【外伝】〜2人の出会い 前編〜
ビュン、ビュンと木刀を振る音が室内に響く。
「…999、1000!」
自らが定めた練習メニューである千回の素振りを終えたアイザックは、ふぅ、と一息つきながら額をつたう汗をぬぐう。それから次の鍛錬に移ろうとしたところで、訓練場の扉が開く音が聞こえてきた。
「アイザ、お疲れー。いま戻ったよ」
「遅いぞ、フェイ」
のんきな声を出すフェイを見て、アイザックは少し呆れたように言う。しかしながら、フェイの方にも反論したい部分はあった。
「遅いもなにも、そもそも今日は部活休みじゃないか。キミが勝手に自主練してるだけだろ。付き合わされるこっちの身にもなってくれよ」
フェイの言う通り、本来ならば今日は剣戟部の練習は休みである。ただ、アイザックはとある事情のために顧問であるブラックマンに頼んで訓練場を開けてもらい、こうして鍛錬に励んでいたというわけだ。
「それで?例の男は呼んだのか?」
「うん、呼んだよ。呼んだけど…」
本題に入るアイザック。だが、尋ねられたフェイはどうにも煮え切らない様子であった。
「ねぇ、アイザ。やっぱりやめておかない?」
今さらながら、フェイはこの後の予定について止めるように進言する。もちろん、友人であるアイザックのためを思っての発言だ。
だが当の本人はというと断固とした決意を胸に、自らの意見を曲げようとはしなかった。
「駄目だ。これ以上、あの男の蛮行を見過ごすことはできない」
「はぁ〜、相変わらず頑固だなぁ」
融通のきかない友人の態度を見て、フェイはため息をつく。とはいえ、アイザックは一度決めたことに関してはテコでも動かないほどに頑固者であるということはフェイもよく知っている。
その一方で、アイザックもフェイに対してある疑問を抱いていた。
「そもそも、なぜお前はあの男と親しいんだ。そこがおかしいだろう」
「いやー。あいつ、めちゃくちゃ強いだろ?剣の腕前も一級品だし、もしあいつがこの剣戟部に入ってくれたら絶対いい成績を残せると思うんだけどなー」
「私は反対だ。部としての品位が下がる」
「はいはい、わかってるよ」
何を言っても無駄だとわかっているフェイは、やれやれといった様子で肩をすくめている。これ以上の討論はまったくもって意味を為さないため、フェイは話題を変えることにした。
「そういえばアイザ、この前に言っていた例の新技はどうなんだい?」
「あぁ」
それまで仏頂面であったアイザックの表情が、急に真剣なものになった。いや、多少なりの不安が混じっているといった方がいいのかもしれない。
その理由は、他でもないその"新技"にあった。
「技そのものはほとんど完成している。ただ、あれは相手の攻撃を回避しつつカウンターの要領で叩き込む形になるわけだが…」
「だが?」
「回避から体勢を立て直し、そのまま攻撃に転じるまでの動きがどうにもしっくりこなくてな。もっとこう…バランスを崩さずスムーズに移動できるようなステップがあればいいのだが…」
「うーん、ステップかぁ…」
アイザックが抱える問題点に、フェイも腕組みをしながら考え込む。彼としては友人に的確なアドバイスをしてやりたいのはヤマヤマなのだが、残念なことに実力的にはアイザックの方が数段上だ。
そうやって2人が頭を悩ませている中、ガラッという音とともに訓練場の扉が開かれる。
「フェーイ。来てやったぞぉー」
「来たか…!」
入口の方から、気の抜けたような声が聞こえてきた。その声を聞いたアイザックの顔が、一気に険しいものへと変わる。
「あぁ、レクト。わざわざすまないね」
一方のフェイはというと、かなり親しげな様子で声の主に向かって話しかけている。現れた銀髪の男…レクトは、ポケットに手を突っ込んだままツカツカとフェイの所までやってきた。
「ホントだよ。俺、今日はこの後も色々と忙しいんだぜ?お前の頼みだからわざわざ来てやったんだって話だよ」
「いや、それは感謝してるって」
レクトとフェイが親しげに会話をしている横では、アイザックがものすごい形相でレクトのことを睨みつけていた。その視線に気づいたフェイは、早速と言わんばかりにレクトにとっては初対面となるアイザックのことを紹介する。
「紹介するよレクト。彼の名前はアイザック・ローレンツ。うちの剣戟部のエースで、今日キミをこの場に呼び出した張本人だ」
