司祭と鈴と双子の姉妹
「ふぁ〜あ、やっぱし起きるの早かったなぁ」
あくびをしながら、レクトは朝早くの大通りを歩く。泊まっている宿からサンクトゥス女学園まではほぼ一本道であり、10分もかからずに歩いて行ける距離だ。
教師という立場としては大いに問題があるが、どちらかというとレクトは時間にルーズなタイプだ。今日はたまたま早くに目が覚めてしまい、特にすることもないので少し早めに出勤しよう、というところである。
「しっかし西区は静かだよなぁ。東区なんて、朝っぱらから冒険者やハンターがくだらねぇ事でケンカしてることも日常茶飯事だってのに」
西区での生活を始めてからかれこれ2週間以上が経つが、騒がしい東区で何年も過ごしていたレクトにとっては未だにこの静けさには慣れない。もちろん昼間になればある程度は活気があふれる街に変わるのだが、それでも行商区として名高い東区と比べれば雲泥の差だ。
そうやって静かな大通りを歩いていき、そびえ立つ大聖堂の横を通りがかった時。
「ごきげんよう。レクト・マギステネル殿」
不意に、後方から声をかけられる。レクトが声のした方を向くと、そこには修道服を身に纏い、丸眼鏡をかけた男性が立っていた。
歳は40代前半から半ばといったところだろうか。来ている修道服にも少しばかり派手な飾りが付いており、教会の中でも上の立場の人間であろうことが見てとれる。
「あんたは?」
街中であるので当たり前といえば当たり前であるが、どうやら敵ではなさそうなので、レクトは相手の素性を尋ねた。
男性は軽く頭を下げると、改めて自己紹介を始める。
「失礼、申し遅れました。私、このオル・ロージュ西区にてフォルトゥナ教の司祭を務めております、ダリル・ファムという者です。以後、お見知り置きを」
「はぁ、ども」
ダリルの聖職者らしい丁寧な対応を目の当たりにしたレクトは、とりあえず自分も軽く頭を下げる。だが、レクトの中では先程のダリルの自己紹介がどうにも引っかかっていた。
「…司祭?そんでもって、ファム?」
ちょうど2週間ほど前に、同じようなワードを聞いたような覚えがある。というより、ファムというファミリーネームに関してはほぼ毎日のように関わっている気がしてならない。
もちろん、その理由は1つだけだ。
「日頃から娘がお世話になっております、先生」
ダリルが笑顔で言った。つまるところ、この男性はエレナの父親ということになる。
「あ、えーと…こちらこそお世話になっております?」
あまりにも急だったので、レクトの声が少し裏返ったようなものになる。
相手が王族や貴族であっても緊張などまったくしないような男ではあるが、こういった形で予想外の出来事に遭遇すると慌ててしまうあたり、所詮はこの男も1人の人間にすぎないということの表れであろうか。
「失礼。誤解しないでいただきたいのですが、別に待ち伏せをしていたわけではありませんよ?」
ダリルは笑顔のまま弁明するが、レクトの方はそんな事など微塵も思ってはいなかった。そもそも、この場所は他ならぬ大聖堂である。入口付近に司祭のような聖職者がいたとしても何ら不思議ではない。
とはいえ、ダリル自身も理由なくこの場に立っていただけではないようであった。
「ただ、宿屋のアルベルト殿からは通勤の際にこの道を通ると伺っておりましてね。もしかするとお会いできるかもしれないと、少しばかり期待はしておりましたが」
「あぁ、そういうこと」
レクトは納得したような様子だ。要するに、待ち伏せとまではいかないが、会えたらいいな程度の感覚で大聖堂の前に立っていたことは間違いないようである。
レクトから見ると、このダリルという司祭は聖職者の割には意外とちゃっかりした面のある人物といった印象であった。
「そういえば旦那が昨日、司祭の兄ちゃんと会ってきたって…」
「あぁ、私のことですね。彼とはもう20年以上の付き合いでして。それこそ、若い頃は色々とお世話になったものです」
レクトが思い出したように言うと、ダリルは即答した。
まさに昨日の朝、レクトが宿屋の主人であるアルベルトと交わした会話の内容だ。司祭に用などない、と言い切った次の日にその司祭に会うことになり、しかも受け持つ生徒の父親ときた。なんとも数奇な話である。
「えーと、エレナのことで俺に何か?」
レクトは率直に尋ねた。もちろん、英雄であるレクトに一度でいいから会ってみたいと思う人物も少なくはないだろう。だが相手がエレナの父親である以上、今のこの状況はどう考えてもエレナに関係する話があるとみてまず間違いない。
しかし、ダリルから返ってきた答えは意外なものであった。
「いえ、なにか特別な話があるということではないのですよ。ここ数日間はこの大聖堂に用事があったので、機会があればエレナの話していた先生に会えるかと思いまして」
つまるところ、別に保護者として何かレクトと話がしたかったというわけではなく、娘の担任がどのような人物であるか興味があった、といったところのようだ。しかも相手が魔王を倒して世界を救った英雄なのだから、なおさらレクトの人となりが気になるのは当然といえば当然である。
