初日 ③
「改めてどうだったかしら、S組の子たちは?」
職員室の扉を開けながら、クラウディアが尋ねた。この場合の“どうだった”という言葉は様々な意味に捉えることができるが、とりあえずレクトは率直な感想を述べる。
「色々な意味で個性的な連中だよな。少なくとも、退屈はしなさそうだ」
若干皮肉交じりに答えたが、その割には満更でもなさそうな顔をしている。流石は世界を救った英雄とでも言うべきか、不安そうな様子などは一切見せていない。
尚、本来であれば今は授業の時間なるのだが、本日のS組の最初の授業は音楽、つまるところはレクトの専門外の教科である。そのため授業そのものは専任の音楽教師に担当してもらっており、レクトはこうして時間を設けることができているという訳である。
職員室の奥に新しく用意されたレクトのデスクの前に到着するや否や、クラウディアはまっすぐにレクトの方を見た。
「わかっていると思うけど、あなたにとって一番大事なのは、まず最初にあの子たちからの信用を得る事でしょうね」
クラウディアの言う通りだ。まずはクラスの皆に信用されなければ、まともに授業だって成り立たない。しかし、レクトの中では自分が今何をすれば良いかというイメージが既にある程度出来上がっていた。
「やり方は俺の好きにさせてもらってもいいか?多少なり強引な手を使おうかとは思ってるんだが」
「それに関してはあなたに一任するつもりだけど、あまり暴力的な事とかはしないで頂戴ね」
澄まし顔のレクトに対し、クラウディアが確認するように言った。強引な手と聞くとかなり危険な匂いがするが、仮にも世界を救った英雄の1人なのだ。流石に非人道的な事まではしないだろう、という安心感はクラウディアの中にあるようだ。
「組手とか模擬戦みたいな、授業の範疇なら別にいいだろ?」
「そうね、それだったらいいわ」
レクトの質問に、クラウディアは落ち着いた様子で答えた。レクトが直接暴力行為を働くのは当然のようにタブーであるが、授業の中であれば限度さえ守ってくれればクラウディアとしても問題はない。
「それだけ聞ければ充分だ」
レクトは少しだけ悪い笑みを浮かべながら言った。そんな彼の顔を見たクラウディアは、止めこそはしなかったものの一応の注意も込めて釘を刺す。
「ただし、不測の事態が起こった時はあなたが全力であの子たちを助けること。それは約束してちょうだい」
「それは問題ない。任せておけ」
レクトがあまりにも自信満々の様子だったので、クラウディアはひとまず安堵する。そんな彼女を見て、レクトからは思いがけない一言が発せられた。
「1週間」
「え?」
あまりにも唐突な一言であったので、クラウディアはレクトが何の事を言っているのか理解できなかった。
「1週間後にはクラス全員、俺の言う事きちんと聞くようになってるぜ」
随分と大胆な発言をするレクトに、クラウディアは思わず目を丸くした。だがそれが単なるハッタリではなく、明らかな確信を持って発言しているのだという事は彼女にも理解できた。
「言い切っちゃってもいいの?ペナルティとかは特にないけど、あなた自身のプライドが傷付くんじゃないかしら」
「問題ない、俺にはもう“見えてる”」
相変わらず意味深な発言を繰り返すレクトであったが、クラウディアもこれ以上言及するのは止めにした。もっとも、それは呆れから来ているのではなく、彼の絶対的な自信と揺るがない態度を見て何かを感じ取ったからであった。
「そうそう、レクト。紹介したい人がいるのよ」
唐突に話題を変えたクラウディアは、近くのデスクに座っていた小柄な女性に対して手招きをする。ちなみに職員たちに対するレクトの紹介は朝イチで既に済ませてあるが、反対にレクト自身に各職員を紹介するということに関しては時間の関係もあってまったく行っていない状態だ。
「紹介するわレクト。彼女はジーナ・フェアライト」
クラウディアに紹介され、ジーナと呼ばれた女性教師は軽く頭を下げる。だが、レクトはこの女性に見覚えがあった。
「あれ、あんた昨日…」
というのも、目の前にいる女性教師は昨日ベロニカを説得していた2人の教師のうちの1人であったのだ。もっとも、あの時はお互いに名前も素性も知らないままであったため、実質的に今が初対面と言ってもあながち間違いではないのかもしれないが。
「えと、お会いできて光栄です、英雄レクト。あ、レクト様の方が宜しいでしょうか?」
少し緊張した様子のジーナからの質問はどんな呼び方をすればよいかという、既にクラウディアとも交わした会話であった。もっともその点に関しては、レクトの答えなど最初から決まっている。
「レクトでいいよ。貴族とか王族じゃあるまいし」
「そ、そうですか…。でも私の方が年下なので…じゃあ、レクトさんで」
ジーナは少し固い笑顔でレクトに言った。そんなわけで最低限の紹介も済んだということで、クラウディアはそのまま話を進める。
「彼女はS組で何度か授業をした経験があってね、これからは副担任を担ってもらうわ。つまり、あなたのサポート役ね」
「なるほど」
