初めての課外授業 ③
「はあぁ!」
『ピギィ!』
掛け声とともに、サラは大きなハルバードを振り下ろす。もちろん刃は練習用の木製などではなく、実戦用の鉄製のものだ。
強烈な一撃をまともに喰らったペリルラビットは、断末魔を上げた直後に動かなくなった。サラは持っていたハルバードを背中に戻すと、今しがた倒したばかりのウサギの死骸を抱え上げる。
「ふぅ…これで5羽目」
そう呟いて、サラはウサギの死骸を荷車に乗せた。荷台には既に30羽以上のウサギが乗せられており、今のところ課外授業は順調といえよう。
唯一の難点としては、森の中では草木が生い茂っているために視界があまり良くないという部分だろうか。
「…いました!」
『ピギッ!?』
その点、カトゥス族であるアイリスは種族特有の優れた聴覚をフル活用し、ウサギの立てたわずかな物音を察知しながら動いており、堅実な動きでウサギ狩りを続けている。使っている武器が片手用のナイフというのも、木の多い森の中ではむしろ小回りが利くという利点に繋がっていた。
「ウィンドカッター!」
「アイスニードル!」
また、魔法の得意なリリアとルーチェは遠距離から攻撃魔法を放つことで素早く動くペリルラビットを仕留めていた。当然のことではあるが、森の中ということでレクトから事前に炎属性の魔法は使用を禁じられている。
そうやって各々が自分の得意とするスタイルでウサギ狩りを続ける中、引率するレクトはというと。
「ふぁ〜あ」
大きなあくびをしながら、気だるそうな様子で生徒たちがウサギ狩りをするのを見ている。見るからにやる気のなさそうな雰囲気であり、いつもの実戦訓練のように皆にアドバイスをするような様子もない。
「ちょっと先生、さっきから荷台に腰かけてのんびりしてるだけじゃないですか」
仕留めたウサギを荷台に乗せながら、エレナが指摘した。極端な話、ペリルラビット程度であれば別にレクトに手ほどきを受ける必要性など何一つないのだが、単に彼がだらけきっている様子であるのが不満なのだろう。
だが、レクトとしては別にのんびりしているだけのつもりはなかったようだ。
「パッと見た感じではサボっているようにしか見えないだろうが、実は俺は見てないようできちんと見ている」
「本当ですか?」
レクトは堂々と答えたが、エレナは少し疑わしげな眼差しを向けている。レクトの方もそれは十分に理解しているのだろう、1人の生徒の名前を挙げる。
「例えばベロニカ」
「ベロニカがどうしたんですか?」
「刀を振るとき、近くの木に刃が当たりそうになってる時があった。これって、どういう事だかわかるか?」
レクトの質問の内容について、エレナは数秒ほど考える。しかしそれほど難しいことではなかったらしく、すぐに答えを述べた。
「周りが見えてない…視界が狭いってことですよね?」
実戦においては正面だけでなく、左右の状況把握も基本だ。それは相手からの攻撃に対応する場合だけでなく、自分が攻める際にも同じことがいえる。
エレナの答えを聞いたレクトは、真顔のまま腰を上げた。
「ふむ、間違ってはいない。だけど、それが一番の理由ではないんだな、コレが」
「じゃあ、一番の理由って?」
「この森みたいに、障害物が多くて視界の悪い地形での戦いに慣れてない、ってことだろ」
「あ…」
レクトの見解を聞いて、エレナも理解できたようだ。それを見透かしたかのように、レクトは話を続ける。
「お前ら多分、こういう森の中みたいな障害物の多い地形での実戦経験ってあんまりないんだろ?」
「まぁ、そうですね」
学園内で行われる実戦形式の授業は基本的に訓練場か校庭で行われるが、どちらも平坦で開けた地形である。つまりレクトの言うように、こういった障害物が多く視界の悪い地形での実戦経験はあまり無いのだ。
ここまでの話の流れで、更にエレナはある事に気づいた。
「だから今回のターゲットは危険度の低いウサギにしたんですか?」
「そういうこと」
森の中での動きに不慣れな状態で危険度の高いモンスターとの戦闘になれば、それこそ怪我では済まない可能性だってある。だが危険度の低いペリルラビットであれば、仮にミスを犯してしまったとしてもリスクは極めて少ない。
要するに、今回の課外授業には森の中での動きに慣れる、という側面もあったのだ。
