狙われたタウロス族 ②
(ねぇ、お父さん!お父さんってヒーローなんだよね!?)
小さな少女が、下で自分を肩車している父親に問う。
(ははは、そうだな。みんなそう言ってくれてるよなぁ)
(すごいなぁ!かっこいいなぁ!)
笑いながら答える父親を見て、少女は目を輝かせながらはしゃぐように言った。
(ねぇ、お父さん。ヒーローって、どうやったらなれるの?)
少女は純粋に知りたいと思う気持ちで質問したのだろうが、問われた方の父親は少し困った様子だ。
(難しい質問だな。ヒーローというのは、なろうと思ってなれるものじゃないし、かといってみんなが思っているヒーローと、父さんが思うヒーローも必ずしも同じとは限らないからな)
(…むずかしくてよくわかんない)
やはりというべきか、6歳になったばかりの娘にとっては確かに難しい話だったようだ。父親は苦笑しながら話を続ける。
(そうだな。もしかすると父さんもまだ、本当のヒーローというものにはなっていないのかもしれないな)
(そうなの?)
周囲からヒーローと呼ばれる父親が、まだ本当のヒーローにはなっていない。その事実は少女を驚かせるには十分だったようだ。
(じゃあさ、お父さんが思う本当のヒーローって、どんなの?)
当たり前のように、少女が質問する。父親は少しの間だけ考えると、ゆっくりと口を開いた。
(そうだなぁ、本当のヒーローっていうのは…)
「ん…」
カーテンの隙間から差し込む光に照らされ、サラは目を覚ます。ゆっくりと上体を起こして辺りを見回すが、そこにはいつもと変わらない自分の部屋があった。
「お父さん…」
久しぶりに見た、父親の夢。病死してからもう5年になるのだが、こうやって父親が夢に出てくるというのは今でもごく偶にあることだった。
だが、サラには父親の夢を見た理由がなんとなくわかっていた。今日は他ならぬ、父親の命日なのだ。
「サラー?起きてるのー?朝ごはんできてるから、早く降りてきなさいー」
「あ、うん!」
起きぬけでまだ思考がぼんやりしていたサラであったが、部屋のドアの向こうから聞こえたきた母親に反射的に返事をしたことで一気に目が覚める。サラはベッドから降りると、ドアを開けて一階へと向かっていった。
朝食を食べているサラに、テーブルの反対側に座っていた母親が申し訳なさそうに声をかける。
「ごめんね。お父さんのお墓参り、1人で行かせることになっちゃって。本当はお母さんも一緒に行きたかったんだけど、急な仕事が入っちゃったから…」
サラの母親であるジェシカは、近くの病院で看護師をしている。本来であれば今日は休みであったのだが、昨夜から同僚が熱を出したとのことで急遽ながら出勤することになってしまったのだ。
そのために本当は親子2人で行く予定であった墓参りを、サラ1人で行くことになったというわけである。
「大丈夫。毎年行ってるし、何をすればいいかはちゃんとわかってるから」
サラは笑顔で答えた。実際、父親が亡くなってから墓参りは毎年かならず行っているので、何をすればよいのかは全て頭の中に入っている。
もちろん、ジェシカの方もいつまでもサラが子供のままだとは思っていない。ただ、今はそれとは別に少しばかり気がかりな問題があったのだ。
「それに、例の事件のこともあるから。本当は1人では出歩かせたくはないんだけど…」
ジェシカの言う例の事件とは、ここ最近にタウロス族の若い女性が相次いで行方不明になっている事件のことだ。行方不明の女性にはタウロス族の若い女性という点以外には共通点はないので、サラも巻き込まれる可能性はゼロとは言い切れない。
しかしながら、サラはそこまで心配している様子は見せていない。
「でも、人がいなくなってるのっていつも夜なんでしょ?お墓参りに行くのは午前中だし、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ?」
「確かにそうなんだけど…」
