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放課後の質問

 なんだかんだで、レクトの勤務初日もまもなく終わりを迎える。もはや付きっきりでのサポートは不要であると判断したのだろう、午後の授業においてはジーナの姿はなく、レクト1人で普通に授業を行っていた。本日最後の授業もとうに終わり、残すは帰りのホームルームのみである。


「…というわけで今日はこの後、フラッドサーカス団が出国のパレードを行う関係で、大通りは混雑こんざつすることが予想される。野次馬やじうまになるのは自由だが、人混みには注意しろよ」


「せめて観客とか、見学って言ってくださいよ」


 連絡事項に関して露骨ろこつな表現をするレクトに、エレナがあきれた様子で指摘をする。ムキにならずに冷静に指摘ができるあたり、どうやら彼女はレクトのいい加減さに対していち早く順応じゅんのうし始めたようだ。


「あと、明日は実技訓練があるからな。全員、運動着は必ず持ってこいよ」


 一方のレクトは、変わらぬ様子で連絡を続ける。もっとも教師という立場上、明日の連絡をきっちり行うのは当たり前のことではありのだが。


「んじゃ、今日はかいさーん。用が無い奴はさっさと帰れよー」


「もっと教師らしい挨拶あいさつとかないんですか?」


 気の抜けたような言葉でめたレクトに対し、再びエレナが指摘を入れた。ところがレクトはわざとらしく首をかしげながら、彼女に言葉を返す。


「なんだよ。保育園ナーサリーみたいに“みなさん、さようなら”とか言ってほしいのか?」


「…やっぱり、いいです」


 想像して気味が悪くなったのか、エレナは首を横に振りながら小さな声で答えた。まぁ十代後半にもなって保育園ナーサリーじみた挨拶など、恥ずかしくてやってられないというのも当然のことではあるのだろうが。

 兎にも角にも帰りのホームルームを終えたレクトは、気だるそうに教卓の後ろにある椅子いすにもたれかかった。本来であればホームルームの後は職員室に戻るのが通例であるのだが、今日は初日ということもあってか“クラス全員がいなくなるまで教室で待機”との指示が出ている。


「で、どうする?今日の出国パレード」


 荷物をまとめながら、サラが他のメンバーにたずねた。どうする、というのはもちろん、「見に行くかどうか」という質問である。レクトもつい先程に注意こそしたものの、別に行くなと言ったわけではない。

 しかしながら、ルーチェは少し急いだ様子でカバンのひもを肩にかけると、教室の正面にある時計を見上げる。


「私、パス。今日はこの後、夕方までバイトだし」


「あ、そっか。じゃあ仕方ないね」


 残念そうに言うサラに軽く手を振りながら、ルーチェはそそくさと教室を出て行った。そんな彼女に続き、いつの間にか荷物をまとめ終えていたベロニカも教室の扉に手をかける。


「アタシも。今日は家の手伝いがあるから」


「うん。じゃあまた明日」


 教室を出て行くベロニカを、サラは残念そうに見送った。とはいえ、2人とも用事があるというのだから、仕方がないといえば仕方がない。


「リリアさんは?」


 ちょうど荷物をまとめ終えたリリアに向かって、アイリスがたずねた。聞かれたリリアは時計を見上げると、少しだけ考え込む。


「これから大通りに行く予定はあるんだけど、パレードを見る余裕はないかも」


「忙しいの?」


 大通りには行くが、パレードは見られないという意味深なリリアの解答に、疑問を持ったサラが質問を重ねた。


調律ちょうりつのためにバイオリンを楽器屋に預けていて、この後に取りに行く予定。それで、受け取りの時に調律師の先生といくつか確認をするから…」


「時間がかかるの?」


「早ければ10分くらいで終わると思うけど、1時間近くかかったこともあるからね」


「そっか…どれくらい時間がかかるかわからないんだったら仕方ないね」


 理由に納得のいったサラは、それ以上は何も言わなかった。第一、バイオリンの調律といっても具体的にどのようなことをするのかなど、楽器にあまり精通しているとはいえないサラにとっては想像もできない。


「フィーネはどうする?」


 エレナがたずねる。当のフィーネはというと、何故かまだ教科書を何冊か机の上に出したままの状態であった。


「ちょっと…用事があるから学校に残るね」


「用事?」


 フィーネが少し答えをにごしたような感じがしたので、エレナは首をかしげている。しかしフィーネとしては逆に変な心配をさせてしまったと思ったのか、小さく手を振って否定した。


「あっ、ううん。大したことじゃないの。そんなに時間もかからないと思うし」


「そう?それなら別にいいけど…」


 本人が大したことじゃないと言うのだから、実際に大したことではないのだろう。そう思ったエレナは、追求するのをやめた。


「なんだか、今日はみんな色々と忙しいみたいですね」


 少し残念そうな様子でアイリスが言った。クラスのメンバーの半数以上が用事があるとなると、パレードを見に行くのも諦めなければいけないということになる。


「まぁ、無理して見に行く必要もないかもね。そもそも、サーカス自体は先週の公演で思いっきり見られたし」


 最初に言い出した本人であるサラは、前向きな考えのようであった。実際、先週のイベントでは1回分の公演を学園がまるごと貸し切り状態にしてしまったので、生徒たち以外の観客はおらずにほぼ最前列でサーカスを楽しむことができた。生徒たちにとっては、それで十分満足できたに違いなかった。