「聞いた通り年齢はあなたの方が少し上だけど、教師としては彼女の方が先輩だから、わからないことがあったら彼女に聞いてちょうだい。あと、次の授業は彼女が担当するから、流れを知るためにもあなたは見学しててもらえる?」
「んー、了解」
レクトは気の抜けたような返事をした。とはいえ、サポート役が付いてくれるのはレクトとしてもありがたいことではある。いくら戦闘能力に自信があっても、それと教師としてのスキルとは完全に別物だ。
「それじゃあ、私はこれから別の仕事があるから校長室に戻るわ。残りの職員については追い追い紹介するわね」
それだけ言い残すと、クラウディアはさっさと校長室へ戻っていった。それを見届けたレクトとジーナは、早速S組の現状と今後の方針について話し合う。
「で、早速なんだが。あの小娘どもは君の言う事は聞くのか?」
「こ、小娘って…」
随分といきなりなレクトの質問に、ジーナは戸惑いを隠せなかった。しかしながら、ごまかしたりはぐらかす訳にもいかないので、やや複雑な表情を浮かべながらも現状についての説明を始める。
「うーん、難しいですね。アイリスちゃんとかエレナちゃんみたいな素直な子はともかく、一部の子は私の事をナメてるみたいで…」
「校長の言ってた通りか」
クラウディアの説明の通り、S組の一部の生徒たちが教師をナメているというのは本当のようだ。また、どうやらジーナには他にも懸念材料があるようだった。
「あと、フィーネちゃんみたいな子は別の意味で大変です…」
「別の意味?」
「えっと、実際に授業を見てもらえればわかると思います」
そう言ってジーナは職員室の壁にかかっている時計を見上げると、手に持っていた数枚の書類を確認する。
「次の授業は歴史です。校長からは一般教養についてはほとんど問題ないと伺っていますが、レクトさん自身は歴史を教えることに何か問題はありそうですか?」
「たぶん無いと思うけど」
レクトは特に気にした様子もなく答えた。現在進行形で開拓されている分野ならともかく、歴史であればレクトが学生であった頃と内容はほとんど変わっていない筈である。そもそもレクト自身、素行自体は別として学生時代はどちらかというと勉強は出来た方の人間だ。
とはいえ、一口に歴史と言っても範囲は膨大だ。具体的にどの辺りの話をするのかということは、レクトとしても確認しておく必要はある。
「ちなみに、今日の内容は?」
「カエルレウムの戦いと、その際に使用された魔道兵器についてです」
「人類史上初の魔道兵器か」
「そうです」
ジーナが口にした名称を聞いて、レクトも授業の大まかな内容は理解できたようだ。カエルレウムの戦いは歴史の教科書にも記載されている一般教養であるため、レクトが知っているのも当然のことではある。
「とりあえず、次の時間は俺は見学だったよな」
「そうですね。終わった後で授業に関して何か疑問があれば、なんでも聞いてください」
「わかった」
とにかく、あとはなるようになれ、だ。そう心に決めたレクトは、ジーナと共に再びS組の教室へと向かっていった。
授業の開始までは、まだ1分ほど余裕がある。しかしながらレクトがS組の教室の扉を開けると生徒たちは皆、既に着席していた。レクトに続き、ジーナも教室へと入る。
「おー、全員きちんと座ってんじゃん」
開口一番、レクトは冷やかしにも聞こえるようなセリフを吐いた。もちろん、授業開始前に着席しているというのは学校という場所においてはごく当たり前のことではあるのだが、なにぶんレクト自身もどちらかというと時間にはルーズな方であるためにこのようなセリフが出てきてしまったのだ。
「レクト先生、どうして今日はジーナ先生も一緒なんですか?」
正式に担任となったレクトだけでなく、なぜかジーナも一緒にいる事について、フィーネが質問した。おそらく、その事については他にも気になっていた生徒はいるだろう。
「んー、彼女には副担任になってもらう事になった」
「改めてよろしくね、みんな」
ジーナは皆に向かって挨拶をするが、S組メンバーの反応は冷めていた。拍手はおろか、返事をする者すらいない。その様子を見て、レクトは改めてS組メンバーには教師を見下している面があるのだという事を理解した。
しかし、見下される云々は別として、まだ完全には信用されていないのはレクトだって同じだ。とにかく、行動しなければ始まらない。
「とりあえず、この時間は彼女が授業をすることになってる。俺はただの傍観者ってことで」
そう言ってレクトは教室の隅、ちょうど黒板の真横に立った。その乱雑な物言いに、もう少しまともな言い方はないのだろうかと突っ込みたくもなるが、生徒たちにとってはそれよりも気になることがあった。
「どうして、わざわざ見学する必要があるんですか?」
皆が抱いているであろう疑問について、エレナが率先して質問した。だがレクトが答えるよりも先に、後ろからルーチェが若干皮肉混じりの口調で指摘する。
「さしずめ、いくら英雄といえども教壇に立ったことのない素人に授業を任せるのを不安に思っている、ということでしょうか」
