グリーンドラゴン
「一体、何事なの?」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったクラウディアは、職員の女性に尋ねた。他の教師やS組の生徒たちも不安そうな様子だ。息を切らせていた女性は大きく息を吸い込むと、改めて要件をクラウディアに伝える。
「例のグリーンドラゴンが王都に接近、この学校にまっすぐ向かってきているそうです!」
グリーンドラゴンという単語に、その場にいた全員が反応する。もちろん教師陣だけでなく、生徒たちも様々な反応を見せている。
「グリーンドラゴン?って、確かこの前…」
「王都の西にある村が襲われたって新聞に載ってたよね」
アイリスとフィーネが、前日に話題になった出来事について触れた。つまり、村を襲ったグリーンドラゴンが今度は王都に迫っているということになる。
「でも、なんでうちの学校に向かっているの?」
サラが疑問を口にする。王都の近くの村が襲われたのだから、そのまま王都にやってきたというところまではわかる。だが、なぜ他の建物を無視してこの学校に向かっているのかというのがわからないのだ。
そんなサラの疑問に対して、ルーチェが回答する。
「おそらく、飢えているのね」
「飢えている?」
サラはまだ、具体的にどういうことなのかがわかっていないようだ。とはいえグリーンドラゴンの生態については一般常識というわけでもないので、十代の少女がよく知らないといっても別におかしなことではない。
「王都の外、特に西は森林が少ないからね。草食のグリーンドラゴンにとって食べるものがあまりないから、飢えて王都までやってきたというところじゃない?」
ルーチェの説明が続く。要するにグリーンドラゴンの目的は人間を襲うことではなく、あくまでも自身の食欲を満たすためだということだ。それならば、この学校を狙っている理由も容易に想像がつく。
「あんなバカでかいローズガーデンがあるもんなぁ。グリーンドラゴンにしてみればご馳走の山だ。校長、あんたの趣味が裏目に出たんじゃないか?」
「茶化さないでちょうだい。あれは生徒や教職員たちが何年もかけて育ててきた庭園なのよ」
呑気な様子のレクトが冗談めかしたように言うが、そのような言い方をされてはクラウディアも「はい、そうですね」と素直に言えるはずもない。もちろん、庭園に対して愛着や誇りを持っているが故のことだろう。
だが、問題はすぐ目の前まで迫ってきているという事実に変わりはない。
「ど、どうします校長!?騎士団に連絡しますか!?」
「いや、騎士団ならもう動いているはずよ!」
「それよりも、生徒たちの非難が先でしょう!?」
教師たちは軽いパニックを起こしている。普通に考えれば、生徒の前なのだから教師がしっかりしなければならないだろう、とでも言いたくなるようなところではあるが、相手は1日で村や町を滅ぼす力を持った危険度S級のモンスターだ。無理もないだろう。
そんな教師たちを、クラウディアは冷静な様子で叱責する。
「落ち着きなさい、貴女たち」
「は、はい…!」
校長の一言によって、教師たちは少しばかり落ち着きを取り戻したようだ。もちろんそれで問題が解決したわけではないが、ここでクラウディアが彼女たちにとって思いがけないことを口にする。
「心配はいらないわ。相手がグリーンドラゴンであっても、彼なら余裕で倒せるはずよ」
さも当然といった様子で、クラウディアはレクトの方を見た。
「そうでしょう、レクト・マギステネル?」
ここで初めて、クラウディアはレクトの名前を口にする。当のレクトはというといつの間にか、正確にいえばクラウディアが教師たちを落ち着かせている最中に試合スペースから出てしまっていた。
「フルネームで呼ぶなよ。わざとらしい」
「あら、ごめんなさい」
自分の名前がダシに使われたようでレクトは不満そうだ。一方で、その名前を聞いた生徒たちおよび教師陣はまだ思考が追いついていないようだった。
「「「レクト???」」」
ようやく状況が理解できたのか、数人が間の抜けたような声を上げる。なにしろ普通に考えれば、そこにいるはずのない人物の名前なのだ。
「この傍若無人セクハラ剣士が、魔王を倒した四英雄レクト・マギステネル!?」