「ちなみに、エレナからはどんな話が?」
答えを聞きたいような聞きたくないような、微妙な気持ちでレクトは質問した。
別に誰かに嫌われること自体には何の抵抗も無いのだが、なにぶん初めて顔を合わせる保護者から教師としての自分の評価を聞くというのはこれまで経験がなかったことだ。
そして、そんなレクトの質問に対するダリルの答えはというと。
「はい。品性と性癖に色々と問題があり、世間でいわれているような英雄とは程遠い人物であると」
どう考えても酷評にしか聞こえない答えを、ダリルは笑顔で言い切った。だが、不思議と怒ったり呆れているような感情はまったくといっていいほどに感じられない。
「えっと…それって娘の教育的にはよろしくないんでは?」
否定することもできないので、レクトはらしくもないぼんやりとした質問をダリルに投げかける。少なくとも、今の話を聞いた限りでは娘をそんな男に預けたいとは思わないのが普通だ。
「もちろん、それだけであればとっくの昔に辞めさせるよう学園側に進言していますよ」
「ですよねー」
相変わらず笑顔のままのダリルの返答に、レクトは相槌をうつ。だが逆に言えば、今はレクトのことを辞めさせたいとは思っていないということにもなる。
「ですが、どちらかというとエレナから聞くのは愚痴よりも、先生を高く評価するような感想の方が多いですから」
「あぁ、なんか少し安心したかも」
ダリルの話を聞いて、レクトは少し気持ちが落ち着いたようであった。別に教師を辞めさせられたところで生活に困るわけではないのだが、それでも不本意な形で退職することになるとレクト自身も気に入らない部分があるのだろう。
「ところで…」
唐突に、ダリルが話題を変える。そして、その内容とは。
「先生も女神フォルトゥナを信仰していらっしゃるのですか?」
ダリルのその質問に、レクトは呆気にとられたような表情になった。フォルトゥナ教の司祭という立場を考えれば別におかしなことではないのだが、話の流れとしては何の脈絡もなかったからだ。
「またどうして?」
「耳の鈴ですよ」
「あぁ」
ダリルに指摘され、レクトは納得したように左耳の鈴を触る。これに関しても、前日に宿屋の主人と同じような会話を交わしたばかりだ。
しかしながら、相手はフォルトゥナ教の司祭である。アルベルトとは違い、その鈴が具体的にどのようなものであるかもちゃんと知っているだろう。
「あいにくと、信徒ってほどでは。ただ、この鈴のおかげで女神フォルトゥナの力が本物であることにはまったくの疑いは持ってませんがね」
レクトは正直に答えた。別に女神フォルトゥナを信仰しているというわけではないが、その力を何度も体感しているのは事実だ。
「女神の御力を実際に肌で感じてらっしゃるのですね。司祭としては喜ばしい限りですよ」
言葉通り、ダリルは非常に嬉しそうだ。
ついでというのもおかしな話であるが、いい機会なのでレクトの方も以前から気になっていたことをダリルに聞いてみることにした。
「俺も1つ聞いても?」
「えぇ、どうぞ」
「エレナは学園に入る前は修道院で修行をしてたとか」
レクトが気になっていたのは、他ならぬエレナについてだ。
「その通りです。期間で言うと5年ほどになりますかね。フォルトゥナ教の信仰だけでなく、炊事、洗濯、座学、戦闘の基礎など、生きていくために必要な事は一通り学ばせました」
修道院での修行といっても過酷な試練を行うわけではなく、それこそダリルが言ったように家事や一般教養を中心とした学習の他、場所によっては護身術として戦闘の基礎を学ばせることもある。エレナの戦闘能力に関しても、基本的な部分は修行で身につけたものなのだろう。
「確か修道女にするためじゃなく、あくまでも社会勉強としてやらせていたって、前に校長から」
レクトにとっては、一番気になっていた部分だ。父親が司祭であるならば、普通に考えれば娘を同じ聖職者にしようとするのは当然のことだ。しかし、ダリル自身は隠すことなくレクトの質問に答える。
「えぇ、その通りです。ご覧の通り私自身はフォルトゥナ教の司祭という立場ですが、それを娘たちに強要するのはまた別の話ですから」
やはりクラウディアが話していたように、修道院での修行というのはあくまでも社会勉強の一環であったようだ。それを裏付けるように、ダリルは明確に自身の考え方をレクトに示す。
「親が子供の将来を決めてしまうなんて、今時ナンセンスだと思いませんか、先生?」
「それはまったくの同感で」
はっきりとした意見を言い切ったダリルに、レクトも同意を示す。
このダリルという司祭は、レクトが今までに見てきた聖職者とはかなり考え方が違っているようであった。良い意味でいえば思考が柔軟で、人間くさいところがある。信仰者でありながら決して盲信しているわけではないというのも、レクトにとってはまた印象的であった。
だがそれとは別に、レクトは先程のダリルの言葉の中に1つ気になっている部分があった。
(娘たち?)