ルーチェの余りにもどストレートな意見に、ジーナは一瞬ドキッとしてしまう。だが、反対に素人呼ばわりされたレクトは不満を抱くどころか、その物怖じしないルーチェの態度に少し感心した様子さえ見せている。
「ルーチェ、言い方ってものがあるでしょ」
フィーネが横から注意する。だが、注意するだけで否定はしないということは、おそらくフィーネ自身も少なからず同じ考えを抱いているのだろう。
「いや、あながち間違ってはいねえ。ルーチェの言う通り、俺は人に何かを教えた経験なんざないからな」
レクト自身もその事を当然理解していたのか、否定するどころか授業の経験が皆無である事を素直に白状する。だが、レクトの表情には何一つ不安そうな要素はなく、むしろ自信満々といった様子だ。
「とりあえず、今は普通に授業を受けろ。どうせこの後は実際に俺の授業を受けることになるんだし、不満かどうかはお前ら自身が判断してくれ」
そう言ってレクトは腕組みをし、口を閉じた。まるでそれを見計らったかのように、授業の開始を告げる鐘が鳴る。ジーナは慣れた様子で教壇の前に立ち、持っていた教科書や資料を教卓の上に置いた。
「…そして、その大規模な爆発によって平野には直径3キロメートルを超える大きな穴が空き、やがて長い年月をかけてその穴に雨水が溜まっていき、今のカエルレウム湖ができた、というわけです」
授業開始から10分ほどが経過した。人類史上最初に使用された魔道兵器と、その威力がもたらした地形の変化についてジーナが説明していく。授業そのものもきちんと順序だてて説明を行なっているし、特にいい加減な部分も見当たらない。
と、ここで唐突にフィーネが手を挙げた。当たり前だが、質問があるという意味だ。だが、ジーナの表情は笑顔ではあるものの、どこか少し固いような印象がある。その理由は、もちろん挙手をしているフィーネにあった。
「先生、今のカエルレウム湖には様々な魚や水生昆虫が生息しています。あれらの生物はどこから来たのですか?」
「えっ!?」
予想していなかった角度からの質問に、ジーナは少し戸惑っているようだ。だがフィーネがそんなことなどお構いなしに、真面目な表情で質問を続ける。
「大きな窪地に雨水が溜まって湖ができたというのは理解できました。ですが、それだと今現在も生息している魚などの生物はどこから来たのかがわからないです」
窪地に雨水が溜まれば湖ができるというのは、ごく自然なことではある。だが確かにフィーネの言うように、そうやってできた湖は河川とは繋がってはいない以上、生物がどこからやってきたのかという疑問は残る。
「えっと…それは歴史の授業には直接関係のない話だし、試験にも出るような話じゃないからまた今度でいいかな?」
回答に困ったジーナは、とりあえずは保留という形でその場をまとめようとする。もちろん教科書にもその点について触れている記述は一切ないので、答えようがないのだ。
これが初めてのことではないのだろうか、フィーネは不満そうな表情を浮かべつつも追求することなく手を降ろした。
(納得。要するにバカ真面目なのね、こいつは)
職員室でジーナに言われたことを思い返しつつ、レクトは少し呆れたような様子を見せる。とはいえ、S組における問題の種が1つわかったのは事実だ。一応、この授業は見学だけで終わる筈であったが、見ていられなくなったレクトはジーナに対して助け舟を出してやることにした。
「カエルレウム湖に限らず、川と繋がっていない湖や沼になぜ生物が生息しているかというのは、具体的にははっきりしていない」
レクトは腕組みをしたままの状態で口を開く。唐突なことであったからか、生徒たちだけでなく授業を行っているジーナまでもが驚いている様子だ。だが、レクトは気にせず説明を続ける。
「だが、仮説ならいくつかある。人間が外から持ち込んだ、台風や竜巻で巻き上げられた、そういったものが挙げられる」
「裏付けはあるのですか?」
別にレクト自身が仮説を唱えたわけではないのだが、やはり決め手に欠けるのか、今度はフィーネがレクトに質問をした。レクトは「落ち着け」とでもいったようにひらひらと右手を振りながら、説明を続ける。
「まぁ、最後まで聞けって。カエルレウム湖に関して有力だと言われているのは、別の川や湖の中にあった魚の有精卵が水鳥の体に付着して運ばれた、という説だな。実際、あそこに生息している魚は近くの河川と共通している種類が多い」
今度の仮説はかなり具体的であった。湖ができたのは大昔のことなので確かめる術はもちろんないのだが、生息している魚の種類など、フィーネの言う“裏付け”も先程のものよりはしっかりしている。
「…」
予想もしていなかった人物から答えが飛んできたので、フィーネは小さく口を開けたまま固まっていた。それを見たレクトは、澄まし顔で声をかける。
「どうした?まだ不服な部分があるのか?」
「あ。いえ、ありがとうございます」
レクトの一言で我に返ったフィーネは、礼を言いつつ再び黒板の方を向く。だが固まっていたのはフィーネだけでなくジーナも同じだったようで、レクトの視線に気づくと慌てて授業を再開した。
「えっと、で、カエルレウムの戦いが終わった後は…」