初めての課外授業 ②
「「「いただきます」」」
透き通った清流が美しい川のすぐ横にある広場で、S組の生徒たちが各々の弁当を広げている。
「でも意外でした。ペリルの森の近くにこんな休憩所があるなんて」
小さなピンク色の弁当箱の蓋を開きながらアイリスが言った。
レクトとS組の生徒たちが昼食を食べるためにやって来ているのは、目的地であるペリルの森のすぐ近くの小川沿いにある休憩所だ。丸太や木の板で作られたシンプルなものであるが、長テーブルや椅子など休憩に必要なものはきちんと揃っているし、雨よけの屋根だってある。
「相変わらずフィーネのお弁当って手が込んでるよね」
「そ、そんなことないと思うけど…。高い食材とかも使ってないし」
フィーネの弁当箱の中身を見たサラが率直な感想を漏らすが、フィーネ本人はやんわりと否定している。とはいえ、その弁当の中身はというとほうれん草のグラタンやホタテのフライなど、とても数分で作れるようなメニューには見えない。
レクトはつい先日に聞いたばかりであるが、どうやらフィーネが料理好きというのはS組の皆が知っていることのようだ。
「そういえば、先生のお弁当ってどんなのですか?」
先程から気になっていたのであろう、アイリスがレクトに質問した。そもそもS組の生徒たちにとってはレクトがどんなものを好んで食べるのか、料理の腕前はどれくらいなのかなど、食卓事情に関しては知らないことだらけだ。
「見ても別に面白くはないぞ」
そう言って、レクトは手に持っていた弁当箱を差し出した。やはり興味があるのはアイリスだけではなかったのだろう、皆が差し出された弁当箱を覗き込む。
「こう言うのもなんですけど、すごく女の子っぽいお弁当ですね」
「うわ、本当。めちゃくちゃカラフル」
見せてもらった弁当箱の中身を見て、エレナとリリアが素直な感想を口にした。
というのも、弁当箱の中には定番である卵焼きをはじめ、プチトマトとキュウリを小さな串でとめたものやポテトサラダ、エビのチーズ焼きなど、色とりどりのおかずがきっちりと敷き詰められていたのだ。どれも手作り感満載であるが、おおよそレクトが作ったとは思えないような色合いだ。
というより、実のところこの弁当はそもそもレクトが作ったものではなかった。
「女の子っぽいとかじゃなく、実際に女の子が作ってくれたからな。この弁当」
「女の子?」
エレナが首をかしげる。しかしリリアはすぐにピンときたのか、からかうような口調でレクトに質問する。
「もしかして、彼女?」
「いんや。よく行く娼館のナンバーワン嬢」
「…あっそう」
冷やかしのつもりだったのだが、レクトからは想定外の答えが返ってきたことでリリアは非常に冷めたような目をしている。
「というか、見るなら俺のよりもリリアの弁当の方が見応えがあるんじゃないのか?」
レクトはついこの間にリリアが学園内では毎日のようにカフェテリアで紅茶を嗜んでいる話を聞いたばかりであるが、具体的にどういった食生活をしているのかはよくは知らない。見応えがあるというのも、彼女が侯爵令嬢であるがゆえのイメージに過ぎない。
「それこそ、あたしのを見たって面白くもなんともないわよ」
そう言って、リリアは自分の弁当箱をレクトに見せた。中には鶏肉にハーブソルトをまぶしてローストしたものや、スモークサーモンとクリームチーズの入ったサラダの生春巻きなど、それなりに手が込んでいるであろうおかずが敷き詰められている。
「これ、リリアが作ったのか?」
レクトが率直な疑問を口にする。というのも、リリアの弁当の中身は超高級な食材こそ使ってはいないものの、どれもプロの料理人が作ったような見栄えのものばかりであったのだ。
というより、実際にプロの仕事であった。
「そんなわけないでしょ。ウチのシェフが作ったの」
「家にシェフいるのかよ」
