旅の終点 ②
『終点、王都オル・ロージュに到着しました。くれぐれもお忘れ物のないようにご注意ください』
汽車が停車するや否や、乗客に向かって駅員が注意を呼びかける。乗客たちは皆それぞれの荷物を手に持つと、車両の出口へと向かい始めた。
「俺の場合、忘れろっていう方が無理だけどな」
そう言って、レクトは自分の座席の後ろに立てかけておいた荷物に手を伸ばす。荷物といっても、彼自身が愛用している武器のことであるが。
「確かに、その大きさだとね」
立てかけていた大剣を手に取るレクトを見て、ルークスが頷きながら言った。
剣は刀身だけでも1メートルは軽く超えており、そのうえ厚さも半端ではないため、鞘などは無くむき出しの状態である。大きさからしてとんでもない重量であるのはまず間違いないのだが、レクトはそれを右手だけでひょいと持ち上げ、慣れた様子で背中に携える。正確には背負うといっても、右肩から腰にかけて巻かれている太い皮のベルトの金具に引っ掛けているのだが。
「ものすごいかさばりそうな剣なのに、座席の間とか器用に通るわよね」
座席や壁にまったくぶつかることなくスイスイ進むレクトを見て、カリダが少し感心したように言った。
「この状態でもう何年も生活してるからな。こんなもん慣れだよ、慣れ」
レクトは至極当然といった様子で答える。むしろ、狭い車両の通路を進むのに苦労しているのはレクトではなくテラの方であった。
「それより、ワシとしてはもう少し車両自体を大きくしてほしいもんじゃな。座席も小さいし、扉をくぐる時もこうやっていちいち屈まねばならんからのう」
テラは不満をこぼしながら、言葉の通りに身を屈めて列車から降りる。ダイロン族は大柄な種族であるため、身長が2メートルを軽く超えるテラにとっては日々の生活の中でもこのような不便なことが多く、それは旅の中でも同様であった。
「テラ、角をぶつけないように気をつけてね」
「わかっとるわい」
ルークスの忠告を聞きながら、ダイロン族特有の前頭部にある立派な角をぶつけないよう、テラはゆっくりと駅のホームに降り立つ。
「公共の物っていうのは、大抵はヒューマ族を基準に作られてるからな。高身長な奴が多いタウロス族でさえ狭いって感じることが多いらしいから、それよりも大柄なダイロン族にとっちゃこの上なくキツいだろ」
ロングコートのポケットに手を突っ込みながら、レクトが言った。実際、世界の人口のおよそ半数がヒューマ族だといわれているので、レクトの言うように公共の物がヒューマの体格を基準に作られているのも自然なことではある。
「まったくじゃ。移動はやはり広々とした船が一番じゃな。馬車も列車も狭くてかなわんからのう」
やれやれといった様子で、テラが愚痴をこぼした。狭い車両からようやく解放されたからであろうか、肩をぐるぐると回している。
「ところでカリダ、トイレには行かなくても大丈夫かい?」
「あんたバカにしてんの!?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど…」
列車を降りて早々、ルークスの質問に対してカリダが半ギレ状態になる。ルークス自身には悪気はないのだが、かなりの天然が入っている彼の空気を読まない一言に、カリダが反応してしまうことは旅の中でもままあることではあった。
そんなこんなで一行は、他の乗客と一緒に流れるように駅のエントランスへと向かう。
「お疲れ様でした。またのご利用をお待ちしております」
エントランスでは、若い女性の駅員が客の誘導を行っていた。土地勘のある人間ならともかく、初めて王都に来た人間だと迷ってしまうこともあるのだろう。
「女性の駅員さんだ。珍しいね」
ルークスは物珍しそうな様子で女性の駅員を見ている。魔王を倒すために世界中を旅してきた4人であるが、それでも女性の駅員というのはあまり見たことがなかった。
「最近は性別による仕事の格差をなくすための運動が盛んじゃからのう。特にフォルティスは多種族国家と呼ばれるくらいの国じゃから、そういった差別に対する取り組みは他国よりも積極的なんじゃろう」
「なるほどね」
