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「いらっしゃいませ。ようこそ、『白薔薇しろばらの館』へ。あら、誰かと思えばシェリド様ではありませんか」


 娼館しょうかん『白薔薇の館』の受付嬢であるベルガモットは、やって来た常連客に営業スマイルを向ける。


「ついこの間も色々とあったばかりですのに、こんな場所に来てよろしいので?見つかったらまた奥様に大目玉を喰らいますわよ?」


 ベルガモットは一応の忠告はするものの、追い返そうとはしない。上等な身なりをした紳士風しんしふうの客は、これまた高級そうな帽子を脱ぎながら小声でベルガモットにささやく。


「ははは。頭では悪い事だと理解してはいるのだが、どうにも娼館通いと煙草タバコはやめられなくてね。くれぐれも妻や家の者には内緒で頼むよ」


「まぁ、悪い人ですこと」


 まったく反省の色が見えないシェリドを見て、ベルガモットは口元に手をあてる。一方のシェリドは早速とでも言わんばかりに、奥のテーブルで客からの指名を待っている娼婦たちに目を向けた。


「おや、一番人気のマーガレットがいないな。誰かに先を越されたか?」


 この娼館でナンバー1の人気者であるマーガレットがいないことに、シェリドは軽く首をかしげる。とはいえ、一番人気の娼婦であればそれだけ指名が多いというのも当たり前の話ではあるのだが。


「申し訳ありません、シェリド様。本日は久しぶりの()()が来ておりまして、マーガレットはそちらの方のお相手をしておりますわ」


 お目当ての娼婦がいないことを、ベルガモットが謝罪した。しかしそのベルガモットの説明が少し気になったのか、シェリドはカウンターに身を乗り出すようにしてベルガモットにたずねる。


「ほほう。子爵ししゃくである私を差し置いて、上客とな?」


「ええ。こう言ってはなんですが、この店で一番の上客でございますわ」


 興味深そうにしているシェリドに対し、ベルガモットはいたずらっぽい笑みを浮かべながら答えた。


「ふむ。では、あまり追求しない方が身の為であろうな。下手に詮索せんさくでもして、もし相手が私よりも爵位が上の人間や他国の政府高官だったとしたら、私自身の立場も危ない」


 意外なことにシェリドは余計な詮索はせず、あっさりと引き下がった。実際、貴族や政府高官、果てには王族の人間がお忍びで娼館を利用することは決して珍しいことではない。彼の言うように下手に詮索してしまえば、それこそ相手によってはとんでもないしっぺ返しが待っている可能性だってある。


「世渡りがお上手ですわね」


「はは、め言葉として受け取っておこうか」


 少し皮肉っぽくも聞こえるベルガモットの言葉など意にも介さず、シェリドは軽く笑い飛ばした。


「ではお楽しみの前に、まずは席で軽くお酌をお願いできるかな?」


「かしこまりました、奥へどうぞ。すぐに上等なお酒をご用意いたしますので」


 そう言って、ベルガモットは奥の部屋へとシェリドを促す。既に何度も来ているからであろうか、シェリドの方も慣れた様子でひょこひょこと奥の部屋へと向かっていった。

 シェリドの姿が見えなくなったところでベルガモットは、飾ってある花瓶の水を替えていた新人に声をかける。


「あ、パンジー。それが終わったら、奥の酒蔵から青いラベルの付いたボトルを取って来てちょうだい」


「はい、わかりました。ベルガモットさん」


 パンジーは返事をすると、花瓶に花を挿した。ちょうどそこへ、奥の部屋からは高級そうな毛皮のコートを着た中年女性が姿を現す。


「あら、マダム・ローズ。どうかしましたか?」


 ベルガモットが女性に尋ねた。この娼館のオーナーであるマダム・ローズは眉間にシワを寄せながら、不機嫌そうな様子で辺りを見回す。


()()は来たかい?」


 マダム・ローズはベルガモットに質問しつつ、右手に持ったパイプを口元へと運ぶ。そんなマダムの“奴ら”という言葉に、テーブル席に待機していた娼婦たちは皆ビクッと反応する。


「…例のギャング団ですか?今のところ、来る気配がありませんね」


 ベルガモットは冷静な様子で報告した。だがそれは、あくまでも“今のところ”である。それまで穏やかであった空気は一変し、娼婦たちは皆不安そうな表情を浮かべている。


「ま、またお店を荒らされてしまうんでしょうか…」


 パンジーが小さな声で言った。ところがマダムは恐れるどころか、タバコの煙をゆっくりと吐きながら強気な態度で口を開く。


「いいや。この街での奴らの蛮行も、今日で終わりだよ」


「その通りですわね」


 マダム・ローズに同意するように、ベルガモットはあごに手を当てた。その言葉の意味がわかっているのか、テーブル席に待機している娼婦たちの表情にも落ち着きが戻る。


「どうしてですか?」


 この中で唯一、その理由がわからないパンジーがベルガモットに尋ねた。質問されたベルガモットは、視線を2階へと向ける。


「それはもちろん、あの方が…」


 バン!