一目散に口を開いたのは、そのレクト当人にいいようにあしらわれたリリアであった。正に信じられないといった様子で、レクトのことを指差している。
「何つー言い方だ」
当たり前といえば当たり前だが、レクトとしてはリリアの発言に対して思うところがあるようだ。しかし、そんなレクトの抗議をクラウディアが横からバッサリ切り捨てる。
「大体合ってるでしょう」
「まぁ、間違っちゃあいないかな」
どうやら、レクト自身も否定する気はないようだ。実際、傍若無人もセクハラも周囲の人間にあれこれと注意されてきたので否定はできないのだが。
その点はさて置いて、クラウディアは本題に触れる。
「それで?ドラゴン、退治してくれるのかしら」
「別にいいぞ。ついでだし」
(((ついでって…)))
レクトの「ついで」という発言に対し、生徒たちや教師陣はなんとも言えない気持ちになる。
そもそも、ドラゴンというのはモンスターを危険度でランク分けした場合に堂々のS級に指定されるほどの生物だ。グリーンドラゴンはその中でも下位種ではあるものの、それでも1頭だけで街を滅ぼすレベルの力がある。そんなドラゴンの襲来となると、国によっては軍が動くほどの非常事態なのだ。
にもかかわらず、この男からは恐怖心どころか緊張感の欠片も感じられない。
「外のグラウンド、使わせてもらうぞ。あそこなら十分な広さがあるからな」
レクトは淡々と話を進める。ただ、広いスペースが欲しいと言い出すあたり、少なくともドラゴンとの戦いそのものは決して小規模なものではないということは理解しているようだ。当然のことながら校長であるクラウディアとしても、学校が戦場になること自体は好ましいことではない。
「校舎に損害が出ると困るわ。派手な戦闘は避けてちょうだい」
「わかった。一太刀で決める」
ドラゴン相手に派手な戦闘は避けろというクラウディアの無茶なオーダーを、レクトはあっさり承諾した。というより、レクトの返事そのものが一般の人間からすればおかしい内容であったのだが。
「聞き間違いじゃないわよね?あの人、ドラゴンを一太刀で倒すって言った?」
「うん。そう聞こえた」
フィーネとエレナが、先程のレクトの発言に対して言及する。大砲が直撃しても倒れないほどに強靭な肉体を持つドラゴンを、一太刀で倒すと言い切ったのだ。しかしレクト本人は余裕の態度であり、とても嘘を言っているようには見えない。
そんな生徒たちの視線を向けられながらレクトは練習場の扉を開け、外に出る。
「5回か。1日でこんなに鳴ったのは初めてだ」
左耳に付けた鈴を触りながら、レクトは空を見上げた。
それから10分ほど。広いグラウンドの中央でレクトは1人、佇んでいた。
(王都の入口からこの学校まではレンガ造りの建物ばかりで、大きな農園とかは無かったはず。だとしたら、グリーンドラゴンはまっすぐこの学校を狙ってくるに違いない)
グリーンドラゴンの狙いは、あくまでも自身の食料になる草花だ。レクトは西区の地理についてはそこまで詳しくはないものの、あまり大きな農園や畑があるような場所ではないということは頭に入っている。
そんなレクトの様子を、クラウディアとS組の生徒たちは離れた位置から見守っている。普通に考えればドラゴンとの戦いを見学するなど危険極まりない行為ではあるが、クラウディアがレクトに打診してみたところ、100メートル以上離れてくれるのなら、という条件の上でレクトが許可したのだ。
「ほ、本当に大丈夫なのかな?いくら英雄とはいえ、たった1人でドラゴンを相手にするなんて…」
「あれだけ自信満々だったんだから、たぶん大丈夫だとは思うけど…」
心配そうなサラに、やや不安そうな様子でフィーネが答える。確かに自分たちを軽くあしらう程の腕前ではあったが、相手がドラゴンともなると話が変わってくる。そもそも大型のドラゴンをたった1人で相手にするなど、それこそ小説やおとぎ話の世界だ。
そんな話をしていると、唐突にアイリスがカトゥス族特有の大きな耳をピクピクと震わせた。
「き、来ました!」
どうやらアイリスは、グリーンドラゴンの羽ばたく音をいち早く聞き取ったようだ。カトゥス族は聴力が特に発達した種族であるので、他の皆には聞こえないほどに遠く離れた距離の音でも聞き分けることが可能なのだ。