なんの抵抗もなくさらっと答えるリリアであったが、レクトはレクトでこれまた別の部分にツッコミを入れてしまう。
もっとも、リリアは貴族だ。実家にお抱えシェフがいたとしても別におかしな話ではない。他の生徒たちも、リリアの実家については色々と知っているようだった。
「先生、もしかしてリリアの家って見たことないですか?」
「ない」
エレナの質問に、レクトは即答する。リリアの実家、もといエルトワーズ侯爵の屋敷は王都オル・ロージュ西区の貴族街にあるのだが、あいにくと学生時代からレクトにはあまり縁の無い場所であった。
「おっきいですよー。門から家の玄関までの長さなんて、100メートルくらいあるんじゃないかって感じですから」
「そんなにないわよ。遠すぎるでしょ」
アイリスが大袈裟に表現したのを、リリアは即座に否定する。実際に家の門から玄関まで100メートルも離れていたとしたら、それこそ毎日の通学や通勤が億劫になるに違いない。
また、レクトがリリアの弁当箱を見て思ったことはもう1つあったようだった。
「というか、思ってたより量が少ないな」
弁当箱の大きさ自体は、他のメンバーのものと比較してもあまり変わらない。それこそ、レクトのものと比べるとふた回りほど小さく見える。
「なによ。高級食材をありったけ詰め込んだ三段ぐらいの弁当箱でも想像してたの?」
「ぶっちゃけると、そんな感じ」
想像していたものがまさにリリアの言った通りであったので、レクトは即答した。それを聞いたリリアはというと、若干あきれ気味のようだった。
「あんな弁当箱を用意するのなんて、外見ばかり気にする見栄張りだけだから。それに、これから動かなきゃいけないっていうのに胃もたれするような大量の高級食材なんて食べてらんないわよ」
「なるほど。正論だな」
リリアの意見に納得すると、レクトは再び弁当を食べ始める。
時刻は、ちょうど昼の12時になろうとしていた。
そんなこんなで、昼食を食べ終えたレクトたちは森の入口へと向かう。といっても、休憩所から森の入口までは徒歩でわずか2、3分の距離なのだが。
「やだ、虫がいっぱいいるじゃない」
「森だからね」
飛び交う羽虫を見てさっそく不満を口にするリリアに、ルーチェがさも当然といった様子で言及する。
「言っておくが、まだ入口だからな?奥に行けば、それこそ虫なんてこの辺りの倍以上はいるぞ」
「うわぁ…想像したくない…」
レクトの忠告を聞いて、リリアは余計にテンションが下がってしまったようだ。当然だがその話を聞いて肩を落としているのはリリアだけでなく、半数以上のメンバーが嫌そうな表情を浮かべている。
とはいえ、一般的にいえば虫が好きな女性というのは少数派であることは間違いないのだが。
「おっ、これだな。業者の言ってた荷車は」
森の入口付近でレクトが見つけたのは、木製の大きな荷車であった。少し古いがつくりは頑丈そうで、これなら1トン以上の物であっても余裕で運べるだろう。
「センセイ、この荷車なに?」
ベロニカがレクトに尋ねた。それもそのはず、この無造作に置かれた荷車が何であるのかを知っているのはレクトだけのようであり、S組メンバーにとっては何故こんな場所に荷車が放置されているのかなどまったくわからない。
「あぁ。依頼してきた業者が、狩ったウサギをこの荷車に乗せてきて欲しいんだとさ」
「ふーん」
つまり、この荷車はウサギ狩りを依頼してきた業者があらかじめ用意していたものということだ。だが置いてあるのは馬車や牛車ではなく、あくまでも人間の手で引く荷車だ。そうなると、ある問題が発生することになる。
「でも先生。ペリルラビットって1メートルくらいありますよね?それを何十羽も乗せるとなると、結構な重さになると思うんですけど…」
エレナの言うように、1羽あたりの重さを数十キログラムと仮定すると、20羽も乗せてしまえば余裕で1トンは超えてしまうだろう。もっとも、レクトはそんなことなど気にも留めていないようであるが。