「もちろん、事前に言ってた社会貢献っていうのもウソじゃないけどな。…って、どうしたエレナ?」
エレナが口を開けたまま呆けたように黙っていたので、思わず尋ねるレクト。
「正直、そこまでの考えがあったとは思わなかったので驚いてます」
どうやらエレナは今回の課外授業に関して、彼女たちの想像していた以上にきちんと計画されていたものだと知ってとても驚いているようだった。実際、教室で説明した時点ではレクトの話も割と適当に決めたような雰囲気が少なからず感じられたので無理もないが。
「俺、無計画なように見えて実はめちゃくちゃ考えて行動するタイプだから」
「そうみたいですね」
レクトの自画自賛は今に始まったことではないが、この件に関しては否定する点もないのでエレナも素直に頷いる。
そうやって話をしていると、狩ったばかりのウサギを抱えたリリアとルーチェが荷車のあるレクトたちのもとへ戻ってきた。
「所詮はウサギだと思っていたけど、いざやってみると地の利は向こうにあるのよね。ちょこまか逃げられて意外と苦労したわ」
リリアは素直な感想を述べている。くしくもそれは、レクトが学ばせたかった森の中での行動という部分に対してはドンピシャの内容であった。
また、ちょうどいいタイミングで2人と反対側の茂みの奥からはアイリスとベロニカが姿を現す。
「やっぱり、こういう場所だとカトゥス族の聴覚って有利だよなぁー」
「まぁ、視界が悪いからどうしても視覚以外の感覚が重要になってきますよね」
会話をしている2人の手には、やはり狩ったばかりのウサギが抱えられていた。特にアイリスに関しては体格が小柄な分、1メートルはあろうかというウサギを両手でしっかりと抱えている。
「あとはサラとフィーネの2人ですね。呼んでみますか、先生?」
辺りを見回しながらエレナが言った。ペリルの森はそれなりの広さをほこる森林であるが、大声で呼べば聞こえないこともないだろう。
もっとも、その必要性はなかったようであるが。
「あ、みんな集まってたんですね」
「もしかして、もう終わりですか?」
噂をすればなんとやら、ほんのわずかな時間の差でフィーネとサラが戻ってきた。特にサラにいたっては、両脇にウサギを抱えている。数十キロはあろうかというペリルラビットを抱えてしまうあたり、流石は腕力に優れるタウロス族といったところか。
2人は持ってきたウサギを、さっそく荷台の上に乗せる。既に1トンどころか2トンは軽く超えていそうな量であるが、まったく何も言わないあたりレクトにとってはさして問題ではないのだろう。
「ところで先生、この狩ったウサギはどうなるんですか?」
荷台に山積みになっているウサギを指差して、フィーネが言った。確かに今回の目的はウサギを狩ることであるため、狩った後のウサギを具体的にどうするかまでは説明されていない。
「近くの村や町に持って行って、学校の給食や民宿の料理に使うらしい。もっとも、それは依頼してきた業者がやることだから、俺たちはその業者に渡すだけでいいんだけどな」
ペリルラビットの肉は普通のウサギと同じように食用になる。味は格別に良いというわけではないが、安価で調理がしやすいということで利用方法は多岐にわたる。しかしながら一般的なウサギと比べると力が強く飼育には向かないため、ペリルの森の周辺以外ではまったく食卓にのぼらないというのが現実だ。
「でも先生、料理に使うんだったら先に血抜きをしておいた方がいいんじゃないですか?」
ここで、料理に使うと聞いたことでフィーネがある点について指摘した。もっとも、その質問はレクトにとっては愚問でしかなかったようであるが。
「俺の方でほぼ全部やってある。あとは今お前らが持ってきたやつだけだ」
「いつの間に…」
レクトの手際の良さに、フィーネはとても感心しているようだ。荷台に腰かけてダラダラしていただけのように見えて、必要なことは短時間で手早く済ませていたというのだから驚くのも無理はない。
「センセイ、血抜きってなに?」
血抜きの意味がわからないようで、ベロニカが質問をする。といっても、血抜きなど狩猟をする人間か料理人でない限りは知らない方が普通だ。
「狩った獲物の血とか、内臓を抜く作業のことだ。これをやらないと肉の味が落ちたり、腐敗が早くなったりするからな」