「…」
フェイは普通に友達を紹介するような感覚で話しているが、アイザックは一言も発さずに黙ってレクトのことを睨みつけたままだ。
もっとも、その点に関してはレクトも別に不満には思っていない。ただ、多少なりの違和感は抱いているようであるが。
「これからケンカする人間をダチに紹介されるって、なんか妙な気分だな」
「まぁ…ちょっと特殊な例だよね」
レクトの意見に、フェイも同意するように頷く。
ただ、レクトに対してのアイザックの紹介は済んだものの、逆の挨拶はまだだ。今度はアイザックにレクトのことを紹介する…はずであったが。
「で、アイザ。知ってると思うけど、彼がレクト・マギステネル。僕の友達で、えーと…その、不良」
「そんなことは見ればわかる」
他に気の利いた表現が見つからなかったフェイであったが、アイザックはハッキリと言い切った。
学校で指定されている制服はネイビーのブレザーに白いシャツ、赤いネクタイというのが決まりであり、アクセサリーの類は基本的に禁止されている。もっとも、評議会議員の御曹司や貴族令嬢などは家紋の入ったブローチやペンダントをしていることがあるが、権力を恐れる教師たちには黙認されている状態だ。
そしてここにいるレクトはというと、学校指定のブレザーこそ羽織ってはいるものの、下には赤い刺繍の入った悪趣味な黒シャツを着ており、当然のようにネクタイなどしていない。おまけに左耳にはルビーのような宝石をあしらったピアスを付けており、誰がどう見ても素行の良い生徒には見えないような出で立ちだ。
「型にはまらないのが俺のスタイルだからな」
「キミは型破りすぎるけどね」
堂々と言い切るレクトに、すぐさまフェイが指摘を入れた。レクトが学園に編入になってから2週間も経たない内に悪い意味で有名になってしまったのも、こういった見た目の派手さに原因があるともいえる。
「で、俺に何の用?…といってもさっきの奴らみたいに、どうせ俺のことが気に入らないとか、生意気だっていう理由で呼び出したクチだろ?」
「さっきの奴らって?」
つまらなさそうに言うレクトに、フェイが尋ねた。
「3年のよくわからん連中に呼び出されてな。ガン飛ばしながらあーだこーだ言ってたのを聞き流してたら、いきなり殴りかかってきたんだよ。全員ぶちのめして、ゴミ捨て場に放り込んでやったが」
「またか。これで何度目なんだよ」
相変わらずなレクトの無茶苦茶ぶりに、フェイはがっくりと肩を落とす。基本的にレクトの方から仕掛けることはないものの、こういったケンカ沙汰は既にレクトにとっては日常と化していた。もっと正確に言えばケンカというよりも、レクトの一方的な蹂躙であるが。
ただ、人一倍正義感の強いアイザックからすれば、レクトのそういった行動の全てが間違いにしか見えないというのが事実だ。
「この学園に編入になってからのお前の蛮行、目に余るものがある」
「それで?」
アイザックは凛とした態度でレクトと向き合うが、当のレクトはというと特に何も感じてはいないようだった。反論しないあたり、蛮行というのは自覚があるのだろうが。
「教師陣も匙を投げたそうだが、私の正義にかけて貴様を更生させてみせる」
「うわっ。不良の呼び出しとかじゃなく、正義の味方のお説教パターンかよ」
大真面目に話すアイザックとは対照的に、レクトはたいそう面倒くさそうな表情になった。何より、学園に編入になってから生意気だの礼儀がなってないといった理由で上級生から呼び出しを受けたことは何度もあったが、こんな正義感の塊のような男に敵意を向けられたのは初めてのことだったからだ。
といっても、結局のところやること自体はいつもと変わらないのだが。
「ま、別にいいけどさ。無駄話もなんだし、やるならさっさとやろうぜ。秒で片付けてやる」
「臨むところだ」
やる気満々のレクトを見て、アイザックも木刀を握る手に力を込める。ところが、いざ勝負といったところである意味での第三者であるフェイがいきなり両手を広げた。
「あ!2人とも、ちょっと待って!」
「「なんだ、フェイ!?」」
いきなり水を差すフェイに対し、イラついた様子のレクトとアイザックの声が重なる。タイミングだけでなくセリフまでまったく同じであったためにフェイも少し戸惑い気味であるが、すぐにレクトの方へと向き直る。