「運ぶのは俺がやるからいいよ。お前らはウサギ狩りに集中しろ」
「そ、そうですか」
問題があっさり解決し、エレナは少し戸惑いながらも納得したように頷く。一般人にとってはかなりの重労働であろうとも、ドラゴンの一撃を片手で受け止めるほどのレクトの力であればどうということはないのだろう。
そんなこんなでこれから森に入るぞというところで、フィーネがあることに気づいた。
「あれ…先客がいますね」
見ると、森の入口から少し入ったところに6人ほどの男性の集団がいる。多少の差違はあれど全員がポケットの付いたベストを着ており、手には猟銃、背中や腰には手斧やナイフを携えているので、ハンターであるということは一目瞭然だった。
「弾はちゃんと余分に持ってきてるか?」
「あぁ、十分だ。ターゲットだけじゃなく、仮にオオカミが出てきても余裕で対処できる」
ハンターたちは、手に持った猟銃を見せ合いながら会話している。しかもその銃というのが、式典の際に兵士が持っているようなものと比較しても一回り以上は大きいものであった。
そうして一通りの会話が済んだのだろうか、ハンターたちは歩きながら森の奥へと進んでいった。
「先生。ハンターの人たちって、ペリルラビットを倒すのにもあんな大きな銃を使うんですか?」
ハンターの持っていた銃が気になったのか、サラがレクトに尋ねる。レクトの方はというと、当然のようにハンターたちの狙いについて理解していたようだった。
「いや。あいつらの狙いはウサギじゃなく、おそらくは『プラウドホーン』だろうな」
「プラウドホーン?」
聞き慣れない名前だったのか、サラは首をかしげている。しかし、すぐ横にいたルーチェにはその名前に覚えがあるようだ。
「プラウドホーンって確か、ものすごく大きな角をもった鹿ですよね?」
「そう。合ってる」
日頃から本ばかり読んでいるのは伊達ではなく、ルーチェの知識量は群を抜いている。また、本を読むことで多くの知識を身につけているという点ではレクトも同じだ。
「ただ、プラウドホーンは単純な力や生命力でいえばオオカミよりもずっと強いんで、新米ハンターにとっては大きな壁になるとされているけどな」
「だからあんな大きな銃を持ってるんですね」
「そういうこと」
レクトの説明を聞いて、フィーネは納得したような様子を見せている。
だが、生徒たちの疑問はまだ残っていた。その点について、今度はアイリスが質問する。
「そもそも、どうしてあの人たちはウサギじゃなくてプラウドホーンを狙うんでしょうか?」
現在、このペリルの森で大量発生しているのはウサギ、つまりはペリルラビットであり、プラウドホーンではない。それなのに簡単なウサギではなく、わざわざ強いプラウドホーンを狙う理由がわからないのだ。
もっとも、その理由というのも実は極めて単純なものであった。
「普通に高く売れるからだよ。プラウドホーンの角や剥製は貴族の間でも人気だしな」
「へぇー」
流石はレクト、あらゆる疑問にさらっと答えている。もちろん彼にも知らないことはあるのだろうが、それを踏まえても相当な知識量であるといえる。
「リリアの家にはプラウドホーンの剥製とかってある?」
「うちのパパ、剥製とか美術品にはあまり興味がないから」
エレナの質問に、リリアは肩をすくめながら答えた。先程のレクトの話にあったようにプラウドホーンの剥製が貴族の間で人気だからといっても、全員が全員欲しがっているというわけではないらしい。
ただ、レクトによればリリアの父はある特定の物に強い関心を示しているようだった。
「団長殿がこだわってるのはタバコぐらいだろうな。前にそれとなく聞いてみたら、葉巻の香りやアンティークのパイプについて熱く語ってたぞ」
