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狙われたタウロス族 ①

「あー、遅くなっちゃったなぁ」


 派手はでな色のワンピースを着たタウロス族の女性が、足早に大通りを歩いていく。

 あと30分ほどで日付が変わってしまうという時間であるからか、昼間は人であふれかえっている大通りにも人影がまったくない。日によっては酔っ払ってケンカをしている男たちや、泥酔でいすいして地面に座り込んでいる中年男性、そしてそれらを注意する騎士団を見かけるようなこともあるが、今日はどれも通りには見られなかった。


「ま、明日はお休みだし、ゆっくり帰ればいいか」


 少し疲れたような表情を浮かべながら、女性は静かにつぶやく。とはいえ、明日は仕事が休みであるのは事実だ。帰るのが多少遅くなってしまったとしても、次の日は昼までゆっくり寝ていても特に問題はない。

 大通りから少し外れた場所にあるアパートへの道になっている路地ろじに入ったところで、女性はふと違和感を覚えた。


「…なんだろ、この雰囲気」


 具体的に何がおかしいのかまでは定かではないが、言いようのない気持ち悪さがただよっている。誰もいない筈であるのに、誰かに見られているような感覚もうっすらと感じられた。

 だがその直後、感じていた気持ち悪さが冷たい殺気に変わる。


『見つけた…タウロスの女ァ!』


「えっ?」

 

 背後から聞こえてきた不気味な声に、女性は思わず振り返る。だが次の瞬間には彼女の視界は真っ暗になり、かろうじて上げた小さなさけび声も誰の耳に届くこともなく夜の闇へと消えていった。




 政府高官や貴族もお忍びで通うとされている高級娼館『白薔薇しろばらの館』。だがその日は建物の周囲はしんと静まり返っており、入り口の扉には手書きで"臨時休業"と記されたプレートがかけられていた。

 普通の人間であれば、プレートを見た途端にかたを落としながら帰宅するか、もしくは別の娼館へと向かうだろう。だが、中には聞き分けのない客というものも存在する。


「おいおい、なんで店がやってないんだよ!?こっちはまったものを発散するためにわざわざ来たって話だぜ!?」


 ガタイのいいスキンヘッドの大男が、娼館のロビーで怒鳴どならしている。背中におのを背負っているあたり、おそらくは冒険者か傭兵、あるいは狩人ハンターといったような戦闘を生業なりわいにしている人間なのだろう。

 従業員である娼婦しょうふたちがおびえる中、経営者であるマダム・ローズは冷静な様子でくわえていた葉巻をゆっくりと口元から離した。


「だから、さっきから言ってるだろう。今日は臨時休業だ。性欲の発散がしたいなら他所よその店に行きな!」


「なんだと!俺様は客だぞ!?」


 マダムの態度に腹を立てた大男は、反射的に背負った斧の柄に手を伸ばす。だがその刹那せつな、バタンという扉が閉まる音がしたかと思えば、大男の背後に黒コート姿の男がぬっと現れた。


「おい」


「あん、誰だ?今、俺様は取り込みち」


 ゴスッ!


 大男の言葉をさえぎるようにして、レクトの拳が炸裂さくれつする。一応、彼なりに手加減はしたので骨は折れていないだろうが、アゴに綺麗きれいな一撃をお見舞いされた大男は完全にノックダウン状態になっていた。


「「「レ、レクト様ぁ〜!」」」


 現れた英雄、もとい常連客の姿を見て、娼婦たちは涙目になりながら彼の元へと駆け寄る。レクトはそんな彼女たちをあやすように頭をでると、先ほど気絶させた男をひょいとかつぎ上げた。


