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初日 ④

「レクトさん、先程の授業では色々とありがとうございました」


 廊下ろうかを歩きながら、ジーナはレクトに礼を言った。色々というのは、もちろん授業の中での質問に対し、彼女の代わりに答えたことについてである。結局けっきょくあの後も質問がいくつか飛んできたが(大半はフィーネであったが)、その都度レクトが的確な答えを提示することで何事もなく授業を終えることができた。


「気にすんな。大したことじゃねえ」


 言葉の通り、レクトはまったく気にしていないようだ。実際、生徒たちの質問に対して知っている事実を答えただけなので、特別なにか苦労をしたというわけでもないのだが。


「けど、よく答えられましたね。それこそ、あんな細かいことまで」


「たまたま知ってただけの話だ。俺は全知全能の神じゃない」


 ジーナは感心している様子であったが、レクトは特に謙遜けんそんすることもなく率直に言った。この点については、特に目的もなく日頃から行っている読書が良い方向にはたらいた、といったところだろう。

 そうして職員室に戻ってきたところで、2人はさっそく次の授業について話し合う。


「それで、どうします?次の授業は化学ですが、やはり見学されますか?」


 化学となると、先程の歴史とはまた異なる部分がある。校長であるクラウディアからは具体的にどれくらいの時間を見学するかまでは指示されてはいないものの、ジーナとしてはもう少し見学して流れをつかんで欲しいという考えがあるのだろう。ところが。


「いや、もういい。さっきので流れは大体わかった」


 レクトのためを思っての提案であったが、当の本人は真顔のままあっさりと断る。つまるところ、もう授業はできる、と言いたいのだ。


「ほ、本当に大丈夫ですか?」


「うん。問題ない」


 不安そうにたずねるジーナであったが、レクトの表情は変わらない。


「で、化学って言ったよな。何を教えればいいんだ?」


「え、えっとですね…」


 レクトに尋ねられたジーナは、少し慌てつつ自分の机に置いてあったファイルをパラパラとめくり、今日の授業の内容を確認する。ちなみにクラウディアの好意により、サポートがしやすいようにとジーナのデスクの場所はレクトの隣へと移動させてもらっている。


「今日の内容は、武器防具に使われている金属素材の話になります」


 そう言ってジーナは教科書を開き、該当がいとうするページをレクトに見せた。レクトは教科書を受け取ると、そこから数ページだけをパラパラとめくる。そして十数秒ほど何かを考えたのち、教科書を閉じてジーナに返した。


「オッケー、わかった」


 レクトは軽く返事をすると、さっさと教室へ向かう準備を始める。だがそれを見たジーナは顔を引きつらせ、再び大声になった。


「ちょっとレクトさん!引き継ぎとか打ち合わせはしなくていいんですか!?」


 授業というのは、教師にしてみれば立派な仕事だ。普通に考えれば引き継ぎや打ち合わせを行うのはごく当たり前のことなのだが、レクトはそんなもの必要ないと言わんばかりに面倒くさそうな顔をしている。


「要するにさ、武器防具に使われる鉄や銅の性質について話してやればいいんだろ?そんなもん簡単だって」


「それはそうかもしれませんけど…!」


 レクトは余裕の表情だが、ジーナはどうしても不安がぬぐえなかった。彼女が余りにも煮えきらないようなので、レクトは1つの提案をしてこの場は妥協してもらうことにした。


「それならさ、とりあえず横で見ていてくんない?駄目なところとか、直した方がいい部分があったら、後でまた聞くからさ」


「…わかりましたよ」


 あまりにも自身たっぷりなレクトにジーナも折れたのか、渋々ながら了承しつつ、2人は生徒たちの待つ教室へと向かうことにした。


 


 


「つまり、酸性の液体に対する耐性は鉄よりも銅、そして銅よりも金の方が強い」


 化学の授業、つまるところレクトの初授業が始まってから、既に数十分が経過していた。教鞭をったことなど一度もない筈なのだが、レクトは緊張した様子など皆無で黒板にチョークで文字や記号を書きながら淡々と授業を行っている。

 そんな中、先程の歴史の授業の時と同じようにフィーネが手を挙げてレクトに質問する。


「先生、それなら防具を金で作れば大抵の酸の攻撃は防げるという事ですか?」


 もちろん授業なので、生徒から質問が飛んでくるのは当然の事である。レクトもそれにたじろぐような事は一切なく、的確な答えを返す。


「確かにそう思うかもしれないが、金は他の金属と比べて密度が大きく重い。その上、単純に高価だ。一般的な武器防具の素材には向いていないとされている」


「なるほど、わかりました」


 レクトの説明に、フィーネは納得したような様子だ。しかし今の説明の中で新たに疑問点が浮上したのか、今度はアイリスが手を挙げた。


「でも先生、貴族や王族の方々は金でできた宝剣を所有している事がありますよね?式典で見たことありますけど」


 この質問には、他の生徒たちも「そういえば」とでも言いたそうな表情を浮かべている。金属の酸に対する耐性の話から少し脱線しているような気もするが、レクトはそんな事などお構いなしに質問に答える。


「あれは大抵は純金じゃない。メッキか、もしくは金と他の金属を混ぜた合金だ。それと剣に限らず、王冠おうかんのように頭に乗せる装飾品なんかにも銀が混ぜられていることは多いぞ」


「そうなんですか?」


「そもそも、ああいう宝剣は上流階級の人間が見栄みばえ重視で作らせた観賞用だ。あんな剣を戦場に持ち込んだとしたら、それこそ周りから世間知らずの坊っちゃんだとか、間違いなく陰口を叩かれるぞ」