「それじゃあ、今日はもう帰ろっか」


 カバンを持ちながら、エレナが言った。それを聞いた他の生徒たちも各々のカバンを手に持つと教室前方にある扉の方へと向かう。


「じゃあ先生、さようなら」


「うーい」


 生徒たちの挨拶に、レクトは気の抜けたような返事をする。もっともリリアだけは未だに反発の姿勢を見せているようで、一切レクトの方を見ようとはしなかったが。

 そうして4人が教室を出ていったことで、教室に残っているのはレクトとフィーネだけになった。相変わらずレクトはやる気のなさそうな様子で教卓の椅子にもたれかかったままであったが、不意に声をかけられたことで目線を上げた。


「あの、先生…」


「んー?」


 いつの間にか教卓の前に立っていたフィーネは、何かの本を胸元に抱えながらレクトの方を見ている。


「その、解き方がわからないので、教えてほしい問題が…」


「問題?」


 何かと思えば、ということか、レクトは拍子抜けしたような声を出した。しかしながら、授業中には堂々と質問をしていたフィーネの声が今はかなり小さくなっているのが少し気になるところではあった。


「なんだよ。わからない部分があれば、その時に聞けばよかったのに」


「あ、いえ。実は…」


 今日1日だけで、フィーネから授業中にいくつの質問があったのかはレクトもよく覚えていない。それだけ彼女からの質問が多かったということだ。そんな彼女が授業中に質問できなかったというと、何か理由があるのだろうか。


「今日の授業とは、まったく関係のない問題なんですが」


 そう言って、フィーネは手に持っていた本をレクトに差し出す。その本の表紙を見て、レクトは大まかな事情を把握した。


「数学か」


 フィーネが持っているのは、今日の授業の中には無かった数学の問題集であった。レクトは事前に学園で使用されているテキストを一通り確認しているが、彼女が持っているものはその中には無かった本だ。おそらくは書店などで市販されている問題集であろう。日頃から使い込んでいるのか、表紙は少し汚れていて、付箋紙ふせんしが何枚かはさんである。


「見せてみろ」


 授業で使っているものではなかったとしても、それは質問に答えることを拒否する理由にはならない。フィーネは問題集をパラパラとめくり、付箋紙の挟んであるページの1つを開いてみせた。


「この問題なんですが…」


 ページの中には数問の計算問題が記載きさいされており、その内の1問に赤ペンで印が付いている。計算式の下には3段ほど途中式が書かれており、さらにその下には消しゴムで何度か式を消したような跡があった。おそらくは様々な解き方を試し、その度に消していたのだろう。

 レクトは「んー」と小さくうなりながら考え込んでいたが、10秒ほど経ったところで教卓の上にあったペンを手に取る。


「ここだ」


 レクトは書き込まれていた途中式の一箇所を指差すと、そこからペンで矢印を引く。そして矢印の先の部分に、新しく途中式を書き始めた。


「ほら、ここを計算せずにこの部分だけを括弧かっこでくくれば因数分解できるだろ。そうすれば…」


「あ、約分できますね」


「そうだ。あとは残った部分を展開する。そうすれば」


「同類項の加減だけで終わり?」


「そうだ。手順に気づけば大して難しい問題じゃない」


 レクトが解説している間にも、解き方が段々と理解できてきたフィーネが言葉を挟む。彼女の理解力の高さもあるのだろうが、解説そのものはほんの2、3分で済んでしまった。


「他にあるか?」


「えっと、後ろのページにもう1つ」


 レクトにたずねられ、フィーネは今よりも少し後ろのページを開く。先程よりも少し複雑な計算式であったが、解き方は似たような問題であることがレクトにはすぐわかった。


「さっきと似たような感じだな。ここで因数分解ができる。あとは置き換えをすれば…」


「公式にそのまま当てはめられますね」


「そうだ。整理すれば項が2つだけの簡単な計算になる」


「最後に代入ですね」


「ほら、これで問題ない」


 一番下に解答を書き、レクトは問題集をフィーネに軽く突き返す。ところがフィーネはそれを受け取ると、急にぱあっと明るい表情になった。


「あ、ありがとうございます!」


「なんだよ、解き方がわかっただけでそんなに嬉しいもんか?」


 妙なぐらいに喜ぶフィーネを見て、レクトは首をかしげている。もっとも、教師としてそのような質問はいかがなものかという部分もあるが。


「あ、ええ。まあ…」


 喜んでいたことが恥ずかしくなったのか、フィーネの声が小さくなった。


「あの、先生…」


「ん?」


 フィーネが急にかしこまった態度になったので、レクトは再び首をかしげる。そうして彼女の口から飛び出したのは、ある意味でレクトの予想だにしないものであった。


「私、傭兵って戦うことばかりで、勉強なんてできないものだと思ってました…」


偏見へんけんもいいとこだな」


「す、すみません…」


 ストレートなレクトの意見に返す言葉もないのか、フィーネはどこかバツの悪そうな、申し訳なさそうな表情を浮かべている。もっとも、あくまで“思っていた”と過去形になっているので、今はそうは思っていないということになるのだろう。