もっとも、そんなレクトの疑問もすぐに解決することになるのだが。
「あ、お父さん。さっき業者の人が…」
大聖堂の扉が開かれ、中から修道服を着た銀髪の少女が現れる。おそらくは修道女なのだろうが、レクトにとってはそれよりもはるかに重要な部分があった。
「…エレナ?」
少女を見て、レクトが呟く。なぜエレナの名前を口にしたのか。その理由は他ならぬ、目の前にエレナがいたからであった。
「あ、あの…」
だが、当の本人はというと様子が少しおかしい。レクトと目を合わせようとはせず、しどろもどろになるだけだ。
状況がいまいち飲み込めないレクトであったが、すぐに察したダリルは少女のことをレクトに紹介する。
「娘のマイアです」
「マイア?」
名前を聞いて、レクトは改めて少女の顔を見た。しかしながら何度見ても、毎日のように顔を合わせている銀髪の少女にしか見えない。
ところが、よく見ると髪型が違っていた。エレナは髪を両側で結っているのに対し、目の前にいるマイアはポニーテールだ。それと、左の目元にはエレナには無い泣きぼくろが見られる。逆に言うと、レクトにとってはそれぐらいしか見分けられる要素がなかったということになるが。
「マイア、この方は四英雄のレクト・マギステネル殿だ。それと…今はエレナの担任の先生ということになる」
未だに困惑気味のレクトを尻目に、ダリルは娘にレクトのことを説明する。
しかし当のマイアはというと静かに頷くだけで特別驚いたりはせず、ただレクトのことを遠慮がちにチラチラ見ているだけだった。嫌悪しているというよりは、単純に人見知りのようだ。
一方のダリルはというとやはり父親だからわかるのだろう、緊張した様子のマイアに指示を出す。
「マイア、業者の方が蝋燭の納品を終えたことを私に伝えに来たのだろう?それなら、ミレーネの所へ行って仕分けを手伝ってきなさい」
「は、はい…」
マイアは小さく返事をすると、そそくさと大聖堂の中へ戻っていった。彼女の姿が見えなくなったところで、ようやく状況を飲み込めたレクトがダリルに確認するように尋ねる。
「もしかして、双子?」
「ええ、そうです。ちなみにエレナが姉で、マイアは妹になります」
要するに、実はエレナには双子の妹がいたということになる。初めて知ったその事実に、レクトは少なからず驚きを隠せないようだ。
もっとも、生徒の家族構成などは学校側もしっかり把握しているはずである。この場合、事前に自分が受け持っている生徒たちのプロフィールをきちんと確認していなかったレクトに責任があるのは間違いないのだが。
「ただ、お分かりいただけたとは思いますが、性格は真逆でね。勝ち気でハッキリした性格のエレナとは対照的に、マイアは人見知りで引っ込み思案な子でして。さぞ驚いたでしょう?」
ダリルは苦笑しながら言った。とはいえ、兄弟や姉妹で性格が違うというのも考えてみれば別におかしなことではない。ただレクトの場合は普段から勝気なエレナを知っている分、そのギャップで余計に驚いたということはどうしても否めなかった。
「おっと、どうやら少し長く話してしまったようですね。引き止めてしまって申し訳ありません」
ダリルは謝罪しながら、ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。時間にしてはものの数分ではあるが、一応はレクトも出勤途中の身だ。貴重な時間を使わせたというダリルなりの礼儀なのだろう。
「あぁ、それと。私が先生にお会いしたことは、エレナにはなるべく内緒にしておいていただけますかな?」
「どうしてまた?」
なぜダリルが内緒にしたがるのか、レクトにはよくわからなかった。やましい事があるというのであればまだわかるが、ほんの数分ばかり世間話をしたというだけだ。
もっとも、ダリルの方もそこまで深い理由があるというわけではなかった。
「ご存知の通り、気の強い子ですから。"余計なこと喋ってないでしょうね!?"なんて強い口調で言われかねませんからね」
「言いそう」
実の父親であろうと、容赦なく詰め寄るエレナの姿が目に浮かぶ。むしろ、父親であるからこそ余計に強く言ってしまうということもあるだろう。
「では先生、今後とも娘をよろしくお願いいたしますね。女神フォルトゥナのご加護があらんことを」
そうしてダリルは一礼すると、軽く手を振りながら大聖堂の中へと消えていった。