違和感のある関係性
レクトがブラックテイルタイガーを沈静化させてから1分もしないうちに、大通りの向こう側からは騎士たちが大急ぎでやって来た。しかも、その先頭にいるのはレクトの見知った顔である。
「レクト!大丈夫か!?」
「また面倒くさい奴が…」
心配して駆け寄るアイザックであったが、レクトはありがたがるどころか鬱陶しそうな目で彼のことを見ている。だが幸か不幸か、アイザックはレクトのすぐ後ろで大泣きしている少女の存在に気づいてしまった。
「はっ!?リリア嬢!彼女がなぜここに!?」
ほんの30分ほど前に別れた筈の少女が道の真ん中で大泣きしているのを見て、アイザックはひどく驚いているようだった。しかも周囲には十数人もの人々が倒れており、その内の2人は自身の部下でもある。とにかく、ただ事ではないというのは容易に想像がつく状況だ。
「なんだアイザ。こいつのこと、知ってるのか?」
泣いているリリアを指差しながら、レクトが言った。もちろんレクトは素で聞いただけなのだが、問われたアイザックは怒鳴るように言葉を返す。
「前騎士団長殿のご息女だぞ!当たり前だろう!」
「そりゃそうか」
アイザックの返事を聞いて、レクトも納得したように呟く。
「大泣きしてるけど、こいつは無傷だから心配はしなくていいぞ」
理由はともあれ、大泣きする元気があるのであれば少なくとも命に関わる問題はないだろう。アイザックもそれは理解できたのか、周囲を確認するように見回しながら改めてレクトに問う。
「とにかく状況を説明してくれ。一体何があった?なぜ皆倒れている?怪我人は!?」
周囲の人間は軒並み気を失っており、かつ意識のある2人のうちリリアは大泣きしている状態だ。そうなると、アイザックからすればレクト以外に話ができる人物がいないのだ。
とはいえ、レクトだってこの状況がどのような経緯で引き起こされたのかはよくわかっていない。アイザックの質問の中で今のレクトに答えられることは1つ、なぜ皆が倒れているのか、ということだけだ。
「俺も事の発端はよくわからないんだが、やむを得ない状況だったんでな。『侵してはならぬ領域』を使わせてもらった」
面倒くさかったのか、レクトは術の名前だけを口にした。もちろん、どのような術であるのかをアイザックが理解しているという前提の上だ。だがそれを聞いたアイザックは、血相を変えてレクトの両肩を掴んだ。
「お前は何を考えている!?お前が『侵してはならぬ領域』を展開したら、周囲の人間がどうなるかぐらいわかっているだろう!?」
「いや、だから…」
「学生時代に使った時だってなぁ…!」
レクトの言葉にも耳を貸さず、アイザックはいつものように説教モードに入る。このままでは埒が明かないと判断したのか、完全に頭に血が上っている状態のアイザックを落ち着かせようと、レクトは自身の両肩に乗せられた彼の手を掴んだ。
「落ち着けって。だから今回は仕方なかったんだってば。説教の前にまず話を聞けよ」
「むぅ…す、すまん」
レクトの言葉によってアイザックも少しだけ冷静さを取り戻したのか、苦虫を嚙みつぶしたような顔をしながらも彼の肩から手を離し、後ろにいる部下たちに指示を出す。
「とにかく、倒れている人たちを介抱するんだ!おそらくほとんどは気を失っているだけだろうが、怪我人がいたらすぐに救護班を呼べ!」
「「「はっ!」」」
騎士たちは隊長であるアイザックの指示に従い、気絶している人々の元へと駆け寄っていった。そうしている間に、ふとレクトは思い出したように道の外れに倒れている男を指差した。
「そうだアイザ。おそらく、あのヒョロい男が騒ぎの元凶」
大半は気化してしまったようだが、それでも男の胸元あたりにはまだピンク色の液体が残っている。正直なところ、レクト自身もその男の素性はよくわからないのだが、少なくとも違法薬物を所持していたのだろうから真っ当な人間でないことは明らかだ。
「なんと!奴だったのか!」
しかし、アイザックはその男を見るなり驚きに満ちた表情を浮かべた。逆にレクトにとっては、アイザックがその男を知っていたことが驚きなのだが。
「なんだ、知ってんのかよ。誰、こいつ?」
「指名手配中の違法薬物の売人だ。今日はこいつらを捕らえることが本来の目的だったのだが、まさかこんな騒動に発展してしまうとはな」
無関係だと思っていた2つの事件が大いに関係していたということを知り、アイザックは目頭を押さえている。
「あぁ。だから猛獣用の興奮剤を持ってたのか」
レクトの方も、男が違法薬物の売人であるという事実を知ってようやく合点がいったようだ。だが、それを聞いたアイザックの中に1つの疑問が浮かぶ。
「お前、あの薬品がどういうものか知っていたのか?」
普通の人間なら、まず関わることのない薬品だ。もっとも世界中を旅していたレクトであれば、旅の途中にどこかで知ったという話もありそうなものではある。
だが、実際にはそうではなかったようだ。
