魔法の得意不得意 ②
「じゃあ次はフィーネだな」
「はい」
レクトに指名され、フィーネは的の前に立つ。両手を正面に構えて魔法の詠唱を始めると、ちょうどレクトのお手本と同じくらいの大きさの火球が出来上がった。
フィーネはそのまま狙いを定め、的に向かって火球を放つ。火球は的の中心に当たり、的を木っ端微塵にした。
「先生、できました」
「おう、かなり綺麗な流れだったな。魔法、得意だろ?」
フィーネの魔法はレクトの目から見ても詠唱、狙いともに全て申し分なかった。ただ、聞かれたフィーネは少し照れたような、だが何故か少しバツの悪そうな様子だ。
「そうですね…自分で言うのもなんですが、どちらかというと得意な方だと思います」
「…?」
控えめな表現をするフィーネにレクトは少し違和感を抱くが、今は授業中だ。追求するようなことはせず、次の生徒を指名する。
「次、サラ」
「は、はい…」
まだ挑戦すらしていないというのにサラはしょんぼりした様子だであり、自信の無さが如実に現れている。とぼとぼと的の正面まで歩いていくと、両手を前にかざす。
「ふん!むむむ…!」
唸るように声を絞り出しながら、サラは魔力を両手に集中させる。そうして出来上がった火球は握りこぶしよりも小さな、見るからに貧弱そうな大きさのものであった。
「えいっ!」
掛け声とともに、小さな火球がサラの手から放たれる。だが火球は的には命中することなく明後日の方向へ飛んでいき、しばらくして消えてしまった。
「サラには魔法は無理そうだな」
残念ながらオブラートというものが苦手なレクトは、結果についてストレートに表現する。とはいえ、実際にサラの魔法への適正が低いというのは誰の目から見ても明らかだ。
「ご、ごめんなさい…」
「いや、今日はただ適正を見てるだけだから。別に謝ることじゃないっての」
申し訳なさそうに言うサラに、レクトは少し呆れたような口調で否定した。仮にこれが魔法の試験だったとすれば、確かにひどい点数であったというのはまず間違いないが。
ところがここで、エレナがある点について言及する。
「というか先生。まず、タウロス族自体が魔法への適正が低い種族じゃないですか。サラが魔法が苦手なのも、別におかしな事ではないのでは?」
タウロス族は立派な体格や腕力が特徴である反面、全体的に魔法への適正が低い。中には優れた魔法の才能を持つ者もいるが、それはあくまでもほんの一握りである。
「だから別に気にしなくていいっての。なんで俺がサラを責めてるみたいになってるんだよ」
「そうですか。失礼しました」
レクトに悪意がないことがわかると、エレナは軽く頭を下げた。
兎にも角にも、残っているのはあと一人だ。レクトは、無表情のまま自分の番を待っているルーチェの方を見る。
「よし最後、ルーチェ」
「はい」
名前を呼ばれたルーチェは的の前に立ち、レクトと同じように右手だけを構える。そうして手のひらに魔力を集中させると、瞬く間に直径1メートルほどの巨大な火球が現れた。
「へえ、大したもんだ」
レクトは素直に褒めたが、ルーチェは相変わらずの無反応だった。おそらく、彼女にとってこの程度はできて当然のことなのだろう。
ルーチェは無言で火球を的目掛けて放つ。しかし火球自体が余りにも大きかったためか、もはや中心に当たったのかどうかすらもわからないまま、火球は木の的を消し炭へと変えた。
「魔法には随分と自信があるみたいだな?」
「これでも一応、魔法で推薦を受けて入学した身ですので」
レクトは確認するように言ったが、ルーチェの態度は変わらない。喜ぶわけでもなく、やはり彼女にとっては当然のことという認識でしかないのだろう。
「ま、自信を持つのはいいことだ。といっても、過信は駄目だがな」
レクトは褒めつつも、過信はしないようにと釘を刺す。傲慢という言葉が人の形をしているような人間が言うのもなんとなく違和感のある光景ではあるが。
ところがルーチェにとってはその言葉は少し癪に障ったのか、珍しく挑戦的な姿勢になった。
