪っているようだった。


『あぁ!?ナんだよ、もう起きちまったのか』


 サラが目を覚ましたことに気づいた人型の生物は、ゆっくりと振り返る。その目には眼球が見当たらず、鼻は削がれたような形をしており、牙の生えた口元からは体色よりも更に赤黒い液体が垂れていた。

 サラは、一目見ただけでその人型の生物が何なのかを瞬時に理解した。


「グ、食屍鬼グール!?」


 魔族、食屍鬼グールだ。教科書に記載されている図解なら目にしたがあるものの、実際に見るのはサラにとっては初めてであった。

 ただ、サラが目を覚ましたにもかかわらず、グールの方はいたって冷静であった。


『まぁいいか。どうせ毒で満足に動けねえだろうしな』


「毒…?」


 サラは言われてみて気づいたが、体が思うように動かない。口元は動くのでしゃべることには問題がないのだが、手足がしびれたように動きが極端ににぶくなっている。


『オレの爪には神経を麻痺まひさせる毒があってな。だが安心しろ。死ぬようなヤバい毒じゃねえ』


 そう言って、グールは左手を掲げてみせる。右手には何かを持っているようなので、空いている方の手を見せたわけだ。

 では、右手には何を持っているのかというと。


『とはいえ、結局は死ぬことに変わりないんだけどなァ!』


 大きな声を出しながら、グールは右手に持っていた物体をサラの目の前に放り投げる。


「…っ!?」


 サラは絶句した。床に転がっていたのは、人の腕だったからだ。もちろん胴体は無いのだが、その細さと指先の派手なネイルから女性のものであるということは容易に想像できる。

 さらによく見ると、部屋の隅には乱雑に積み重なった骨の山があった。このことから、導き出せる答えは1つしかない。

 このグールは、人間を食べているのだ。

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