「地下の闘技場に、あの薬品を使って凶暴化したモンスターと戦うっていう悪趣味なショーがあるんだよ。学生時代、それに何度か出たことがあってな」
「まったく、お前という奴は…」
レクトが薬物のことを知っていたその理由を聞いて、アイザックは呆れたように額に手を当てた。レクトの学生時代からの素行の悪さについてはよく知っているので、どちらかというと“やっぱりか”といったような感想を抱いているようだ。
レクトはコートのポケットに手をつっこみながら、倒れているブラックテイルタイガーの横に屈む。
「この猛獣も、おそらく地下の闘技場で飼われてたヤツだろうしな」
普通に考えて、たとえ広い庭を持つ貴族であろうと、凶暴なブラックテイルタイガーを飼う人間などまずいない。むしろ、その凶暴性が好まれるとしたら間違いなくレクトの言うように闘技場といった戦わせる目的での場所しかないだろう。だが、この予想は外れであった。
「いや。このブラックテイルタイガーはフラッドサーカス団で飼育されている個体だ。その調教師の少女と共に猛獣ショーに出ているそうだぞ」
そう言って、アイザックは部下が介抱している最中の調教師の少女を指し示す。その事実を聞いて、流石のレクトも驚きを隠せないようだった。
「冗談だろ?ブラックテイルタイガーなんて、人が飼い慣らすような獣じゃねえぞ。よく手懐けたな、この嬢ちゃん」
レクトは感心するように少女を見ている。レクトとしては褒めたつもりであるのだが、残念なことに少女はまだ意識を失ったままだ。
「つーかアイザ。今更だけど、なんでお前がここにいるんだ?」
レクトは率直な質問をぶつける。無論、この件については立派に事件と呼べるほどのものであるので王国騎士団が出向いてくるのは当たり前なのだが、レクトが言いたいのは“なぜアイザックなのか”ということである。
「西区は昨年から私の管轄になっている」
「げっ、マジかよ」
至極当然といった様子で答えるアイザックに対し、レクトは露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
「何か文句があるのか?」
「ありすぎて逆に困ってるところだ」
「お前なぁ…」
正直に答えるレクトに、アイザックはまたもや呆れたように頭に手を当てる。しかしこの話はもう必要ないと判断したのか、それ以上は何も言わなかった。落ち着いたとはいえ、目の前の事件が全て解決したというわけではないからだ。
「話を戻そう、レクト。結局のところ、なぜこんな状況になっているのかはお前にもわからんのだな?」
「そうだな。俺が来た時にはもう猛獣は凶暴化してたからよ」
レクトが知っているのはブラックテイルタイガーが凶暴化していたこと、そして周囲の人間ごと気絶させたことの2つだ。なぜ猛獣が凶暴化したのかまでは状況証拠からある程度は推測できるが、それでも細かい部分についてはわからないことだらけだ。
「リリア嬢にも話を聞きたいところだが、あの様子ではなぁ…」
アイザックはリリアの方を見た。先程よりは幾分か落ち着いたようだが、それでもまだ泣きじゃくっている状態だ。
「まったく、エルトワーズ殿になんと説明すれば…!」
別にアイザックや騎士団が悪いというわけではないのだが、侯爵令嬢が事件に巻き込まれたとなると、それはそれで何かと問題になりそうな話ではある。だがアイザックがそのような心配をしていると、不意に2人の背後から声が響いた。
「説明の必要はないぞ、アイザック」
その言葉を聞いた2人は、声の主の方を振り返る。そこに立っていたのは、立派なコートを着た金髪で初老の男性であった。胸元には家紋の入ったブローチを付けており、すぐ後ろには執事もしくは秘書であろう男性が随伴している。また、後方には乗ってきたであろう馬車も見えた。
「これは!エルトワーズ殿!」
「よう。騎士団長殿じゃねえか」
現れた男性を見て、アイザックとレクトが各々の反応を示す。ひざまずいているアイザックに対し、レクトはコートのポケットに手を突っ込んだままの、いわばいつも通りといった印象だ。
「私はもう騎士ではないぞ、レクト。2年前に引退した身だ」
エルトワーズはレクトの言葉を訂正しながら、2人の方へと歩み寄る。
「らしいな。俺にとってはどっちでもいいことだが」
レクトはレクトで、いつも通りといった態度だ。相手が貴族であろうと王族であろうと、まったくブレることのないこの図太さがレクトの真骨頂だ。もっとも、側にいた友人はそれを許すはずもないのだが。
「レクト!確かに騎士団長は引退されたが、エルトワーズ殿は評議会議員だぞ!礼儀をわきまえないか!」
「国王にタメ口きくような奴が、評議会議員にこびへつらうとでも思うのか?」
「お前という奴は…!」
何を言っても自らのスタンスを崩さないレクトに、アイザックは三度呆れたような様子でうなだれている。もっとも、当のエルトワーズ本人は何とも思っていないようであった。
「はっはっは。何年経っても変わらんな、お前たち2人のやり取りは」