サラの言うように、行方不明者が出るのは決まって日が沈んだ後であるということは新聞でも大きく報道されていた。そのため騎士団も不要不急の用事がなければ夜中の外出を控えるように呼びかけてはいるが、実際には仕事の都合で帰宅が夜中になってしまう女性が多いというのが現状だ。
もっともサラは仕事ではなく、墓参りに行くだけだ。夕方までには間違いなく帰宅しているので、彼女自身もそこまで不安には思っていないのだろう。
「じゃあお母さん、仕事に行ってくるから。お金はここに置いておくから、これでお花を買ってね」
「うん、わかった」
ジェシカはテーブルの上に封筒を置くと、いそいそと出勤の準備を始める。そんな母親の様子を見ながら、サラはコーンスープを口へと運んだ。
オル・ロージュ西区のほぼ中心にそびえ立つ大聖堂から南西に10分ほど歩いたところには、静かで広大な霊園がある。今日は世間的にいう休日ということもあり、多くの人々が親族や友人の墓参りにやって来ているようだ。
そしてこの男も、そんな墓参りにきた人間の内の1人である。
「えーっと、フェイの墓は…」
手にしたメモを見ながら、レクトは目的の人物の墓を探す。当然というか、メモは事前にアイザックから渡されていた、フェイの墓の場所を記したものだ。
「お、あった。あの像の近くだな」
目印となる女神像を見つけたレクトは、用済みになったメモを小さく折りたたむ。だがそれをコートのポケットにしまったところで、不意に横から声をかけられた。
「あれ、先生?」
「サラか」
レクトが声のした方を見ると、そこには私服姿のサラが立っていた。今日はかなり気温も高いからか、ノースリーブにショートパンツという薄着姿だ。
「先生も誰かのお墓参りですか?」
先生"も"ということは、サラも誰かの墓参りに来たということだ。もっとも、1人で霊園に来る目的など墓参り以外に何があるのかと問われれば答えようもないのだが。
「あぁ。学生時代の悪友のな」
特に隠すようなことでもないので、レクトは何の気なしに答えた。だがそれを聞いたサラはというと、少しばかり表情が強張っている。
「亡くなったんですか?その…お友達」
レクトの学生時代の友人となると、つまりはレクトとは同年代ということになる。サラからすれば、あまりにも若すぎる年齢での死というのが少しばかり衝撃的だったのかもしれない。
「3年くらい前に、仕事の途中でドラゴンに喰われた」
「そ、そうなんですね…」
現実主義者かつ遠慮のないレクトは、オブラートという物の存在を無視して話を続ける。ただ事実を述べているだけなのだが、当然ながらサラは返答に困っているようだ。まさか死因がドラゴンに喰われたなど想像もできるはずもないので、無理もないだろうが。
「気にすんな。単なる無駄死にならともかく、人を守って死んだんだからそいつにとっては名誉だったと思うぞ」
レクトは率直な意見を口にする。実際、フェイが己の命を賭したことで彼が護衛していた隊商が助かったのは事実だ。そういう観点では、確かにフェイの行動は決して無駄ではなかったといえるだろう。
「でも、先生って東区の育ちですよね?お友達のお墓が西区にあるんですか?」
レクトが東区の育ちであることは、サラをはじめとしたS組メンバー全員が知っている。そうなると、サラからすればその友人というのも東区の育ちという認識になるのは当たり前だ。
「そいつ、実家が西区なんだよ」
「あぁ、そうなんですね」
何ということはないレクトの回答を聞いて、サラも納得の様子だ。そんな形でレクトの目的がわかったところで、サラはレクトが手に持っていたあるものに気づく。
「お花と…雑誌?」
墓参りなので、花束を持っているのは別に不思議なことではない。だが、霊園に雑誌を持ち込む人間などそうそういないだろう。
ただ、サラは雑誌そのものにも興味がある…というより、雑誌を知っているようだった。
「その雑誌って、もしかして月刊コロシアムですか?」
「あぁ、そうだよ」
