騎士団食堂にて ④
レクトが立ち去った後の騎士団食堂で、リリアは食事を続けていた。アイザックは既に食事を終えていたが、13時まではまだ時間があるということでリリアの話し相手を引き受けている。
話題はもちろん、あの男のことだ。
「ねぇ、アイザック。先生って、昔からあんな感じだったの?」
ラザニアを半分ほど食べ終えたリリアは、ふとアイザックに尋ねた。問われたアイザックは腕組みをしながら、思い返すように天井を見上げる。
「そうですね…私は学生時代からのことしか知りませんが、あれでも昔と比べるとずいぶん穏やかになったように感じますね」
「あれで!?」
アイザックの見解に、リリアは思わず大声で反応してしまった。幸いなことに食堂は他の騎士の雑談などでガヤガヤと騒がしかったので、誰一人として気にはしていないようであったが。
「昔はもっと酷かったですよ。最低でも週に1回は何かしらの問題を起こすような奴でしたからね」
「問題って、どんな?」
「そうですねぇ…色々ありますが…」
リリアの質問に、アイザックは考え込んでしまう。出てこないというよりは、どれを話せばよいのかを迷っているといったところだろう。
「そうだ。リリア嬢、ホレイバル伯爵はご存知ですか?」
アイザックは少し考えて、リリアも知っているであろう1人の貴族の名前を挙げる。だがその名前を聞いた途端に、リリアの表情が少しばかり不機嫌そうなものに変わった。
「知ってる。パーティーとか社交界でよく見るし。といってもあたし、あの家の人間キライなんだけど」
「そうなのですか」
やはり同じ貴族ということで、面識そのものはあるらしい。だがリリア個人としては伯爵だけでなく、ホレイバル家そのものを嫌悪しているようだった。
「確か、長男なんて隣国の公爵令嬢と婚約してたのに、少し前にオペラ歌手との浮気が原因で破談になったんじゃなかったっけ」
リリアが口にしたのはまさに今日、レクトが伯爵本人を煽るために持ち出した話題である。もっとも、会議の内容を聞かされていないリリアはそんなことなど知る由もないが。
「そういえば、そのような話が新聞に載ってましたね」
無理に話す必要もないので、今日の会議の中で実際にレクトが伯爵を煽ったことは伏せておき、アイザックは適当な相槌をうつ。
「というか多分あの家、あたしだけじゃなくて貴族界隈全体で嫌われてると思うな。例えば次男のカイルはあたしの2コ上なんだけど、とにかく上から目線でいつも偉っそうな奴なの!」
相当嫌っているのだろうか、リリアの口調がかなり厳しいものに変わった。しかしアイザックは驚いた様子を見せておらず、むしろ納得したように目を瞑っている。
「なるほど。次男もそうなのですね」
「次男も?って、どういうこと?」
アイザックの言っている意味がよくわからなかったリリアは首をかしげている。直後、アイザックの口からは意外な事実が語られることとなった。
「実は伯爵の長男であるアーク・ホレイバルは、私たちの学校の1つ上の先輩だったのですよ」
「え、そうだったんだ」
意外な事実を知り、反対にリリアの方が少し驚いているようだった。
アイザックの…正確にいえばレクトも通っていた学園というのは王都東区の中でも随一の歴史を持つ名門校であり、高名な騎士を何人も輩出している。ただ、東区特有の地域性もあるかもしれないが、一部の生徒の影響で校内の風紀が乱れがちというのが大きな問題であった。
ちょうど話題に挙がっているアーク・ホレイバルも、どうやらその一部の生徒にカウントされる人物のようである。
「このアークという男が学園の中でも有名な七光りのドラ息子でしてね。自分が貴族であることを鼻にかけて、校内でも常に取り巻きを連れて偉そうに振る舞っているような男でした」
「なんか想像通り過ぎてぜんぜん驚きがないんだけど」
おそらくアイザック自身もホレイバルのことがあまり好きではないのだろう、遠慮なしに酷評している。また話を聞いているリリアも、驚いたような様子は微塵も見せていない。
ただ、アイザックが本当に酷評している理由はこの次にあった。
「そしてある時、そのアークが事件を起こしまして」
「事件?」
事件と聞いて、リリアの表情が少し強張る。もちろんアーク自身は今も獄中にいるわけではないので、少なくとも殺人のような大罪を犯したわけではなさそうではあるが。
「たまたますれ違っただけの下級生の女子生徒を見た目で気に入ったとかで、交際を迫ったのです」
「え?なにそれ、ナンパ?」
「平たく言えば、そうなりますかね」
てっきり傷害のような内容を予想していたのか、リリアは拍子抜けしたような声を出した。だが、アイザックが酷評するアークの人間性におけるクズっぷりはここからが本題であった。
「突然のことだったので女子生徒は断ったのですが、怒ったアークはその…結果的に女子生徒を強姦しまして」
「なにそれ、最っ低!」
