英雄色を好む ②
「だ、誰だ貴様は!?」
いきなり現れたレクトに、バルガンは当然の質問をぶつける。レクトの体からはほのかに石鹸の香りが漂っており、完全にお楽しみの真っ最中であったことは想像に難くない。ところがレクトの方は「んー」と小さく唸りながら、バルガンと、その横に随伴いるドグの顔を見比べている。
「なぁ、マダム。普通に流れでボコっちまったけど、こいつら何?」
バルガンの質問を完全に無視して、レクトはマダム・ローズに尋ねた。結果的には素性もわからない人間をいきなりボコボコにしてしまったということになるが、当のレクトはまったく反省の色を見せていない。
「つい最近、王都にやってきたギャング団だ。地上げ屋まがいの事をやって、この街を支配下に置こうとしてるんだよ」
「ほー」
マダムが簡潔に説明する。おおまかな状況を理解したレクトは、首をコキコキと鳴らしながらもう一度バルガンの方を見た。
「なら、叩き潰しても別に問題ない?」
レクトのその一言を聞いて、バルガンの背筋に悪寒が走った。一方でマダム・ローズは意味がないと理解しつつも、一応という意味で忠告をする。
「もしかしたら、こいつらと繋がってる議員か貴族に目をつけられるかもしれないけど…あんたはそんなことをいちいち気にするタイプじゃないだろ?」
「まったく気にならない」
「だろうね」
レクトの反応を見て、聞くだけ無駄だったと実感したマダムは肩をすくめた。
とはいえ、マダムとしてはレクトが目の前のギャング団を追い払ってくれればそれで問題はない。しかしながら、レクトはレクトで素直に善意だけで動くつもりはないようだった。
「けど、タダ働きっていうのもしっくりこねえなぁ。せっかくだし何か見返りがほしいな、マダム?」
「やっぱり、そうなるかい」
レクトからの提案、というよりも要求に、マダムはやはりといった反応を見せている。もっとも彼女自身も、レクトが他人の為に身を削って働くような善意の塊ではないということは十分に理解していたが。
「わかったわかった。今夜は誰でも好きな娘3人選んで、朝まで遊び倒していいよ!」
「悪くない報酬だ」
マダムの提示した報酬がお気に召したのか、乗り気になったレクトは足元に倒れていたロックを邪魔そうに蹴飛ばすと、部屋の隅へと転がした。バルガンもレクトがやる気になったことを確認すると、すぐさまドグに指示を出す。
「ドグ!あの男を叩きのめせ!」
「はっ!」
バルガンの命令を受けたドグは、腰に携えた長剣の柄に手をかけながらレクトの前に出る。とはいえ武器を所持したドグに対してレクトは完全に丸腰の状態であったため、ドグもいきなり斬りかかることはせずにまずは忠告から入る。
「貴様、威勢だけはいいようだが、逃げるなら今のうちだぞ。俺はこう見えても、かつて隣国の闘技場で剣闘士をしていた男だ。しかも、2年前には…」
「あのさ」
威嚇の意味も込めて自身の経歴を語るドグであったが、途中でレクトに遮られてしまう。
「悪いことは言わないから、やめとけ。戦う前に肩書きとかをベラベラ自慢するような奴は、結局のところ瞬殺されるっていうのがお約束だぞ」
レクトはドグの忠告を聞くどころか、逆に忠告し返してしまう。ドグの方はというと当然のことながら退くことはなく、むしろ馬鹿にされたことに逆上してレクトに斬りかかる。
「あぁそうかい!だったら残念だ!瞬殺されるのはお前の方だからな!」
「うわ。もうお約束すぎて逆に笑えるわ」
口では笑えると言いつつも、レクトの表情はかなり冷めている。今にも剣で斬られそうになっているというのに、随分と余裕に満ちた態度である。
実際のところ、確かに余裕ではあるのだが。
ガッ!
「ゆ、指で止めただと!?」
ドグが振り下ろした剣を、レクトは人差し指と中指ではさむようにして止めた。しかも、ただ止めたというだけではない。
(な、なんなんだこの男!?俺よりも小せえくせに、ビクともしねえ!)