リリアの父であるエルトワーズ卿は、実はかなりのヘビースモーカーである。外出の際にも必ず葉巻を持ち歩いており、銘柄にも強いこだわりがあるそうな。
「ほんとパパには困ったものよ。書斎の灰皿なんて、いっつも吸い殻や灰でいっぱいだし。健康に悪いからやめろって、四六時中言ってるのに」
当然というべきか、娘であるリリアは父親の喫煙については快く思ってはいないらしい。それも父親の健康を考えてのことのようだが。
「そういえば、先生はタバコって吸いますか?」
ここでエレナからレクトに対して質問が挙がる。学園の敷地内は禁煙であるので当然といえば当然であるが、これまでにレクトが喫煙しているのを見たことがなかったからだ。
「吸わない。師匠が大のタバコ嫌いだったんだよ。俺自身は別に嫌いっていうわけじゃないんだが、特に吸う理由も無いしな」
レクトは首を軽く横に振りながら答えた。実際にも、身近な人間のタバコ嫌いが影響して本人も吸わない習慣が身につくというのは、それほど珍しいことではない。
「先生の師匠って、たしか女の人なんでしたっけ」
「そうそう。よく覚えてたな」
「聞いてからまだ数日しか経ってませんけど」
あまり褒められた気がしないのだろう、エレナは呆れたように言った。
またそれとは別に、少しの間をあけて今度はリリアから指摘が入る。
「あと先生、パパは“元”団長だから!」
「そうだったな。昔から団長殿って呼んでたから、どうにもその習慣が残ったままなんだよなぁ」
レクトのエルトワーズ卿に対する“団長”という呼び方については、つい先日に本人から訂正があったばかりだ。とはいえ、既に慣れてしまっている呼称をいきなり変えるというのも少し難しい話ではあるのだろう。
しかしながらレクトと元騎士団長が旧知の仲というのは、S組メンバーの中ではリリアしか知らない事実だ。当然のように、他の生徒たちからは疑問の声が挙がる。
「先生って、リリアさんのお父さん…前の騎士団長さんと親しいんですか?」
アイリスがレクトに尋ねた。そもそも王国騎士団長など、式典などで姿を見ることはあっても、実際に会って話す機会などまずない。ましてや相手は貴族なので、そういった意味でも知り合いだというだけで不思議に思うことがあるのかもしれない。
「親しいかどうかはわからんが、知り合ったのは8年くらい前だな」
「かなり前ですね」
8年前となると、ちょうどレクトが今のS組メンバーとほぼ同じ年齢の頃になる。つまるところ、傭兵どころか学生時代から知り合いだったということになるわけであるが。
「当時、俺は王都の東区にある学園に編入することになったんだが、いざ王都に来てすぐにちょっとしたことでギャングの連中とケンカになってな」
無茶苦茶としかいえないエピソードをさも当然といったようにサラッと話すレクト。それを聞いたルーチェからは、容赦のないツッコミが飛んでくる。
「先生って当時から破天荒だったんですね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
ルーチェの毒舌など気にも留めず、レクトは話を続ける。
「それで全員ボコボコにしてやったら、部下を連れて止めに来たのが当時の騎士団長、リリアの親父だったって話だ」
「衝撃的すぎる出会いですね」
エレナが少し呆れたように言った。ただ、生徒たちもしばらくレクトと過ごして徐々に慣れてきてしまったのだろう、彼の破天荒エピソード聞いても呆れこそするものの、最初の頃と比べるとあまり驚かなくなってしまっていた。
話に区切りがついたところで、レクトは生徒たちの意識を本来の目的へと向けさせる。
「さて、これ以上は話すと長くなるからここまでにしておくぞ。とにかく、今はウサギ狩りが優先だ。森の奥へ向かうぞ」
「「「はい」」」
先を歩くレクトについていくようにして、S組の生徒たちは森の中へと足を踏み入れた。