テラの説明を聞いて、ルークスは納得したように頷いている。しかしこの直後、ちょっとした事件が起こることになった。
「お疲れ様でした。またのご利用を…きゃっ!」
レクトが横を通り過ぎた直後、女性駅員が小さな悲鳴を上げた。大勢の人間がいたせいか周囲の人間は気づかなかったが、いち早く察したカリダがレクトの腕を掴む。
「レクト!あんた今、あの駅員の子のお尻触ったわね!?」
「気のせいだろ」
怒り心頭のカリダに対し、レクトはあっけらかんとした様子で答えた。一方でセクハラの被害に遭った駅員に対しては、テラとルークスが謝罪をしている。
「連れがすまんのう。嬢ちゃん」
「ごめんなさい。彼には僕らの方から言って聞かせますので」
世界を救った英雄の2人が一般人女性にセクハラの謝罪を、しかもその内の1人は2メートルを超える筋骨隆々のダイロン族の男であるというのも、なんともシュールな光景である。
「まったく!油断も隙もないわ!」
駅を出て開口一番に、カリダがレクトを指差しながら言った。当のレクト本人は、何事もなかったかのようにあくびをしながらロングコートのポケットに手を突っ込んでいる。
「そうじゃなぁ。こいつを野放しにして、世の女子たちがどれほどのセクハラ被害に遭うかが心配じゃのう」
怒り心頭のカリダとは対照的に、テラはすっかり呆れかえった様子だ。ルークスに関しては、ただただ苦笑いを浮かべるだけである。
「そうよ。新聞の見出しに『魔王を倒した英雄、セクハラで逮捕』とか載ってたら私、卒倒するかもしれないわよ!?」
カリダが縁起でもないことを言い出した。しかしレクトはまったく悪びれた様子もなく、目を細めながらぼやく。
「世界を救うっていう大仕事をやったんだからさぁ、ちょっとぐらいセクハラが許される世の中でもよくね?」
「そういう問題じゃないの!常識的にやっちゃいけないもんがあるでしょうが!」
愚痴るように言うレクトに対し、カリダはもっともな注意をした。
「大体あんた、これまでに何人の女の子にセクハラかましたと思ってんの!?女だったら誰でもいいわけ!?」
やかましそうに聞いているレクトの横で、カリダは尚も説教を続けている。しかし、レクトに反省するような様子はまったく見られない。
「誰でもいいってわけじゃねえ。少なくともお前みたいな肉感のカケラも無い幼児体型のうっすい乳とケツに興味は無い」
「あんだとコラァ!?」
体型のことをレクトに弄られ、カリダがブチ切れ寸前になった。口調も別人のように悪くなり、今にも魔法をぶつけんばかりの勢いであるが、そうはさせまいとテラが彼女の肩をガッチリと掴む。
「やめんかカリダ。ここで暴れたら明日の朝刊が『魔王を倒した英雄、駅のエントランスで大暴れ』になるぞ」
年長者らしく、テラはしっかりした口調でカリダをなだめる。長寿な種族ではあるが、60年以上も生きているためか人生経験も豊富である。
ようやくカリダが落ち着いたところで、一行は駅のすぐ近くにある噴水広場へとやって来ていた。
「うわぁ、すごく大きな時計台があるね」
遠くに見える時計台を指差して、ルークスが言った。無邪気と言えば聞こえがいいが、悪く言えば田舎者丸出しである。
「前に一度来たときにも見たじゃない。ほら、レクトが仲間になる前に」
見るのは二度目だというのにやけに感動しているルークスを見て、カリダが言った。しかしルークス自身も、以前に見たことを忘れているというわけではなかった。
「あの時はほら、魔王軍の動きが特に活発になっていてのんびりする余裕がなかったからさ。僕らも観光じゃなく、物資の調達と東国への移動のために立ち寄っただけだったし」
「確かにそうじゃったな。兵士なんか皆ピリピリしとったからのう」
数年前の出来事を回想しているのか、時計台を見つめながら静かにルークスに、テラも同意する。
「あれが『フォルトゥナの時計台』だ。運命の女神フォルトゥナを祀るために、何百年も前に建てられたっていわれてる。もっとも、今は王国屈指の観光スポットになってるがな」
