実技指導 ③
その後も7人は次々にレクトに攻撃を加えていくが、どの攻撃もあっさりと躱されたり、いなされてしまう。ベロニカとアイリスが息を合わせてレクトの前方と背後から同時に攻撃を加えた時ですら、まるで後ろに目が付いているかのように双方の攻撃を左右それぞれの手で難なく対応してしまった。
そうして5分ほど経過したところで、不意にレクトが右手を挙げる。
「よーし、ここまで」
レクトの合図と同時に、7人の動きがピタッと止まった。
「全員、2分だけ休め。その後はストレッチだけやって、この時間は終わりにするぞ」
「「「はい」」」
生徒たちは返事をするが、やはり彼女たちにとってはかなりハードな1時間であったのだろう。休憩を指示された途端、何人かはその場にへたり込むようにして座る。
「つ、疲れた…」
「最後はみんな全力で攻めてたもんね…」
アイリスは肩で息をしながら空を見上げており、エレナは使い終わった自分の鞭を片付けるために小さく巻き取っている。
「私は全力は出してないけど」
「あんたはそうでしょうね」
1人だけ大して疲れの色を見せていないルーチェに、リリアが少し呆れたように指摘する。事実、ルーチェ以外の6人が全力でレクトに一矢報いようと奮闘する中、彼女だけは最初から諦めモード全開だったというのが大きい。ルーチェが近接戦闘術に対しては消極的であるのも皆が知っているので、今さら責めるようなことはないのだが。
ただ、そうやって疲れを見せているのは“生徒たち”だけであった。
「ふぁ〜あ」
レクトはレクトで生徒たちが休憩している間、呑気な様子で伸びをしている。あれだけの運動をしたというのに、表情にもまったく疲労の色が見えない。
「先生は疲れてないんですか?」
「ぜんぜん」
エレナの質問に、レクトは即答する。強がりでも何でもなく、本当にまったく疲れていないという雰囲気が全身からにじみ出ている。
「どんな体力してんですか」
レクトが当たり前のように答えたので、エレナもごく普通のツッコミしかできないようだ。とはいえ、レクトの体力がもはや人外レベルのものであるということは事実であり、生徒たちにとっても興味の対象であることは間違いない。
「いったい、どんなことをしたらそれだけの体力が身に付くんですか?」
アイリスが率直な疑問をぶつける。もちろんレクトの凄いところは体力だけではないのだが、なんにせよ普通に訓練しただけでは到底身につくようなものではないというのは誰の目から見ても明らかだ。
だがその質問により、レクトの化け物じみた強さのルーツが少しだけ明かされることとなる。
「朝の4時に起きてから10キロ以上離れた山の上にある泉で水を汲んで、満タンになった桶を担いだまま戻ってくるっていうのを毎日、それを10歳の時から5年間も続けていたからな。嫌でもスタミナはつくさ」
割とぶっ飛んだ内容のトレーニングメニューを、レクトは何の気なしに語った。ただ本人にとってはあまり良い思い出ではないのだろうか、少しばかり嫌そうな顔をしているが。
「朝のランニングにしてはハード過ぎですね」
「ハードっていうレベルじゃないと思うけど」
とんでもない習慣に対して冷静に指摘するルーチェと、そのコメントに対して更に指摘を重ねるリリア。しかしながら、そのような常識外れのトレーニングをしていたとしたら、確かにレクトの言うように嫌でもスタミナがつくのはまず間違いない。
そうやって嫌そうな顔をしつつも、レクトは話を続ける。
「しかも、帰り道の途中で桶の中の水がこぼれてなくなったらやり直し。おまけに道中はデカいイノシシとか普通に出るし。ありゃあ慣れるまでは地獄だったね」
「それって慣れるもんなの?」
淡々と語るレクトに、ベロニカがもっともな疑問を口にする。とはいえ、確かにそんなハードな事をごく当たり前のようにできるようになる頃には、相応の体力が身に付いているというのも想像に難くないが。
「そもそも、なんでそんな事をしてたんですか?」
サラが根本的なことを尋ねる。もちろん強くなるための修行だと言えばそこまでなのだが、サラをはじめとした生徒たちが聞きたいのはそういうことではない。それを始めることになった“きっかけ”だ。その点に関してはレクトの方も特に隠すことでもないのか、当たり前のように答える。
「なんでっていうか、師匠の言いつけだよ。当時は俺も嫌々やってたし。しかもそれはただの準備運動で、その後は武術なり勉強なり修行のオンパレードだったからな」
「20キロ以上走らされるのが準備運動なんですね…」
レクトの話を聞いて、アイリスが少し引き気味に言った。ただ、自主的に始めたというならともかく、師匠に無理矢理やらされたとなると納得できる部分はある。レクトが嫌そうな表情を浮かべていたのもそのためだろう。
