サンクトゥス女学園の入学試験
「あ!レクトさん、おはようございます」
「おう、おはようさん」
既に自分のデスクに座って小テストの採点をしていたレクトの姿を見て、ジーナは少し驚いたように挨拶をした。
「珍しいですね、レクトさんがこんなに早いなんて。あっ、変な意味じゃなくてですね!」
「いや、気にしてないから」
遠回しにレクトがいつも遅いという指摘になってしまったことを慌てて弁解するジーナであったが、当のレクトはまったく気にしていないようだ。
「単純に早く目が覚めただけだ。特別な理由があるわけじゃない」
「そ、そうだったんですね」
レクトの気分を害してしまったわけではなかったので、ジーナはほっと胸をなで下ろす。ひとまず安心したジーナは自分のデスクの上に鞄を置くと、中から筆記用具やら教科書やらを取り出して仕事の準備を始めた。
「なぁ、エレナって妹いるだろ?双子の」
不意に、レクトが質問する。内容が意外であったからかジーナは少し驚いているようであったが、よくよく考えれば教師が受け持っている生徒の家庭事情に関心を持つこと自体は別におかしなことではない。
「あぁ、名前はマイアさんでしたっけ」
「知ってるのか」
どうやら、ジーナはエレナの双子の妹について知っているようだ。しかも、ジーナが知っていた事実はそれだけではなかった。
「あれ、ご存知なかったんですか?彼女、この学園を受験されてますよ」
「そうだったのか?」
これまた意外な事実に、レクトは間の抜けたような声を出した。もちろん、きちんと記録を調べれば簡単にわかることではあるので、相変わらずレクトの認識不足は否めないのだが。
「姉妹で受験したそうですよ。ですが、合格したのはエレナさんだけだったと」
「エレナだけか」
確かにそれならば、エレナだけがこの学園に通っているということも納得できる。しかもエレナの場合はS組に選抜されているのだから、試験の結果もさぞ良かったに違いない。
ところがここで、レクトの頭にはある疑問が浮かぶ。
「妹の方はどうして不合格だったんだ?」
もちろん、不合格になったのは試験の結果が芳しくなかったというのは想像がつく。レクトが知りたいのは、双子の姉妹であってもかたや選抜クラス、かたや不合格といったように、そこまで差が出てしまうのかということだ。
もっとも、レクト自身には少なからず心当たりがあったのだが。
「さぁ…わたしは当時まだこの学園にはいなかったので、なんとも」
ジーナにとっては彼女たちの入学試験は赴任前のことであるので、具体的になぜそのような形になったのかはよくわからないようだ。そうなると、答えを知るのにもっとも早い手段は1つだ。
「校長に聞いた方が早いか」
「そうでしょうね」
受験生が不合格になった理由は、不合格にしたであろう本人に聞けばよい。もちろん入試に関してはきちんと担当の教師がいるのは当然だろうが、クラウディアの場合は彼女の性格上、何かしらの形で入試に関わっていると考えてもおかしくはないだろう。
そんなことをレクトが考えていると。
「呼んだかしら?レクト」
「わっ、校長!?」
背後から声をかけられ、不意をつかれたジーナは思わず声が裏返ってしまう。話しかけた声の主はというと、今まさに話題に挙がっていた校長のクラウディアであった。
「相変わらず神出鬼没だな。タイミングとか見計らってねえよな?」
ジーナとは対照的にいたって冷静なレクトは、現れたクラウディアの方を見ながら軽く毒づく。当然のことながら、クラウディアは少し不機嫌そうになったが。
「失礼ね。こっちはちゃんと貴方に用があって話しかけているのよ」
「用?なんかあるのか?」
一応、ちゃんとした用事はあるらしい。レクトとしてはエレナの件も気になるところではあるが、まずはクラウディアの用件を先に聞くことにした。
「この前の課外授業についてよ。貴方、私に言っていないことがあるんじゃない?」
話というのは、先日の課外授業についてであった。とはいえ、今の段階ではレクトには特別に思い当たるようなことがない。
「あそこで起こったことは全部報告したぞ。もちろん、その後でスイーツ食わせたこともな」
「そうじゃないわ」
「じゃあ何だよ?」
