フォルティス王国評議会
フィオリーナの空間転移魔法による議事堂への移動は、まさに一瞬であった。3人が転移した先は議事堂内にある大きな扉の前であり、この扉の奥に議会が開かれている部屋がある。
レクトも何度か訪れた経験があるものの、ここに来るのは久方ぶりであった。
「では、私はこれにて失礼する」
仕事を終えたフィオリーナはすぐさま踵を返すと、議事堂の出入口へと早歩きで向かっていく。転移魔法はなにかと便利だが消耗が激しい魔法でもあるので、帰りは徒歩にするつもりなのだろう。
フィオリーナの姿が見えなくなったところで、レクトは隣にいるアイザックに問う。
「なぁ、アイザ。あの姉ちゃん、たぶん俺のこと目の敵にしてるよな?」
「彼女に対してあんな事をしでかしておいて、恨まれていない方がおかしいと思うのだがな」
アイザックは呆れたように答えた。彼の言う"あんなこと"とは、もちろん先日に玉座の間でレクトが彼女のスカートを斬り落としたことである。
ただ、レクトが言いたいのはそういうことではなかったようだ。
「いや、なんていうか…あの時も、もっと昔からの遺恨めいたようなものを感じたんだよな。なんかこう…ここで会ったが百年目!みたいな」
上手く説明できないのか、レクトにしては珍しく曖昧な表現である。本人の中でもイマイチはっきりしないというのが大きいのだろう。
「なんだそれ。お前、彼女と前に会ったことがあるのか?」
以前から何かしらの因縁があったのであれば、目の敵にされているというのも納得がいく。しかしながら、レクトは首を横に振った。
「いんや、俺の記憶が正しければこの前のアレが初対面」
「ならば、お前の勘違いだろう」
「うーん、そうなのかなぁ」
アイザックはきっぱりと断言するが、レクトはまだモヤモヤしている様子だった。レクトにとっては別に他人に嫌われること自体はどうということはないのだが、自分の記憶の中にあやふやな部分があるというのがどうにも気持ちが悪いのだ。
だがそんなレクトの様子などお構いなしに、アイザックは目の前にある大きな扉の取っ手を握る。
「そんなことより、今日はこっちに集中してくれ。今のお前の情報は評議会にとって何よりも重要なんだ」
そう言って、アイザックは扉を開く。半円型に造られた大きな部屋の中では、既に評議会議員たちが着席して待機していた。何名かはレクトにとって初めて見る顔触れであるが、大半の議員は過去にこの場所を訪れた時と変わっていないようだった。
「フォルティス王国騎士団所属、アイザック・ローレンツです。レクト・マギステネルを連れて参りました」
アイザックは一礼すると、部屋の中央へと歩いていく。レクトも続くが、よく見ると中央には既に3人の人物が立っていた。
1人は先日も玉座の間にいたフォルティス王国大臣、もう1人は元王国騎士団長であり現在は評議会議員であるエルトワーズ侯爵だ。そしてあとの1人はというと、この王国評議会において議長を務める女性、クリスティ・グライスであった。
「待っていたぞ、アイザック。それと…よく来てくれた、レクト」
「団長…じゃねえや、議員殿か」
出迎えたエルトワーズ侯爵のことをうっかり団長と呼んでしまい、レクトはそれを訂正する。しかしながら、今はエルトワーズよりも気になる人物が彼の横に立っていた。
「お久しぶりです、英雄レクト・マギステネル。フォルティス王国評議会議長、クリスティ・グライスです」
グライス議長はレクトに向かって軽く頭を下げる。ただ、物腰は丁寧であるもののどこか雰囲気にトゲのようなものがあるのをレクトはうっすらと感じていた。
(このオバさん、前は議員だったよな。俺が旅に出てる間に議長になったのか。というか、議長ってことは…)
以前のレクトにとっては、たとえ王国評議会議長という立場の人間であっても興味の対象ではなかった。ところが、今のレクトには彼女とある点で関係がある。
「あー、えっと。ご無沙汰しております?いや、いつもお世話になっています?」
微妙に挨拶に困るレクトであった。なにしろ相手は評議会議長であると同時に、自分が面倒を見ている生徒の保護者だ。その上、騎士団長という立場上それなりに親交のあったエルトワーズとは違い、彼女とはほとんど接点がないというのも事実である。
しかし、グライス議長の対応は至ってドライなものであった。
「申し訳ありませんが、今は王国評議会議長としてこの場に立っておりますので。本日は娘のことについてはお話しすることは何もありません。貴殿には、王国に必要な情報を提供していただくだけで結構ですので」
やや早口で言い切る。何一つ間違ったことを言っているわけではないのだが、そこが逆にレクトにとっては関わりづらいことこの上なかった。
(相変わらずガッチガチに堅い人だよなぁ。そりゃ、フィーネもあんな真面目ちゃんに育つわけだよ)