止められた剣をドグが引き抜こうとしても、剣はまったく動かない。レクト自身も小柄というわけではないのだが、体格的にはドグの方が頭一つ分は大きい。にもかかわらず、レクトが指で止めている剣はドグが力一杯引いても動く気配を見せないのだ。
「訂正。やっぱお約束すぎってのはつまんねえや」
そう言って、レクトは剣の刀身を摘んでいる指先に力を込める。たちまち刀身にはヒビが入り、ベキン!という金属音とともに剣が折れた。
「折っ…!?」
驚くドグが言い終える前に、レクトの拳が彼の顎を襲う。殴られたドグは5メートルほど吹っ飛ばされ、店の壁に激突した。もっとも、ドグ自身はレクトに殴られた時点で既に失神していたようであるが。
「レクト!店の物には傷をつけるんじゃないよ!」
「へいへい」
マダムに怒鳴られ、レクトは渋々といった様子で返事をする。その様子はまるで子供を叱る母親と、それに嫌々ながら従う子供のようであった。
「「レクト…?」」
一方でパンジーとバルガンは、マダムが怒鳴った際に口にした名前が少しばかり気になったようだ。だが店の人間であるパンジーはともかくとして、バルガンの方は側近2人がノックアウトという、いわばピンチの状態である。
「く…やむを得ん!」
そう言ってバルガンはレクトたちに背を向けると、扉を勢いよく開けて店から出て行ってしまった。
「あっ、おい。帰るならこのデカブツ2人もちゃんと持って帰れよ」
本人としてはどうでもいいのだろう、レクトが雑に呼び止める。だが、バルガンからの返事が返ってくる代わりに、突如として周囲にドスン!という轟音と共に地響きが広がった。
「な、なんだい!?」
予想だにしない事態に、マダム・ローズは慌てたように周囲を見回す。だが次の瞬間、先程までよりも更に大きな音を立てながら娼館の壁を突き破り、大きな右腕が姿を現した。
「「きゃあっ!」」
突然の襲撃者に、思わず娼婦たちは悲鳴を上げる。マダムの方はというと、別の意味での悲鳴を上げていた。
「あぁ!あたしの店が!」
崩れた壁を見て、マダムの顔が青ざめる。彼女の頭の中では修理費だの何だのと、色々なことが駆け巡っているのだろう。
「はっはっは!驚いたか!魔法の都マギアレート製の対ドラゴン用大型ゴーレムだ!」
絶望するマダムのことなど知ったことかといった様子で、外からはバルガンの声が聞こえてきた。外といっても、壁を崩されたせいで隔てるものは何もない状態なのだが。
「魔導人形か。また随分とデカいな」
崩れた壁から外を見て、レクトが冷静に言った。
レクトの言葉の通り、娼館の壁を壊した張本人は10メートルはあろうかという巨体をほこるゴーレムであった。ゴーレムは壁を壊した右腕を一旦引くと、外の通りに立っていたバルガンの横まで後退する。
「このゴーレムはすごいぞ!ドラゴン種の中でも上位とされる、グランドドラゴンやタイラントドラゴンの攻撃にも耐えるのだ!それなりの値段だったが、その価値に見合った力を持っているというわけだ!」
「おっさん、さっきの俺の話聞いてなかったのか?だから先に説明はしない方がいいんだってば」
自慢気にゴーレムについての解説を述べるバルガンに対し、レクトは相変わらずの冷めた様子のまま指摘する。といってもこの場で冷静なのはレクトだけであり、特に店を壊されたマダムは恐れよりも怒りの方が前面に押し出されているようであった。
「なんてことしてくれんだ!あたしがこの店を開くまでに何年かかったかわかってんのかい!?」
壊された壁を見て、マダムは大層ご立腹のようである。もっとも壊されたのは入口の扉横の壁一枚だけであり、建物そのものには大きな影響はなく、崩れる心配もなさそうだ。
そのことを理解してか、レクトはマダムをたしなめるように言う。
「ちょっと壁が崩れただけじゃんか。ギャーギャー騒ぐなよ、マダム。この程度なら業者に頼めば数日で直るだろうが」
「うっさい!いいからあんたは早くあのデカブツをなんとかしな!」
残念ながら、怒り心頭のマダムには話が通じないようだった。状況が状況であるだけに、仕方ないといえば仕方ないのだが。
「俺は悪くねぇだろ。なんで俺が怒鳴られなきゃならねえんだよ」