「そもそも白兵戦ならともかく、魔法を使っていいのであれば、倒せはせずとも私は先生に一撃加えるくらいの自信はありますけど」
「ほう」
ルーチェのその言葉を聞き、レクトの眉がピクッと動く。だがそれはルーチェの挑発に乗ったというわけではなく、彼女の自信がレクトの危惧する過信であると思ったからだ。
「それこそ、さっき俺が言った過信じゃないのか?」
「いえ、自信です。なんなら、今この場で試してみても構いませんが」
「なるほど」
ルーチェの自信満々な態度に加虐心が刺激されたのか、レクトは逆にその自信をへし折ってみたくなった。もちろん彼女自身に現実を知らしめるという目的が第一だが、まだロクに戦闘経験のない小娘に色々言わせっぱなしなのが気に食わなかったのだ。
レクトは少し考え、右手の指を開いてルーチェに見せる。
「5分やるよ。5分以内に1回でいいから俺に攻撃魔法を当ててみな」
「「えぇっ!?」」
突然のレクトの提案に、周りで見ていた生徒たちがザワザワと騒ぎ始めた。だが当のルーチェは特に驚いた様子も見せず、逆にレクトに確認する。
「魔法、先生に当ててしまってもいいんですか?」
いくら英雄と呼ばれるほどの男が相手でも、流石に攻撃魔法を直撃させてしまうのは少し気が引けるらしい。そんな彼女の心配をよそに、レクトは首を横に振った。
「こっちも過去にはドラゴンの吐く火炎が直撃したこともあるからな。攻撃魔法1つ当たったくらいじゃどうともならねえよ」
「それでも無事だったんですね」
「俺、頑丈だから」
フィーネの指摘に対し、レクトは堂々と答える。確かに巨大なドラゴンの火炎と比べれば、先程の火球など大した事はないのだろう。普通の人間が言えば若干ウソくさい話ではあるものの、もはやレクトが言う分に関しては誰一人疑っている者はいないようだ。
「まぁ、それもルーチェが当てられれば、の話だけどな」
「…わかりました。それなら本気で行かせてもらいます」
相変わらずのレクトに対するルーチェの口調は冷静だったが、若干イラついているのが態度に現れていた。しかし彼女の方も自信があるのか、ムキになるような素振りは見せない。
その理由についても、周りで見ていた生徒たちには理解できていた。
「ルーチェの奴、アレ使う気ね」
リリアは腕を組みながら、何かを察したように呟いた。他の生徒たちも、様子からしてルーチェが何を狙っているのかは理解しているようだ。
「いくら先生の身体能力でも、初見でアレやられたら避けられないでしょうね」
「つーか、アレってむしろ対応できる奴いんの?」
アイリスとベロニカは、既にレクトが避けられないという前提で話をしている。どうやら彼女たちの口にするルーチェの“アレ”とは、レクトの身体能力をもってしても回避するのが難しいようだ。
「始めてもいいですか?」
確認するように、ルーチェがレクトに問う。というのも、当のレクトがコートのポケットに手を突っ込んだままの状態であったからだ。
「いつでもいいよ」
「わかりました。では」
返事を聞いたルーチェは無表情のまま右手を前に構え、先程と同じように巨大な火球を作り出した。一方で、ルーチェが自信たっぷりだった割にはやっている事は普通だったので、レクトは拍子抜けしたような顔になる。
「おいおいルーチェ、普通に正面から撃ったって当たりゃしないぜ」
「そうですか」
レクトは挑発的な口調だが、ルーチェはあくまで冷静なままであった。火球をレクト目掛けて放つと、即座に別の魔法を詠唱する。
「!?」
一瞬でレクトの顔つきが変わった。魔法が発動したのを感じたのだが、特に何かが変わったようには見えない。とはいえルーチェの魔法の腕前からして不発に終わったとは考えにくいので、少し警戒しながらもまずは迫り来る火球を回避しようと試みる。
だがここで、レクトはある違和感に気付いた。
(視覚と体の動きがズレてる?)
ここでようやく、レクトはルーチェが仕掛けたカラクリに気づく。だが既に眼前には巨大な火球が迫ってきており、大剣を構えて防ごうにも、魔法のせいで体が思うように動かない。
「ちっ」
ドゴォン!!