「へぇー」
ベロニカの質問に答えつつ、レクトは皆が運んできたまだ血抜きの済んでいないウサギをひょいひょいとまとめて担ぎ上げる。
「それじゃあ俺は向こうでウサギの血抜きしてくるから、お前らは少し休んでろ」
「「「はい」」」
生徒たちに指示を出したレクトは、茂みの奥へと消えていった。とはいえ実際には姿が見えなくなっただけで、十分に声の届く範囲にいるわけであるが。
「にしても、結構な数を狩ったわね」
「1羽あたり15オーロでしたよね。いくらぐらいになるんでしょうか?」
「少なくとも50羽以上は狩ったから、800オーロぐらいはいくんじゃない?」
「800オーロかぁ。センセイ、何か食べてから帰ろうって言ってたもんなぁ」
「というか、そもそもどこで食べるかすらも決めてなくない?」
「近くの村か…あるいは王都に着いてから学校に戻るまでの間にある場所とか?」
「この辺って何か名産品とかあったっけ?」
メンバーは皆、他愛ない会話を繰り広げている。まさに束の間の休息といったところだろうか。
だが、そんな彼女たちの会話に割って入るように、突如としてレクトのいる方とは反対側の茂みの中からガサガサという物音が聞こえてきた。
「なっ、何!?」
突然の出来事に、思わずメンバーは身構える。ペリルラビットであれば簡単に対処できるが、この森にはオオカミも生息しているという話だ。そうなると、戦闘は避けられないのはまず間違いない。
だが、茂みの中から姿を現したのはウサギでも、オオカミでもなかった。体長だけでも2メートル近くはあろうという、巨大な角を持った雄々しい生物がそこには立っていた。
「こ、これってまさか、プラウドホーン!?」
現れたプラウドホーンのすぐ近くにいたリリアは、反射的に腰に携えた片手剣の柄に手を伸ばした。だが彼女が剣を掴む前に、少し離れた位置に立っていたルーチェがそれを制止する。
「リリア、動かないで」
「えぇっ!?でも…!」
通常、戦闘においては先手を取った方が有利であるのは常識だ。だがルーチェが言いたいのは有利不利の問題ではなく、戦闘を回避するということについてであった。
「プラウドホーンはこっちが敵意を向けなければ基本的に無害だから。何もせずじっとしていた方がいいわ」
「そ、そうなの?」
半信半疑ながらもリリアは剣を掴もうとしていた右手を引き、下手に動かずに黙ってプラウドホーンを見つめる。そうしていると、今度は茂みの奥からこの場でもっとも頼りになる人物の声が聞こえてきた。
「ルーチェの言う通りだー。何もせずほっとけー」
まったく危機感の感じられない気の抜けたような声であったが、レクトがそう言うのであれば間違いはないのだろう。
『…ブルル』
プラウドホーンの方も、リリアをはじめとした少女たちが自分に危害を加えようとする者ではないということが理解できたようであった。小さく鼻を鳴らしたと思ったら悠々と彼女たちの間を横切り、ちょうどアイリスの近くに生えていた草の葉を食べ始めた。
「ほ、ほんとに何もない…」
リリアが拍子抜けしたように呟く。とはいえ、相手は本職のハンターですら苦戦するという獣だ。緊張感はまだ少なからず残ったままである。
だが、その静寂を破るようにしてこの場にいる者たちとは別の声が響き渡る。
「いたぞ!あそこだ!」
S組メンバーが声のした方向に目を向けると、そこには森の入口にいた集団の中にいた2人のハンターが立っていた。どちらも手に猟銃をもっており、しかも手前側にいる小太りのハンターは彼女たちの方へ銃口を向けている。
「おい、ガキがいるぞ!?」
「ガキなんざ知るか!絶対に逃すんじゃねえぞ!」
「おうよ!」
当然というべきか、ハンターたちの狙いは少女たちではなくプラウドホーンのようだ。この点に関してもレクトの予想通りである。
「どけ!ガキ!」
だが問題なのは、ターゲットであるプラウドホーンが彼女たちのすぐそばにいるということだった。しかもアイリスにいたっては、運悪くちょうどハンターから見てプラウドホーンの正面に立つ形になってしまっている。
しかしハンターたちの様子を見る限り、流れ弾が彼女たちに当たってしまうことなどまったく考えていないようだ。
「「アイリス!!」」
ドン!!