「ま、実際はそういう連中もいるけどな。頭脳労働は向いてないから肉体労働、っていう考えの奴も少なくはない」


 レクトにも思い当たることがあるのか、否定そのものはしない。そもそも世間的に言えば傭兵というのは大半の仕事が戦闘や護衛といった腕っぷしの強さを必要とするものばかりであるので、フィーネの見解もまったくの見当違い、というわけでもない。


「でも、先生は戦闘技術だけじゃなくて、ちゃんと座学も教えられる人だってわかりましたから!」


「…」


 フォローのつもりなのか、それとも素で言っているのかはわからないが、力説するかのようにフィーネの声が大きくなった。しかしフィーネ本人はめているつもりだったのかもしれないが、レクトの方は何と答えてよいのかイマイチよくわからなかったので、2人の間に沈黙が流れる。

 自分で言っていて恥ずかしくなったのか、フィーネはレクトから目をそらしつつ、時計を見上げた。


「え、えーと、問題も解決したので、今日は帰ります」


「ん、わかった」


 レクトの返事を聞いて、フィーネは自分のカバンが置いてある机の方へと向かう。そうして手早く教科書や筆記用具をしまうと、すぐさまカバンを肩にかけた。


「それじゃあ先生、さようなら」


「うーい」


 フィーネの挨拶に対し、レクトはエレナたちの時と同じような気の抜けた返事で送り出す。決して悪意があるわけではなく、これがレクトの平常運転なのだ。


「んじゃ、ガキどもは全員帰ったし、とっとと鍵を閉めるとしますかね」


 そう言って、レクトはコートのポケットから教室の鍵を取り出した。


 


 


 レクトがちょうどフィーネへの解説を終えたのとほぼ同時刻。まさにこれからパレードが始まるところだという西区の大通りから少し外れた路地では、1人の騎士がとある目的で全力疾走していた。


「くそっ!見失ったか…!もう少しだったというのに…!」


 騎士は立ち止まり、悔しそうに言葉をらす。そうして息を切らしながらも、腰のあたりから1枚の手配書を取り出した。そこには無精髭ぶしょうひげほほのこけた目つきの悪い男の写真が載っており、罪状には『違法薬物の売人ブローカー』と書かれている。


「ミハイル先輩せんぱい!大丈夫ですか!?」


 後から追いかけてきたであろう、後輩らしき別の騎士が声をかける。息を整えた騎士は姿勢を直すと、小さく首を横に振る。


「すまない、奴を取り逃がしてしまった。他の2人はどうなった?」


「1人はアイザック隊長が捕縛ほばくしました。現在、もう1人を追っている最中です」


「そうか。流石はアイザック殿だ」


 3人の指名手配犯のうちの1人が捕まったことで、騎士は少しだけ安堵あんどしたような表情を浮かべる。だが、自分が追っている売人ブローカーは今も逃走中なのだ」


「よし、我々は引き続き無精髭の男を追うぞ。なんとしても見つけ出すんだ!」


「はい!」


 改めて気合いを入れ直すと、2人の騎士は暗い路地を走っていく。だがそうやって2人の姿が見えなくなったのを見計らって、物陰から騎士の持っていた手配所と同じ、無精髭ぶしょうひげせた男が姿を現した。り切れたコートに身を包んだ男は、キョロキョロと周囲の様子を伺っている。


「ったく、ついてねえぜ。まさか取引の当日にパレードとはな。おかげで街中に騎士団の連中がウヨウヨしてやがる」


 小声でぼやきながら、売人ブローカーの男はコートの内側ポケットの中に入っている小さな小瓶に目をやる。中身は、今日の取引でギャングに渡す予定の違法薬物だ。

 しかしながら先ほど盗み聞きした会話からすると、どうやら仲間のうちの1人は既に騎士団に捕らえられてしまったようである。そもそも今日は間の悪いことにフラッドサーカス団の出国パレードの当日で、街のいたる所に警備の騎士団が配置されているのだ。しかも男は顔を知られてしまっており、民間人のフリをしてやり過ごすのも難しい。

 だがここで、男はあることに気がつく。


「待てよ…?下手に裏路地うらろじを通って行くよりも、パレードを見に来た野次馬に紛れた方が、かえって見つかり辛いんじゃないか?」


 世界的に有名なサーカス団ということもあってか、パレードを見に来ているのは何百どころか何千人といった規模きぼの人間だ。群衆の中に紛れ込めば、そうそう見つかることはないだろう。


「へっへっへ。木を隠すならなんとやら、だ」


 いやらしい笑みを浮かべつつ、男は大通りの方へと向かっていった。

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