 きちんと説明をしつつも、若干の皮肉を交えるところはレクトらしい部分の表れであろうか。そうやって授業が滞りなく進む様を、ジーナは黒板から少し離れた場所に置かれた椅子に座りながら、ぽかんとした様子で見つめていた。

 一通りの質疑応答が済んだところで、レクトは授業を再開する。


「…で、その当時に利用されていたのが青銅、いわゆるブロンズだ。銅とすずの合金なんだが、比較的安価な上に耐食性にも優れているから剣や防具の素材として使われることが多かった」


 黒板にそれぞれの金属の利点、欠点を書き並べながら、レクトは説明を続ける。そうして最後の部分の説明を終えたところで、タイミングよく授業の終わりを告げる鐘が鳴った。


「おっと、時間か。この辺はほとんど暗記事項だから、きっちり復習しとけよ」


「「「はい」」」


 皆が返事をしたところで、レクトは教科書を閉じる。黒板に書いた内容を消し、道具を一通り片付け終えると、レクトは横でずっと見ていたジーナに話しかけた。


「終わったぞー。職員室戻ろうぜ」


「あ、はい!」


 少しボーッとしていたのか、ジーナは慌てて返事をした。職員室に戻るためにさっさとS組の教室を後にするレクトに続き、彼女も教室を出る。


 




 初めて授業を行ったというのに、レクトは何てことない様子で廊下を歩いている。その様子がどうにもに落ちないので、ジーナは思いきって聞いてみることにした。


「レクトさん、本当に教師の経験ないんですか?」


 ジーナからしてみれば、あれだけ堂々と、しかも言葉に詰まることもなくスムーズに授業を終えることができたのが信じられないようだ。そうなると、考えられる答えは1つしかない。

 だが、レクトは呆れたような様子で返事をする。


「だから、“ない”って何度も言ってるじゃん」


「それにしては、まったく緊張していませんでしたけど」


 ジーナの言葉の通り、レクトにはまったくと言っていいほどに緊張というものが見られない。物事の説明に関する得手不得手というのも多少なりあるのかもしれないが、それにしたって初めての経験であそこまで堂々とできるというのも相当なものである。

 しかしながら、レクトにはジーナの感覚がいまいち理解できないようだった。


「なんで緊張する必要がある?相手はたかが十代の小娘だろ?」


「そ、それはそうなんですけど…」


 レクトの言う事も理解できないわけではないので、ジーナは返答に困ってしまった。もっとも、ジーナ自身はまずレクトが国王や大臣を前にしても堂々とタメ口をきける程に図太い神経の持ち主だということを知らないのだが。


「で、この後の授業は?」


 ジーナが黙ってしまった理由を知ってか知らずか、レクトは話題を変える。ジーナははっとしたように我に返ると、すぐに手に持っていた予定表を確認した。


「えっと、次が薬学です。それで、お昼を挟んだ後は美術ですね。ただ薬学はともかく、美術は…」


「俺には無理だから、専門の人に任せてその間は別の事だな」


 ジーナが言い終える前に、レクトは自ら美術の授業が無理であるという事実を口にした。

 クラウディアからも事前に説明を受けていたが、サンクトゥス女学園においては音楽や美術、他には家庭科や救護など、一部の授業に関しては担任ではなく専門の教諭が授業を行うことになっている。その上、何処からスカウトしてきたのか教科ごとにその道のエキスパートが揃っており、基本的に担任の出る幕はないのだ。

 それを踏まえた上で、ジーナは手に持っていた資料の束の中から数枚を選んでレクトに渡す。


「ですので、午後の空いている時間にいくつか目を通していただきたい資料があるのですが…」


「うい、了解」


 返事をしながら、レクトは差し出された資料を受け取った。1枚目の資料のタイトルは『今月の予定』となっている。もっとも今は月の半ばであるために既に半分以上は過去の日付であるのだが。


「この“フラッドサーカス団公演”ってのは?学校とは関係なさそうだけど」


 既に終わった行事の中で、レクトは個人的に気になったスケジュールを指差した。日付はちょうど1週間前だ。確かに学校とサーカス団というと、特に接点があるようには思えない。


「あぁ、要するにレクリエーションイベントの1つですよ。フラッドサーカス団はご存知ですか?」


「名前だけは。けど、公演を見たことはないな」


「世界各地を渡り歩いて公演を行っている、有名なサーカス団です。ここ1、2年は魔王軍の動きが活発になっていたことで旅路が危険になり、公演そのものを取りやめていたのですが、世界が平和になったことで巡業を再開したんですよ」


 ジーナの説明を聞いて、レクトも大まかには把握ができたようだ。確かに各地を旅する人間にとっては、魔王軍の影響でここ数年は特に危険の伴う状態であったのは言うまでもない。魔王軍の残党が完全にいなくったというわけではないが、長である魔王がレクトたちに倒されたことにより、現在では大半の魔族は人間の領域から手を引いている。


「つまり、ガキどもがサーカスを観られたのは全て俺のおかげと」


「えっと、そうなりますかね」


「いや、今のはツッコミどころだから」


「す、すいません…」


 小ボケに対応できなかったことについて、ジーナが申し訳なさそうに謝罪をする。ただ、レクトのおかげというのも事実としては正しいので、否定するのもそれはそれで気が引ける部分があるのは間違いないのだが。


「ま、そんなことはどうでもいいや。それより、次の薬学はどんな内容なのか教えてくれ」


「あっ、はい!ええっと、次は…」


 自由すぎるレクトに少しばかり翻弄ほんろうされつつも、ジーナは授業の内容が書かれた予定表を確認し始めた。

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