レクトは改めて、フィーネのド真面目な性格のルーツが評議会議長である母親に起因するものであることを実感した。確かにこの厳格な母親のもたらす教育環境では、娘があのような人格に育ったということも頷ける。もちろんグライス議長と出会った当初は娘のフィーネの存在など知るよしもなく、ましてや後に自分がその娘の面倒を見ることになるなど、なんとも数奇な話ではあるが。
一方でグライスの方も勘が鋭いのか、レクトの表情を見ただけで何か余計な事を考えているのではないかと看破したようだ。
「何か?」
「いや、なにも」
「では、速やかに中央の台の上へ」
無駄な時間を省きたいのだろうか、グライスはレクトに指示を出しつつ自身の議員席へ向かう。そうなると、ここから先はレクト1人で十分なので、アイザックにはこれ以上この場に留まる理由がなかった。
「アイザック、ご苦労だったな。お前は下がっていいぞ」
「はっ!」
エルトワーズに向かって一礼すると、アイザックは足早に部屋を出て行った。
本来であればレクトのお目付け役兼ストッパーとしてこの場に残った方が良いのではないかという不安もあったが、幸いなことにかつてレクトとの交渉役を務めていたエルトワーズがいるので問題はないと判断したのだろう。
友人がその場を去ったところで、レクトはそのエルトワーズに向かってある質問をする。
「なぁ、団長殿。俺って、もしかしなくても嫌われてる?」
これまたうっかりしていたのだろうか、呼び方が昔の団長に戻ってしまっている。質問には"誰から"を示す言葉が足りなかったが、エルトワーズにはレクトの言いたい事がわかっていた。
要するに、評議会の面々から嫌われているかということだ。事実、着席している議員の中にはレクトのことをものすごい形相で睨みつけている人物も少なからず存在している。
「そもそも王国評議会の議員たちはお前を英雄視する人間と、厄介者扱いする人間で真っ二つだからな」
エルトワーズは隠す事なく、ありのままの事実をレクトに伝えた。ただ、それを聞いたレクトも想定内だったのだろう、まったく驚いた様子を見せていないが。
「一応聞くけど、なんで?」
「心当たりはないのか?」
レクトからの質問を、エルトワーズは逆に質問で返す。問われたレクトは数秒の間だけ考えこんでいたが、やがて開き直ったかのように口を開いた。
「ありすぎて逆にどれだかわからん」
「つまりは、そういうことだろう」
エルトワーズは雑に話をまとめるが、レクト自身も納得はしているようだった。実際、学生時代から色々と問題を起こしている男なので、煙たがる議員が多いというのも何ら不思議なことではない。
しかしながら、そんな無駄話をしていたレクトに向かってグライス議長はドライな言葉を容赦なく浴びせた。
「レクト殿、早く台の上へ。既に定刻を過ぎておりますし、時間が惜しいのですよ」
「はいはい」
自身を嫌っている議員の1人であろうグライス議長に促されるまま、レクトは中央の台の上に立つ。当然のように緊張などはまったく見せておらず、コートのポケットに手を突っ込んだままの超リラックススタイルだ。
「えーと…それじゃあ…」
ここで、それまでは一言も発することのなかった大臣が口を開いた。というより今の今まで完全に存在をスルーされていたわけだが、なにぶん大臣自身もレクトのことを苦手としているため、基本的に彼の相手はエルトワーズに任せきりというのが正しいが。
だが、そんな大臣の発言を遮るようにして、唐突にレクトから見て右側に座っていた議員が口を開いた。
「ふん。このような俗物が魔王を倒して世界を救った英雄とはな。世も末だ」
セリフからもわかるように、レクトに対して明確な敵意を示している。といっても、レクトにとってその議員には見覚えのある人物であったわけだが。
「おっ。俺に何か文句でもあるクチ?」
売られたケンカは買うのがレクトの流儀である。もっとも、議員がレクトに対して敵意を向けている理由はただ会ったことがある、というだけの穏やかなものではなく、むしろ因縁と呼んでも差し支えないものであった。
「忘れたとは言わせんぞ。私の息子は8年前、貴様に顔面が腫れ上がるまで殴られた挙句、肋骨と足の骨を折られるという大怪我を負わされたのだからな」
「あぁ、あの話か」
苛つく議員に対しレクトはわざとらしく髪をかき上げ、思い出したかのようなそぶりを見せた。
「くだらねえ事を何度も言わせるんじゃねえよ。あれはテメーんとこのドラ息子が俺の後輩女子を強姦しやがったから、見せしめとして公開処刑してやったんだって言ってんだろうが」
外道モード全開のレクトが、これでもかというぐらいに議員を煽る。とにかくこの男は相手が貴族であろうが評議会議員であろうが、遠慮という言葉を知らない。
実際に命を奪ったわけではないものの、議員に向かって平然と"公開処刑"という物騒な言葉を使うあたり、この男の傍若無人さを端的に表しているといえよう。