エルトワーズは怒るどころか、2人のやり取りを笑い飛ばす。むしろ、数年振りに見たやり取りを懐かしいとさえ感じているようだ。レクトの方もそれがわかっているのか、さも当然といった様子でアイザックを指差す。
「変わんねえのはこいつだってば。学生の頃からカタブツのまんま」
「お前のいい加減さと身勝手さも大概だ!」
言いたい放題のレクトに、アイザックが反論する。しかしエルトワーズはアイザックのことを制止するように、小さく首を横に振った。
「私は別に構わんよ、アイザック。そもそも、レクトの性格についてはお前が一番よく理解しているだろう?」
「おっしゃる通りです」
エルトワーズの言葉に、アイザックは深々と頭を下げる。だがそのアイザックの態度についても、エルトワーズにとっては少なからず思うところがあるようだった。
「それとアイザック、私はもうお前の上司ではない。今さら私に対してかしこまる必要はないのだぞ?」
「いえ。そういうわけにはいきません」
エルトワーズの申し出を、アイザックはきっぱりと否定する。たとえ上司ではなくなったとしても相手は貴族かつ評議会議員であり、そもそも騎士団にいた頃には世話になったという恩義もある。真面目なアイザックが態度を崩さないのはある種当然のことであった。
「しかしながらエルトワーズ殿、なぜこの場に?」
今更ながら、アイザックは根本的なことを尋ねる。これに関してはレクトも疑問に思っていたところだ。
「なに、議会の仕事の関係で魔法局に用事があってな。帰り道に偶然この騒ぎに遭遇した、というわけだ」
そう言って、エルトワーズは道の真ん中で座り込んだままのリリアを見た。父親の登場は彼女にとっても予想外のことであっただろうが、本人もようやく泣き止んだようであった。
「そうでしたか。実は…」
まだ事件の経緯は把握できてはいないが、アイザックは知っている情報だけでもエルトワーズに伝えておこうとする。だがエルトワーズは小さく手を振り、“必要ない”のジェスチャーを示した。
「あぁ、説明は結構。どのみち、明日にでも秘書から報告があるだろう。それに危機は去ったとはいえ、自体の収拾そのものはまだなのだろう?」
「はい、その通りです」
エルトワーズの言っていることがまさにその通りであったので、アイザックは返す言葉もなく頭を下げる。謝罪をしているのではなく、おそらくエルトワーズが上司であった頃を思い出してしまったのだろう。
「娘は私が連れて帰る。アイザック、お前は部下を連れて後片付けにあたってくれ」
「はっ!」
アイザックはエルトワーズに向かって再び一礼すると、人々を介抱している部下たちの元へと走っていった。それを見届けたエルトワーズは地面に座り込んでいるリリアの元へと歩いていき、彼女の二の腕を軽く掴む。
「立てるな?リリア」
「…うん」
小さく返事をしながら、リリアはゆっくりと立ち上がる。しかしながら泣き腫らした顔を見られたくないのか、そのままレクトに背を向けるようにして父親の胸に顔をうずめた。そして。
「…ありがと」
レクトにギリギリ聞こえる程度の小さな声で、リリアが呟いた。一応、レクトにはしっかり聞こえたようではあるが、当の本人はやや不満そうである。
「迎えに来た父親には礼を言って、命を助けた俺には一切ナシかい」
別に気にしているというわけではないのだが、レクトは少し嫌味っぽく言った。しかし彼女の真意を理解していたエルトワーズは、娘の頭をポンポンと軽く叩きながらレクトの方を見る。
「今の礼はお前に対してだ。レクト」
「そうなのか?」
エルトワーズは当たり前のように言うが、レクトは半信半疑といった様子だ。学校にいる間も、リリアはレクトに対しては未だに敵意を抱いていたようだったので無理もないが。
そんな話はさておき、エルトワーズは重要なことについて触れる。
「それはそうとレクト。サンクトゥス女学園の教師になったそうじゃないか」
「まぁ、成り行き上」
レクトは何とも曖昧な返事をするが、エルトワーズもレクトの性格についてはわかっているのか、その点に関してはとやかく言わなかった。
「ということは今後、私とお前はいわば保護者と担任の関係になるわけだ」
そう言うエルトワーズは、なんとも可笑しそうな表情をしている。当然、レクトもその理由についてはわかっている。
「それはわかるけど、なんか違和感あるよなぁ」
「奇遇だな。私も同感だ」
数年振りに会ったとはいえ、レクトとエルトワーズの付き合いはそれなりに長い。それが教師と保護者という立場になっての再会であるのだから、互いに色々と思うところがあるのだろう。
「今後も娘のことをよろしく頼むぞ。といっても保護者という立場上、近いうちにまた会うことになるだろうがな」
「んー、了解」
リリアを連れて立ち去るエルトワーズに、レクトはいつものように気の抜けた返事をする。2人が馬車に乗り込んだのを見届けたところで、レクトはふとあることを思い出した。
「あ、そうだ。雑貨屋に戻らねーと」