レクトは小声でぼやいた。とはいえ、レクトの言う事もあながち間違ってはいない。壁を壊したのはあくまでもバルガンであるし、立場的にいえばレクトだって巻き込まれた側である。もっとも、ここまでくるとバルガンにとってはもはや関係ないことであるのだが。
「本来であれば、王国騎士団とやり合うことになった場合に奴らを蹴散らすために用意したものだが、まさかこんなにも早く使うことになるとは思わなかったぞ」
ゴーレムの後ろに隠れながら、バルガンが偉そうに言った。しかしレクトの方はというと相変わらずといった様子で、まるで品定めをするかのようにゴーレムを眺めている。
「カリダの奴が見たら、下品だとか酷評しそうだな」
「カリダ?四英雄の魔術師カリダ・アーヴィングのことか?なぜ四英雄がこのゴーレムを酷評するというのだ?」
唐突にレクトが四英雄カリダの名前を挙げたので、バルガンは間の抜けたような声で質問を投げかけた。
「あいつ、ゴーレムが嫌いなんだよ。下品な魔法の使い方だとか言ってさ」
レクトは首の後ろをかきながら、何の気なしに答える。結局のところ、レクト本人もカリダの言う下品の使い方というのがいまいちピンときていないのだろう。もっとも、剣士であるレクトにしてみればそもそも魔法自体が専門外であるため、理解しろというのも無理があるのかもしれないが。
「ふん、まあいい。魔術師カリダがどう評価しようが関係ない。今、重要なのは、お前たちがこのゴーレムに潰されるということだけなのだからな!」
バルガンは大声で叫びながら、右手を前にかざす。どうやらそれが合図になっていたようで、バルガンが手をかざすや否や、ゴーレムは再び動き出した。
「ちっ、仕方ねえ」
レクトは小さく舌打ちをした。このままでは、店ごと潰されてしまうのは時間の問題である。それまで一貫して冷静であったレクトも流石にまずいと判断したのか、真剣な様子でマダム・ローズの方を見た。
「マダム、俺の大剣は?」
「そこの壁に立てかけてあるだろう!?なんでもいいからさっさと片付けておくれ!これ以上店を壊されちゃあ、たまったもんじゃないよ!」
「だから俺は悪くねぇだろ」
切羽詰まった様子のマダムに怒鳴られ、レクトは不満を口にする。先程から口にしているようにレクト自身は完全に巻き込まれた側であるので、彼の言い分もあながち間違ってはいないのだが、状況が状況なだけにマダムが怒鳴るのも無理はない。
レクトは壁に立てかけてあった自身の大剣を手にすると、巨大なゴーレムの待ち構える店の外へと飛び出した。当然のことながら服装はバスローブ姿のまま、しかも裸足である。客観的に見ると、巨大なゴーレムとバスローブ姿の剣士が対峙するという、なんともシュールな光景が広がっていた。
「この私に楯突いたのだ。泣いて謝っても許さんぞ!貴様は死刑だ!」
「俺からすれば、楯突いてきたのはお前の方なんだがなぁ」
高圧的な態度のバルガンに対し、レクトは冷静な様子で答える。互いに自分が負けるなど、微塵も思っていないようだ。
店の中では、崩れた壁の内側からマダムと娼婦たちがゴーレムに立ち向かうレクトの様子を見守っている。しかしながら、やはり不安なのだろう、パンジーがおそるおそるマダムに尋ねた。
「だ、大丈夫なんですか?マダム?」
「何がだい?」
不安を隠せないパンジーに対し、マダムの方はこれっぽっちも不安に思う要素はないようであった。もっとも、店の壁を壊された怒りそのものは未だに治まらないようであるが。
「あんな巨大なゴーレム、どう考えたって1人でなんとかするのは無理ですよ!」
パンジーはもっともな意見を述べる。といってもそれはあくまでも一般的な意見であって、マダム・ローズは既に事の成り行きを一般的な考えで見てはいないようであった。
「普通ならね。けど、あいつは1人でも平気」
「ほ、本当ですか!?」
マダムは至極当然といった様子で答えるが、それでもパンジーはまだ信じられないようだった。
そんな2人のやり取りも、少し離れた位置にいるレクトには聞こえないようであった。レクトはゴーレムを上から下までじっくり観察するように見ると、少しばかり考えるようにして左手でこめかみ付近を触る。
「ゴーレムって、燃えるゴミ?燃えないゴミ?まぁでも、パッと見た感じ素材は岩みたいだから、燃えないゴミでいいか」
結局どうでもよかったのか、レクトはあっけらかんとした様子で大剣を構えた。