「あれは冤罪だ!そのような事実はない!貴様とその女子がでっち上げた、ありもしない絵空事だろう!」
議員は顔を真っ赤にして反論する。しかし一度でも攻撃を受けたら、相手に対して倍どころではないダメージを返すのがレクトという男だ。
「女を犯したところで、子供想いなパパに揉み消してもらえると思ったんでしょ?"俺の親父は伯爵だから、誰も俺には逆らえない"とか言い出す、典型的な親の七光りタイプのバカ野郎だったからねぇ」
「おのれ!まだ息子を愚弄するか!」
激昂した伯爵、もとい議員は怒鳴り散らしながら机を叩いた。自分にとってはこの上なく面白い状況になってきたレクトは、トドメといわんばかりにとある事実を突きつける。
「そうですよねー。オペラ女優との浮気が原因で、先月に婚約破棄されてるような女性関係にだらしない御子息ですもんねー」
「きっ、貴様ぁ!」
完全にレクトの挑発に乗ってしまった議員は、広い部屋中に響き渡るほどの大声で叫んだ。あまりにもうるさかったのだろう、隣に座っていた議員にいたっては耳を塞いでいる。
そんな中、この見苦しいイザコザに終止符を打ったのは他でもないグライス議長であった。
「静粛に!!」
グライスの一喝により、場内が静まり返る。流石は議長とでもいうべきか、一声で場の空気を変えてしまった。
そして、グライスの矛先は先程レクトに煽られていた議員へと向けられる。
「ホレイバル卿!貴殿の御子息が起こした強姦事件は既に過去の話です!発言は本日の議題に関する事項のみ許可します!」
「だから、息子は…!」
「発言は議題に関することのみだと言ったばかりでしょう!?」
「も、申し訳ない…」
グライス議長の圧に負けた議員は、反論もできずに頭を下げる。かなり手厳しい扱いではあったものの、場をまとめなければならない議長の行動としては正しいといえる。
「というよりレクト、お前はなぜあんなゴシップを知っていた?」
「俺、新聞は隅々まで目を通すタイプなもんで」
「やれやれ」
一方のレクトはというと、エルトワーズの素朴な疑問に対して得意気に答えていた。もっとも、答えを聞いたエルトワーズは感心することなどなく、ただ呆れるだけであったが。
「レクト殿。貴殿も議員たちを煽るような発言は控えるようお願いいたします」
騒ぎを鎮静化させたグライスは、もう1人の当事者であるレクトにも釘を刺す。しかし、残念なことにレクトは他人にどうこう言われて素直に首を縦に振るような人間ではない。
「そちらが噛みついてこなければ、俺は何もしないつもりですけど?」
「ふん!」
堂々と言い切るレクトに、グライス議長は背を向ける。とにかくレクトの挙動の一つ一つが気に食わないのだろう。
「まったく、フィーネもなぜこのような下賎な男を信頼しているのか…。理解できません」
グライスは腕組みをしながら呟いた。ところが、その言葉はすぐそばにいたエルトワーズにも聞こえていたようであった。
「奇遇だな、クリス。うちの娘もこの外道男を信頼しているようだぞ。やっと娘たちに対応できるような教師が現れて、お互い何よりだな?」
「エルトワーズ卿!本日は保護者懇談をしに来たのではありませんよ!?」
「あぁ、すまないな」
レクトだけでなく、本来ならば味方であるはずのエルトワーズにまでペースを乱されてしまい、グライスはかなりご立腹のようだった。
ところが、苛立つグライスのことなどお構いなしにレクトはエルトワーズに話しかける。
「つーか団長殿、さりげなく俺のことディスったよな?」
「だから、今はもう団長ではないと言っているだろう」
文句を言うレクトに対し、エルトワーズも文句で返す。こういった対話も踏まえると、ある意味でエルトワーズはレクトという男の扱いが非常に上手いのかもしれない。もちろん、レクト自身がエルトワーズを明確に信用しているというのも大きいのであろうが。
しかしながら、先程から無駄なやりとりばかりでまったく本題に入ることができていない。そんな状況を見かねて、それまではあまり発言ができていなかった大臣がその場をまとめようとする…のだが。
「あの…そろそろ…」
「レクト殿!?早く本題に入りたいのですが!エルトワーズ卿もご自分の席にお戻りいただけませんか!?」
大臣の言葉を遮るようにして、グライス議長が2人に向かって注意…いや、怒号を飛ばす。もちろん彼女には悪意など一切ないのだが、完全に自分の立場がない大臣はしょんぼりしている。
「そういうわけだ、レクト。ここからは真面目な話で頼むぞ」
「わかってるっての」
エルトワーズはレクトの肩にポンと手を置くと、自分の議員席へと向かっていく。
そうしてエルトワーズが着席したところで、早速といわんばかりにグライス議長が口を開いた。
「それでは、定刻もとうに過ぎておりますので、早急に会議を始めたいと思います」
少し嫌味を含んだような言葉と共に、王国評議会による会議が始まった。