レクトが小さく舌打ちをした直後、校庭に爆音が響いた。レクトが立っていたであろう位置には大きな土煙が上がっており、彼自身の姿は全く見えない。だが、周りで見ていた生徒たちにはおおよその結果は予測できていた。
「決まりじゃない?さすがに今のは避けられなかったでしょ」
「そうね。おそらくレクト先生が相手だからダメージ自体はほとんどないでしょうけど、当たったことには変わりないし」
率直な感想を口にしたエレナやフィーネだけではなく、他の生徒たちも全員が今の火球はレクトに直撃したと思っていた。もちろん、魔法を放ったルーチェ自身も同じである。
ところが、その結果は生徒たちの予想とは異なるものとなっていた。
「あっ」
サラが小さく声を上げた。段々と土煙が晴れてきて、中からレクトが姿を現したからだ。
しかしそのレクトの姿を見て、生徒たちは言葉を失った。
「いやー、驚いた驚いた」
「なっ…!?」
驚いたと言う割には余裕そうな顔をしているレクトを見て、ルーチェは思わず驚愕の声を上げた。それもそのはず、土煙の中から現れたレクトには焦げ跡や服装の乱れが一切なく、まるで先程の火球が“当たっていない”かのような出で立ちだったのだ。
「確かに、不意打ちとしてはかなり有効だろうなぁ」
反応からして、レクトとしては普通に感心しているようだ。だが、ルーチェにとっては今はそんなことはどうでもいいというのが本音だ。
「念のため聞いておきますけど、当たりましたか?」
「当たったように見えるか?」
「…そうですか」
一応の意味も込めてルーチェは確認したが、レクトは至極当然といった様子で肩をすくめながら答える。
そうやって驚くルーチェや他の生徒たちをよそに、レクトは淡々と説明を続けた。
「受けてみて大体わかったよ。相手の体感時間をズラす魔法だろ?時間操作の魔法の中では割とスタンダードな方だが、それでも使える事自体が大したもんだ」
レクトの言う時間操作の魔法とは、文字通り生物や物体の時間を操る魔法である。今しがたルーチェが使った体感時間の操作の他にも、更に高位の魔法になると対象の時間を一定時間止めたり、遅くしたりすることができる。ただし、いずれも習得の難易度が非常に高く、そもそも使える人間自体が非常に少ない高度な魔法だ。
まだ十代の少女であるルーチェがそれを使えるというのは確かに凄い事なのだが、その不意打ちでさえも容易く対応していまうレクトに生徒たちは全員、信じられないといった顔をしている。
「ルーチェの魔法でダメなら、もうセンセイに攻撃当てるって不可能じゃん?」
「そもそも、先生はどうやって避けたんでしょうか?」
ベロニカとアイリスが今の一連の流れについて疑問を口にした。だが、レクトが最初に指定した5分という制限時間はまだ終わっていない。
ルーチェは取り乱す事なく冷静さを取り戻すと、すぐさま2発目の魔法を放つ体制に移行する。先程と同じように、火球を放つと同時にレクトに体感時間操作の魔法をかけた。
「これでどうですか!?」
やや興奮しているのか、ルーチェの声がいつもよりやや荒っぽくなっている。というより、ムキになっているという方が正しいかもしれない。
「ほいっと」
当のレクトはというと、真っ直ぐに飛んできた火球を難なく躱した。しかも1回目とは違い、今度は体をひねって火球そのものを完全に回避している。
「そんな!?」
自身の常套手段とも呼べる戦略が1度ならず2度までも攻略されてしまった事に、ルーチェはひどく取り乱した様子だ。
それでも諦めずに3度、4度と火球を放つが、対するレクトは彼女の魔法を完全に把握できたのか、コートのポケットに手を突っ込んだまま楽々と回避し続けている。その人を小馬鹿にしたような態度がまた、ルーチェの焦りに拍車を掛けていた。
「1発目は確かに驚いたが、タネさえわかりゃ簡単なもんだ。その様子からすると、これより上位の魔法はまだ使えないみたいだな?」
「くっ…!」
レクトの言う上位の魔法とは、すなわち時間を止めるような魔法の事だ。時間操作の魔法における奥義とも呼べる術ではあるが、彼の言う通りルーチェにはまだそのような上級魔法を使う事はできなかった。
ルーチェは悔しそうな声を上げながらも、再び時間操作と攻撃魔法を組み合わせた戦術を取る。だが何度試しても、一向にレクトに当たる気配がない。