「実は、始める前にレクトに頼みがあるんだけど…」
「頼み?この期に及んで何だってんだよ?」
レクトはイラついた様子でフェイに尋ねた。フェイに頼み事をされるのは初めてのことではないが、大抵はロクなことではない。しかも今から決闘というタイミングで急に言い出したのだから、レクトとしては悪い予感しかしなかった。
そして、そんなフェイの頼みはというと。
「なるべくアイザが怪我をしないように、手加減してやってくれないかな?」
「はぁ?」
それを聞いてレクトは怒り半分、呆れ半分といったような表情になった。この場合、どちらかというと呆れの方が強いような気がしないでもないが。
「なんでケンカふっかけてきた奴に対して俺が手加減しなきゃならないんだよ」
「そこをなんとか!」
その申し出にレクトは当然といった様子で反論するが、フェイは譲ろうとしない。もっとも、これにはきちんとした理由があった。
「アイザは来月、大事な大会が控えてるんだよ。だから、怪我するようなマネはしてほしくなくってさ」
レクトとケンカになった相手は、今のところ全員がもれなく病院送りとなっている。フェイとしては、アイザックが怪我によって大切な試合に出られなくなることを危惧したのだろう。
「フェイ!余計なことは言わなくていい!」
フェイの思いとは裏腹に、アイザックは怒鳴るように注意した。アイザックにしてみれば、これから成敗するという相手に情けをかけられることが不満なのだ。
しかし、フェイの方も譲る気はないようだった。
「そうは言っても、実際に怪我をして大会に出られなくなったら元も子もないだろう」
「だが…!」
フェイの言っていることが正論であるからか、アイザックは言葉に詰まってしまう。アイザック自身にとっても、怪我で大切な試合を棒に振ることになるのは不本意ではあるからだ。
「それだったら、なおさら俺とやり合うのはおかしい話だろうが。怪我させてくださいって言ってるようなもんだぞ」
レクトは明らかに自分が勝つ前提で話している。というより、レクトが勝つと思っているのはフェイも同じだ。だからこそ、フェイは友人であるレクトにこうして頼んでいるという話である。
「頼むよレクト。この通りだ!」
両手を合わせ、フェイは懇願するように言った。それを見たレクトは、小さくため息を吐く。
「面倒くさいなぁ。まぁ、可能な範囲でな」
「ありがとう、レクト!」
友人の頼みというのもあってか、レクトは渋々ながらも了承する。それを聞いたフェイは、安心した様子で地面に置いてあったケースの中から木刀を取り出した。
「はいレクト、木刀。僕の貸してあげる」
「木刀?俺は別に素手で構わねえが」
確かにアイザックは木刀を持っているが、レクトにしてみれば武器などなくともケンカはできる。これまでにも何度か武器を持った上級生を相手に素手でケンカをしたことはあるが、余裕で全員を蹴散らしてきていた。
もっとも、フェイが木刀を渡したことにもきちんと理由がある。
「レクト。頼みが多くて悪いんだけど、アイザとはただのケンカじゃなく、剣戟の試合で戦ってくれないかな?」
「あぁ、それで木刀ね」
フェイの意図を理解したレクトは、差し出された木刀を受け取る。剣戟の試合形式で戦うのであれば、確かにレクトも木刀を持っていなければならない。
ようやくレクトの準備が整ったところで、アイザックがレクトに問う。
「確認するが、剣戟の試合のルールは知っているな?」
「まぁ、一応は。授業でもやるしな」
「ならいい」
確認が済んだアイザックは木刀を構え、フェイの方を見る。
「フェイ!判定は任せたぞ」
「はぁ〜。わかったよ」
フェイは諦めたように訓練場の中心付近へと歩いていった。ちょうど、剣戟の試合で審判が立つ位置だ。
双方の準備が完了していることを確認すると、フェイは右手を高く挙げる。
「はじめ!」
「むん!」
フェイが試合開始の合図をした直後、いきなりアイザックが動いた。とてつもない勢いでレクトへと迫り、一気に木刀を振り抜く。ところが。
「その程度じゃあ、俺には勝てない」
その言葉とともに、レクトは一瞬でアイザックの横に回り込む。突然のことに驚くアイザックではあったが、今の彼にはそれ以上にある部分が目に焼き付いたようだった。
(今の動き…!)
ボカッ!