エレナとフィーネの叫び声の直後、辺り一帯に銃声が響き渡る。突然の出来事であったので、アイリス自身にできることといえばその場に伏せることだけであった。
ところが。
パシッ!
「えっ?」
咄嗟に伏せたアイリスのすぐ横には、茂みの奥でウサギの血抜きをしていたはずのレクトが立っていた。一瞬であの距離を移動したスピードも凄まじいのだが、今はそれ以上に驚くべき部分があった。
「危ねえだろうが!」
レクトはハンターたちに向かって怒号を飛ばすと、右手を開いてある物を見せる。彼が親指と人差し指でつまんでいたのは、煤けた小さな鉛玉であった。ということは。
「ま、まさか素手で銃の弾キャッチしたんですか!?」
目の前で起こった信じがたい事実に、フィーネが大きな声を上げる。もちろん、驚いているのは他の生徒たちも同様のようだ。
既に彼女たちはレクトのトンデモ身体能力をある程度までは理解しているのだが、それを踏まえた上でもやはり飛んできた銃弾を素手で掴むというのは想像のはるか斜め上をいっているらしい。
当然といえば当然であるが、驚いているのはハンター側も同様のようであった。
「な、なんだあいつ!?まさか、素手で銃の弾を掴んだっていうのか!?」
「バカか!?そんなことあるわけねぇだろ!それよりもプラウドホーンを!」
気を取り直して、ハンターは再び猟銃を構える。だがハンターが引き金を引く前に、レクトの方が先に動いた。
「その前に銃弾、返すぞ」
ピンッ!
短く言い放ったレクトは先程キャッチした鉛玉を右手の指の間にグッとはさみ、それを親指で弾き出す。とはいえ指で弾いただけなので、普通に考えれば数十メートル離れた場所へ届くかどうかもあやしい…はずなのだが。
「へっ?」
バガァン!!
弾き出された銃弾は猛烈な勢いでハンターたちの方へと飛んでいき、彼らから2メートルほど離れた位置にあった岩を直撃、粉々に粉砕した。
レクトのことなのでわざと外したというのはまず間違いないが、もしもあの威力の鉛玉が人体に直撃したとしたらそれこそ骨折どころでは済まないだろう。
「せ、先生…今、何したんですか…?」
おそるおそる、アイリスが質問した。というか、声が震えている。
ただでさえ銃弾を素手で掴むということ自体が既に人間技とは思えないレベルであるというのに、あまつさえそれを指で弾いただけで本来の猟銃の威力を軽く超えているのだから、それこそ驚愕以外にどのような感想を抱けというのだろうか。
「ん?あぁ。こうやってな、指の間に銃弾を挟み込んで、親指で弾き飛ばしたんだよ」
当のレクトはというと、さも当然といった様子で先程の指鉄砲を再現している。もちろん危ないので、今は指の間には何も挟んではいないが。
しかしながら、アイリスが聞きたいのはそういうことではない。
「そうじゃなくて、何をどうしたらあんな威力になるのかってことですよ!」
アイリスの疑問を代弁するように、エレナが声を張り上げる。もちろん、同じ事を生徒たち全員が思っているのは言うまでもない。
「スゲーだろ。あの威力のままここまで完璧に狙えるようになるまで、めちゃくちゃ練習したんだぜ?」
「そういうことじゃないです!」
レクトは得意気に話しているが、回答の内容がエレナの質問と微妙に噛み合っていない。先程までの緊迫した状況が、レクト1人の介入で危機感の感じられない空気になってしまうのは相変わらずといったところか。
「な、なんだよ今の…?」
「ば、化け物…!」
ただ、残念ながらレクトに敵意を向けられたハンターたちは、もはや危機感どころの話ではなくなっているようである。騒ぎに乗じていつのまにかプラウドホーンが逃げてしまったことに気づいているのかどうかすらわからない様子で、呆然と立ち尽くしているだけだ。
だがそんなハンター2人の背後から忍び寄る存在に、この場にいる誰もがまだ気づいていないようであった。