一方で、フィーネは別の部分が気になっているようだった。
「というか、先生にも師匠っているんですね」
師匠がいるという事実そのものは別におかしなことではないのだが、これだけの強さを持ったレクトの師匠となると一体どういった人物であるのかが気になるところではある。とはいえ、これもレクトにとっては特別隠すようなことでもないのか、その師匠についても端的に説明する。
「いるよ。100歳越えの高慢ちきババアだけど」
「えっ、女の人なんですか!?」
フィーネはとても驚いた様子だ。もちろん年齢が100歳以上であるということも驚きなのだが、やはりこれだけの力を持つレクトの師匠が、実は女性であったというのが意外だったらしい。当然のことながら、驚いているのは他のメンバーも同様のようである。
「でもまぁ、強さには年齢も性別も関係ないからさ」
強さの象徴と言っても過言ではないようなレクトのその一言には、妙な説得力があった。そもそも“強い”というのも抽象的な表現である以上、人によって捉え方も様々になってしまうものである。
「けど、先生をここまで鍛えた女性ってどんな人なのか想像もつかないですね」
アイリスの言葉に、他のメンバーも納得したような表情を浮かべている。レクト本人がここまで常識外れな力を持っているのだから、その師匠であるという人物も只者ではないということだけは容易に想像できる。
「鍛えられたといっても、修行の途中で師匠は超えちまったからなぁ。今はもう俺の方が遥かに強いし」
当のレクトはというと、何の気なしにはっきりと断言した。この男の場合は誇張でも見栄でも何でもなく、ほぼ間違いなく事実をありのまま言っているだけなのだろう。実際、話を聞いていた生徒たちも特に疑ったような様子は微塵も見せていない。
「まぁ、確かに先生より強い人っていうのもちょっと想像できないですね」
サラが苦笑しながら言う。これに関しては満場一致とでもいうのか、他のメンバーも同意するように頷いた。
「それでも、遥かに強くなった今でも呼び方はちゃんと“師匠”なんですね」
少し意外だったのだろうか、ルーチェが真顔で言った。しかしレクトは、至極当然といったように首を横に振りながら答える。
「そりゃあ、あのババアがいなけりゃ今の俺もないからな。そういう意味では、世界を魔王の手から救うきっかけを作った人物、ってことになるのかもしれないなぁ」
ババアという呼び方はさておき、その師匠よりも遥かに強くなったという今でもレクトなりに敬意をはらってはいるようだ。しかもレクトの言うように、彼を鍛えたというのであれば間接的に世界を救ったというのもあながち間違いではないのかもしれない。
ここで、フィーネが少し話を戻す。
「そういえば、今更ですけど先生にも修行時代があったんですね」
皆、レクトに師匠がいたという事実にばかり意識が向いていたが、その師匠がレクトに対して無茶苦茶な修行を課していたということも忘れてはならない。
「そりゃそうだ。俺だって最初から強かったわけじゃねえ」
最初から強い人間などいない、それは全てをねじ伏せるほどに圧倒的な力を持つレクトであっても例外ではないらしい。意外と言えば意外ではあるが、それもよく考えればごく当たり前のことではある。
その話の流れでエレナから、もっと正確に言えば生徒たち全員が一番気になっているであろう質問が飛んでくる。
「実際のところ、どんな修行をすれば先生みたいな強さにまで到達できるんですか?」
最早レクトが最強の剣士であるということにはこれっぽっちも疑いがないが、もしその強さを修行の中で手に入れたのだとしたら、一体どのような修行をしていたのかが気になるのは当然のことだ。
「んー、そうだなぁ」
話す気が無いというわけではないのか、レクトは右のこめかみに指を当てて少し考え事をしている。しかし数秒考えてからレクトの口から発せられた答えは、生徒たちにとっては少々残念なものであった。
「地獄の果てみたいな場所で100年くらいひたすら戦い続ければ、俺みたいに強くなれるんじゃないか?」
「真面目に答えてくださいよ」
「おっと、厳しい意見」
エレナに指摘され、レクトは肩をすくめる。もう既にわかりきっていることではあるが、レクトがこうやってしばしばいい加減なことを口にするのがエレナとしては不満なのだろう。
「まぁ授業も終わりだし、俺が具体的にどんな修行をしてたかっていうのはまたの機会にな。それより次の時間は数学だから、全員さっさと着替えて待機しておけよ」
「「「はい」」」
レクトの指示で、生徒たちは着替えるために校舎の方へと駆け足で戻っていく。校庭に1人残ったレクトは、先程の生徒たちとの会話を思い返しながら空を見上げた。
「師匠か。どっかでタイミング見つけて、久しぶりに会いに行っといた方がいいのかなぁ」