実技指導 ②
「やあっ!」
レクトの背後から、アイリスが木製のナイフで斬りかかる。ちょうどレクトは正面から杖で殴りかかってきたルーチェの相手をしていたので、タイミングとしてはばっちりだと思った…のだが。
「ま、ナイフを使うとなると考え方は悪くないかな」
背後にいるアイリスの方を一切見ることなく、レクトは片手でアイリスの腕を掴んで投げ飛ばす。
「うぁっ!?」
身軽なアイリスではあるが、とっさのことだったので受け身が取れずにそのまま地面に尻餅をついてしまう形になった。
「あとアイリス。利き手でナイフを扱うんだったら逆手持ちはやめておけ。ナイフ1本だけで戦闘を行う場合は順手の方が力を込めやすいからな」
「は、はい…」
立ち上がりつつ、レクトに言われるままアイリスは持ち方を確かめるようにしてナイフを握り直す。一方のルーチェはというと特に何か策があるわけではなく、ただ杖で殴りかかるだけの単純な攻撃だ。
「ルーチェ、お前なんかヤケになってないか?」
レクトが呆れたように言った。他の生徒たちは色々と試行錯誤していたのに対し、ルーチェは特に何も考えず単調な動作を繰り返しているのみであったからだ。
「私、接近戦はしませんから」
ルーチェは開き直ったように答えた。確かに、彼女の得意分野は魔法である。実戦においても前衛として接近戦を行う可能性は極めて低いのは確かだ。もちろん魔法を使いつつ接近戦を行うような剣士もいるが、どちらかといえば少数派である。
「魔法に耐性があったり、無効化するような相手だった場合は?」
「どうやって逃げるかを最優先で考えます」
レクトの質問に、ルーチェは端的に答えた。冷静かつ現実的な回答ではあるが、ある意味では最初から諦めている、ともとれる。
「うーん。まぁ、間違ってはいないんだが…」
実際、それを聞いたレクトも少し難しそうな顔をしながら頭をかいている。しかし、この場であれこれ口で説明したところで素直に納得するとは考えにくいのも事実だ。
(まぁ、いいか。今日のところは)
無理に説き伏せても意味がないと判断したレクトは、アイリス・ルーチェペアの技術指導を切り上げる。これで7人のうち6人の模擬訓練が終わった。休憩を指示されたアイリスとルーチェは、既にレクトとの模擬戦を終えている4人が座っている位置へと歩いていく。
「よし、最後はベロニカだな」
名前を呼ばれ、最後に残っていたベロニカはレクトの前に立つ。レクトと対峙するのはこれで2度目であるが、あの時のような戯れではなく、今回はちゃんとした授業という形式だ。
「いつでもいいぞ」
レクトは相変わらず余裕の態度だ。もっとも、彼の圧倒的な強さを目の当たりにしている生徒たちからしてみれば、レクトが緊張していたり、慌てふためく姿など想像もできないのだが。
「ふんっ!」
ベロニカは一歩踏み込むと、木刀を大きく振り抜く。ただ、既にレクトとの実力差を理解しているのか、初めて対峙した時のような威勢の良さは見られない。当然の事ながらその天と地ほどもある実力差も埋めようがなく、勢いよく振り抜いた木刀はレクトの左の手のひらで簡単に受け止められた。
「うーん…」
ところが、レクトは何故か難しい表情を浮かべている。もちろん他の6人の時と同じようにベロニカの攻撃を分析しているのだろうが、どうやらベロニカの課題点というのは他のメンバーとは少し勝手が違うらしい。
「ふっ!はっ!」
レクトの様子などお構いなしに、ベロニカは攻撃を加え続ける。もちろん、加えた攻撃は全て防がれるか、躱されるかのどちらかなのだが。
だが、開始から1分ほど経過したところで。
「ベロニカ、一旦止まれ」
「えっ?」
唐突にレクトが模擬戦を中断したので、ベロニカは拍子抜けしたような声を出した。困惑しているのはレクトと相対しているベロニカだけでなく、その様子を見ていた他の生徒たちも同様のようだ。
しかしレクトはそんなことなどお構いなしに、言われるがまま止まった状態を維持しているベロニカに近づく。そして、おもむろに刀の柄を握っているベロニカの右手に自分の手を添えた。
「な、ななな…!?」