「マダム、ちょっとゴミ捨て行ってくるわ」


「あぁ、頼んだよ」


 大男のことを堂々とゴミ呼ばわりするレクトを、マダムはさも当然といった様子で見送る。自分よりも体格で上回る大男を軽々と担ぎながら、レクトは扉を開けて出て行った。




 それから5分ほど経過したところで、レクトが手ぶらで戻ってきた。どうやら、"ゴミ捨て"はきっちり終えたようだ。


「で、マダム。臨時休業ってどういうことだよ。こちとら溜まりに溜まったモンを発散するために来てんだぜ?」


「あんたもさっきの男と大して変わらないじゃないか」


 戻ってすぐのレクトの発言を聞いて、マダムは冷ややかな視線を向けながら答えた。もっとも先程の大男とは違い、この男は幾分いくぶんか理性的ではあるが。


「俺はちゃんと理由を説明してくれれば暴れたりはしないっての」


「…本当は外部の人間にはあまり話したくはないんだけどね」


 どうやらマダムは相手がレクトであっても、あまり進んで話をしたくはないらしい。

 ただ、マダムやこの娼館にとってレクトはただの常連客というだけでなく、先程の件も含めて何度もトラブルから助けてもらった縁がある。そんな彼を邪険じゃけんあつかうというのも気が引ける部分があるのだろう。


「座りな。ちょっと話が長くなるかもしれないからね」


「おう」


 返事をしつつ、レクトはロビーに隣接りんせつしているバーカウンターに座る。今日は臨時休業ということで、もちろん酒類の提供も行っていない…のだが。


「サフィニア、ウイスキー出してくれ」


 レクトはしれっとした様子で、ウイスキーを注文する。サフィニアを指名したのは、単純に彼女が酒棚に近い位置に立っていたからだ。


「えっ、でも…」


 一方で、サフィニアは困惑した様子だ。本来であれば今日は酒類を提供できないのだが、相手はつい先ほど自分たちを助けてくれたばかりのレクトだ。

 困ったサフィニアは経営者であるマダム・ローズの方を見る。するとマダムは首を縦に振る代わりに、葉巻のけむりをふーっと吐いた。


「構いやしないよ。出してやりな」


「あっ、はい!」


 マダムの許可を得たところで、サフィニアはすぐさま酒棚からウイスキーの入った瓶を取り出す。手の空いている他の娼婦たちも手分けしてグラスや氷を用意し、1分も経たないうちにレクトの前にはウイスキーの入ったグラスが置かれることとなった。


「で?改めて聞こうか。どうやら、割と深刻しんこくそうな雰囲気だしな」


 グラスを手に、レクトは直球で質問した。マダムは咥えていた葉巻を口から離すと、ゆっくりと口を開く。


「トレニアがいなくなったんだよ」


「トレニアが?何かあったのか?」

 

 ウイスキーを少しずつ飲みながら、レクトはマダムにたずねる。少なくとも、マダムの表情を見る限りではあまり良い予感はしなかったが。

 トレニアというのは、この白薔薇の館で働いているタウロス族の女性のことだ。タウロス族らしい長身でスタイル抜群の美女で、レクトも何度か相手をしてもらった経験がある。


「あんたも知っているだろう?ここ最近、王都で起きている失踪しっそう事件について」


「タウロス族の若い女が、次々に行方不明になってるっていうアレか」

 

 王都オル・ロージュでは、ここ数日の間にタウロス族の若い女性が相次いで行方不明になるという事件が起こっていた。状況から判断すると拉致や誘拐という線が濃厚らしいが、残念なことに事件の手掛かりもほとんど無い状態であった。


「…まさか、トレニアも?」


「あぁ。2日前から仕事に来ていなくてね」

 

 マダムはため息をつく。2日程度であれば体調不良なり何なり、理由が考えられないこともないが、どうやら事態はレクトが考えていたよりも深刻なようであった。


「見た目は派手だけど、根は真面目で無断欠勤なんかするような子じゃないし、何かあったのかと思ってね。昼間に彼女の住んでいるアパートに行ってみたんだけど、管理人が言うには2日前から帰っていないとさ」


「なるほど」

 