時計台を見つめるルークスの後ろで、王都で過ごした経験のあるレクトから解説が入る。それを聞いたルークスは、時計台のシンボルとでもいうべき大時計を指差しながらレクトに尋ねた。
「ということは、あの大きな時計の中に女神フォルトゥナがいるの?」
「あんな人通りの多そうな場所にいるわけねぇだろ。単なる伝承だ。第一、今までに俺たちが会ってきた神って呼ばれる連中は、みんな人里離れた各々の聖域の中に閉じこもってるような奴らばっかしだったじゃねえか」
ルークスの質問に対し、レクトは呆れたように言った。ルークスは「それもそうか」と小さく呟くと再び時計台に目を向けた。
「神様かぁー。思えば、色々な神様がいたよねぇ。僕たち人間に協力的な神様もいれば、会って早々に攻撃してきた気性の荒い神様もいたし」
長かった冒険の事を思い出しながら、ルークスは感慨深そうにしている。ところがルークスの台詞に対して思うところがあったのか、レクトからは横槍が入る。
「あの件については、こっちに無礼な奴がいたってのが原因だけどな」
「レクトにだけは無礼とは言われたくないなぁ」
レクトに無礼と言われたことで、ルークスがムッとしたように反論した。しかしレクトはルークスの反論をあっさりと一蹴する。
「俺は何万年も生きてるような神をいきなり“ご老人”呼ばわりして怒りを買うほど空気の読めないバカではないし、世間知らずの田舎者でもない」
「うっ…。それを言われると…」
旅の中での大きな失敗談レクトにを掘り起こされ、ルークスがしゅんとなった。ただ、その時は確かに大変な事ではあったが、全てが終わった今となってはそれも旅の思い出の1つだ。
「本当、3年の間に色々あったわね」
カリダは雲1つない空を見上げながら、独り言のようにポツリと呟いた。他の3人もそれぞれ思う事があったのか、同じように空を見上げる。
ほんの数秒間だけ辺りが静寂に包まれたが、その静寂を破ったのもまたカリダであった。
「マギアレート行きの定期便に乗らなきゃいけないから、私は飛行船の発着場に向かうわ」
列車の中でルークスが言ったように、4人で移動するのはここまでだ。カリダとテラはそれぞれの故郷に帰らなければならないし、ルークスは皆を見届けたらソリス王国へすぐに戻る予定である。
「発着場の場所はわかるか?」
「あ。えーと、わかんない」
レクトの質問に対し、カリダは少し困ったように答えた。もっとも、この返答そのものはレクトにしてみれば想定内であったが。
「北区に飛行船の発着場がある。向こうの通りに北区行きの馬車があるから、そいつを使うといいだろ」
「オッケー。北区ね」
レクトの説明を聞いて、カリダが明るく答える。また、この後にどこへ向かえばよいのかがわからないのはテラも同様のようであった。
「ワシはこの後は船じゃから、港に向かうとするかのう。レクト、港に行くにはどうすればいい?」
「港なら南区だ。貿易船が午前と午後に1回ずつ出てるから、それに乗るといい。この時期はそんなに混雑しないはずだから、飛び乗りなんかでも普通に問題ないと思う」
「おぉそうか。助かる」
こちらも同様にレクトの説明を聞いてすんなり理解できたのか、テラは南の方角を見た。といっても現在地は王都のちょうど中央付近に位置しており、ここからは距離があるために港は見えない。
「流石、レクトは博識だね。やっぱりいつも本ばかり読んでるから?」
スラスラと道案内をするレクトを見て、感心したようにルークスが言った。しかし、レクトはそれをあっさり否定する。
「本は関係ねえだろ。こんなもん、王都に住んでる奴だったらガキでも知ってる一般常識だ」
「そういうものなのか」
田舎の小さな村で育ったからか、都会育ちの感覚がよくわからないルークスは顎に手をあてて少し考えている。
「あと、王都でも西区だけはあまり詳しくないかな」
「どうしてだい?何か嫌な思い出でも?」
過去に王都で暮らしていた筈のレクトが詳しくないというのが意外であったからか、ルークスは少し驚いたような表情で尋ねる。
「いや、別にそういうわけじゃない。西区は貴族街と、あとは教会ばっかりで単に縁がなかったってだけだ。俺が過ごした東区とは真逆の、お上品な街って感じだったからな」
