騎士団食堂にて ①
「まったく、お前というやつは。どこの世界に王国評議会に情報提供をしに行って、議員と口論になる奴がいるんだ」
「だから、向こうが噛み付いてきたんだってば」
大盛りのカレーライスを前に、アイザックはレクトに対して完全にお説教モードに入っている。しかしながら当のレクトはというと、反省するどころか鬱陶しそうな目でアイザックのことを見ていた。
「あとアイザ。昔から言ってるが、食事中に説教するのはやめろっての。メシがマズくなる」
注意されている身だというのに、レクトは呆れた様子で言う。とはいえレクトの前にあるボリュームたっぷりのポークジンジャーは、あまり誰かのお説教を聞きながら食べるようなものではなさそうだ。
だが、アイザックにはレクトに対して言いたいことが他にもあった。
「その前に、だ。今更ながら、なぜお前が騎士団の食堂で飯を食っているのかが謎なんだが」
というのも現在2人が食事をしている場所というのは、王城の近くに位置する王国騎士団の詰所の中にある食堂であった。当然のことながら一般人の立ち入りはできず、基本的に騎士団の関係者しか利用できない決まりになっている。
そのような場所に、なぜ部外者であるレクトがいるのかというと。
「いいじゃねえか。団長殿にも許可はもらってるし」
「だから、エルトワーズ殿は前団長だと何度言えばわかる」
「いや、頭ではわかってんだよ。つい癖でそう呼んじまうの」
アイザックの注意を話半分に聞きながら、レクトはポークジンジャーを食べ進める。確かに評議会議員であり、なおかつ前騎士団長であるエルトワーズならば騎士団にも顔がきくし、食堂の利用許可などもたやすいことだろう。
もっとも、レクト自身も世間的には魔王を倒した英雄なので、たとえエルトワーズの口利きが無かったとしても食堂の利用程度ならばあっさり許可が降りそうなものであるが。
「それでレクト、魔王軍の残党に対する評議会の見解や対策はどうなったんだ?」
食堂で一番人気のカレーライスを食べながら、アイザックは本題に触れた。なにしろ、レクトが参加した件の会議が終わったのはほんの30分ほど前の話だからだ。
「現状は王都出入口の警備の強化のみ。なにしろ、魔王軍の残党があとどれくらい残っているかが不明だし、そいつらが再び人間に対して侵攻を企てているのかもわからないからな。対策の立てようがないんだと」
「確かにそうだが…」
レクトの説明にいまいち納得がいかない様子のアイザックは、カレーライスを口へ運ぶ。もちろん、アイザックだってレクトに文句を言ったところで意味はないということは承知の上だ。
そうやって2人が食事をしていると、アイザックの姿を見た1人の若い男性騎士がテーブルの側へとやってくる。
「お疲れ様です、アイザック隊長」
「あぁ、お疲れ」
どうやら、アイザックの部下のようだ。騎士はアイザックの向かいに座っているレクトを見ると、すぐにその素性に気づいたようだった。
「もしかして、そちらの方が四英雄のレクト・マギステネル殿ですか?」
「そうだ」
「どーも、英雄です」
「お会いできて光栄です、レクト殿」
軽いノリのレクトとは対照的に、若い騎士は丁寧に頭を下げた。もっとも彼の目的はレクトではなく、あくまでも部隊長であるアイザックに用事があるようだ。
「ところでアイザック隊長。再来週の国王の会談についてですが、警護の体制についていくつか報告しておきたいことがありまして…」
「わかった。食事が終わったら執務室に戻るから、13時になったら部屋に来てくれ」
「承知いたしました」
部下の騎士は一礼すると、足早に食堂を出て行った。それを見送ったアイザックは再びカレーライスを食べ始めるが、不意にレクトが口を開く。
「部下がいると色々と大変だねぇ。常にお手本にならなきゃいけないから、下手なこともできないしな?」
レクトはからかうように言った。とはいえ、アイザックが超が付くほどの真面目な優等生であることはレクトもよく知っている。本音を言えば、別に普段通りの生活態度でも何ら問題はないということはわかっているが。
むしろ、アイザックにしてみれば自分よりも目の前にいるレクトの方がはるかに心配なようだ。
「お手本になるという意味では、お前だって似たようなものだろう。しかもレクトの場合、相手はまだ少女といえるような年齢だから余計に気を使う必要性があるんじゃないのか?」
なにしろ、今のレクトは曲がりなりにも教師という立場だ。生徒たちのお手本になるというのはもちろん、モラルやマナーに関してもなにかと気をつけなければならない職業であるのは間違いない。