 ベルガモットの説明の途中で、店の扉が勢いよく開かれた。マダム・ローズや娼婦たちが扉の方へ目を向けると、そこには髭面ひげづらで背の低い、ヒューマ族の中年男性が立っていた。


「邪魔するよ、マダム・ローズ」


うわさをすれば…!」


 男の顔を見るなり、マダムの表情が不機嫌そうなものに変わる。先程までは幾分か落ち着きを取り戻していた娼婦たちも、急に不安そうな様子になった。

 そんなことはお構いなしに、男はズカズカと店の中へと踏み込む。更にその背後からは、随伴ずいはんするようにヒューマ族と、タウロス族の大男が1人ずつ現れた。どちらの大男も屈強な鎧を身につけており、それぞれヒューマ族の男は長剣を、タウロス族の男は大斧を携えている。背の低い男のガードマンであるということは、誰の目から見ても明らかだ。


「またあんたかい、バルガン。この時間は客以外の入店は受け付けていないんだがね」


 態度そのものは冷静であったが、マダム・ローズは吐き捨てるように言った。一方でバルガンと呼ばれた背の低い男は娼館のロビーを一通り見回すと、マダムに冷たい目を向ける。


御託ごたくはいい。さて、今日こそは払ってくれるんだろうな?」


「何度言わせればわかるんだい。あたしたちはもう何年も前からこの街で商売をしているんだよ。それなのになんで今更、他所よそから急にやってきたあんたたちに上納金なんか払わなきゃならないっていうのさ」


 金を請求するバルガンに対し、マダム・ローズは取りつく島もない様子で突っぱねた。もっともバルガンの方もマダムの反応は想定内であったのか、落ち着いた様子で話を続ける。


「前にも言ったが、この街はもうすぐ私の支配下になる。あと一月もすれば、私の傘下さんかの者たちが続々とこの街にやってきて、今とは比べられないほどの規模になるだろう。それこそ、王国騎士団も迂闊うかつには手出しできないほどにね。そうなる前に金を支払った方が得策だと思わないかね?」


 あくまでも相手を促すように、それでも高圧的な態度を崩さずにバルガンは話を持ちかける。しかしマダム・ローズはりんとしたたたずまいのまま、バルガンの事を鼻で笑う。


「ハッ。なにが迂闊に手出しはできない、だ。おおかた評議会の中にいる性根の腐ったような議員か、貴族と癒着ゆちゃくでもしているんだろう?そうでもなきゃ、あんたらみたいなチンピラ風情が好き勝手できるはずはないからね」


「貴様!ドン・バルガンに何という口の利き方を!」


 マダムの言葉がかんさわったのか、バルガンの右後ろに立っていたヒューマ族の大男は携えた長剣の柄に手をかける。だがその様子を見たバルガンは、右手を小さく上げて大男のことを制止した。


「落ち着け、ドグ。私もできれば手荒な真似はせず、話し合いで解決したいとは思っているのでな」


「はっ!申し訳ありません」


 バルガンに注意され、ドグは長剣の柄から手を離す。だがバルガンの方もマダムの態度が少し気になったのか、彼女に対して詰めいるように質問を投げかけた。


「どうしたマダム?今日はいつにも増して強気じゃないか。それとも、ただヤケになっているというだけなのかな?」


 挑発するような口調で、バルガンが言った。するとマダム・ローズは先程までの態度とは打って変わって、急に陽気な笑顔を浮かべて話し出す。


「そりゃあもう、強気も強気さ。()()()にとってはあんたたちみたいなチンピラなんて、虫ケラも同然だからね」


「あいつ…?」


 当然のことではあるが、マダムの話の中に出てきた「あいつ」が誰のことだか検討もつかないので、ドグは首をかしげている。しかしバルガンの方はマダムの言葉など所詮は虚言にしか聞こえなかったのだろうか、相手にすることなく話を進める。