 トレニアが無断欠勤をするような無責任な女性ではないということは、レクトもよく知っていた。もちろん、誰にも相談せずに失踪するような人物でもないこともだ。


「それで今日は臨時休業にしたのか」


「従業員が行方不明になっても平気で営業を続けられるほど、あたしは薄情はくじょうな人間じゃないんでね」


「だろうな」


 不謹慎ふきんしんではあるが、レクトは思わず苦笑する。マダム・ローズは常に冷静かつ強気な女性ではあるが、その一方で人情というものもしっかりと持ち合わせている。この娼館で働く女性たちの中にも、実は行き場のないところをマダムに拾われたという人物が何名かいるほどだ。


「もっとも、困ってるのはあたしだけじゃないよ。知り合いの理髪店でも、従業員のタウロス族の女の子が数日前から行方不明になってるそうでね」


 どうやらマダム・ローズだけではなく、彼女の周辺でも失踪する人物がいるようだ。この件に関しては新聞でも大きく取り上げられている話題であるため、レクトも事件については多少なり知っていることがあった。


「確か行方不明者にも、タウロス族の若い女ってこと以外には共通点が無いんだよな?」


「あぁ、そうらしいね。実際、トレニアとその理髪店の従業員には何の接点もないし」


 事件が一向に解決しない理由の1つに、レクトの言うように行方不明者にはまるで共通点が無いという事実があった。

 最初の行方不明者は花屋の店員で、2人目は保育士、3人目の行方不明者にいたっては王都の外から来た留学生と、まったくもって接点が見られない。騎士団も必死に調べてはいるが、まるで雲をつかむような話である。

 ただ、事件のことが本当に何もわかっていないかというと、そういうわけでもなさそうであった。


「だけど今回の件、誘拐ゆうかいの線が濃厚みたいだぞ」


「そうなのかい?」


 レクトの発言を聞いて、マダムは驚いたような反応を見せる。どうやらレクトはこの事件について、少なからず知っていることがあるようだ。


「まだおおやけには発表されていないんだが、2人目の行方不明者がいなくなった時に同僚どうりょうが悲鳴を聞いたらしくてな。急いで駆けつけたんだが、そこにはもう誰もいなかったらしい」


「ふうん、そいつは初耳だね」


 悲鳴を上げたということは、女性は誰かに襲われた可能性が極めて高い。しかも、レクトが知っている情報はそれだけではなかった。


「あとその時、近くに腕利きの魔法使いがいたらしくてな。そいつが言うには周囲に大きな魔法が使われたような感覚はなかったから、少なくとも犯人は魔法を使っているわけではなさそうなんだと」


「…あんた、ずいぶんとくわしいじゃないか」

 

 巷を騒がす失踪事件に関してレクトがかなり詳しい情報を持っていたので、マダムは少し驚いているようだった。といっても、レクトにはきちんとした"情報源"があったのだが。


「騎士団の中に同級生がいてな。昨日たまたまそいつと会って、そういう話をしたってだけだ」


「あぁ、あの長髪の」


「そうそう」

 

 レクトが持っている騎士団の情報は、大半がアイザック経由で手に入れたものだ。もっとも真面目なアイザックの性格上、たとえ相手がレクトであっても外部にらしてはならない事項を話すことはない。あくまでも一般市民に知られても問題のないレベルの情報までだ。

 しかしながら、逆に言えば現時点ではあくまでもいくつかの情報のみという状態だ。事件の全貌ぜんぼうはまだほとんど見えていないということになる。


「まぁ、あたしがどうこう言ったところで解決するような話じゃないってことはわかってるんだけどさ」


 マダム自身も、自分にできることは何もないということを理解していた。たとえ店を臨時休業にし、嘆いたところでトレニアが見つかるわけではないということも十分に理解している。

 それでも、マダムには素直に店を開ける気になれない理由があった。


「それに、ショックを受けてるのはこのたちも同じさ。こんな状態で客商売なんてできるはずもないだろう?」


 そう言って、マダムは沈んだ気持ちになっている従業員たちを見回す。派手な装飾にいろどられた店内には似つかわしくないぐらいに皆が皆、どんよりとした空気をまとっていた。