レクトが急に、自分の手を上から握るようにして重ねてきたので、ベロニカはひどくうろたえている。もちろん今のレクトには下心などは一切なく、刀の柄ごとベロニカの手を握るようにしてゆっくりと動かす。
「ここだ」
「えっ、えっ?」
まだ状況がよく飲み込めておらず慌てるベロニカであったが、レクトは言葉ではなく体でわからせるように指導していく。
「この位置から、手の長さをこれぐらいに維持して、ここまで振り抜く」
その動きは、先程までベロニカが行っていた攻撃の動作よりもほんのひと回りだけコンパクトなものであった。遠目に見るとあまり変わらないようにも見えるが、実際に刀を振っているベロニカにはその違いがなんとなく理解できた。
「この動きでもう1回振ってみろ」
「なんで?」
「いいから」
レクトはベロニカの疑問を一蹴し、とにかく実践してみるように促す。ベロニカもこれ以上の質問は無意味であると理解したのか、言われた通りに先程と同じ構えで刀を振った。
「どうだ?」
一振りしてみたベロニカに、レクトが感想を問う。だがベロニカはいまいち納得できていないようで、複雑な表情を浮かべている。
「なんか、あんまり思いっきり振ったような感覚がしないんだけど…。いつもの動きよりも威力が低そうな感じだし」
動きが少しコンパクトになった分、攻撃の勢いも若干ながら落ちている。しかし、レクトはむしろ当然とでもいったような様子だ。
「そうだろうな。最初に会った時から思ってたんだが、お前の攻撃は限界まで腕を伸ばして、遠心力を上乗せするような動きが多いからな」
「それだとダメなの?」
「ダメっていうより、まず腕への負担が大きいのが難点かな。それと確かに威力は大きいんだが、その分だけ隙も大きくなる。ここぞという時ならともかく、戦闘開始から思い切り全力で振り続けるのはあまりオススメできない」
「ふーん…」
レクトの説明を聞いて、ベロニカはわかったようなわからないような、何とも微妙な返事をする。といっても、教えられた振り方をその場で何度も試しているので、少なくともまったく聞き入れる様子がない、というわけでもなさそうだ。
レクトとしても今回はこれで十分だと感じたのか、ベロニカ個人への指導は切り上げて最後の仕上げに入る。
「よし。それじゃあ、ラスト1回いっとくか」
座ったまま待機している生徒たちの方を見ながら、レクトが言った。
「ラスト1回って、何をすればいいんですか?」
フィーネから当然の質問が飛んでくる。授業の時間も残り10分を切っているので、先程のように2人ずつに分けて模擬戦を行うには時間が足りない。
だが逆に言えば、分けなければいいのだ。
「全員で俺にかかってこい。もちろん魔法はなしだが」
レクトのその言葉を聞いて、生徒たちはピクッと反応する。ただ、魔法はなしという時点でルーチェはあまり気乗りしていないようであるが。
「7人同時に相手をするってことですか?」
「当たり前だろ」
サラの質問に、レクトは至極当然といった様子で答える。1対7など普通に考えればハンディキャップもいいところであるが、当の7人はレクトの実力がとんでもないものであることは十分に理解している。何より、レクト自身が“7人相手でも余裕”と既に宣言済みだ。
「それに7人がかりだったら、もしかしたら誰かの攻撃が俺の胴体をかすめるぐらいはあるかもしれないだろ?」
「言ってくれるじゃない…!」
挑発じみたレクトの発言に、リリアが声を震わせる。もっとも、最初に会った時のように怒りに打ち震えているというわけではない。純粋に“やってやろう”という気持ちの表れだろう。
「よし。じゃあ全員、好きな位置に立って構えろ」
レクトの指示により、生徒たちは各々が自分の攻撃しやすい位置へと移動する。
ベロニカ、サラ、リリアの3人はレクトの真正面。まさしく、正面から真っ向勝負を挑むということだろう。反対にフィーネとアイリスはレクトの真後ろに立っており、死角からの攻撃狙いだ。特にアイリスの使用武器はナイフであるため、真正面ではなく死角からの攻撃を狙うというのも理にかなっている。