「ふん、まぁ虚勢を張るのは自由だ。好きにするといい。だが金が払えないとなると、物で支払ってもらうしかないのだがな?」


「ま、まさか…!」


 バルガンの言葉の意味を理解したのか、パンジーの声は震えている。そして彼女の予想通り、バルガンはテーブル席で待機していた娼婦たちを指差した。


「確か前に伝えたはずだな?金が払えないのなら、代わりにこの店の女を連れて行くと」


「あぁ。そういえばそんな話、あったかもね」


 確認するように言うバルガンであったが、マダム・ローズはとぼけた様子でパイプをふかしている。そんなマダムの態度が気に食わなかったのか、バルガンは眉間にシワを寄せながらも再びマダムに尋ねた。


「確かマーガレット…だったか?この店で一番人気の娘は。娘は今、どこにいる?」


「マーガレットなら、2階の『睡蓮すいれんの間』にいるよ」


「マダム!?」


 娼婦のいる部屋をマダムがあっさり教えてしまったので、パンジーは大層驚いた様子で彼女を見た。だが当のマダム本人は、変わらぬ様子でパイプをくわえている。また驚いているのはバルガンも同じのようで、薄ら笑いを浮かべながらも疑わしげな目でマダムを見た。


「ほう、えらく素直に教えてくれるのだな?」


「あたしもできれば、手早く話を終わらせたいもんでね」


 マダム・ローズは質問に答えながら、受付にあった灰皿の上にパイプを置く。とはいえ、マダム自身には最初から娼婦を引き渡す気などさらさら無かった。


「ただ、1つだけ忠告しておこうか。あんたたち、今日はおとなしく帰った方が身のためだと思うよ」


「なんだと?」


 マダムの忠告を聞いて、バルガンの顔色がほんの少しだけ変わった。それでも、バルガン自身はマダムがあくまでも虚勢を張っているだけなのだという認識のままであったが。


「あぁ、間違えた。今日限りをもってこの街から撤退した方が身のためだよ、だった」


「虚勢もここまでくると喝采かっさいものだな」


 相変わらず強気な姿勢のマダム・ローズを見て、バルガンはあざ笑うように言った。そしてこれ以上のやり取りは無駄だと判断したのか、自身の左後ろに立っていたタウロス族の大男に命じる。


「ロック、部屋に行って娘を連れてこい!」


「はっ!」


 ロックと呼ばれたタウロス族の大男は、ズンズンと足音を立てながらロビーの階段を上っていった。それを見たパンジーは口に手を当てながらアワアワするしかなかったのだが、そんな彼女をマダムが一喝いっかつする。


「うろたえるんじゃないよ、パンジー!」


「でも…!」


 そんな2人のやり取りの間にも、2階に上がったロックは例の『睡蓮の間』の扉を勢いよく開け、部屋の中へと踏み込んでいく。ロックの姿が見えなくなったところで、マダムがニッと笑った。


「睡蓮の間には今、()()()がいるからね」


 まるで勝ちほこったような表情で、マダム・ローズが言った。

 そんなマダムの台詞せりふからわずか数秒後、マーガレットがいる2階の睡蓮の間からは、何やらモメるような声が聞こえてきた。


「何だ貴様は?この娘は今から…げふっ!?」


 ロックの怒鳴り声が途切れたかと思うと、2、3回ほど何かを殴るような鈍い音が響いた。


「なんだ?」


 バルガンは、音がした2階の部屋を見上げる。部屋の中までは見えないが、扉が開いたままなので声だけは聞こえてきたのだろう。

 ロックの言葉から判断すると、彼とモメていたのは娼婦のマーガレットではなく第三者、つまり部屋にいた客であることはまず間違いないだろう。だが気になるのは、客の方ではなくロック自身が殴られたような声を上げた、ということである。

 もっとも、その答えはすぐに判明することとなった。


 ドサッ!


「な…ロック!?」


 突然の出来事に、バルガンの声が裏返ったようになる。というのも、扉が開いたままの睡蓮の間からロックの体が勢いよく飛び出し、そのまま宙を舞ってバルガンの目の前に叩きつけられたのだ。


「おい!?ロック!?どうした!?しっかりしろ!」


 彼の相棒的立場であるドグが、倒れたロックに向かって声をかける。しかしロックの方からは一切の返事がなく、完全にノックアウト状態になっているようであった。


「あー、チクショウ。これからがいいところだったのによう」


 不満に満ちた声を発しながら、今度は1人の男が2階から飛び降りてきた。裸足にバスローブ姿なので、客であることはまず間違いない。男は水分を含んだままの銀髪を軽くかき上げると、不機嫌そうな様子で正面を向いた。


「俺の楽しいひとときを邪魔するとは、いい度胸してんじゃねえか」


 床に転がっているロックの顔面を踏みつけながら、レクトはバルガンと側近の男をにらみつけた。

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