しかしながら、この男は存在そのものが色々と間違いだらけというのが現実ではあるが。
「ん?俺、普通に娼館に行ったときの話とかしてるけど」
「セクハラとかそういう以前に、どれだけ異常な神経をしているんだ、お前は」
しれっと当たり前のように言うレクトに対し、アイザックは至極真っ当な注意をする。もっとも、その注意を素直に聞くような人間ではないということもよく知っているのだが。
「ガキどもには、俺は呼吸をするようにセクハラをする人間だって伝えてあるから大丈夫だろ」
「それは何をどう解釈したら大丈夫と言えるんだ?」
相変わらずのレクトの唯我独尊ぶりに、アイザックはただただ呆れるしかなかった。
魔王を倒して世界を救ったとされている人間が、このような身勝手でセクハラ三昧の外道だということを世間に公表したら一体どうなるのだろうか。少なくとも、得をする人間がいないというのはまず間違いない。
「なぁ、レクト」
急に改まったように、アイザックが口を開いた。レクトが「なんだ」と聞く前に、アイザックはそのまま話を続ける。
「お前の見解を1つ聞かせてほしいんだが」
「見解?何の?」
ポークジンジャーを半分ほど食べ終えたレクトは、いったん箸を置きながらアイザックを見た。アイザックが聞きたい内容というのは、他でもない今日の会議に関係することであった。
「率直に言って、魔王軍の残党というのはどれくらい残っていると思う?」
少なくとも、魔王軍の残党がペリルの森にいたラドリオン1人であるとは考えにくい。ラドリオン自身は単独行動のようだったが、同じように人間たちの気づかないところで密かに活動している魔族がいることは十分に考えられる。
「そうだなぁ…」
レクトは少しの間だけ考え込むと、右手の指を3本立ててみせた。
「魔王軍全体を10とすると、おそらく残っているのは3ってところじゃないか?」
「何故、そう言い切れる?」
アイザックは再度尋ねる。こういう話をしている時は、レクトは基本的に思いつきや適当なことを口にする男ではないということはアイザックもよく知っている。ちゃんとした理由や根拠があって言っているのだ。
「まず、例の『セイントレッド大戦』が終わった時点で、少なくとも魔王軍の半数は倒したものとみて間違いないと思う」
レクトが根拠として挙げたのは、半年前に人類と魔王軍が全面衝突した戦い、セイントレッド大戦であった。2人にとっても大いに関係のある戦いであり、レクトは勇者ルークスのパーティメンバーとして、アイザックは国同士が結束して集められた連合軍に騎士としてそれぞれ参加していた。
「あぁ、あの大戦か。騎士団でも多くの人間が殉職したよ」
「だろうな。あれはもはや戦争って呼んでもいいぐらいのレベルだったからな」
もう半年も前の戦いであるが、それでも2人の記憶にはあの大戦で見た凄惨な光景が鮮明に焼き付いている。誰のものかもわからない断末魔、血の臭いと腐臭、おびただしい数の人間や魔族の死体。まさに地獄絵図といっても過言ではない光景であった。
「確かにあの大戦ではわれわれ人類側も大きな犠牲を払ったが、魔王軍にも決定的なダメージを与えることができたからな」
カレーライスを食べ終えたアイザックは、グラスに残っていた冷水をぐいっと飲み干した。先に食事を終えていたレクトは、そのセイントレッド大戦と魔王軍との残党の関係についての説明を続ける。
「それと、その大戦にも関係することなんだが、魔王軍には特に強力な存在として魔王軍四天王っていうのがいるんだよ」
そう言って、今度は親指を除いた4本の指を立てるレクト。もちろん、騎士として魔王軍との戦いに身を投じていたため、四天王に関してはアイザックもある程度は知っている。
「確か、その四天王の1人である魔将軍ベルフェスが、先のセイントレッド対戦における指揮官を務めていたのだよな?」
「あぁ。そしてその魔王軍四天王なんだが、魔将軍ベルフェス、魔軍師バーミラル、魔闘士ゴレムソンの3人は俺たちが倒した」
話をしながら、レクトは小指から1本ずつ折っていく。そうして人差し指1本になったところで、アイザックからはある意味では当然の質問が飛んできた。
「だが、四天王だろう?あと1人足りないじゃないか」
先程、確かにレクトは"3人は俺たちが倒した"と言った。だがそれは言い換えると、あと1は残っているということになる。
レクトは、ふーっと息を吐いた。
「最後の1人は生死はおろか、顔も名前も不明だ。それどころか、魔王を倒すまでに俺たちはそいつに一度も会ってはいないし、肩書きすら聞いたことがない」