月刊コロシアムとは、王都の南区にある闘技場に出場する闘士たちの紹介や、前月に行われた試合の結果などが載っている雑誌だ。他にも引退した剣闘士のエッセイが連載されていたりと、様々な方面でのファンが多いことでも有名である。
「その亡くなった先生のお友達って、剣闘士が好きだったんですか?」
「そうなんだよ。病的なまでの剣戟マニアでな。ヒマさえあれば読んでたわ」
学生時代、熱烈な剣戟マニアであったフェイが毎月この雑誌を購入し、穴があくほどに熟読していたことは今でもレクトの記憶の中に鮮明に残っている。
ひと通り答えたところで、今度は逆にレクトがサラに質問する番になる。
「そういや、サラも誰かの墓参りか?」
「今日はお父さんの命日なので。といってもお墓参り自体はもう済んだので、これから帰るところですけど」
そう答えたサラは、手ぶらで花束も何も持っていない。彼女が言うように、墓参りを終えた後はそのまま帰宅するのだろう。
ただ、レクトはというとサラの口から"お父さん"というワードを聞いて、何かを思い出しているようだった。
「5年くらい前だっけ?病気で亡くなったんだよな、親父さん」
「えっ?そうですけど…」
不意にレクトが自分の父親のことについて触れたので、サラは少し驚いているようだった。
「お父さんのこと、知ってるんですか?」
自分の肉親が亡くなった時期や死因を知っていれば、誰だって不思議に思うだろう。もっとも、レクトにしてみれば特別おかしなことでもないのだが。
「剣闘士リーガル・ブランっていったら、なかなかの有名人だぞ」
レクトが言ったようにサラの父親であるリーガルはかつて闘技場で名を馳せた剣闘士であり、老若男女問わずファンの多い人物であった。そんな彼が病死した時には、多くの剣闘士ファンが闘技場へ献花に訪れたのも有名な話だ。
「それに親父さんが剣闘士を引退したのって、ちょうど俺が学生の時だからな。あの時は随分と話題になったから、よく覚えてるぞ」
「へぇ、そうだったんですね」
サラの父親であるリーガルが剣闘士を引退したのは、レクトが18歳の時であった。引退を発表した日の翌朝、彼のファンであったフェイが教室で大騒ぎしていて鬱陶しかったことも、フェイが亡くなった今となってはいい思い出なのかもしれない。
「そうだ。せっかくだから悪友に伝えとくか。お前が推してた剣闘士の娘、今は俺の教え子だって」
「あ、あはは…そうですね…」
レクトとしては軽い冗談のつもりであったのだが、何と答えていいのかわからないサラは愛想笑いで返す。
だが今の話を聞いて、サラはレクトがこれから墓参りに行くことを改めて認識したようだった。
「あ、すいません!お友達のお墓参りだったのに、引き止めちゃって…」
「4、5分程度の会話を邪魔と思うほど、俺はちっぽけな人間じゃないぞ」
サラは申し訳なさそうに軽く頭を下げるが、レクトは当たり前のように否定する。そもそもレクト自身、別に急いでいるわけでもないので、ほんの数分間だけ雑談をしたところでどうということはないのだが。
「じゃあ先生、わたしは帰りますね」
「おう、気をつけて帰れよ」
「はい。また学園で」
挨拶を交わし、サラは霊園の出口へ向かって歩き出す。そんな彼女の背中を見ていたレクトであったが、ここでふとあることを思い出す」
(そうだ、例の事件…)
昨夜もマダム・ローズらと話していた、女性が次々に行方不明になっている事件。しかも行方不明者がタウロス族の若い女性となると、サラもその対象に含まれているかもしれない。
だがレクトは事件の詳細を思い出し、小さく首を横に振った。
「ま、昼間だし大丈夫か」
行方不明者が出ているのは、決まって日が沈んだ後だ。それにアイザックから聞いた話ではいずれも人通りの少ない場所で起こっているそうなので、活気のある昼間の大通りを通って帰るようであれば心配はいらないだろう。
気を取り直し、レクトは目的であるフェイの墓へ向かう。そんな彼の背中を、少し離れた位置から見つめる影にレクトはまだ気づいていなかった。