面倒くさそうな様子でレクトが質問する。そして、クラウディアの用件というのは。
「馬車よ」
「馬車…ちっ」
何かに気づいたのか、レクトは小さく舌打ちをした。もちろん近くにいるクラウディアには丸聞こえであるが、彼女はそんなことなどお構いなしにレクトへの質問を続ける。
「ペリルの森に行くために、馬車を使ったわよね?」
「使った」
「当然、無料じゃないわよね?」
「そうだな」
「馬車の代金、どうしたの?」
「俺が払った」
クラウディアの質問に、レクトは淡々と答えていく。しかしこの次にクラウディアからどのような質問が飛んでくるか、レクトにはおおよその検討がついていた。
「使った分はちゃんと申請したの?」
「したような気がしなくもない」
「されていません」
いい加減なレクトの返答に対し、クラウディアはピシャリと言い放つ。そして、手に持っていた書類をレクトの机の上にスッと置いた。
「はい、申請書。放課後までにはちゃんと書いておいてね」
「へいへい」
レクトはぶっきらぼうに返事をした。いかにも面倒くさそうな様子ではあるものの、不本意ながら書く気そのものはあるらしい。
一方のクラウディアは自分の用件が済んだということで、改めてレクトに確認する。
「それで?私に何か聞きたいことがあったんじゃないの?」
「あぁ、そうそう」
クラウディアから受け取った申請書を机の端に置きながら、レクトは例の件について彼女に尋ねる。
「エレナって、双子の妹いるだろ。しかもこの学園の入学試験、受けたらしいじゃんか」
「マイアのことね。その通りよ」
「どうしてエレナだけ合格で、妹の方は落ちたのかってな」
レクトの質問を聞いて、クラウディアは一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた。しかし、すぐにレクトの言いたいことを理解したようで、確認するようにレクトに問う。
「つまり、どうして私がマイアの方を不合格にしたのかを知りたいと?」
「まぁ、そういうこと」
クラウディアの口振りからすると、どうやら最終的にマイアを不合格にしたのは彼女本人であるようだ。もちろん、彼女としては厳正な審査を行った上での判断であったようだが。
「簡単に言うと筆記試験は申し分なかったけど、面接試験と実技試験での結果が振るわなかったのよ」
「なるほど」
レクトは納得したように頷く。実際、不合格になった理由としても何らおかしな部分はない。そんなこんなで、クラウディアの説明は続く。
「特に面接試験ね。意思や目的が明確であったエレナとは違って、彼女はどうにもぼんやりしたような印象があったのよ」
「「ぼんやり?」」
レクトとジーナは首をかしげている。少なくとも、今の話の内容からすると"ぼんやりした性格"ということではないのはわかるのだが。
「なんていうか、志望理由がはっきりしなかったの。どうしてこの学校を選んだのか、この学校に入って何をしたいのか、質問をしてもありがちな答えを言うだけで、本心じゃないのは明らかだったから」
クラウディアの言う質問内容は、確かに面接試験においては定番といっても過言ではないだろう。それにきちんと答えられなかったとなると、不合格の要因になってしまうというのも無理はない。
「もしかして、親御さんに無理やり受けさせられたってことですかね?」
ジーナが自分の見解を口にする。しかし、それを否定したのはクラウディアではなくレクトであった。
「いや。親父さんは娘の意思を尊重するって言ってたから、強引に受けさせたってことはないだろう」
実際、父親自身は親が子供の将来を決めてしまうことはナンセンスであると発言していた。そんな父親が娘の進路を強引に決めるというのは、いささか考えにくい。
「あらレクト。貴方、ファム司祭を知ってるの?」
それとは別に、クラウディアはレクトがエレナの父親のことを知っていたことが意外だったようだ。とはいえ、レクトがエレナの父親と顔を合わせたのは今朝が始めてであるが。
「今朝、大聖堂を通ったときに会った。ついでに妹の方にもな」
「マイア本人にも会ったのね。貴方から見て、彼女の印象はどうだった?」
「どうもこうも、妹の方とは話なんてまったくしてないぞ。極度の人見知りだったみたいだし」