「ぐっ!?」
アイザックの側頭部に、木刀の一撃がお見舞いされる。しかしながらレクトの方も約束通り手加減をしたのだろう、多少の痛みはあれど怪我をするほどの衝撃ではなかった。
「一本!レクト!」
審判をつとめるフェイが、声を上げながら左手を高く挙げた。この攻防は、レクトの圧勝である。
もっとも、剣戟の試合は先に二本取った方が勝ちというルールだ。レクトが一本取ったからといって、試合がこれで終わりというわけではない。
「どうした?俺を成敗するんじゃなかったのか?」
「…」
「その程度のスピードと反応速度じゃ、俺に鉄槌を下すなんて夢のまた夢だぜ?」
相手を見下すように煽るのはレクトの十八番だ。大抵の場合はそれで逆上した相手を一気に叩き潰し、圧倒的な力の差を見せつけた上で心まで折るというのがレクトの喧嘩スタイルである。
だが、それにしてはアイザックの様子がおかしい。怒りもせず、かといって悔しがっているというわけでもない。ただ、何かを考えているようだ。
「まぁ、そもそも俺に勝てる奴なんて…」
「その前に!!」
「うおっ!?いきなり何だよ!?」
自分の言葉を遮るようにして叫んだアイザックを見て、レクトは少し驚いたように後ずさりする。
「その前に今の動き、もう一回見せてくれ!」
「はい?」
アイザックの口から思いもよらない言葉が飛び出したので、思わずレクトは拍子抜けしたような声を漏らした。しかし、アイザックはそんなことなどお構いなしに言葉を続ける。
「さっき、私の攻撃を避けてすぐにカウンターを繰り出しただろう!?あの時のステップ、もう一度やってみせてくれないか!?」
引き気味のレクトに詰め寄り、アイザックは懇願するように言った。もはや剣戟の試合どころではない。
「おいフェイ。なんなんだコイツは」
アイザックを指差しながら、レクトは呆れたようにフェイに尋ねる。しかしフェイの方はアイザックがステップで悩んでいた事実を知っているので、彼が必死になるのも理解はできていた。
「すまないレクト。アイザは一度言い出したら聞かない奴でね。こうなってしまうとテコでも動かないから、言われた通りに見せてあげた方が手っ取り早いと思うよ?」
「仕方ねえなぁ」
フェイの言う通りにした方が早いと踏んだレクトは、アイザックにもよく見えるように右足を少しだけ前に出す。
「お前が言ってるのって、多分これのことだろ」
言い切ると同時に、レクトは素早く右斜め前へと滑るように移動する。そして、それをしっかりと確認したアイザックは。
「そう!それだ!何という名前のステップなんだ!?どうやって動いているんだ!?いや、それよりも一体どこで習得したんだ!?」
「落ち着け。一度に何個も質問するんじゃねえ」
興奮気味のアイザックに対し、レクトはかなり引いているようだった。しかしながら、アイザックの熱量はとどまることを知らない。
「頼む!私にそのステップを教えてくれ!あの動きができれば、きっと私の求める理想的なフォームが完成するはずなんだ!」
「おい、ウソだろ」
突然のアイザックの申し出に、レクトは信じられないといった表情を浮かべている。ケンカの相手から"許してくれ"という言葉を聞いた経験は何度もあるが、"教えてくれ"と言われるなど初めてのことなので無理もないが。
「なんで俺にケンカ売ってきた野郎が、俺に教えを乞う流れになるんだよ」
「頼む、この通りだ!」
レクトの指摘を完全に無視した流れで、アイザックはレクトに向かって頭を下げる。一応、教わりたいという立場であることはきちんとわきまえているようだ。
「おい、フェイ」
「だから言っただろ。アイザは言い出したら聞かない奴だって」
「お前が見せてやれって言ったんだろーが!」
「いやー、僕もこんなことになるとは思わなくってさ」
怒号を飛ばすレクトに対し、フェイはあっけらかんとした様子で笑っている。そんなやり取りを繰り広げている間も、アイザックはずっと頭を下げたままだ。
「はぁ〜」
このままでは埒があかないと判断したレクトは、ため息をつきながらアイザックを見る。
「1日コーラ1本」
「コーラ?」
レクトの言っている意味がよくわからなかったアイザックは、思わず顔を上げる。そんなアイザックにもわかるように、レクトは改めて条件を提示した。
「お前がこのステップを習得するまで、1日につき購買のコーラ1本で付き合ってやる」
「ほ、本当か!?恩にきるぞ!」
よほど嬉しかったのだろう、アイザックの声は少し裏返り気味であった。条件付きではあるものの、大きな壁にぶち当たっていたアイザックにとっては一日あたり1本のコーラなど安いものだ。
「それじゃあ、早速…」
「待て。今日はダメだ」
前のめりになるアイザックを制止するように、レクトが言葉を遮った。
「もう5時を過ぎてる。今から練習を始めたら、お互い寮の門限に間に合わなくなるぞ」