「はあっ、はあっ…!」
8度目の火球を放ったところで、ルーチェの息遣いが急激に荒くなった。額には脂汗をかき、少し苦しそうな表情を浮かべている。その理由についても、戦闘経験豊富なレクトはすぐに見抜くことができた。
「ルーチェ、そろそろ限界なんだろ?時間操作の魔法は特に消耗が激しいからな。無理しないでギブアップしとけ」
完全に見透かされたように言われルーチェは少し腹が立ったが、これ以上魔法を放つ余力が残っていないのも事実であった。
「わかりました。ギブアップします」
やや不服そうな顔をしながらも、ルーチェは潔くギブアップする。よほど疲れたのかルーチェはその場にへたり込んでしまい、心配になったのかアイリスとエレナがすぐさま駆け寄ってきた。
「ルーチェさん、大丈夫ですか!?」
「まったく、何ムキになってるのよ」
「平気よ、少し疲れただけ。あと、ちょっと悔しい」
口ではちょっとと言いながらも、ルーチェはとてつもなく悔しそうな顔をしていた。同年代では使える人間などほぼ皆無な時間操作の魔法を使えることが彼女にとっての誇りでもあったのだが、それを簡単にあしらわれてしまった事が悔しくてたまらないのだ。
「実戦ではそれなりに通用するかもしれないが、中にはこうやって対応できる奴もいる。そういう場合、動揺せずに次の手を考えるのも重要だからな?」
「心得ておきます」
レクトの指摘に対し、落ち着きを取り戻したルーチェは素直に頷く。あれだけ容易く手玉に取られてしまった以上、反論できるはずもないのだが。
待機していた生徒たちの元へレクトが戻ってきたところで、早速と言わんばかりにフィーネとサラから疑問の声が上がった。
「先生。最初の一撃ですけど、一体どうやって避けたんですか?」
「そうですね。距離的に見ても、ほぼ直撃寸前だったと思いますけど」
サラの言うように、あの時のレクトは火球に直撃する寸前であったことは確かだ。そこからどうやって無傷でいられたのかひどく気になるところであったが、当のレクト本人は意地悪そうに笑うだけだった。
「教えてやってもいいが、お前らにはまだ早いな。もう少し戦い方のノウハウをしっかり学んだらまた改めて教えてやる」
「「えー!?」」
2人は不満そうだったが、レクトはそんなことなどお構いなしに生徒たちに向かって指示を出す。
「さて、それじゃあ鐘が鳴る前に壊した的を片付けねえとな。各自、散らばった木の破片を拾ってそのゴミ箱に入れるように」
「「「はい」」」
生徒たちは返事をすると、校庭に散らばった木の的の破片を集めだした。しばらくの間、レクトはその様子を見つめていたが、やがて何かを思ったように本校舎四階の、ある部屋へと視線を向ける。
「随分と面白いガキどもに巡り合わせてくれたじゃねーの、校長よぉ」
校舎からは結構な距離があるため、当然ながら校長室の窓からクラウディアの姿が見えるということはない。単なるレクトの独り言である。
ところが、たまたま一番近くにいたエレナにはレクトが何かを呟いていたということがわかったようだった。
「先生、何か言いました?」
「サラの乳デカすぎて、運動着のサイズ合ってなくね?って言った」
「ちょっ…いきなりなに言い出すんですか!?」
ナチュラルにセクハラ発言を口にするレクトに、エレナは不快感をあらわにしている。しかも先程の呟きとは違って普通の声で話したので、エレナだけでなく生徒たち全員に聞こえていたようだ。
もちろん、その中には唐突に名前を挙げられたサラも含まれていた…のだが。
「じ、実は最近、少しキツくて…」
「あんたも真面目に答えなくていいの!」
もじもじしながらも律儀に答えるサラに、間髪入れずにリリアがツッコんだ。女子校ゆえに同年代の男子がいないので、多少は羞恥心が薄れてしまうのかもしれない。
「というか先生、完全にセクハラですよ!」
エレナからはごく当たり前のクレームが飛んできた。だが当のレクトはというと肩をすくめるだけで、まったく反省の色を見せていない。
「俺のセクハラは呼吸みたいなもんだから。いちいち相手にせず適当に聞き流してくれ」
「…教師にあるまじき発言ですね」
堂々と言い切るレクトを見てもう諦めたのか、エレナは少しばかり嫌味を含んだ注意を一言だけ発すると、再び片付けに戻った。