レクトの言う通り、エレナの妹であるマイアとはろくに話もできず、彼女も逃げるように大聖堂の中へと戻っていってしまったのだ。
「そうなのよね。あの子、極度の人見知りだったからか、面接試験でも私の質問に上手く答えられないことがあったの」
「そうだろうな」
「とまぁ、マイアを不合格にした理由はこんなところかしら。納得できたかしら、レクト?」
「あぁ、十分だ。ある程度は想像通りだったからな」
クラウディアの話を聞いて、レクトも納得したように頷く。マイアと会ったのはほんの数十秒程度の時間であったが、それだけでも彼女が不合格になった理由をある程度まで考察するには十分すぎる時間であった。
ここで、レクトはもう1つ気になっていた疑問をクラウディアに尋ねてみることにした。
「なぁ、校長。やっぱりこの学園の入試って、合否の判断は基本的にはあんたが行ってるのか?」
レクトが気になっていたのは、この学園における入学試験の形態であった。学校である以上は入試試験があるのは当たり前なのだが、先程の話を聞いているとどうにも校長であるクラウディア自らが合否の判断を行っているように聞こえる。
しかも、それだけではない。レクトが受け持っているS組のメンバーは、他ならぬ自分自身で入学者の中から選抜したと前にクラウディアが口にしていた。少なからず、彼女がこの学園の入試に関わっているのはまず間違いないだろう。
「私が行うのは最終判断ね」
「ほう、最終判断」
クラウディアは隠すことなく答える。これに関してはレクトもある程度は予想していたのか、特に驚いた様子は見せていなかった。
「ウチの学園で行われる入試の流れを正しく説明すると、まず一次試験が筆記なの。それで一次を通過すると次は実技と面接の二次試験になって、私は最後の面接を担当しているわ」
「ふーん」
クラウディアの説明を、レクトは相槌を打ちながら聞いている。また、筆記試験というワードを聞いて、自身が受け持つフィーネが筆記試験を歴代最高得点でクリアしたという話を思い出していた。
「ちなみに、S組の選抜基準は?」
ついでと言わんばかりに、レクトは自分自身が受け持つS組について質問する。S組が選抜クラスだというのは最初に聞いていたが、今更ながら具体的にどういった選考基準があるかまでは知らされていなかったからだ。
しかしながらこの質問に対してはクラウディアは「うーん」と少しだけ唸ると、肩をすくめながら答える。
「明確な基準は存在していないわ。強いて挙げるとすれば、成績云々というよりも"私が良いと思った"かしら」
「なんだそりゃ」
曖昧なクラウディアの回答に、レクトも拍子抜けしたような声を出した。S組の選抜基準についてはジーナも始めて知ったようで、あんぐりと口を開けている。
「安心なさい。私、人を見る目にはとっても自信があるから」
クラウディアは胸に手を当てながら自信満々に言うが、レクトはいまいち信用がおけないようだ。
「俺を教師に選ぶ時点でその目は疑わしいと思うけどな」
「それ、自分で言うの?」
自虐と皮肉が交じった率直なレクトの意見に、クラウディアは呆れたように言葉を返した。
レクトからの質問が終わったところで、クラウディアは改めてマイアのことについて触れる。
「それとレクト。マイアのことが気になるのはわかるけど、姉のエレナに対してストレートに聞くのは厳禁よ?デリケートな問題なんだから」
「そこまで馬鹿じゃない」
「そう。ならいいけど」
レクトはやや短絡的ではあるが、実際にはかなり冷静で思慮深いところがある。要するに自分勝手な部分はあるが、きちんと場の空気は読める男なのだ。
「それじゃあね、レクト。申請書、ちゃんと書くのよ?」
「わかってるっての」
本来の目的を忘れないようにレクトに釘を刺しつつ、クラウディアはその場を立ち去る。彼女が職員室を出て行ったのを確認すると、レクトは机の上に置かれた申請書を引き出しの中に入れた。
「親父さんにも今朝のことは内緒にしてくれって言われてるし、妹のことについてはまた日を改めてエレナ本人に聞いてみるかな」
そう言って、レクトは机の上に置いてあった出席簿を手に取る。あと10分ほどで朝のホームルームが始まる時間だ。