女子生徒の尊厳を完全に無視した蛮行に、リリアは憤慨している。もちろん話しているアイザックもいい気分ではないのだろう、難しい表情を浮かべていた。
「被害者となった女子生徒と両親は教師にも相談したのですが、なにぶん相手は貴族…しかも伯爵の息子ですから。権力を恐れた学校側は事件を揉み消し、女子生徒の方も泣き寝入りするしかありませんでした」
実際、何かしらの事件を起こした相手が貴族であり、揉み消されたり改竄されるといったケースは決して珍しくはない。権力には逆らえないという典型的な例であろう。
「聞けば聞くほど腹の立つ話ね。というか、学校側も揉み消すなんて完全に腐敗しきってるじゃない」
「そうですね。ですが、それが現実でした」
リリアは事件を起こしたアークだけでなく、それを揉み消した学校側も嫌悪しているようだ。一方のアイザックも嫌悪しているのは同じであるが、こちらはやや達観したような口振りである。
とはいっても、この話そのものはまだ終わりではない。なにしろ、"主役"の登場がまだであるからだ。
「ところが何の偶然か、被害者である女子生徒の親友にレクトの腰巾着のような奴がいましてね」
「腰巾着?」
アイザックの表現に、リリアは怪訝そうな表情を浮かべる。仲が良かったであるとか、つるんでいたというならばまだわかるが、腰巾着というとあまり良いイメージがないからであろう。
しかし、アイザックの方は気にせず話を続ける。
「えぇ。とある出来事で助けられて以来、レクトのことを異常なレベルで慕っていた女子生徒がいたのですよ」
「ふーん」
異常なレベルというのが具体的にどれほどのものなのかはわからないが、少なくともレクトが他人に慕われるというのはリリアにとってはそれほど意外ではなかった。
人間性という面では色々と問題があるのは間違いないが、レクトに良い部分がまったくないというわけではないことはリリアも十分に理解しているからだ。
「それで、アークの件を知ったその親友がレクトに相談を持ちかけたのです」
「先生に相談した時点でだいたい結果は想像できるけど…どうなったの?」
おそるおそる、リリアが尋ねる。彼女が言うようにレクトが絡んだ時点でアークが無事で済んだとは到底思えないが、もしかすると相手が貴族だからということで穏便に済ませたという可能性もゼロではない。
もっとも、そんな僅かな可能性はすぐさまアイザックによって否定されることになったが。
「一応、レクトが言うには最初は謝罪して二度と近づかないことを約束すれば許してやると持ちかけたらしいのですが、当然のようにアークは逆上したそうでして。取り巻きをけしかけてきたのですが…まぁ、その、相手はあの化け物ですから」
「相手が悪いどころの話じゃないでしょ」
アイザックの話の続きがおおかた読めたリリアは、呆れたように言った。そもそも、まずレクトが相手という時点で勝ち目など皆無に等しい。
「取り巻きは全員が重症で病院送り、アーク自身もあの外道に顔が腫れるまで殴られた挙句、足の骨や肋骨など合計4本ほど折られましてね。それも大勢の生徒が見ている中で」
話を聞きながら、リリアはやっぱりかとでも言いたそうな表情を浮かべている。といっても、可哀想だという感情はこれっぽっちも持ち合わせていないようであった。
「なんだろう。ものすごく酷い目に遭わされてるのに、全然かわいそうだと思わない」
リリアから見れば因果応報もいいところであった。
とはいえ相手は貴族である以上、普通の学生が権力に立ち向かうことはまず不可能だ。それこそレクトのように、誰が相手であろうと容赦なく叩き潰す度胸の持ち主でなければ制裁を加えることなどできなかったはずである。
「まぁ、レクトとは違った意味で人として最低の男でしたからね。同情するような生徒はほぼおりませんでした」
「そりゃそうでしょ」
実際、話を聞いていただけのリリアだってまったく同情の余地はないと感じている。もちろん、レクトは当時から情け容赦のない人間だったことに対しては若干の恐怖を感じてはいたが。
「そういった行為を何度も繰り返していった結果、レクトは学園内でも完全に近づいてはならない危険人物という認識になりましてね」
「まぁ、そうよね」
どのような理由があったにせよ、貴族が相手であろうと容赦なく大怪我を負わせる男など、誰がお近づきになりたいと思うだろうか。毎度のことながら、レクトのことを知れば知るほど、世間的な英雄というイメージからはどんどんとかけ離れていく。
そうやって会話を交わしながら昼食のラザニアを全て食べ終えたところで、リリアはふとあることをアイザックに尋ねた。
「…ちなみにだけど、もしかしてその後半女子とか、腰巾着っていう女子は…?」
質問するリリアの声は、少しばかり小さかった。先程のフェイのように何の気なしに質問した結果、既に故人であったとなるとまた気まずくなる可能性があるからだ。