エレナはレクトから見て左側、つまるところ彼の利き手とは反対側である。レクトは左手だけでも十分に強いというのは承知の上であるが、それでも利き手よりは幾分か隙があるのではないかという判断だ。ルーチェはレクトの右側だが、これは何か作戦があるというわけではなく、単に皆の邪魔にならないよう空気を読んで関係のなさそうな位置に陣取っているだけであるが。
「じゃあ…開始」
全員の準備が整ったことを見計らって、レクトが合図をする。それと同時に、7人が一斉に動いた。
「せいっ!」
ハルバードという武器のリーチの長さもあり、真っ先にレクトに攻撃を仕掛けたのはサラだ。それに続いてベロニカも刀を振ろうとする…が。
「ん、残念」
レクトは襲いくるサラのハルバードの刃の少し下あたりを右手で掴むと、逆にそのハルバードを持ち主であるサラの体ごと振り回す。
「きゃっ!」
「うわっ!」
圧倒的なパワーでサラの体を浮かせると、彼女の体をそのまま隣にいたベロニカにぶつけ、2人まとめて反対側へ吹き飛ばした。女子とはいえ2人合わせれば間違いなく100キロ近くの重さはあるはずだが、巨大なブラックテイルタイガーを投げ飛ばすレクトにとってはもはや朝飯前というレベルですらない。
だがその瞬間、レクトの左側からエレナの鞭が飛んできた。しかも正面ではリリアが既に剣を振り上げているのが視界に入ってきている。右手が塞がっている状態でどのように対処するかというと。
「よっ」
「わゎっ!?」
レクトは鞭の先端を左手で掴むと、グッと引き寄せた。それにより勢いよく引っ張られたエレナはバランスが取れず、前のめりに転倒してしまう。しかも引っ張られてピンと伸びた鞭が、ちょうど振り上げたリリアの剣の柄部分に上手い具合に引っかかった。
「嘘でしょ!?」
思わぬ形で攻撃を防がれ、リリアは驚くしかなかった。偶然に引っかかったというのであれば単なる不運という形で済むのだが、相手が相手だ。この男は確実に狙ってやったとしか思えない。
「うあっ!」
レクトは鞭の先端を持ったまま、左手でなぎ払うようにしてリリアの体を吹き飛ばした。
しかし、今度はレクトの背後からフィーネとアイリスが襲いかかる。レイピアとナイフという武器の性質上、どうしてもある程度の距離まで近づかなければ攻撃を加えることができないのだが、今のレクトは正面と側面から向かってきた4人の相手で手一杯のはずだ。十分に攻撃を加える隙はある。
だが、そう思っていたのは2人だけのようだった。
「ほいっと」
レクトは瞬時にサラのハルバードとエレナの鞭から手を離し、姿勢を低くした上で足を伸ばし体を半回転させる。いわゆる、足払いだ。
「あっ!?」
「きゃっ!?」
予想外の部分からの反撃であったからか、2人は対応しきれずにまともに足払いを食らってしまい、派手に転んでしまう。その拍子に、持っていた木製の武器がカランと音を立てて地面に落ちた。
「つ、強い…!」
「っていうか、メチャクチャよ!知ってたけど!」
立ち上がりながら、サラとリリアが率直な感想を漏らす。リリアに至ってはもはや文句といっても過言ではないような剣幕だ。
最初にサラとベロニカが吹き飛ばされてからフィーネとアイリスが足払いをかけられるまでの一連の流れ、この間わずか10秒にも満たない。流石に6人同時に相手をするとなると片手一本で、というわけにはいかないのだろうが、そんなことを抜きにしても圧倒的と言うほかなかった。
「どうしたルーチェ。突っ立ったままで」
余裕のレクトは、杖を握りしめたままで唯一攻めてこなかったルーチェに声をかける。
「今のを見て、どこでどう攻めろって言うんですか」
ルーチェはやや愚痴っぽく言うが、この状況下では無理もない。
今更であるが、彼女たちはこれまでに各方面から優秀であると評価され、大会でも名を残したことのある実力者たちだ。おそらくは並の兵士や騎士であれば7人どころか2、3人でも十分に対抗できるに違いない。そんな彼女たちを赤子同然に軽くあしらう目の前の男に対して、どう攻めれば効果的なのかなど想像もつかないのは事実だ。
「ほらほら、授業が終わるまであんまし時間残ってねーぞ」
相変わらず余裕の態度を崩さぬまま、レクトは両手を広げて言った。