そんな小さな羽音であったが、やがてそれも皆の耳に聞こえる距離にまで近づいてきていた。羽音の主は目当ての食料、つまり学園のローズガーデンを視界に捉えると、空中に留まりつつ徐々に高度を下げていく。
「あ、あれがグリーンドラゴン…!」
「全長は20m以上ありそうね」
目の前に現れたドラゴンの姿を見て、フィーネとルーチェが小さく呟いた。生徒たちにとっては本や写真で見たことはあっても、実物のドラゴンを見るのは初めてなのだ。
一方でグリーンドラゴンはクラウディアや生徒たちには目もくれず、ただ食料となる庭園のみを見ていた。というのも、ドラゴン種のように強大な力を持った生物になると、自身よりも力ではるかに劣る生物に対しては見向きもしないことが多くなる。それこそ、感覚としては人間が地面にいるアリを気にも留めないのと同じような感覚なのだろう。
『グゥ…?』
ところが、何かを感じとったグリーンドラゴンは庭園ではなく、草花など無いはずのグラウンドに目を向けた。生物的な本能であろうか、ドラゴンは自身に向けられた大きな殺意に反応していたのだ。
その殺意に導かれるかのように、ドラゴンは草の1本も生えていないグラウンドへと降り立つ。そこにいるのは、大剣を背負った黒衣の人間1人だけだ。
「そうだよな。無視できるハズはないよな?」
自分をじっと見つめるドラゴンに対し、レクトは臆することなく言い放つ。先程の殺意でグリーンドラゴンははっきりと理解していた。この人間は、自分の命を脅かす存在であると。
しかし、先程向けたはずの殺意はどこへやら、レクトはなぜか剣を手に取らずに、真顔のままドラゴンを指差した。
「えーと、言葉が通じるかどうかはわからねえが、一応忠告しておく。おとなしく尻尾を巻いて逃げ帰れば、俺も何もしな」
『グギャアァァ!!』
レクトが言い終える前に、轟音を立てながらグリーンドラゴンのテールスイングが炸裂した。尻尾を巻くどころかいきなり尻尾を叩きつけてくるとは、なんとも言えない。速度と規模も半端ではないのだろう、周囲には大きな砂埃が舞っている。
「あぁ、もう!ふざけてるから!」
言わんこっちゃない、といった様子でリリアが叫ぶ。レクトがいくら自分たちの攻撃を軽くいなせる技術を持った人間であるとはいえ、流石に今の一撃は威力が違いすぎる。常人であれば全身の骨が粉々になるか、ペシャンコになっているだろう。
だが、そんな心配はこの男に対しては無用であった。
「残念。交渉決裂だな」
砂埃の中から姿を現したレクトは、左腕1本でドラゴンの尻尾を受け止めていた。もちろん骨を折ったような様子も、ましてやどこか怪我をしたような様子もない。当然のことながら、その光景を目の当たりにした生徒たちには衝撃的な場面として映っていた。
「む、無傷!?」
「というより、ドラゴンの攻撃を素手で止めましたよ!?」
エレナとアイリスが驚愕の声を上げる。驚いているのは他の生徒たちも同様で、半数近くは絶句しているようだ。ただ1人、クラウディアだけは皆に聞こえないほどに小さな声で「聞いていた通りね」と呟く。
また、驚いているのは生徒たちだけでなく、グリーンドラゴンも同様であった。全力で放った一撃のはずであったのに目の前の人間は無傷のまま、しかも素手で止めているのだ。危険を感じたドラゴンはすぐさま体を反転させるが、どうやらそれも既に手遅れのようであった。
「俺に楯突いたってことで、お前は極刑な」
冷たく言い放ちながら、レクトは背負った大剣の柄を握る。そのまま剣を高くかざすと、一気に振り下ろした。
「皇帝の凶刃」
レクトの放った斬撃が、グリーンドラゴンの首元から右前脚までを一気に切り裂いた。その一撃で絶命したのだろう、ドラゴンはうめき声を上げることもなく横倒しになり、そのまま動かなくなった。
「い、一撃!?」
「嘘でしょ…?」
「ほ、本当に一太刀で決めちゃいました…」
戦闘を終え、当たり前のように大剣を背中に戻すレクトを見て、生徒たちは小さく声を漏らす。目の前で起こった出来事が信じられないのか、ある者は絶句し、ある者は口元をおさえている。
宣言通りドラゴンを一太刀で片付けたレクトは、コートのポケットに手をつっこんだ余裕の態度で生徒たちとクラウディアのいる場所へと歩いてくる。そうして呆然とするS組メンバーを見ながら、レクトは後方にあるドラゴンの死骸を親指で指し示した。
「いいか、小娘ども。“強い”っていうのは、こういうことだ」