端的に理由を語るレクトであったが、それを聞いた仲間たちは「あー」と納得したような様子だ。側から見れば失礼な反応にも思えるが、レクトはレクトで自覚があるのか、その反応に対しては何も言い返さない。
「というと、東区は下品な街なんか?前に行った時はそんな印象はなかったがのう」
数年前に東区を訪れた際の印象を思い出しながら、テラがレクトに尋ねた。というのも、王都オル・ロージュの東区はフォルティス王国の中でも特に交易が盛んで、行商人の拠点にもなっている場所であるからだ。
「悪い言い方をすればな。商業が一番発達してる区域だから、色々な人間がやってくる関係でどうしても揉め事や犯罪が多くなるし、治安の悪い場所だってある」
「なるほど。それは確かに納得できる話じゃな」
レクトの説明に合点がいったのか、テラは腕組みをしながらうんうんと頷いている。
「あんたも治安を悪化させてた一因だったんじゃないの?」
唐突にカリダから冷やかしが入った。レクトの日頃の行いからすれば必ずしもありえないというわけでもなさそうだったのだが、レクト自身はそれをきっぱりと否定する。
「そんなことはないぞ。むしろ治安の改善に貢献してた方だ。事実、学生時代にもギャング団は3つか4つ潰したし」
「あんたが?学生の時に?どんな経緯で?」
レクトから意外な話が飛び出したので、カリダは目を丸くしている。ルークスとテラも興味津々のようだ。
「たまたま悪友と定食屋でメシ食ってたら、悪いタイミングで地上げ屋が来たりしてな。うっとうしいから殴ったら仲間を呼ばれて、流れで全員まとめて叩き潰したとか、なんかそんな感じ」
「なんというか、レクトらしいといえば、らしい話ね…」
いざ蓋を開けてみれば、正に普段のレクトの所業そのものであったので、カリダは納得したと同時にがっくりとうなだれている。
「不良が街を救ったヒーローか。なんだか物語のようじゃのう」
レクトの昔話を、テラが茶化した。しかしレクトは冷静に返す。
「冗談言うなよ。魔王を倒して世界を救う方が、よっぽど物語だろうが」
「違いないな。ルークス、この際だから自伝小説でも書いて出版したらどうじゃ?」
的を射たレクトの指摘を受けて、テラがニッと笑いながらルークスに話を振る。聖剣に選ばれた勇者が仲間たちと共に魔王を倒すなど、確かに物語としては王道の展開ではあるが。
「えぇ!?いいよ、そんなの!恥ずかしいじゃないか!」
ルークスは慌てた様子で手をぶんぶんと振った。だがそれを見たカリダは冷ややかな様子で付け加える。
「そうね。自伝だから、プロポーズの言葉も載せなきゃならないしね」
「それはもういいじゃないか!」
列車の中で散々いじられたことを蒸し返され、ルークスは顔を赤くしながら怒鳴った。こうなってしまっては、もはやルークスにとっては黒歴史確定である。
「と、ところでレクトは?王様に会うために王城へ行くんだろ。馬車でも使うのかい?」
話を逸らしたかったのだろう、唐突にルークスはレクトに質問した。もちろんレクトの方もルークスの意図はわかっていたのだが、あえて質問に答える。
「いや、今日はやめとく。色々と寄りたいところもあるしな」
そう答えて、レクトは遠くを見た。視線の先にあるのは特に変わったところのない王都の街並みが広がっているだけであったが、おそらくその中にレクトの行きたい場所があるのだろう。
魔王を倒すために共に旅した仲間たちに、別れの時が訪れる。
「落ち着いたら、手紙を送るからね!」
それぞれの目的地に向かって歩き出した仲間たちに向かって、ルークスは手を振りながら大声で叫んだ。
「いらねえ。返事とか書くの面倒だし」
「ワシもいらんなぁ。おそらく、手紙が届く頃にはもう次の旅に出とるじゃろうからのう」
「あんたらねぇ…」
せっかくの好意をあっさりと断るレクトとテラに対し、カリダが呆れたように呟いた。そんな、最後の最後までいつも通りの仲間たちを見て、ルークスは感慨深そうに小さく笑う。
こうして、世界を恐怖に陥れた魔王を倒し、世界を救うという勇者ルークスと仲間たちの壮大な旅は、終わりを告げたのだった。