いくらレクトたちが強かろうと、さすがに会ったこともない相手を倒すことは不可能だ。魔王の配下である以上、人類にとって魔王よりも脅威になるということは考えにくいが、それでも一切の素性が不明というのは少し不気味な話ではある。
「ということは、その最後の1人が魔王軍の残党を率いている可能性があると?」
話の流れを把握したアイザックは、レクトが今まさに考えているでろう答えにたどり着く。といってもそれは推論でしかなく、レクトもその点について言及する。
「あくまでも可能性の話だ。そもそも生きているかどうかもわからないし、魔王が倒されたことで人間に対する侵攻そのものを諦めて逃げたとも考えられるからな」
「確かにそういう考え方もあるな」
レクトの意見を聞いて、アイザックも同意するように頷いた。また、先程レクトが示したもう1つの見解についても改めて確認する。
「レクト。お前が残っている魔王軍がおよそ3割と判断したのも、四天王がまだ1人いる…つまり4分の1が残っている、ということだな?」
「まぁ、大体そんな感じかな」
先程もレクトが言ったようにあくまでも可能性に過ぎないが、説得力は十分に感じられる話であった。
「当然だと思うが、その話は評議会議員にも伝わっているよな?」
確認するようにアイザックが問う。だがレクトは素直に頷くといったことはせず、やれやれといった様子で肩をすくめた。
「言ったは言ったんだけどさ。そうしたら俺を嫌ってる議員の1人が、"貴様らは最後の1人がまだ残っていたにもかかわらず、魔王を倒して世界に平和を取り戻したなどと触れ回っていたのか!?なんと無責任な!"とか、ぬかしやがってよ」
「まぁ…その、なんだ。議員の方々にも色々と立場というものがあるからな」
この問題に関してはアイザックにとってもレクトに同情すべき部分があったので、少し言葉を濁しつつもレクトを否定することはなかった。はっきり言ってしまえば、顔も名前もわからない、ましてや生きているかも不明な相手をどうやって探し出し、倒せというのだろうか。
もっとも、レクトの場合は彼のことを嫌っている人間が評議会の中に大勢いる、というのも大きいが。
「俺もイラっときたからさ、ドスの効いた言葉で威圧してやったのよ。そしたらビビって机の下に隠れやがんの。あれは傑作だったね」
「まったく…」
面白おかしく語るレクトを見て、アイザックは呆れたように呟いた。とはいえ真っ正面から注意をしないあたり、この件に関してはレクトが完全に間違っているとは思っていないのだろう。
評議会議員の中にはエルトワーズのように実際に戦場で指揮をとっていた人間も若干ながら存在しているが、大半は実戦経験など皆無なデスクワーク派の人間たちばかりだ。アイザックだって、椅子にふんぞり返ったまま偉そうに物言いをするだけの議員たちに対して不満をまったく抱いていないと言ったら嘘になる。
「ま、そんなことはどうでもいいんだけどさ」
結局のところ、レクトにとってはそんなことは些細な問題でしかなかった。それよりも、彼にとっては目先の問題としてもっと重要なことがあった。
「ただ、今日の会議でフィーネの親御さんにはあんまりよく思われてないってのがわかったからな。保護者懇談とか心配だけど」
「親御さん…あぁ、グライス議長か」
今日の会議では、議長であるクリスティ・グライスは終始レクトに対して決して友好的と呼べる態度ではなかった。当人が厳格な人物であったために因縁をつけられたり、暴言を吐かれるといったことは皆無であったが、関係性としては決して良いとはいえるものではない。
ただの評議会議員であればいくら嫌われようとレクトも一向に構わないのだが、なにしろ彼女はフィーネの母親だ。この先も間違いなく面と向かって話をする機会がある。そうなると、今のままの状態ではあまり良くはないというのはどう考えても明白であった。
といっても、レクトという男はこの程度のことでウジウジ悩むような人間ではないのだが。
「ま、いいや。なるようになるだろ」
「それでいいのか、お前は」
あっさりと思考を切り替えたレクトを見て、アイザックは少し不安そうになった。もっとも王都の防衛に関することであればまだしも、レクトの働く学園内のことに関してはあまり口を出すのも、どうかという思いがあった。
「ところでレクト…」
「あれっ。アイザックと…先生!?」
話題を変えようとしたアイザックの言葉を遮るようにして、2人とも知っている人物の声が聞こえてきた。