そう言って、レクトは訓練場の壁にかかっている大きな時計を指差した。時刻は午後の5時15分を示している。真面目なアイザックとしては、寮の門限を引き合いに出されては納得せざるを得ない。
といっても、レクト自身は門限をきちんと守るような誠実さとはかけ離れた人間である。門限は単なる口実にすぎない。
「そ、そうか。わかった、なら明日からだな!」
「んー。まぁ、そうだな。明日からだな」
明日からでも十分に急な話ではあるのだが、ここで先延ばしにすると後々さらに面倒なことになるだろうと判断したレクトは、明日からの練習開始を了承する。
「よし、わかった!それでは私はこの後、職員室に行かなければならないのでこれで失礼する!フェイ、施錠と鍵の返却は頼んだぞ!」
「あ!ちょっと待ってよアイザ!」
フェイの静止する声も聞かず、アイザックは大急ぎで荷物をまとめて訓練場を出て行った。
「まったく、相変わらず猪突猛進というかなんというか…」
残されたフェイはがっくりとうなだれる。口振りからすると、アイザックのああいった部分は普段から見られるのだろう。
「俺にあっさり負けた割にめちゃくちゃイキイキしてたな、あいつ」
借りていた木刀をフェイに返しながら、レクトが言った。実際、あれだけの完敗を喫しておきながら、新しい技術を学べるというだけであそこまで気持ちが切り替わるものなのだろうかとレクトは疑問に思っていた。
もっとも、フェイにとってはそれほど不思議なことではないようだった。
「アイザってバカ正直かつドン引きするぐらい真っ直ぐで、しかも向上心がハンパじゃない奴だからさ。きっと行き詰まっていたことが上手くいきそうなんで、すごく嬉しいんだと思う」
そう口にするフェイ自身も、どこか嬉しそうだ。とはいえレクトにとってアイザックは今日初めて会ったばかりの人間であるため、フェイが喜んでいる理由がいまいちよくわからない。
「あいつ、そんなに悩んでたのか?」
「うん。ここ数日は自分の殻を破るのにとにかく必死でさ。オーバーワークで体を壊さないかこっちも心配だったよ」
「ふーん」
フェイの話を聞いて、レクトは少し納得したような反応を見せている。レクト自身は競技や大会といったものにはまるで興味が無いが、そういった1つの目標の為に努力を惜しまない人間は嫌いではない。
そんな中、ふとフェイから思いもよらない事を提案される。
「ねぇ、レクト」
「なんだ?」
「アイザって頭はガッチガチに堅いけど、悪い奴じゃないんだ。例のステップを教えてあげるついでに、色々と話をしてやってくれないか?」
要するに、例のステップをレクトがアイザックに教える間に色々と話をして、仲良くしてやってほしいということだろう。もちろん、レクトはそんな頼みなど、はいわかりましたと即答するような男ではない。
「どう考えても俺と仲良くなれるようなタイプじゃねえだろ。というか、元はといえば俺が気に入らないから呼び出したんだろうが」
レクトからしてみれば、アイザックと仲良くなるのが嫌というよりも、そもそも性格的に仲良くなるのは不可能だろうとしか思えないのだ。実際、今日だってレクトと決闘まがいのことをするために呼び出したのだから。
しかし、それを聞いたフェイは首を小さく横に振った。
「実際はそうでもないと思うよ。たぶん、アイザの方もレクトの本質を知ればきっと仲良くなれると思うんだよね」
「本当かよ」
うさんくさいフェイの言葉に、レクトは怪訝そうな表情を浮かべている。もちろんフェイのことを信用していないというわけではないのだが、相手が相手なだけに鵜呑みにもできないようだ。
「それはそうと、レクト」
「今度はなんだよ?」
再び話題を変えるフェイを見て、レクトはうんざりしたような態度で返事をする。いくら友人といえども、さすがにいくつも頼み事をされれば嫌になるのも当然といえば当然だ。
だが本日最後のフェイの提案は、意外なものであった。
「この後も忙しいって言ってたけど、どうせまた門限破って違法賭博やってる地下闘技場に行くんだろ?」
「だったらなんだ。止めても俺は行くぞ」
「いや、それは止めないけど。どうせ言ったって聞かないだろうし」
レクトは当然といった様子で答えるが、フェイだってそんなことはわかりきっている。学生が違法賭博を行っている地下の闘技場に行くことなど普通であれば言語道断であるのだが、この男には一般常識というものがまるで通用しないのだ。
そんなわけで、フェイが提案したことは何かというと。
「時間があるんだったら、またダリさんの店でホットドッグでも食べていかないかい?今日のお礼に僕が奢るからさ」
なんということはない、馴染みの店で買い食いをしていこうという提案。数秒の間、これまたレクトは拍子抜けしたような表情を浮かべていたが、やがていつもの様子に戻ると至極当然といった様子で返事をする。
「ジンジャーエールもセットで頼む」