「そうだろうな。俺も意気消沈した女を抱くっていうのはいささか気が引ける」


「あんたがまともな感覚を持ってるようで安心したよ」


 少し皮肉のきいたマダムの言葉を聞きながら、レクトはわずかにグラスに残っていたウイスキーを飲み干す。それを見たサフィニアはすぐさまウイスキーの瓶を手にするが、レクトは左手を小さく挙げてそれを制止した。


「マダム。俺、もう帰るわ」


 そう言って、レクトは氷だけになったグラスをカウンターの上に置く。それを見たマダムは意外そうな表情を見せていた。


「おや。1杯だけで終わりかい?」


「臨時休業だって言ったのはあんただろうが」


 自分勝手なレクトではあるが、こんな雰囲気の中で泥酔するまで酒が飲めるほど無神経なわけでもない。そもそも、こんな雰囲気で美味い酒など飲める筈がないという考えもあるが。

 ただ、マダムとしてはレクトをこれだけで帰すのは少しばかり忍びないという思いがあった。


「いや。今日の用心棒代がウイスキー1杯だけっていうのもどうかと思ってね」


「じゃあ、マーガレットのケツでも揉ませてくれ」


「あんたねぇ…」


 唐突にセクハラ発言を放り込んできたレクトに、マダムは冷ややかな視線を向けた。といってもレクトだけでなく、客からのセクハラ発言は娼館の女性たちにとっては日常茶飯事であるため、名指しされたマーガレットをはじめとして今さら誰も恥ずかしがったりはしないのだが。


「冗談だ。それはまたの機会にとっておく」


「ったく…」


 相変わらずの様子を見せるレクトにあきれつつ、マダムは短くなった葉巻を灰皿に押し付ける。


「明日、ちょっと行かなきゃならないところがあってな。泥酔して寝過ごすわけにはいかないのよ」


「おや。明日は休日だけど、学校の仕事かい?」


 翌日は世間的にいうところの休日であるからか、レクトの話を聞いたマダムはこれまた意外そうな様子で言った。

 レクトは酒癖がそこまで悪い方ではないが、泥酔するまで酒を飲んだ失敗談も無いわけではない。寝過ごすわけにはいかないということは、それだけ大事な用事なのだろう。


「いや、完全な私用。友人ダチのところにな」


「そうかい」

 

 深く詮索するつもりのないマダムは、短く答えながら新しい葉巻に火を付ける。そうして葉巻を咥えると、娼館を出て行くレクトを見送った。


「レクト様、またね〜!」


「次はちゃんとお店開けるからね〜!」


 仲間が行方不明になったというショックからまだ立ち直れない娼婦たちも、背を向けたレクトに声をかける。レクトは言葉の代わりに左手を小さく挙げると、扉を開けて館の外に出た。

 大通りに出たレクトは、特に意味もなく周囲を見渡す。昼間であれば馬車や牛車が行き交う道であるので間違いなく通行の邪魔になってしまうが、今の時刻は馬車どころか通行人すら片手で数えられる程度にしかいない。

 目を閉じて、レクトは左耳に付けたフォルトゥナの鈴を軽く弾く。だが鈴は小さく揺れただけで、音を立てる気配はない。

 

「…鳴らないか」


 鈴が鳴らないということは、今は己の運命に大きく関わる出来事が身の回りで起きていないというわけだ。

 ただ、レクトの中にはどうにも拭いきれない嫌な感覚がくすぶっていた。もちろんレクトには絶対的な予言をするような力など無いが、昔から悪い予感というのは変に当たることが多かったのだ。


「タウロス族ばかりを狙う誘拐犯、ね」


 犯人は誰なのか。何が目的なのか。そもそも本当に誘拐なのか。積もる疑問を頭の片隅に置いておきつつ、レクトは夜空に輝く満月を見上げた。

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