もっとも、その心配は杞憂なものであるようだったが。
「ご心配なく。2人とも元気ですよ。腰巾着の方は最後に会ったのはフェイの葬儀の時ですが、今でも偶に手紙を送ってきます」
「あ、そうなんだ」
アイザックの口から2人とも元気であるという言葉を聞いて、リリアは少し安心したようになった。
「もう1人の後輩女子の方は?」
とりあえずは2人とも健在ということなので、リリアはもう1人の現在についても尋ねる。過去には性被害に遭っているとのことであるが、アイザックが元気と言っているのだから今は問題ないのだろう。
「そちらは今、西区の区役所で働いています。もちろん、エルトワーズ前団長殿とも面識がありますよ」
「そうなの?」
父親の名前が出てきたことで、リリアは驚いているようだ。とはいえ、今のエルトワーズは王国評議会議員である。議員として区役所に用があってもそれほど不思議なことではない。
しかしながら、アイザックの口からは少しばかり残念なエピソードが追加されることとなった。
「もっとも彼女は、エルトワーズ殿とは学生の時から既に何度か面識がありますがね。…主に問題を起こしたレクトの付き添いという形で」
「今さらだけど、ホントになんなのよあの先生」
呆れたように言いながら、リリアはカップに入ったアールグレイに口をつける。
レクトにも素直に格好いいと思えるような事もきちんとあるにはあるのだが、それでもやはり基本的には無茶苦茶という言葉がピッタリであるということを改めて認識する。
「ねぇ、アイザック。先生ってもしかして、実は仲間とかをすごい大事にするタイプ?」
ふと、リリアが尋ねた。問われたアイザックはというと、色々と心当たりがあったのだろう、迷うことなく即答する。
「それはあると思いますね。あぁ見えて、意外と責任感が強い男ですから。といっても、奴自身がどうでもいいと感じた事に対しては無責任極まりないですが」
「あー、それもわかるなぁ」
リリアは納得したように呟いた。
純粋な責任感の塊であるならば、路上で喧嘩沙汰を起こしたり、見知らぬ女性の尻を触ることなどはまずしない。レクトの責任感というのは、あくまでも自分が決めた範囲内でのみに限られるということだ。
「そうそう」
ここで、アイザックが急に思い出したように言う。
「自分や仲間に手を出されることを、レクトはよく"俺の領域に踏み込んできた"だとか、"俺の領域を侵した"と表現していましたね」
「あ…!」
アイザックの言葉を聞いて、リリアは思わず声を上げた。つい最近のことであるが、その言葉に聞き覚えがあったからだ。
「心当たりが?」
「うん。そういえば、前に言ってた」
レクトの口からその言葉を聞いたのは、ペリルの森で魔王軍の残党であるラドリオンを倒した時だ。あの時は何のことだかいまいちよくわからなかったが、アイザックの話を聞いてはじめてその意味を理解することができたようだ。
「では、リリア嬢をはじめとした生徒さんたちはもうレクトの中では領域という扱いになっているのでしょうね」
「それって、良い事なの?」
アイザックの見解に、リリアは素朴な疑問をぶつける。
「まぁ、あくまでもレクトがそう思っているだけでしょうから。その事実をどう捉えるかはリリア嬢が決めることです」
「うーん、そんなものなのかな」
リリアからすればレクトのことを嫌っているということはもう無いが、それでもよくわからない部分が多いというのは事実だ。
だからこそ、今日という機会にレクトの過去を知るアイザックに話を聞いてみたというのもあるのだが。
「アイザック隊長!」
唐突に、慌てた様子の騎士がアイザックに声をかける。何かしらの問題が起こったと一目でわかるほどに焦っているようだった。
「どうした、何があった?」
「西区南の通りにて、商人が取り扱っていたプラウドホーンが檻から脱走、興奮状態で暴れ回っていると通報が!」
「なんだと?」
話を聞いたアイザックは一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに真面目な顔つきになると、隊長らしく部下の騎士に指示を出す。
「よし、わかった。すぐに私も現場へ向かう。その間に、狩人組合に掛け合って頑丈な檻を用意してもらっておいてくれ」
「はっ!」
指示を受けた騎士は、足早に食堂を出て行った。アイザック自身も慌てて立ち上がると、隣に座っているリリアの方を見る。
「申し訳ありません、リリア嬢。どうやら…」
「謝罪とかはいいから!早く行きなさいって!」
アイザックの言葉を遮るようにして、リリアが怒鳴るように言った。
「では、エルトワーズ殿にもよろしくお伝えいただくよう」
「いいから!行きなさいって!」
こんな状況でも礼儀を貫き通そうとするアイザックを、リリアはやや強引に送り出す。
急いで食堂を出て行くアイザックを見送りながら、リリアは小さく呟いた。
「領域、ね」